絶望世界の最強機≪インフィニティ≫ ~三十五歳、異世界に立つ。~

巫夏希

第九十話 鎖の街(後編)

 チェイン・シティを歩くマーズたちは、マーズが一つ見当がついている場所があるということで、そこへ向かうこととなった。
 そして、今そこへ辿り着いた。

「……ここって……」
「そう、警察署だよ」

 そこにあったのは一際小さな建物だった。入口の看板にはこう書かれていた。
 『チェイン・シティ警察署』――そう書かれた看板を見て、アーデルハイトはため息をついた。

「ねえ、マーズ。いくらなんでもこれはどうなのかしら。確かに囚人を監視する立場の人間が警察署にいる可能性はなくもないだろうけれど、そこまで単純なものかしら? だったらとっくに脱獄なんて出来てしまいそうなものだけれど」
「出来ないんだよ、それが」
「?」
「確かにここに居る人間どもは悪人どもだ。そしてその殆どが脱獄してでも上の世界に逃げ出したい人間ばかりだろう。だが、それをしない理由を逆に考えてみようじゃあないか。……この街はあまりにも完璧過ぎる。上の世界のイメージを持った人間がここに入れられたらある決まった感情を抱く。アーデルハイト、それは何だと思う?」

 マーズから質問を出され、アーデルハイトは辺りを見渡す。まず彼女が見たのは建ち並ぶビルの数々だった。そこにはたくさんの施設が入っており、昼間でも明かりがついている。
 次に見たのは空だ。ここは確かに地下のはずなのに、異常に明るい光源があった。恐らく魔法によるものだろう。
 他にもアーデルハイトは辺りを見渡した。
 そうしてアーデルハイトは、漸く一つの結論を導いた。

「もしかして……『違和感』?」
「そのとおり。違和感、だ。この街は上の世界に似ているようでよく見れば異なる街になっている。そういう違和感を、きっとここに来たばかりならば抱いているはず。しかし、この空間に慣れてしまえば話は別だ。ここが現実なのか、上の世界が現実なのかがはっきりとしなくなってしまう。挙げ句の果てに、ここは地上とは非常に異なる空間であるというのに、ここが地上だと言い張ることもあるのだろう。おかしな話だ」

 一息おいて、マーズは空を指差す。

「あの空は、まやかしの空だというのに」

 マーズは目を細めて、そう言った。
 チェイン・シティは違和感ばかりが並べられている街だ。
 しかし、そのチェイン・シティにずっと居座ってしまえば、何れそれが違和感ではなくなってしまうということだ。
 とどのつまり、このままマーズたちも居座っていればここで暮らす囚人たちのようになってしまう――そういうことである。できることならば、それは避けておきたいし、戦いが始まっているかもしれないこの状況でゆっくりしてなどいられなかった。

「だとすれば、尚更急いでここから出なくてはいけないな……!」

 アーデルハイトはそう嘯く。それを聞いて、マーズは乾いた笑いを見せた。

「だからこそ、そう、だからこそ私たちはここにいる。ここを脱出して、戦争を終わらせなくてはならない」
「戦争を……終わらせる」

 対して、それに答えたのはコルネリアだった。
 戦争を終わらせる。
 この世界において、その言葉には重みがあった。それも、どのものよりも重い。『戦争を終わらせる』という言葉の意味を理解しているからこそ、その言葉を言うことに対する意味はとても大きい。
 だからこそ、普通ならばその言葉は敢えて明言を避ける兵士が殆どであるのだが、彼女はそれを口にした。それほどの自信があるとかそういうわけではなく、それほどの自信を持たねばならない――ということだ。

「……アーデルハイト?」

 そこで不意に声が聞こえた。
 アーデルハイトをはじめとして、ハリー騎士団の面々は振り返った。
 そこに居たのは、ひとりの男だった。黒髪の散切り頭、白黒の縞模様のいかにも囚人服といった格好の男だった。
 頬は痩せこけていたが、それでもアーデルハイトは彼の姿に見覚えがあった。
 アーデルハイトは身を震わせ、漸くその言葉を呟く。

