小さな魔法の惑星で

流手

十七. 勇者

 ダンガルフといえば、高い位置に砦を構えていることが有名である。これはグィネブル、マーキュリアス両軍においても知らぬ者はいないほど知れ渡っていることだ。
 更にいえば、頂上からは付近の街を一望出来るような丘の上に位置しているし、その堅牢さから、かねてより何度もマーキュリアスの侵攻を退けているという実績もある。

 近年ではバルビルナへの侵攻を主としている為か、こちらダンガルフ方面へ攻めてくる事はほとんどなくなっているが、いつ攻め込まれても対応出来るよう兵士達は日々警戒を怠るような事はなく、皆が鍛練に励んでいる。
 要は誰が口に出さずとも、この砦はグィネブルにとって精神的支柱であるということは確かなのだ。

 そんな砦で一人の兵士が隊長を探し、騒がしく走り回っている。

「どこだ、どこにいるんだよう!」

 残す心当たりは他にない。というより、本当にこの中にいるという確信もないのだ。気晴らしにふらっと外にいてもなんら不思議ではない人なのである。
 その小柄な兵士は目を潤ませた。

「やあゼフィー、そんなに急いでどうしたんだ」
「あ、マードックさん!」

 ゼフィーは足を止め、通りかかった重装備を施した男へとすがるように向き直る。

 違和感を察知したところまでは、もしかすると自分の勘は冴えているのではないか、などと誇らしく考えたりもしていたが、次第にその喜びは失われてしまった。こうも隊長の姿すら見つけることが出来ないとなると、それは由々しき事態なのである。根の部分から、自分の勘、もとい自分に対する自信を改める必要があるのかもしれない。

「クラレッタ様が……いないんです!」
「む、むぅ、それは……困ったな」

 何度かすれ違う人達にも同じ様に尋ねているものの、何故か皆薄く笑いながらこぞって、どこかで見たなぁ、と繰り返すばかりなのである。
 不思議な感触にゼフィーが顔を覗きこむと、今度は少しバツが悪そうにマードックは視線を泳がせた。

「捜し物は見つかりましたか?」
「うわぁ!」

 不意に後ろから声を掛けられ、ゼフィーは思わず声を上げる。

「クラレッタ様!」
「ゼフィー、どうかしましたか? 先程からとても熱心に走り回っているようですが」
「…………」
「そんなぁ……」

 どこか楽しそうな隊長の姿に、思わずゼフィーは座り込んだ。 

「もしかして……! わざとですよね! わざと見つからないようにしてましたよね! マードックさんだって、うぅ……」
「あら? もしかすると、私に何か用事でしたか? 先程、楽しそうなあなたを見掛けたもので、つい一緒になって走ってしまったのです」
「む、むぅ……俺は……その」

 ゼフィーはがっくりと項垂れると力なく声を発する。続けて、クラレッタが楽しそうに笑い、歯切れの悪いマードックが頭を掻いた。

「クラレッタ様、グランバリーの様子がどこかおかしいのです」

 しかし、それも束の間、気を取り直し改まったゼフィーの言葉に、クラレッタは真剣な表情になると顎に手を添えて頷く。

「……あなたも気が付いたのですね。確かに、今日は妙に人の気配が感じられないと考えていたところなのです。どうおかしいのか、説明は出来ますか?」
「はい。ここしばらくグランバリーの様子を見ていましたが、今日はやっぱり普段とは違うように感じます。演習の号令もなければ、炊事による煙だって一筋も見えません。これは砦を空けているという事ではないでしょうか。……私の予想ですけども」
「ありがとう。わかりました」

 どこか少し自信のなさそうな部下に微笑みかけると、クラレッタは近くの兵士に声を掛けた。

「あなたも聞いていたのでしょう? フィアッカ」

 声を掛けられた兵士は気だるそうにため息をついた。

「やはり気付いてましたかー。ただ、俺は偵察には向いてないと思うんですがねー」
「そこまでわかっているなら話は早いわ。ゼフィーと二人で行ってもらいます。……いいですね?」
「ええー!」

 驚くゼフィーをちらりとみやると、フィアッカは力なく頷いた。

「りょーかい」
「ちなみにあなたはどう考えているの? 意見を聞かせてもらえるかしら」
「……たぶん留守だと思いますよー。隣街で何かあったんじゃないですかねー」
「ラザニーで?」
「そうでしょうねー。朝から慌ただしくしてましたから」
「見てたの?」
「何か捜索をしてるような、例えば、凶悪な犯罪者でも現れたんじゃないですかねー」

 クラレッタの質問には答えず、フィアッカは言葉を続ける。その瞳は不思議と“答え”を知っているかのようにも見えた。
 ゼフィーとマードックは会話に入ることも出来ず、“凶悪な犯罪者”という言葉に息を飲む。

「……まさか、ユーゲンフットが動いたの?」
「軍が動くくらいですので、遠くはないんじゃないかと俺は思っていますがー」

 そこでようやく、フィアッカはゼフィーに声を掛けた。話はもう終わりということなのだろうか。ゼフィーにはその判断が難しかった。

「偵察に行くよー。手短に準備してねー。俺はこのままでいいから気にしないでー」
「は、はいっ! 私もこのまま行きます!」
「おっけー、じゃあ行こうか」

 それだけ言うとさっさと歩き始める。クラレッタのほうも先程から黙っていることを考えれば、やはり話は終わったのかもしれない。

「そうだ。……もし、いけそうだったらそのまま──」
「無理はしないで! ゼフィーもいるんだから」

 フィアッカが言い終わらないうちに、遮るようにクラレッタが言葉を被せる。彼女にしては珍しく大きな声だった。
 その剣幕に押され、フィアッカは大人しく言葉を飲み込む。

