絶望世界の最強機≪インフィニティ≫ ~三十五歳、異世界に立つ。~
第百十九話 目覚め
ヴァリス総合病院には世界でも類を見ない数のベッドがある。そのため、世界各地から入院患者が集まっている。『医療に国境などない』と、まるで崇人が前に住んでいた世界にあったようなスローガンを掲げていることもあるだろう。
そんなヴァリス総合病院、北二階病棟にある『回復室』。
その中の、ひとつのベッドに大野崇人は横たわっていた。
ベッドの横にはメリア・ヴェンダーと白衣を着た赤髪の女性が立っていた。
「……メリア、大丈夫よ。とりあえずあなたも一度寝たほうがいいわ」
「大丈夫だ、カルナ。私はいつも研究やなんやで遅くまで起きている。だからこういうことは特に問題がない」
「そういうわけじゃあないのよ……あんた、彼が入院してからほとんどつきっきりじゃない。リリーファーシミュレーションセンターのみんなも困っていたわよ? あなたがいないと、きちんとしたシミュレーションが出来ない、って」
「それはセンターの職員の腕が悪いのよ。私がいつもやっているから、それにかまけて、やり方を覚えずにいただけ」
メリアとカルナ・スネイクは旧知の仲である。とはいえ、その仲を取り持ったのはマーズだ。ヴァリエイブル連合王国に来て間もないころ、マーズとともにやってきたヴァリス総合病院で出会ったのが、カルナ・スネイクだった。
カルナ・スネイクは医者だ。
ヴァリス総合病院の腕利きの医者であり、一番人気の医者だ。専門は内科だが、それ以外のこともその専門の医者程度の実力を持っており、まさに『医者のエキスパート』ともいえる存在だった。
また、王家・騎士団直属の医者でもある。そのため、崇人の治療を行うのも彼女だったということは、すでに決定しているようなものだった。
「……でも、まだ予断は許さない状況なのでしょう?」
メリアが訊ねると、カルナはゆっくりと頷く。
「ええ。認めたくないけれど、彼の病状は最悪といってもいい。はっきりと言って、先ずは意識を取り戻さないかぎりはなにもかにもがうまく進まない。寧ろこの半年、この状態を良くも悪くも保ち続けたことが奇跡といっても過言ではない」
そう言って、カルナは崇人が横たわるベッドを見た。
崇人は今、酸素マスクをつけられていた。腕にはいくつかの管がつながっていた。そして、その先にある袋には何らかの液体が入っていた。
心電図に映し出される波形は未だ直線にはなっていないが、とても弱々しいものだった。それは、彼が少なくとも良好な状態でないことを嫌でも思い知らせるものだった。
「……本当に助かるすべはないのか」
「意識さえ取り戻せば、助かるすべはいくらだって考えることはできるでしょう。しかし、意識を取り戻させるために行った手段を、この半年で何度も行ってきました。……ですが、その結果がこれです。未だ小康状態にあるのですから、どうなるかは医者である私にも見当がつきません」
「お前……それでも医者か」
「医者ですよ? ですが、医者は命の行方を操ることなんて出来ません。それこそ、カミサマが成し遂げる『奇跡』なのですから」
それを聞いて、メリアはパイプ椅子に腰掛ける。
奇跡。
カルナはそう言った。
奇跡が起きなければ、タカトを救うことが出来ない――まるでそう言いたいように、彼女はそう告げたのだ。
「『奇跡』が起きる確率はいくらだ」
「……メリア、奇跡は『起きない時に起きる』から奇跡なのよ。その確率が決まっていちゃあ、それは『奇跡』とは呼べないんじゃあないの?」
奇跡の確率が決まっていれば、それは奇跡と呼ばない。
それはカルナの言うとおりだった。
だが、メリアはそれを信じたくなかった。『もしも』が起きる確率が僅かでもあるならば、それに賭けてみたかったのだ。
最強のリリーファー『インフィニティ』に乗る起動従士が、こんなところで死んでもらっては困る――メリアの心配の理由その一がそれだ。
しかし彼女には――もっとそれ以上の思いがあった。
インフィニティ以上に、何か理由がある。
それは何なのだろうか?
