天井裏のウロボロス

夙多史

Section1-4 嘘か真か

 土下座までされて誠意を見せられては、紘也も無下に突っ撥ねるようなことはできない。太陽光線が容赦なく体力と気力と水分をゴリゴリ削っていく外で長話なんて死ねるので、詳しい話は一度家に戻ってからにすることにした。誰かに聞かれると面倒だったこともある。
 買ってきた食材を冷蔵庫に片づけ、部屋で一度着替えてから、リビングのテーブルを五人で囲む。本当はアレルギー源ケットシーなぞ家に上げたくなかったが、今回ばかりは仕方ないと諦めた紘也だった。
「話を聞いてくれるのは嬉しいにゃが……」
 ミルクの入ったコップを両手で握ったケットシーが戸惑い気味に口を開いた。
「人間、その格好はにゃんにゃ?」
 ジトっとした目が彼女の正面に座る紘也を射る。それも仕方ない。猫アレルギー対策のために今の紘也は少々特殊な服を纏っているのだ。
 肌の露出を百パーセントなくした、フルフェイスのだぼだぼした服装。完全気密性の内部には酸素供給装置や体温調節装置なども完備されている。意外と動き易いことも特徴的な――どこからどう見ても立派な宇宙服だった。
 さらに念には念を入れてガスマスクまで着用している徹底ぶりである。
『フシュー、フゴー、シュフー』
「……『知らないのか? これは宇宙服だ』と仰っています」
 喋っても言語としての音にならなかったが、なぜかウェルシュが完璧に通訳してくれた。
「にゃ、それは知って――って、え? にゃんでわかったにゃ今の!?」
「……え?」
「まるでわからにゃい方がおかしいみたいに首傾げられたにゃ!?」
『フゴフー、シュハー』
「……『気にするな、猫アレルギー対策だ』と仰っています」
「だからにゃんでわかるにゃ!?」
「いやぁ、宇宙服かガスマスク出せって言われた時はどういうことかと思いましたが、なるほどなるほど。そういえば紘也くんにはそんな設定がありましたね」
「それでポンとそんなもの両方出したおみゃあも大概にゃ!?」
『フゴシュゴー!』
「……『設定言うな』と仰っています」
《くぷぷ。似合っておるぞ。人間の雄。もうずっとその格好でもよいのではないか? くぷぷひぃ! 腹が痛いぞ》
『シュゴゴー! ヤマダ アトデ コロス!』
「……『笑うな』と仰っています」
「嘘にゃ!? 今普通に喋れてたにゃ!? あーもうフニャー!? これじゃ気になって全然落ち着かにゃいにゃあッ!?」
 なにかがプッツンと切れたようにケットシーが絶叫して立ち上がった。それからバンザイするように両手を上げ、自分の猫耳を掌で押し隠す。
 そしてその手を頭からどけた時には、ケットシーの猫耳は綺麗さっぱり消えていた。ついでに尻尾もなくなっている。
「どうにゃ!? 完全に『人化』したにゃ!? 耳と尻尾がにゃいと気持ち悪いにゃが、これでおみゃあのアレルギーも大丈夫にゃはずにゃ!?」
 なんかヤケクソ気味に怒鳴られた。アレ以上の『人化』ができるなら最初からそうしてもらいたかった。
「――ふう」
 紘也は宇宙服の頭部を取ってガスマスクを外し、大きく息を吸ってみた。それで咳き込むようなことはなく、目も痒くならないし発赤も出ない。宇宙服を全部脱いでも特に異常はなかった。ケットシーの言う通り、完全に『人化』すれば大丈夫なようだ。
「さて、本題に入るか」
「おいこら、なにシレっと今までのこと全部なかったように仕切ってんだ人間」
「素が出てるぞ素が」
「ハッ! これは失礼したにゃん♪」
 きゃぴるん、と高速で猫を被り直すケットシーだった。なんのためにアニメキャラのような猫語を喋っているのか紘也にはさっぱりわからない。