「……ですかねー。では、合図を入れるようにしておきますかー。ゼフィー、それは任せるよー」
「は、はいっ!」
「いい? ゼフィー、無理はしないことよ。フィアッカについていけば大丈夫だから」
「は、はいっ! よろしくお願いしますっ!」

 力むゼフィーを見て、二人は顔を見合わせた。しばらくしてマードックが何か口を開いたが、結局ゼフィーは気付くことなくその場を後にしてしまう。気付いたフィアッカが彼の背中を優しく叩き、その場は自然と解散になった。
 
 ◇

 二人がグランバリーに到着する頃にはすっかり陽も昇り、軈てお昼に差し掛かろうかという時間だった。
 近付くにつれ少しの見張りの者らしき影は確認したものの、相変わらず静かなものである。まるで昼食の準備などはしていないのかもしれない。

「それでも、まー見張りくらいはいるよね」
「そうですよねー。ってあれ? もしかして、もう見つけました?」
「そうだねー。それにこちらの姿はもう見られてるよー。ただ、君のおかげで兵士だとは思われてないかもねー」
「ええっ! でもこんな普通に向かってて大丈夫なんですか?」
「どうだろうねー。でもなるようになるよ」
「そうですね! しっかり行きましょう!」
「あははー、声大きいねー」

 二人はそのまま真っ直ぐに城砦に向かっていく。
 しばらく歩いていると何事もなく到着するが、やはり素通りは出来ず、見張りに声を掛けられてしまう。

「おいっ、何用か! ここは前線であるぞ」
「あはー、ラザニーに向かっているんですがねー、どうやら道に迷ってしまったようでー」

 少し厳つ目の兵士達が近づいて来ると、二人に向かって注意を促す。対し、フィアッカは笑うように返答をする。

「ラザニーだと? ……怪しい奴だな」
「ダンガルフの者かもしれん、動くな! 身分が分かるものをこちらに見せろ!」

 完全に警戒をされてしまったようだが、幸いにもすぐには兵が飛び出してくるような気配はない。
 手の汗を拭いながらフィアッカの顔色を窺うと、相変わらず薄笑いを浮かべており、きっと大丈夫なんだという安心感がどこかゼフィーの気持ちを楽にさせてくれた。

「んー、ダメだったね。ゼフィー、君は少し離れてクラレッタ様に合図出来るかな」
「えーっと、フィアッカさんはどうするんですか?」

 近付いてくる兵士からは目を逸らさずに、フィアッカはゼフィーへと小声で素早く指示をする。警戒されない為か、まるで仕草や立ち振舞いに変化はない。

「すぐに飛び出して来ないところを見ると、人が少ないことは確かそうだねー。俺はせっかくだし、少し内部の様子を見に行くよー」
「ええっ! 危険ですよ!」
「とりあえず、君は下がりなよー」
「ダメです! 一人でなんて危険すぎます!」
「俺一人ならたぶん大丈夫だよ」
「ダメです!」

 ゼフィーの声がつい大きくなる。丁度その時、入口から十人程度の兵士が飛び出して来るのが見えた。やはり、遠巻きに様子を窺っていた者がいたようだ。

「動くな!」
「あはー、参ったな……っと!」

 フィアッカは降参とばかりに両手を上げると、袖に仕込んでいたナイフを投げつけた。

「ごめんねー、全員倒れてもらうからー」
「フィアッカさん!」

 相手が怯んだ隙を見逃さず機敏に距離を取ると、続けざまにナイフを放つ。手品のように放たれるナイフは外れることなく次々と兵士達の足を射止めていく。
 普段であれば、その喧騒に紛れることで多少の騒動は目立つこともないが、今日に限っては音や声、また動作のどれを取ってもそれぞれが大きく響くように広がっていた。

「今日は静かすぎませんー? ねー、何かあったんですよねー?」

 じりじりと間合いを取りながらもフィアッカは尚も兵士達に質問を続けている。口調こそ変わらないが既に戦闘は始まってしまっている為、もはやまともな問答などあるはずもない。

「ふん、貴様らグィネブルが知る必要などないことだ!」
「街に部隊を送っているんだったら、大きな騒ぎになってそうだねー。……誰が出た?」
「貴様には関係ない!」

 一気に間合いを詰めに来る兵士からは機敏に距離を取り、すかさずナイフを投擲しては牽制する。致命傷を与えることはないが、足に傷を負った者は機動力を失い、次第に戦意を失っていく。この調子なら制圧も──

「はわっ! はわわ!」

 しかし、突如響く妙な声が、少しの間忘れられていた者の存在を思い出させる。

「あー、まだいたんだ?」

 様子を見ると、すでに三人に追われており、武器を手にすることもなくあたふたとしているのが見てとれた。あれでは捕まるのも時間の問題だろう。

「囲み込め! 逃がすな!」
「ゼフィー! 振り向かずに走るんだ」

 フィアッカは目の前の兵士に背を向けると、ゼフィーを囲む兵士達に狙いを定めた。

「行け!」

 声と同時に投げつけられたナイフがゼフィーを追う兵士達の太股に命中する。
 呻き声と共に二人が崩れ落ち、残る一人がフィアッカへと向き直る。

「フィアッカさん!」
「構わない! 走りな!」

 ゼフィーは真っ直ぐに走った。
 心臓は今までに無いほどの速さで脈打ち、胸は今までに感じたことがないくらいに痛かった。

 ──今は……走らなきゃ……! 私……!

 ゼフィーは脱兎のごとく駆け出した。フィアッカならきっと大丈夫だ。逃げてくれるに違いない。
 少しずつ遠ざかっていく喧騒の中で、微かに敵兵の歓声が聞こえたような気がした。

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