天井裏のウロボロス
Section2-4 人影を持つ幻鳥
『ペリュトン?』
初耳らしい疑問形のイントネーションで携帯電話から蒼谷市に現れた幻獣の名が紡がれた。
「ああ、アトランティス大陸に生息するって言われてる怪鳥のことだ」
紘也は確信を持って断言する。葛木香雅里から伝えられた幻獣の特徴で、紘也の知識の中に一致するものはその一つしか存在しない。
幻獣ペリュトン。
鳥の胴体と翼に牡鹿の頭部と脚部を掛け合わせた姿をしており、どういうわけか光を浴びると自分自身の影ではなく人間の影ができる変わった幻獣である。一説には故郷を離れた旅人の霊だとも伝えられていて、これまたどういうわけか人間を一人殺すことでしばらくの間だけ自分の影を取り戻すことができるらしい。
故にペリュトンは人を襲う。魔力云々以前に本能が影を取り戻そうとするのだ。
「確かペリュトンは集団で行動する習性もあったはず。今この街を襲ってる幻獣は全部そうなんだろ? じゃあたぶん、間違いない」
読み漁った幻獣書の記憶を頼りにあらかた説明すると、携帯電話から葛木香雅里の感心した声が返ってくる。
『流石ね。アジア圏外の伝承にある妖魔についてはたぶんあなたの方が詳しいから、助かったわ。効果的な対処法ってわかるかしら?』
「他に俺が知ってることは、普通の人間の武器じゃ殺せないってことと、ペリュトンは一体につき一人しか殺さないってことくらいだ」
『……そう。わかったわ。葛木の破魔刀だと滅せるようだから、殲滅できるのも時間の問題ね』
なんとなく幻獣博士のような扱いをされている気がしないでもないが、幻獣の正体を知るだけなら連盟に問い合わせるより紘也に直接訊いた方が早いのは確かだろう。できればそういうことでもあまり魔術側に関わりたくはないのだが、紘也も無関係ではいられない緊急事態なのだから割り切る他ない。
ただ、紘也は香雅里からの口伝情報だけで脳内データベースを検索したわけではなかった。
既に何度かに渡り、数体のペリュトンと交戦していたのだ。
「まったく次から次へと面倒臭いですね! 一回殴ったら一ターン動けなくなるような雑魚が群れてもウロボロスさんには勝てないんですよ!」
「……レア度はコモンです」
頭を下げて角を突き出したペリュトンの鋭い突進を、ウロとウェルシュは左右に散開してあっさりとかわす。勢い余ったペリュトンはたたらを踏むようにバランスを崩し、前方のブロック塀をその身で打ち砕いた。
すかさずウロが高圧縮された魔力の光弾を打ち込む。一応配慮はしているらしく、被弾したペリュトンとその僅かな周囲のみが爆発に巻き込まれた。破壊の爪跡は放っておいてもウロボロスの個種結界で修復されるから問題はない。
突進したペリュトンが消滅するのとほぼ同時に、ウロを頭上から押し潰そうともう一体のペリュトンが急降下してくる。紘也だったら一瞬で全身の肉が爆ぜそうな勢いだったが、その前足がウロに触れる寸前、突然噴き出した真紅の流炎がペリュトンの巨体を呑み込んだ。
じゅっ。
酸の海にでも飛び込んだような音が鳴り、ウェルシュ・ドラゴンの〈拒絶の炎〉はペリュトンにもがく暇すら与えず完全に焼滅させた。
そいつが紘也たちの目視できる範囲にいた最後の一体だった。
紘也は感覚を研ぎ澄ませ、周囲を探る。探知に自信があるわけではないが、敵が隠れているような気配はしない。
「ちょいコラ腐れ火竜! あたしの獲物横取りすんじゃあないですよ!」
「……失敗しました。ウロボロスごと焼き払うべきでした」
「ああ? なんか言いましたか? あんたこそ次は敵ごと絞め殺しますよ?」
「お前ら電話中だからちょっと黙れよ!」
コンビネーションがいいのか悪いのか、額に怒りマークを作って視殺合戦を始める契約幻獣たち。いつも通り過ぎて逆に不安など吹き飛んでしまった紘也である。ちなみに個種結界の種類によっては携帯電話は使えないのだが、ウロボロスの場合は〝連続〟の特性を付与することで使用できるらしい。
その繋がったままの携帯から溜息が聞こえた。
『やっぱり、あなたたちも戦ってたのね』
「まあ、成り行きで」
