天井裏のウロボロス

夙多史

Section3-6 真昼間の襲撃

 午前中三時間で土曜日の授業は終了した。
 紘也たちは昼食を取るために屋上に来ていた。平日だと放課後には閉められる屋上だが、合唱部などが時々使用することもあるので土曜日に限り十四時まで開放されている。
 紘也たちはグラウンド側のベンチの一つを陣取っていた。
 孝一と愛沙は当たり前のごとく一緒だが、香雅里はいない。風紀委員の仕事で校内の見回り中だそうだ。廊下ですれ違った時に声をかけたら、後で行くと言っていた。
 天気が悪いためか他に生徒の姿はない。というか、土曜日の放課後にわざわざ残って屋上で昼食を取る生徒は少ないだろう。概ね部室などで食べるはずだから。
「か、勝てない? どうして? 紘也くんも孝なんとかくんも初心者のはずなのに……」
「孝なんとかじゃなくて孝一。こ う い ち! いい加減覚えてくれないか、フローラ」
 三度のメシより遊びが好きなウロと孝一は、昼食そっちのけで例のカードゲームに興じていた。さっきから五回ほど対戦しているが、ウロが勝ったところは一度も見ていない。
 ウロは今朝の仔猫の件が嘘だったかのように調子を元に戻している。本当にあの時の彼女はなんだったのだろうか。気になるけれど、紘也には無理に問い詰めるような無粋な真似はできない。あれは紘也ではなく、彼女自身の問題だと思うからだ。
「もう一回勝負だよ! 今度あたしが負けたら、名前覚えます!」
「お♪ いいねその条件」
 孝一も紘也同様に目の色を変えてデッキから自分で作成している。紘也の妨害系魔術を大量投入したコントロールとは違い、『ドラゴニュート』や『フェンリル』を主軸とした速攻系ビートダウンである(専門用語はウロから教わった)。
 ちなみに愛沙も興味は持っているのだが――
「わあぁ、これ可愛いね。えっと、『カーバンクル』っていうんだ。ウロちゃん、これホントに貰ってもいいのかな?」
「いいよいいよ。それならコモンだし腐るほど持ってるから。――『ヒポグリフ』召喚!」
「えへへ、ありがとう。大切にするね。おおぉ、こっちの絵もカッコイイ」
 彼女はデュエリストではなく、コレクターのようだった。
「孝一、ウロの連敗数が二桁に達したら俺と勝負しようぜ」
「いいぜ。オレもそう思っていたところだ。――『フェンリル』で攻撃!」
「あたしが負ける前提で話進めないで!?」
 こんな場面を香雅里に見られたら没収は確定だろうな、と心中で苦笑しつつ、紘也はカツサンド片手に二人の対戦を見物する。愛沙はカードのイラストを見るのに夢中で、正直手持ち無沙汰なのだ。
 客観的に見ていてわかったが、ウロのデッキは強力なカードしか入っていないように思える。強いの入れれば勝てるんじゃね? という初心者の紘也でも違うとわかる思考をしているに相違ない。アホだ。
「そうだウロちゃん」と気に入ったカードを両手一杯に詰み上げた愛沙が、「昨日言ってたカレーパーティーなんだけど、明日の夜で大丈夫かな?」
「げ、それホントにやるのかよ。死人が出るぞ」
「ヒロくん、そんなこと言っちゃダメだよぅ。これはウロちゃんの歓迎会なのです」
 しなくていいのに、と口内で呟く紘也。幻獣界の怪しい食材はこちらの世界で使用できない。そこまでは考えが至っているものの、思い返せば〈竜鱗の剣〉だって幻獣界の物質には変わりない。もしも、食材にもなんらかしらの処置を施すことができるのだとしたら……誰かが死ねる。
「明日かぁ。じゃあフングスとマンドラゴラは間に合いそうにないかな」
 セーフ。紘也はほっと胸を撫で下ろした。だが安心してはいられない。愛沙が日程をずらしにかかる前に明日で決定しなければならない。
「それなら別の日――」
「ああっと! 俺なんかすげー明日の夜にカレーが食いたい気分になった!」
「ぐっ! そうだ忘れていた。オレは明日の夜にカレーを食べないと死んでしまう呪いにかかったんだった! 愛沙、パーティーは明日にしてオレを助けてくれ」
 孝一が口裏を合わせてきた。察しがいいのはありがたいが、頭の悪い嘘はどうにかならないだろうか。
「え、えっと、それじゃあ仕方ないね。ちょっと残念だけど、明日やることにするよぅ。場所はヒロくんのお家でいいかな?」
「ああ、存分に使ってくれ」
「カガリちゃんにも知らせないとね。ふふ、とっても楽しみだよぅ」
 本当に楽しみなのだろう、愛沙は実にウキウキした笑顔を満面に咲かせた。
 その、直後――
「「「ッ!?」」」
 ベンチに座る愛沙を、なんの前触れもなく出現した黒い霧が覆い隠した。
「愛沙!?」
 紘也たちは反射的に身構える。愛沙の悲鳴は聞こえない。竜巻のように渦巻く黒い霧に紘也が触れようとした時、霧の中からなにかが飛び出してきた。思わず尻餅をつく。
「また会ったぎゃ、ウロボロス!」
「またあったまたあった♪」
「……此度は昨日のようにはいかない」
 見上げると、蝙蝠の翼を背中から生やした少女が三人、空中に浮いていた。
「まーたあんたらか。ハルピュイアみたいに尻尾巻いて逃げてりゃよかったものを、今度ばかりはこっちも油断しないよ。その翼、捥ぎ取ってくれる」
 ウロは空に向かって咆えながら〈竜鱗の剣〉を取り出す。いきなり本気だ。
「ふっふん、ハルピュイアなら旦那様が殺したぎゃ」
「ころしたころした♪」
「……だから、あのハルピュイアはもういない」
「はぁ? あんたらなに言って――」
 刹那、愛沙を包む霧が濃さを増した。いや、この場合霧がまだ残っていることが問題だ。