 とにかく、本題に入ろう。
「あんたのご主人――つまり契約者だよな? 助けてほしいって、どういうことなんだ?」
 助ける、がどのような意味なのかで事態は変わってくる。なにかを手伝ってほしい、という意味であれば速攻で拒否るつもりで回答を待っていると、ケットシーは少し表情を暗くさせて俯き加減で口を開いた。
「みゃあのご主人は……今、悪い魔術師に捕まってるにゃ」
 最悪の意味だった。救助。人命が関わっていて断れるほど紘也の心は鬼ではない。
「悪い魔術師? どんな奴だ?」
「えっと、どんにゃ奴……どんにゃ奴?」
 詳細を聞くと、なぜか困ったような顔でケットシーは逡巡し始めた。
「あー、その、にゃんかとっても怖くて悪い感じの奴にゃ」
「説明下手ですか! そんなアバウトな情報じゃあなにも伝わらねえんですよ! もっとなんかあるでしょ! 顔とか名前とか使う魔術とか目的とか紘也くんの下着の色とか!」
「おい」
「し、仕方にゃいのにゃ! みゃあも逃げることで必死だったにゃ!」
 ウロの最後辺りの言葉は激しく言及したかったが、どうやらケットシーもそれ以上の情報は本当に知らないらしい。
「と、とにかく、みゃあだけじゃどう足掻いてもその魔術師には勝てにゃい。だから秋幡紘也、おみゃあの力を借りに来たのにゃ」
 ビシッと指を差して猫っぽい吊り目で紘也を見るケットシー。どことなく睨みつけられているようにも見えるが、完全に『人化』してしまえば年下の少女である。別に恐ろしくはなかった。
「そこなんだが、なんで俺なんだよ? 俺はあんたと今日初めて会ったんだぞ?」
「みゃあも初めてにゃ」
 わけがわからない。
「でも、おみゃあのことはご主人から聞いてたにゃ」
「またソースはご主人って奴か。何者なんだよ?」
 正直、怪し過ぎる。どうして紘也のことにそこまで詳しいのか? そいつを助けたとして、紘也に危害が及ばない保証はどこにもない。
 それに時間もない。紘也だって暇ではないのだ。もうすぐ魔術師連盟からの迎えが来ることになっている。そうなれば紘也たちは早々にロンドンへ行くことになるだろう。
「にゃにゃ? 言ってにゃかったにゃ? みゃあのご主人は、おみゃあの父親からおみゃあを迎えに行くように頼まれてたのにゃ」
「はあ!?」
 つい素っ頓狂な声が出た。まさかそこに関わってくるとは塵とも思っていなかったのだ。ご主人とやらについては今初めて聞いた。
 だが、それなら納得もできる。父親から紘也の事情を聞いていたのであれば、紘也が魔術師を辞めたことも、契約幻獣たちのことも知っていて不思議はない。
「確かに、今日迎えに来るって話だったが……」
 まだ来てないということは、そういうことなのだろうか。
「紘也くん紘也くん、いつそんな話になったんです? まだ時間あるんじゃあなかったんですか? こうしちゃいられません今すぐにでも既成事実を!?」
「……むむ、ウロボロス、マスターになにをする気ですか? ウェルシュがさせません。代わりにウェルシュがキセイジジツします」
「ちょいこら放しなさいよ腐れ火竜!?」
「放しません。あとウェルシュは腐ってません」
「お前らちょっと黙れ」
 ――ゴッ!
 軽くゲンコツで幻獣二匹を仲良くテーブルに突っ伏させ、紘也はケットシーに向き直った。
「まず、あんたの言葉が本当かどうかを確かめる必要があるな」
「う、嘘じゃにゃいにゃ!? 疑り深い人間にゃね!?」
「とりあえず一度親父に確認してみるよ」
 携帯を取り出し、アドレス帳から目的の人物を探す。