香雅里の口調には抗えない運命を目前にしたような諦念が含まれていた。紘也自身もウロボロスと関わってからそういう星の下に移住してしまったことは自覚している。
一度は抜け出したはずの星の下。
二度目はたぶん、難しい。紘也はウロボロスたちを受け入れてしまったのだから。
「とりあえず、俺たちが今いる辺りはだいたい片づいたと思う」
『油断してると死ぬわよ、秋幡紘也。あなたは人一倍妖魔を惹きつけるんだから』
電話口から厳しく警告されるが、自分のことは自分が一番わかるし、コントロールもある程度利く。紘也という寄せ餌があるからこそ早い段階で近辺の敵を殲滅できたのだ。
そして何度かの戦闘を傍観しているうちに、紘也はある引っかかりを覚えていた。
「葛木、俺からも一つ訊いていいか?」
『なに?』
「こいつら、野良か?」
通常、魔力を感じ取れる魔術師ならその幻獣に契約者がいるかどうかを魔力リンクの構築から判断できる。といってもどの幻獣がどの契約者と繋がっているのかまでは感知できないが、リンクが〝ある〟ということだけは少し探れば簡単に読み取れる。
紘也は自分の魔力に関しては強いものの、相手の魔力は余程近くで力を高めてくれないとわからない。魔術世界から遠退いて十年も経っているのだ。実戦経験皆無で感受性が高まるはずもないだろう。
だが、その紘也でも目の前で戦闘があればわかる。倒してきたペリュトンたちに、魔力のリンクはなかった。
『あなたも気づいたようね』
紘也は違和感程度だったが、どうやら香雅里はもっと強くそれを感じているらしい。
「あいつらは俺に惹き寄せられたみたいだけど、俺を狙ってはなかった。そりゃ襲いかかっては来たけど、本能じゃなくて命令で動いているような感じがした」
それに統制も取れていたように思える。群れを成す幻獣だからそこまで不思議ではないけれど、そもそも『群れを成す』ことが野良として妙だ。
世界魔術師連盟の実験が失敗し、数多の幻獣が世界中に無差別召喚されたのは数週間前である。ジャイアントバットのように生み出せる存在のいないペリュトンが、これほどの規模で群れるには時間的に無理だろう。例え最初から群れで一カ所に召喚されていたとしても、真っ先に連盟に狩られているはずだ。
『どうやってるのか知らないけど、野良だった幻獣を集めて使役してる者がいるのは確かでしょうね』
「目的は?」
『調査中よ。連盟にも問い合わせてるところ。もし組織立ったなにかが関与してるのならマークしてるはずよ』
それはつまり、葛木家は黒幕が組織だと考えているということだ。
何十体もの野良ペリュトンを使役する。
確かに個人や少人数では難しいだろう。それこそ、父親や日下部朝彦のような天才でなければ。
『あなたは関わりたくはないでしょうけれど、なにかわかったら一応連絡はするわ。だからあなたも少しでも気づいたことがあれば教えなさい』
「ああ、わかった。俺も自分の街が襲われるなんて御免だからな」
非日常には関わりたくない。
見ず知らず誰かが殺されようと知ったことではない。
でも自分の日常は脅かされたくない。
人間の大多数はそんな保守的な生き物だ。紘也だとて例外ではないし、寧ろ人一倍その考えは強いだろうと思っている。
少年漫画の主人公には到底なれないな、と苦笑する。
なる気なんてさらさらないけれど。
「こうなったらウロボロス流一〇八の殺人拳が火を噴きますよ」
「……ウェルシュも右手の魔物を解放します」
「お前らいつまでも厨二病患者みたいな言い争いしてないでさっさと行くぞ。山田を回収して愛沙と孝一の安否を確認するんだ」
蒼谷市民の安全は葛木家に任せて、自分は細やかな日常を保守するために全力で動く。消極的なことに積極的な紘也である。
「おっと、山田で思い出しました」
と、ウロがわざとらしい仕草でポンと手を叩いた。今はスルーしている場合ではないので訊ね返す。
「なにを思い出したんだ?」
「市民公園の方に三体ほど敵がいますね」
「馬っ鹿そういうことは早く言えよ!?」
山田も依然として市民公園の方角にいる。同じ場所じゃないことを切に祈りつつ、紘也は一気に駆け出すのだった。
初耳らしい疑問形のイントネーションで携帯電話から蒼谷市に現れた幻獣の名が紡がれた。
