天井裏のウロボロス

夙多史

Section4-2 黎明の兆

 鮮やかな朝陽が窓から差し込む石造りの廊下を、高位の司祭服を纏ったリベカ・シャドレーヌは歩いていた。
 カツン。カツン。カツン。
 右手に持った錫杖が歩行に合わせて床を小突く。乾いた音は短い間隔で反響し、彼女が早足で進んでいることを窺わせる。
「儀式の準備はどうなっていますか?」
 リベカは斜め後方に付き従う神父に訊ねる。
「はい、複雑な魔法陣の描画に少々時間がかかっておりますが、昨夜の陽動作戦にて減った人員を考慮すると順調な方かと」
「そうですか。そのまま続行するようお伝えください。それと『神木』の用意もお願い致します」
「はい」
 神父は通話の護符を携帯電話のように耳に当て、どこかと連絡を取る。それが終わるのを見計らい、リベカは歩きながら窓の外の朝陽を見詰めて悲しそうに呟いた。
「陽動作戦の件ですが、彼らには本当に悪いことをしたと思っていますわ」
「彼らは望んで志願した者たちです。全ては『主』のために、我らはいついかなる時でも命を捧げられる覚悟があります」
「わかっていますわ。彼らの犠牲を無駄にしないためにも、必ず我らが『主』を蘇らせねばなりません。輝かしい『来世』を創造するために」
 そうこう話しているうちに、リベカたちは目的の場所へと辿り着いた。
 回廊というべき廊下の終端に設けられた部屋である。
「彼女の様子はどうですか、ユニコーン?」
 門番よろしく扉の前に立っていた純白の騎士服を纏う青年にリベカは問う。ウェーヴのかかった銀髪に蒼い瞳をした青年は〝純潔の白馬〟――幻獣ユニコーンの『人化』した姿である。
 ユニコーンは眠そうに欠伸をし、
「昨日からずっと寝てるよ。そりゃもうグッスリ」
「そうですか。異常がなければそれで構いませんが、念のため確認させていただきますわ」
 事務的に返すリベカは扉を開けるようユニコーンに指示し、部屋の中へと入って視線だけで周囲を見回す。
 天蓋つきの豪奢なベッドが目についたが、他に目立つ物のない簡素な部屋だった。まるで適当な空き部屋にベッドだけを持ち込んだような即席でいい加減な部屋模様に、リベカは不快そうに眉を僅かに吊り上げる。
「些か、雑ですわね」
「申し訳ありません」
「構いませんわ。この地・・・を発見して以来、部屋の改装をする余裕はありませんでしたもの」
 低頭する神父を快く許し、リベカはその天蓋つきベッドに歩み寄る。そこでは黒髪の日本人少女が仰向けに横たわって静かな寝息を立てていた。
 鷺嶋愛沙。昨夜、リベカが命じてユニコーンに攫わせた少女である。
 リベカは少女の様子に安堵したような息を吐き、ベッドの横で両膝をついた。それから祈るように十字架を胸の前で握る。
「我らが『主』よ。あなた様を失い約二十年、ようやく、ようやく復活の目途が立ちましたわ。今しばらくお待ちください」
 祈るようにそれだけ告げると、リベカはすっと立ち上がった。そんな彼女をユニコーンが端整な顔に軽薄な笑みを浮かべて見る。
「あんたらがこの娘になにする気かってのは俺様も旦那も聞かされてねーわけだけど、意識のない方が都合いいんでねーの? 話しかけると起きるぞ?」
「ええ、そうですわね。ですが、たとえ意識が覚醒していても、その時が来れば再び眠ることとなります」
「おー、こえー」
「わたくしは儀式の指揮を執りに戻ります。あなたが仰っていた葛木以外の勢力は気になりますが、この地・・・が外から発見されることはまずありえませんわ。なのであなたは万が一彼女が逃げ出さないよう、しっかりと見張ってくださいませ」
「へいへい、りょーかいっと」
「……」
 ユニコーンの総帥に対する軽薄な態度に部下の神父が鋭い視線で睨んだが、リベカの契約幻獣ということもありなにも言えず口を噤む。
「おっとそうだ。リベカ、一つだけいいか?」
 部屋を辞去しようとするリベカを、ユニコーンは背中を向けたまま呼び止めた。リベカは怪訝そうに眉を顰め、己の契約幻獣に振り向く。
「なんでしょう?」
「ほら、俺様ってユニコーンなわけだろ?」
「それが?」
「ユニコーンってのは種族的に『純潔の乙女』の味方なんだわ」
「それで?」
「その『純潔の乙女』――処女ってのが俺様との契約条件で、リベカもまあ条件は満たしてるけどよ、やっぱ俺様的にはもっと若い娘の方が好みなんだよねぇ」
「つまり、なにが言いたいのです?」
 女性に向かって大変失礼なことを物申すユニコーンだったが、リベカは特に気にした様子もなく先を促した。
 ユニコーンはゆっくりと振り返る。その切れ長の蒼い両眼が、普段の軽薄な彼らしからぬ鋭い気迫を孕んでリベカを射た。