 ――Trrrn! Trrrn! Trrrn!

『はいはい、おっさんですよー』
「ああ、親父? 実は――」
『せっかくかけてもらったけどごめんちゃい。おっさん今チョー忙しいから、ラブコールはピーという発信音の後に――』
「……こんな時に限って出ないんだよな」
 朝まで飲み会やってたようなので、もしかすると寝ているのかもしれない。叩き起こしてやる、と何度も電話をかけたが結局一度も出なかった。とりあえず留守電に『か け 直 せ』とだけ入れておく。
 父親に訊けなければ、遠回しだが知ってそうな人に聞くまでだ。
「葛木ならなんか知ってないかな」
「ま、待つにゃ!? 葛木家には報せにゃいでほしいにゃ!?」
「あ? なんでだよ?」
「え、えーと……みゃあのご主人も、そこまで大事にしたくにゃいと思ってるにゃ。葛木家に知られたら連盟にもご主人の失態が知られるにゃ。ご主人の立場的に都合が悪いというかにゃんというか……」
 歯切れ悪くケットシーは口をもごもごさせる。時々チラチラとこっちを見る上目遣いがやたらうざかった。
 ――怪しい。
 しかし、父親と連絡を取ることは問題なかった。そっちの方こそ連盟に知られるだろうに。……となると、父親が一枚噛んで、いや、九割くらい噛んでなにか企んでいる可能性がある。今日まで連絡がなかった件にも繋がるかもしれない。
「悪いが、真偽の程がわかるまで動く気はないからな」
「にゃんですと!? わからにゃいままだったら見捨てるって言うのかにゃ!? おみゃあには人間の血が流れてにゃいのか!?」
 信頼できない見ず知らずの他人のために命を賭けられるほど、紘也は非合理的ではないのだ。あと人外に人間の血云々は言われたくない。
《ふわぁ。さっきから吾にはどうでもよ過ぎる話で退屈だぞ》
 と、山田がつまらなそうに大きな欠伸をして大の字に寝っ転がった。静かだと思ったら話に入って来られないどころか入る気すらなかったようだ。
「嘘か本当かはともかく、一応人の命が関わってるらしいんだから、お前もせめて話くらいは聞いとけよ」
《フン。誰が生きようが死のうが吾には関係ない。勝手にやっておれ》
 そう言えばこいつはこういう奴だった。
「みゃあのご主人はか弱い女の子にゃ!? それを助けにゃいにゃんておみゃあそれでも男かにゃ!?」
《そうだぞ人間の雄! おなごを助けてこその雄であろう!》
「お前チョロイな……」
 瞬速の変わり身だった。『か弱い女の子』と聞いた瞬間には既にケットシー側に体ごと回っていた。そう言えばこいつはこういう奴だった。
 ひょこり、とテーブルに突っ伏していたウェルシュが顔を上げる。
「……どうしますか、マスター?」
「そうだな……」
 紘也だってこのまま放置するつもりはない。もしも本当だったら助けなかったことを深く後悔する人間性くらい持ち合わせている。
 だから、妥協点を探すのだ。
「迎えは今日中に着くって親父が言ってたから、今日一日は待ってみる。もし来なかったらケットシーの言葉を信じようと思う。待ってる間に親父と連絡取れるかもしれないしな。それでいいか?」
 紘也が提案すると、ぴくん。一瞬だけケットシーの猫耳が見えた。一瞬じゃなかったら危なかった。
 ケットシーは数秒間その吊り目をパチクリとさせ、どこか上目遣いで紘也を見詰めてくる。
「明日ににゃれば、助けてくれるにゃ?」
「お前の言葉が本当なら、な」
「わかったにゃ。ご主人もすぐにどうこうにゃるわけじゃにゃいと思うから、それでいいにゃ」
 これにて決定。
 ケットシーが『待つ』ことを了承した時点で真実の可能性が高まったことを紘也は理解しつつ、コップに麦茶を注いで一気に飲み干した。
 すると、テーブルに突っ伏したままのウロが苦笑混じりに言う。
「はぁ、紘也くんってばいつも思いますけど半端にお人よしですよねぇ。でもまあ、あたしも賛成です。やっぱり困ってる人は放っとけないですもんね!」
「本音は?」
「そのお迎えさんをあたしが助けることでお義父様から高評価をいただいて紘也くんと親公認のキャッキャウフフな展開をすみません嘘ですごめんなさいだからそのVサインは仕舞ってくださいぃいッ!?」
 泣きながらテーブルに頭を擦りつけるウロは置いといて、方針が決まったのだから話し合いはもう終了でいいだろう。
 とりま、まずは夕飯の支度だ。
「あ、今日は冷しゃぶでいいな?」
「あれ!? あたしの中辛カレーはどこ行ったんですか!?」
「……マスター、ウェルシュのシチューは?」
《おい猫娘。己の契約者はどのような娘なのか詳し――》
「ほあにゃ!? こ、こんなところに『モンスターバトルロイヤル』があるにゃにゃにゃ!? やりたいにゃあ。やってもいいかにゃあ? ポチっとにゃ♪」
「――ってそこなに勝手につけてんですかあたしが相手になります!」
「フフフ、みゃあは強いにゃよ?」
「ハン、あたしほどじゃあないね!」
「……ウェルシュも混ぜてください」
《吾が勝てば己の契約者のことを教えろ》
 ウロとケットシーがゲームを始めると、残りの二人もコントローラを手にテレビの前に集まって行った。
 そしてまた低レベルな戦いが画面上で繰り広げられる。ケットシーも負けず劣らずのゲーム音痴っぷりだった。
「ていうか、あんた主人がピンチなのに暢気だな?」
「どうせ明日まで待つしかにゃいのにゃ。心配だからって、目を瞑って祈ってもにゃにも変わらにゃいにゃ」
 ドライなことを言い放つケットシー。人にあれだけ人情を説いてきたくせに、と紘也は思ったが、テレビ画面を向いたままぽそりと呟かれた次の言葉が妙に耳に残った。
「……だから、ゲームでもして気を紛らわせた方がマシにゃよ」
 彼女の背中からは、どことなく寂しさが滲んでいたように紘也には見えた。

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