「違う! 本命はこっちだ!」
 孝一が霧を見て叫んだ。渦巻く黒霧はふわりと愛沙の体ごと宙に浮き、紘也たちから距離を置いた位置に着地する。
 霧が三倍ほどに膨張する。本命――〝旦那様〟が来る!
 瞬間、黒い霧が霧散し、漆黒のマントを羽織った長身痩躯の美青年が現れた。
「ごきげんよう、無限の大蛇とその契約者。昨日は僕の蝙蝠たちがお世話になったようだね」
 粘つくような韻を含んだ声で青年が言葉を発した。マントの下にファンタジー世界の貴族みたいな紳士服を纏い、そこにいるだけで異様な存在感を放っている。全身から滲み出ている魔力は強大かつ異質、なにより禍々しい。
 間違いなく、人間ではない。
 なぜ気づかなかった? ジャイアントバットを従える幻獣をつい最近見たはずなのに。面白さのあまり、本物の魔術師が作ったカードゲームだということを失念していた。
 吸血蝙蝠を統べる、夜の、アンデットの帝王――
「ヴァンパイア、か」
「ほう、こちらから名乗る前に看破されたのは初めての経験だね」
 美青年は不敵な笑みを浮かべて答えた。正解。あのカードゲームは幻獣の関係性までしっかり反映しているようだ。
 愛沙は……奴に抱かれる形で気を失っている。なんとも言えない怒りが湧き上がってくるが、紘也は努めて冷静に言葉を紡いだ。
「お前らの狙いは俺だろ。愛沙は返してくれないか?」
「流石、ウロボロスの契約者は己惚れているね。自分を商品に交渉しようだなんて」
 ヴァンパイアはひゅーと口笛を吹き、彼の周りに集まった蝙蝠娘たちがパチパチと柏手を打つ。どうやら馬鹿にされているようだ。
「ウロ、愛沙を助けろ」
「御意」
 という返事を紘也が耳にした時には既に、ウロはヴァンパイアの眼前まで移動し大剣を振るっていた。
 横薙ぎの大振り。愛沙を傷つけない絶妙な一閃でヴァンパイアの首だけを刎ねるつもりだ。
 しかし、それは空振りに終わった。ビュオッと空気を薙ぐ音が虚しく響く。
 階段室の上に黒い霧が集い、弾けてヴァンパイア一行が姿を現す。転移魔術だ。ヴァンパイアは変身したり霧になったりできると聞くが、自身が霧になれるわけではないらしい。
「危ないじゃないか。そんな問答無用で剣を振るなんてね。もしかして、この娘も一緒に斬るつもりだったのかい?」
 くくく、と酷薄に笑うヴァンパイア。彼に抱えられた愛沙の首筋に、右サイドテールの蝙蝠娘が刃物を添えるように翼の先端を突きつける。
 キッとウロは穴が開きそうなほどの視線でヴァンパイアを睨み、大剣を下げた。
「ああ、やはり人質は有効のようだね。そのまま大人しくしていてもらうよ。このお嬢さんも実においしそうな血をしているからね。無下に散らしたくないんだ」
 こちらが要求を呑んだとしても愛沙は返さない、言外にそう言っている。
 ここまで堂々と人質を取られてはウロボロスも動くに動けない。紘也も頭をフル回転させて策を講じているが、敵は階段室の上、近いはずなのに遠過ぎる。
 だが、チャンスがないわけではない。奴らの狙いは紘也なのだから、必ずなんらかのアクションを起こすはずだ。もし紘也だけ階段室に登ってこいなどと言われれば、その時は……。
「さて、ここまでやっといてなんだけど、僕は争いに来たわけじゃない。清々しい曇天とはいえ、昼間だと僕の力は半減しちゃうからね」
「だったら、なにをしに来たんだ」
 怒りを滲ませて紘也が凄むと、ヴァンパイアは気絶した愛沙を蝙蝠娘たちに預け、気品さえ感じられる仕草で片手を前に広げる。
「今宵開かれる僕の『パーティー』に君たちを招待しに、だよ。ああ、もちろん来客としてではなく、食材としてだけどね」
 本音を隠すつもりもないらしい。幻獣ウロボロスを前にしてその余裕、流石はアンデットの帝王だ。ハルピュイアなんかとは幻獣としての格が違う。
「この娘の身柄はそれまで預からせてもらうよ。くくく、どうかな? 絶対に行きたくなる招待状だ――ん?」
 その時、ヴァンパイアたちの背後から人影が飛び上がった。それに気づいたヴァンパイアが微かに瞠目する。
「水を差して悪いが、愛沙は返してもらう」
 孝一だ。いつの間にかいなくなっていたかと思えば、奴らの背後に回っていたのか。
 彼は手に持ったカッターナイフを忍者のように投擲した。それは愛沙を抱えるバックテールの蝙蝠娘の腕に突き刺さり、強制的に愛沙から手を離させる。
 その隙に倒れる愛沙を受け止め――ようとしたところで、ヴァンパイアに胸座を掴まれた。支えられず倒れた愛沙を他の蝙蝠娘二人が抱き起こす。
「力のない人間が無茶をするものじゃないよ。僕は男の血は好まないのでね、君はこのまま死んでもらうとしよう」
 ヴァンパイアが孝一を掴んでいない方の手を掲げ、無慈悲に振り下ろす。――その直前、紘也は叫んだ。
「ウロ!」
 了解の返事もなしに跳躍したウロがヴァンパイアを背中から豪快に斬りつけた。漆黒のマントが引き千切れ、鮮血の飛沫が宙に踊る。
 ――が、浅い。ヴァンパイアが咄嗟に身をずらしたのを紘也は見ていた。
「ぐっ」
 苦悶に喘いだヴァンパイアは孝一を投げ捨てて再び転移する。次に現れた場所は屋上の反対側の端だった。当然、蝙蝠娘と人質の愛沙も同伴している。
「孝一、無事か?」
「ああ、なんとか。それより失敗した。すまん」
 謝ることはない、起き上がった孝一に安堵した紘也はそう返した。
 旦那様、と心配する蝙蝠娘たちを手で制し、ヴァンパイアは口元を不敵に歪める。
「やってくれたね。だけどこの程度では傷の内に入らない」