「俺に儀式とやらの詳細を教えねえってことがこの娘に酷ぇことするからって話なら、俺は契約者を串刺すことも厭わねえ。そこだけ覚えとけ」

「ひっ」
 一人称に『様』がつけない仮面を外した本気の言葉に腰を抜かす神父。そんな情けない部下を余所に、リベカは小さく溜息をついた。
「ユニコーン、彼女を攫った実行犯は他ならぬあなたですわよ?」
「それはそれ。これはこれ。俺様この娘に傷一つつけてねーし?」
「……ご安心を。儀式が上手くいきさえすれば、彼女は身も心も綺麗なまま家族の下へ帰れますわ」
 そう告げるとリベカは神父を引き連れてさっさと部屋を後にした。
 一人残ったユニコーンはリベカたちの気配が遠ざかるまで閉ざされた扉を見詰め、それから飄々とした笑みを口元に刻んでベッドに向き直る。

「そんで、愛沙ちゃんはいつまで寝たフリをするつもりかな?」

 瞬間、ビクリと微かにベッドで横たわる愛沙の体が跳ねた。
「……」
「……」
 数秒の沈黙後、観念したように愛沙は瞼を持ち上げた。怯えたように揺れる黒い瞳が『人化』したユニコーンの姿を映す。
「……えっと、いつから、バレてたの……?」
「リベカが愛沙ちゃんに祈った時。愛沙ちゃん、リベカの言葉にちょい反応したっしょ? 俺様しか気づかなかったっぽいけど」
「うぅ……」
 愛沙は極まりが悪そうに顔を顰めた。黙ってやり過ごすつもりだったのだろうが、飄々としながらも抜かりなく観察を行っていたユニコーンの目は誤魔化されない(女の子限定であるが)。
 気づかれてしまった以上諦観するしかない愛沙は、手を数回グーパーさせて体が動くことを確認し、上体を起こす。
「あの、さっきの人、わたしを『主』って言ってたけど」
「おやおやぁ? 情報収集かな? まあ純粋に気になるんだろうけど、攫われた身で助けを請わずそっちを訊くなんてねぇ。なかなか豪胆な娘だ。俺様嫌いじゃないよ」
「攫われたの、初めてじゃないから」
「そりゃ経験豊富なことで」
 かつてヴァンパイアが同じように愛沙をかどわかしたことなど知る由もないユニコーンは、特に問い詰めるつもりもなく茶化すように肩を竦めた。
 ちなみに、ヴァンパイアはウロボロスに存在ごと『喰われた』ため当時の記憶は愛沙に残っていないはずなのだが、愛沙自身、その矛盾に気づいていない。
「別に口止めされてないし、見張りって退屈だから話してあげてもいいぜ」
「本当?」
「ただし、リベカの契約幻獣になって間もない俺様が知ってることっつっても限られてるけどな」
 ユニコーンはその辺の椅子を引き寄せ、腰に佩いていた剣を立てかけてから優雅な仕草で座った。
「『主』について話す前に、愛沙ちゃんは『黎明の兆』についてどんくらい知ってんの?」
 愛沙は首を横に振る。一般人の愛沙に伝わっていた情報は『ヤマタノオロチが誰かに狙われている』程度だった。
「リベカたちの姿、見た?」
「ちょっとだけ」
「あいつらの格好見ればわかるだろうが、『黎明の兆』は魔術的宗教結社なんて呼ばれてんの。表向きも宗教っぽいことやってるし。だが実際んとこ、奴らは神様を崇めてるわけじゃねーのよ。寧ろ否定的と言っていい」
「?」
 ユニコーンの言葉を理解できず愛沙は眉をハの字にする。
「『黎明の兆』は、今の世界に・・・・絶望した連中・・・・・・ばかりが集まってるからな」
「え? 今の世界に、絶望……?」
「行く宛てのない失業者、事故で家族を失った者、無実の罪を擦りつけられた者、戦争孤児や元奴隷なんて奴もいたなぁ。世の中の理不尽に振り回された奴らにとっちゃ、なんの救済もしてくれなかった神様は崇めるどころか憎悪の対象だ。日本みてえな平和な国で普通に過ごしてる人間にはわかんねえかもしんねえけどな」
 仮にも神社の娘として複雑な気持ちになる愛沙を、ユニコーンは相も変わらず軽薄の仮面を被って見据える。
「だからかねぇ、『黎明の兆』の連中は自分の命を投げ出すことになんの躊躇いもない。総帥のリベカでさえな。そこんとこは俺様も旦那も理解し兼ねるんだが、そんな奴らを自殺させず導いた人間がいたらしい」
「もしかして、その人が?」
「そう、リベカたちが崇拝する『主』ってやつ。そんでもって――」
 俄かには信じられない、そんな微妙な色を表情に含ませてユニコーンは告げる。

「愛沙ちゃんは、その『主』の生まれ変わり・・・・・・なんだとさ」

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