それは、メリア自身にも解らなかった。
「……メリア?」
「あ、ああ」
カルナに声をかけられ、メリアは我に返る。
「あんた、ほんとうに大丈夫? 別に休んでも構わないのよ。この病院は二十四時間体制で稼働している。何かあったらすぐにわかるし、ナースや私のように常勤の医者が向かう。私もすぐそこにいるわけだから、」
そう言ってカルナは右側を指差した。
そこには壁があった。そして窓があり、その向こうにはたくさんのナースが働いていた。
「タカト・オーノに異変がおきたらすぐに駆けつける。だから、今日は休め。シミュレーションセンターもそうだが、あんた自身の研究も最近捗っていないのだろう? なんとかしないといけないんじゃあないのか?」
「うるさいわね……余計な一言よ」
そうしてパイプ椅子を仕舞って、メリアが帰ろうとした、ちょうどその時だった。
――崇人が寝るベッドがわずかに軋んだ音がした。
それを聞いて、メリアとカルナは崇人のベッドの方に振り向く。
崇人が起きていた。
崇人の上半身が起き上がっていた。
「……」
崇人の目はうつろで、まだ体調を取り戻している様子には見れなかった。
「タカト、大丈夫か?」
メリアは駆け寄って、肩を触る。
崇人は一瞬その言葉が聞こえなかったようだが、直ぐにその言葉を噛み砕いて、理解する。
「……め、メリア……か?」
「そうだ。メリア・ヴェンダーだ。覚えていてくれてなによりだよ」
メリアが頷きながらそう言った。
その隣に立っているカルナは信じられないという表情を浮かべていた。
「信じられない……だって、彼はこの半年意識を取り戻すことなんてなかったのに……」
「私だって、どうしてこうなったのかはわからないさ。一先ず、連絡しなくちゃな」
そう言って、メリアはスマートフォンを取り出す。
それを見て、カルナはメリアの肩を叩き、壁に貼られている紙を指差した。
そこには『当院では携帯電話のご利用は専用スペースのみとさせていただきます』と丁寧に書かれていた。
それを見て、メリアは小さく頭を下げると、回復室を後にした。
◇◇◇
その頃、ハリー騎士団はテナントの内部に潜入していた。
テナントの内部に入ると、そこは静かだった。人っ子一人いる様子もない。生き物が生きている実感がわかない。それくらい静かだった。
「……静かだな」
マーズの言葉に、エレンは頷く。
テナントはただのだだっ広い部屋だった。何も置かれておらず、人が住んでいたという気配すらなかった。
「それじゃあ……ここじゃあないってことか?」
「いいや、違う。ビンゴだよ」
その声はとても若い声だった。
その声は、彼女が思っているよりも若い声だった。
その声は彼女たちの背後から聞こえた。
だが、振り向けなかった。否、振り向くことが出来なかった。
「あ、今君たちは魔法で振り向けないようにしてあるから。気をつけてね。無理に首を動かそうとしたらその首、へし折れちゃうかもね?」
そう言って、それは不気味な笑みをこぼした。
「……なあ、このままで会話するのか? 話は人の顔を見てするのがマナーだって親に学ばなかったか?」
マーズが言うと、彼女たちの身体は無理やり半回転させられた。
即ち、彼女たちと『それ』は向かい合った、ということだ。
それを見たマーズの表情が引き攣ったのを、エレンは見逃さなかった。
「……どうした、マーズ?」
「……そうか。マーズ・リッペンバーは僕を知っているのか。一時期は僕を捜索対象として、探していただろうからね」
それは歩き出す。
電気がついていないテナントは、とても暗かった。
唯一の光源はドアの窓から漏れる、光だけだった。
その光がうっすらと――『それ』を照らした。
その姿は、ヴィーエックだった。
そんなヴァリス総合病院、北二階病棟にある『回復室』。
その中の、ひとつのベッドに大野崇人は横たわっていた。
ベッドの横にはメリア・ヴェンダーと白衣を着た赤髪の女性が立っていた。
「……メリア、大丈夫よ。とりあえずあなたも一度寝たほうがいいわ」
「大丈夫だ、カルナ。私はいつも研究やなんやで遅くまで起きている。だからこういうことは特に問題がない」
「そういうわけじゃあないのよ……あんた、彼が入院してからほとんどつきっきりじゃない。リリーファーシミュレーションセンターのみんなも困っていたわよ? あなたがいないと、きちんとしたシミュレーションが出来ない、って」
「それはセンターの職員の腕が悪いのよ。私がいつもやっているから、それにかまけて、やり方を覚えずにいただけ」
メリアとカルナ・スネイクは旧知の仲である。とはいえ、その仲を取り持ったのはマーズだ。ヴァリエイブル連合王国に来て間もないころ、マーズとともにやってきたヴァリス総合病院で出会ったのが、カルナ・スネイクだった。
カルナ・スネイクは医者だ。
ヴァリス総合病院の腕利きの医者であり、一番人気の医者だ。専門は内科だが、それ以外のこともその専門の医者程度の実力を持っており、まさに『医者のエキスパート』ともいえる存在だった。
また、王家・騎士団直属の医者でもある。そのため、崇人の治療を行うのも彼女だったということは、すでに決定しているようなものだった。
「……でも、まだ予断は許さない状況なのでしょう?」
メリアが訊ねると、カルナはゆっくりと頷く。
「ええ。認めたくないけれど、彼の病状は最悪といってもいい。はっきりと言って、先ずは意識を取り戻さないかぎりはなにもかにもがうまく進まない。寧ろこの半年、この状態を良くも悪くも保ち続けたことが奇跡といっても過言ではない」