「……兄、さん?」

 男は頷く。

「そうだ、アーデルハイト。私だ、ティルクス・ヴェンバックだ」

 ティルクスはアーデルハイトに近づくと、そっと抱き寄せた。

「会いたかった……会いたかったよアーデルハイト。もうあれからどれくらい経つ? 十年か? いや、もっとか? 恐ろしい時間だ。あまりにも恐ろしい時間が経ってしまったよ、それを君は忘れてしまったのか? いや、忘れてしまいたかった?」
「うるさい……!」

 そう言って、アーデルハイトはティルクスから離れ拳銃を構える。
 それを見てティルクスは小さくため息をついた。

「やれやれ……君は忘れてしまっているのかい? そして、相当に傷を負ってしまっている。……申し訳ないと思っているよ、だが、漸くここまでなおったんだ。先ずはアーデルハイト、君に会いたかった」
「ならばどうしてここに居る……ここは牢獄のはずだ!!」

 拳銃を持つ手が震える。アーデルハイトはゆっくりと、ゆっくりと照準を合わせ始める。
 対してティルクスはまだずっと笑っていた。ずっと、ずっと、その表情を崩さなかった。
 アーデルハイトの恐怖に歪んだその表情はまるで蛇に睨まれたようだった。なぜ、そこに居るのか――アーデルハイトは恐怖で、怖くて、たまらなかった。

「……ふう、やはりそう簡単には騙せないか」

 ピシッ――と。
 まるでガラスが割れたような音が響いて、その刹那、ティルクスの姿にヒビが入っていった。
 それについて、アーデルハイトは言葉を失っていた。呆気なく話の流れが進んでいるから、ではない。何が起きているのか理解できないから、でもなかった。
 そして、完全にティルクスの姿が無くなってしまい、そこに居たのは――。
 凡てが白い服で整えられ、手に大きな本を抱え込んでいる少年だった。
 少年は笑って(ただし目は笑っていない)、呟く。

「おめでとう、アーデルハイト・ヴェンバック。だまされなかったのは君が五人目だ。おめでとう、本当におめでとう。……まさか、僕の『変身』に騙されないなんてなあ……。ねえ? ちなみにどこで解ったの?」
「……なんで、こんなことをしたのよ」

 アーデルハイトは未だ拳銃を下ろしてはいなかった。
 それを見て、少年は一歩後ろに下がる。

「ひゅーっ、怖い怖い。それじゃあ、先ずは自己紹介と行こうじゃあないか? 僕の名前はね、『チェシャ猫』っていうんだ。それさえ聞けばどことなく解るかもしれないけれどさ、僕って『シリーズ』の一員なんだよね」

 チェシャ猫は隠そうとする素振りも見せずに、簡単に自分の正体を明かして見せた。
 対してアーデルハイトはその状況になっても、慌てることなどしなかった。

「シリーズ……またあなたたちなのね。この世界を裏から操るという、化物」
「化物?」

 チェシャ猫は近くに置いてあった蓋付のゴミ箱に腰掛けた。

「そいつは聞き捨てならないなあ。ぼくらは別に化物なんていうカテゴリーには属していないよ。そうとも思ってはいない。『化物』なんていうのは君たちが勝手にカテゴライズしているだけじゃあないの?」

 そ・れ・に。チェシャ猫は指を振るのにあわせてそう言うと、さらに話を続けた。

「世界を裏から操る……それは合っているようで間違っているんだよねえ。別に僕たちは『操る』なんてことはしてはいないんだよ。えーとね、君たち人間の思想から言えば、『実験している』という意味になるのかな」
「実験? 人間を使って、世界を使って、実験をしているというの!?」
「声が大きいよ、アーデルハイト。……そう、そうさ。僕たちは『実験』をしている。それに変わりはない。君たち人類が誕生してどれくらい経つか僕たちはもう覚えてはいないけれど、少なくともそれよりも昔からずっとこの世界を『実験台』にしてきたのさ。まあ、これはあくまでも僕の見解で、『シリーズ』全体の見解とは違うかもしれないけれど、さ」

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