「だったらすぐにでも致命傷を与えてあげるわ!」

 ドゴン! と階段室の扉が吹き飛び、そこから巨大な氷の槍が飛び出した。
 氷槍の先端はヴァンパイアの左胸を正確にロックしている。心臓に木の杭ならぬ氷の槍を打ち込めば確実に致命傷だ。
 だが、凄まじい勢いで飛弾する氷槍は片手で軽々と弾かれた。勢いを失った氷槍はフェンスを押し潰して静止する。
「……陰陽師か」
 忌々しげに吐き捨てるヴァンパイアの視線の先には、〈天之秘剣・冰迦理〉を構えた葛木香雅里の姿があった。戦闘の気配を感じ取って駆けつけてくれたのだ。
「かがりん遅いよ! せっかく個種結界張らずに待ってたのにさ!」
 唇を尖らせるウロを香雅里は一瞥し、悪かったわね、と呟く。
 戦力は揃った。ウロボロスと香雅里はもちろん、紘也や孝一にだってサポートはできる。あとはどう愛沙を取り返してヴァンパイアを討つかだ。
 奴は自分から昼間は力が半減すると漏らしている。それなのにわざわざ昼間に現れたのは、目の前で愛沙を攫うことで確実に紘也とウロを『パーティー』に招待するためだろう。だからせっかく入手した人質を下手に殺すことはできないはずだ。
 確かに人質を取るという狡猾な手段は紘也たちには効果的だ。しかし、奴は無力な一般人を眼中に入れていなかった。
 その結果、ヴァンパイアは傷を負い、趨勢は紘也たちに傾いた。
「フ、流石に分が悪くなってきたね」
 こんな状況になっても、ヴァンパイアの表情から余裕は消えなかった。
 彼の足下から黒い霧が間欠泉のように噴き上がる。ウロの攻撃を回避する時よりも量が多く、時間も長い。
 そうか、奴らは遠距離転移もできるのだ。
 紘也はヴァンパイアたちが最初に転移で現れた時のことを思い出す。奴らは、一体どこから学校まで転移してきた?
 まずい、逃げられる。
「ウロ、逃がすな!」
「当たり前だよ! 愛沙ちゃんはあたしの大事な大事なお友達なんだから!」
 ウロと香雅里が同時に床を蹴る。人間離れした二人のスピードならかろうじて間に合う。
「無駄だぎゃ!」
「にげろにげろ♪」
「……旦那様は転移に集中してください」
 キィイイイイイイン! と蝙蝠娘たちが魔力を乗せた超音波を放った。ウロと香雅里の足が止まる。そして今度は紘也ももろに受けてしまい、頭を内側から破壊されるような痛感に襲われる。
「ぐ、がっ」
 平衡感覚が失われて堪らず紘也は膝をついた。途切れそうな意識の中、黒霧からヴァンパイアの気取った声が耳に響く。
「『パーティー』の時間と場所は追って知らせよう。くく、ウロボロスとその契約者に相応しい最高の調理場を用意して待っているよ」
 黒い霧が空気に溶け、転移が完了したことを告げた。

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