「ああ、アトランティス大陸に生息するって言われてる怪鳥のことだ」
紘也は確信を持って断言する。葛木香雅里から伝えられた幻獣の特徴で、紘也の知識の中に一致するものはその一つしか存在しない。
幻獣ペリュトン。
鳥の胴体と翼に牡鹿の頭部と脚部を掛け合わせた姿をしており、どういうわけか光を浴びると自分自身の影ではなく人間の影ができる変わった幻獣である。一説には故郷を離れた旅人の霊だとも伝えられていて、これまたどういうわけか人間を一人殺すことでしばらくの間だけ自分の影を取り戻すことができるらしい。
故にペリュトンは人を襲う。魔力云々以前に本能が影を取り戻そうとするのだ。
「確かペリュトンは集団で行動する習性もあったはず。今この街を襲ってる幻獣は全部そうなんだろ? じゃあたぶん、間違いない」
読み漁った幻獣書の記憶を頼りにあらかた説明すると、携帯電話から葛木香雅里の感心した声が返ってくる。
『流石ね。アジア圏外の伝承にある妖魔についてはたぶんあなたの方が詳しいから、助かったわ。効果的な対処法ってわかるかしら?』
「他に俺が知ってることは、普通の人間の武器じゃ殺せないってことと、ペリュトンは一体につき一人しか殺さないってことくらいだ」
『……そう。わかったわ。葛木の破魔刀だと滅せるようだから、殲滅できるのも時間の問題ね』
なんとなく幻獣博士のような扱いをされている気がしないでもないが、幻獣の正体を知るだけなら連盟に問い合わせるより紘也に直接訊いた方が早いのは確かだろう。できればそういうことでもあまり魔術側に関わりたくはないのだが、紘也も無関係ではいられない緊急事態なのだから割り切る他ない。
ただ、紘也は香雅里からの口伝情報だけで脳内データベースを検索したわけではなかった。
既に何度かに渡り、数体のペリュトンと交戦していたのだ。
「まったく次から次へと面倒臭いですね! 一回殴ったら一ターン動けなくなるような雑魚が群れてもウロボロスさんには勝てないんですよ!」
「……レア度はコモンです」
頭を下げて角を突き出したペリュトンの鋭い突進を、ウロとウェルシュは左右に散開してあっさりとかわす。勢い余ったペリュトンはたたらを踏むようにバランスを崩し、前方のブロック塀をその身で打ち砕いた。
すかさずウロが高圧縮された魔力の光弾を打ち込む。一応配慮はしているらしく、被弾したペリュトンとその僅かな周囲のみが爆発に巻き込まれた。破壊の爪跡は放っておいてもウロボロスの個種結界で修復されるから問題はない。
突進したペリュトンが消滅するのとほぼ同時に、ウロを頭上から押し潰そうともう一体のペリュトンが急降下してくる。紘也だったら一瞬で全身の肉が爆ぜそうな勢いだったが、その前足がウロに触れる寸前、突然噴き出した真紅の流炎がペリュトンの巨体を呑み込んだ。
じゅっ。
酸の海にでも飛び込んだような音が鳴り、ウェルシュ・ドラゴンの〈拒絶の炎〉はペリュトンにもがく暇すら与えず完全に焼滅させた。
そいつが紘也たちの目視できる範囲にいた最後の一体だった。
紘也は感覚を研ぎ澄ませ、周囲を探る。探知に自信があるわけではないが、敵が隠れているような気配はしない。
「ちょいコラ腐れ火竜! あたしの獲物横取りすんじゃあないですよ!」
「……失敗しました。ウロボロスごと焼き払うべきでした」
「ああ? なんか言いましたか? あんたこそ次は敵ごと絞め殺しますよ?」
「お前ら電話中だからちょっと黙れよ!」
コンビネーションがいいのか悪いのか、額に怒りマークを作って視殺合戦を始める契約幻獣たち。いつも通り過ぎて逆に不安など吹き飛んでしまった紘也である。ちなみに個種結界の種類によっては携帯電話は使えないのだが、ウロボロスの場合は〝連続〟の特性を付与することで使用できるらしい。
その繋がったままの携帯から溜息が聞こえた。
『やっぱり、あなたたちも戦ってたのね』
「まあ、成り行きで」
香雅里の口調には抗えない運命を目前にしたような諦念が含まれていた。紘也自身もウロボロスと関わってからそういう星の下に移住してしまったことは自覚している。
一度は抜け出したはずの星の下。