そう言って、カルナは崇人が横たわるベッドを見た。
崇人は今、酸素マスクをつけられていた。腕にはいくつかの管がつながっていた。そして、その先にある袋には何らかの液体が入っていた。
心電図に映し出される波形は未だ直線にはなっていないが、とても弱々しいものだった。それは、彼が少なくとも良好な状態でないことを嫌でも思い知らせるものだった。
「……本当に助かるすべはないのか」
「意識さえ取り戻せば、助かるすべはいくらだって考えることはできるでしょう。しかし、意識を取り戻させるために行った手段を、この半年で何度も行ってきました。……ですが、その結果がこれです。未だ小康状態にあるのですから、どうなるかは医者である私にも見当がつきません」
「お前……それでも医者か」
「医者ですよ? ですが、医者は命の行方を操ることなんて出来ません。それこそ、カミサマが成し遂げる『奇跡』なのですから」
それを聞いて、メリアはパイプ椅子に腰掛ける。
奇跡。
カルナはそう言った。
奇跡が起きなければ、タカトを救うことが出来ない――まるでそう言いたいように、彼女はそう告げたのだ。
「『奇跡』が起きる確率はいくらだ」
「……メリア、奇跡は『起きない時に起きる』から奇跡なのよ。その確率が決まっていちゃあ、それは『奇跡』とは呼べないんじゃあないの?」
奇跡の確率が決まっていれば、それは奇跡と呼ばない。
それはカルナの言うとおりだった。
だが、メリアはそれを信じたくなかった。『もしも』が起きる確率が僅かでもあるならば、それに賭けてみたかったのだ。
最強のリリーファー『インフィニティ』に乗る起動従士が、こんなところで死んでもらっては困る――メリアの心配の理由その一がそれだ。
しかし彼女には――もっとそれ以上の思いがあった。
インフィニティ以上に、何か理由がある。
それは何なのだろうか?
それは、メリア自身にも解らなかった。
「……メリア?」
「あ、ああ」
カルナに声をかけられ、メリアは我に返る。
「あんた、ほんとうに大丈夫? 別に休んでも構わないのよ。この病院は二十四時間体制で稼働している。何かあったらすぐにわかるし、ナースや私のように常勤の医者が向かう。私もすぐそこにいるわけだから、」
そう言ってカルナは右側を指差した。
そこには壁があった。そして窓があり、その向こうにはたくさんのナースが働いていた。
「タカト・オーノに異変がおきたらすぐに駆けつける。だから、今日は休め。シミュレーションセンターもそうだが、あんた自身の研究も最近捗っていないのだろう? なんとかしないといけないんじゃあないのか?」
「うるさいわね……余計な一言よ」
そうしてパイプ椅子を仕舞って、メリアが帰ろうとした、ちょうどその時だった。
――崇人が寝るベッドがわずかに軋んだ音がした。
それを聞いて、メリアとカルナは崇人のベッドの方に振り向く。
崇人が起きていた。
崇人の上半身が起き上がっていた。
「……」
崇人の目はうつろで、まだ体調を取り戻している様子には見れなかった。
「タカト、大丈夫か?」
メリアは駆け寄って、肩を触る。
崇人は一瞬その言葉が聞こえなかったようだが、直ぐにその言葉を噛み砕いて、理解する。
「……め、メリア……か?」
「そうだ。メリア・ヴェンダーだ。覚えていてくれてなによりだよ」
メリアが頷きながらそう言った。
その隣に立っているカルナは信じられないという表情を浮かべていた。
「信じられない……だって、彼はこの半年意識を取り戻すことなんてなかったのに……」
「私だって、どうしてこうなったのかはわからないさ。一先ず、連絡しなくちゃな」
そう言って、メリアはスマートフォンを取り出す。
それを見て、カルナはメリアの肩を叩き、壁に貼られている紙を指差した。
そこには『当院では携帯電話のご利用は専用スペースのみとさせていただきます』と丁寧に書かれていた。
それを見て、メリアは小さく頭を下げると、回復室を後にした。
◇◇◇
その頃、ハリー騎士団はテナントの内部に潜入していた。
テナントの内部に入ると、そこは静かだった。人っ子一人いる様子もない。生き物が生きている実感がわかない。それくらい静かだった。
「……静かだな」
マーズの言葉に、エレンは頷く。
テナントはただのだだっ広い部屋だった。何も置かれておらず、人が住んでいたという気配すらなかった。
「それじゃあ……ここじゃあないってことか?」
「いいや、違う。ビンゴだよ」
その声はとても若い声だった。
その声は、彼女が思っているよりも若い声だった。
その声は彼女たちの背後から聞こえた。
だが、振り向けなかった。否、振り向くことが出来なかった。
「あ、今君たちは魔法で振り向けないようにしてあるから。気をつけてね。無理に首を動かそうとしたらその首、へし折れちゃうかもね?」
そう言って、それは不気味な笑みをこぼした。
「……なあ、このままで会話するのか? 話は人の顔を見てするのがマナーだって親に学ばなかったか?」
マーズが言うと、彼女たちの身体は無理やり半回転させられた。
即ち、彼女たちと『それ』は向かい合った、ということだ。
それを見たマーズの表情が引き攣ったのを、エレンは見逃さなかった。
「……どうした、マーズ?」
「……そうか。マーズ・リッペンバーは僕を知っているのか。一時期は僕を捜索対象として、探していただろうからね」
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