二度目はたぶん、難しい。紘也はウロボロスたちを受け入れてしまったのだから。
「とりあえず、俺たちが今いる辺りはだいたい片づいたと思う」
『油断してると死ぬわよ、秋幡紘也。あなたは人一倍妖魔を惹きつけるんだから』
電話口から厳しく警告されるが、自分のことは自分が一番わかるし、コントロールもある程度利く。紘也という寄せ餌があるからこそ早い段階で近辺の敵を殲滅できたのだ。
そして何度かの戦闘を傍観しているうちに、紘也はある引っかかりを覚えていた。
「葛木、俺からも一つ訊いていいか?」
『なに?』
「こいつら、野良か?」
通常、魔力を感じ取れる魔術師ならその幻獣に契約者がいるかどうかを魔力リンクの構築から判断できる。といってもどの幻獣がどの契約者と繋がっているのかまでは感知できないが、リンクが〝ある〟ということだけは少し探れば簡単に読み取れる。
紘也は自分の魔力に関しては強いものの、相手の魔力は余程近くで力を高めてくれないとわからない。魔術世界から遠退いて十年も経っているのだ。実戦経験皆無で感受性が高まるはずもないだろう。
だが、その紘也でも目の前で戦闘があればわかる。倒してきたペリュトンたちに、魔力のリンクはなかった。
『あなたも気づいたようね』
紘也は違和感程度だったが、どうやら香雅里はもっと強くそれを感じているらしい。
「あいつらは俺に惹き寄せられたみたいだけど、俺を狙ってはなかった。そりゃ襲いかかっては来たけど、本能じゃなくて命令で動いているような感じがした」
それに統制も取れていたように思える。群れを成す幻獣だからそこまで不思議ではないけれど、そもそも『群れを成す』ことが野良として妙だ。
世界魔術師連盟の実験が失敗し、数多の幻獣が世界中に無差別召喚されたのは数週間前である。ジャイアントバットのように生み出せる存在のいないペリュトンが、これほどの規模で群れるには時間的に無理だろう。例え最初から群れで一カ所に召喚されていたとしても、真っ先に連盟に狩られているはずだ。
『どうやってるのか知らないけど、野良だった幻獣を集めて使役してる者がいるのは確かでしょうね』
「目的は?」
『調査中よ。連盟にも問い合わせてるところ。もし組織立ったなにかが関与してるのならマークしてるはずよ』
それはつまり、葛木家は黒幕が組織だと考えているということだ。
何十体もの野良ペリュトンを使役する。
確かに個人や少人数では難しいだろう。それこそ、父親や日下部朝彦のような天才でなければ。
『あなたは関わりたくはないでしょうけれど、なにかわかったら一応連絡はするわ。だからあなたも少しでも気づいたことがあれば教えなさい』
「ああ、わかった。俺も自分の街が襲われるなんて御免だからな」
非日常には関わりたくない。
見ず知らず誰かが殺されようと知ったことではない。
でも自分の日常は脅かされたくない。
人間の大多数はそんな保守的な生き物だ。紘也だとて例外ではないし、寧ろ人一倍その考えは強いだろうと思っている。
少年漫画の主人公には到底なれないな、と苦笑する。
なる気なんてさらさらないけれど。
「こうなったらウロボロス流一〇八の殺人拳が火を噴きますよ」
「……ウェルシュも右手の魔物を解放します」
「お前らいつまでも厨二病患者みたいな言い争いしてないでさっさと行くぞ。山田を回収して愛沙と孝一の安否を確認するんだ」
蒼谷市民の安全は葛木家に任せて、自分は細やかな日常を保守するために全力で動く。消極的なことに積極的な紘也である。
「おっと、山田で思い出しました」
と、ウロがわざとらしい仕草でポンと手を叩いた。今はスルーしている場合ではないので訊ね返す。
「なにを思い出したんだ?」
「市民公園の方に三体ほど敵がいますね」
「馬っ鹿そういうことは早く言えよ!?」
山田も依然として市民公園の方角にいる。同じ場所じゃないことを切に祈りつつ、紘也は一気に駆け出すのだった。
「ファンタジー」の人気作品
書籍化作品
-
-
6
-
-
337
-
-
26950
-
-
93
-
-
111
-
-
70810
-
-
52
-
-
4
-
-
267
コメント