絶望世界の最強機≪インフィニティ≫ ~三十五歳、異世界に立つ。~
第百九十九話 裏方
「……つまり、こういうことか」
法王は帽子屋の話を自分なりに理解しながら、言葉を少しずつ紡いでいく。それは、たどたどしくはないものの、考えながら物事を話しているため、所々詰まりながらの言葉だった。
「お前たちが元々管理していた、お前たちに関係のある場所に被害が及ぶのを防ぐために和平交渉に入れ……と」
「半分合ってるね。もう半分は、この方が都合がいいってだけになるけど」
法王の言葉に帽子屋は頷く。
帽子屋はゆっくりと歩き始め、法王が座る椅子の回りをぐるぐると回転し始めた。
「……お前はかつてハッピーエンドを目指していると言ったな。未だにその対象が誰になるのかは教えてくれないのか?」
「少なくとも全員ではない。ここまで状況悪化しておいてみんな幸せになりましたーわーぱちぱちというのは、あまりにも都合が良すぎるってのは……幾ら計画を知らない君でも解るはずだ。確か法王庁の教典にもそれっぽい言葉があったはずだよね?」
「……裁かれるべき者は裁かれ、救われるべき人間は救われる。つまりそういうことなのか? シリーズ、お前たちはそれを目指しているというのか?」
「目指している、というか……それをするのが目的だ。人間はとても愚かな存在だ。良いことをした人間が報われることはあまりにも少ないが、逆のケースはあまりにも多い。蔓延り過ぎているんだよ、この世界には『悪』というものが。悪はこの世で最も純粋な感情だが、さりとてその事実を認めるわけにもいかない」
「悪を滅ぼし……善人にハッピーエンドを与えるのがお前の目的だというのか?」
法王の言葉に帽子屋は頷く。
ハッピーエンドを与える。言葉で言うのは至極簡単なことではあるが、それを実行しようとなると極端に難易度が跳ね上がる。
そもそもハッピーエンドの定義はどこからどこまでを考えれば良いのか? 同じく善人の定義は? ハッピーエンドを与えるその方法及び基準は? ……考えるときりがない。
「ハッピーエンドを与えることは、きっと難しい話になるだろうね」
帽子屋はそう言って、立ち止まる。その位置は、ちょうど法王が座る椅子の後ろだった。
「だから……さ」
帽子屋の声が少しずつ高くなっていることに、法王は気が付かなかった。
帽子屋の異変に気が付いたのは法王の後頭部にある何か柔らかいものの感触、だった。だが、もうその頃には遅かった。彼はそれに気付いても、それの対処法なんて知るはずもない。
帽子屋は再び法王の前に立った。しかし、その時現れたのは、法王の前に立っていたのは帽子屋などではなかった。
背は帽子屋よりも少し小さく、肌は褐色で胸はそれなりに大きかった。法王が後頭部に感じていた感触はこれを言うのだろう。
「ねえ……」
もう口調も声の高さも帽子屋のいつものそれではなかった。
何処にでもいる、ごく単純な女性のそれだった。
「お願い」
跪いて、『彼女』は目に涙を溜め込みながら、言った。法王はその視線に僅かながら動揺した。
「わ、解った。和平交渉を行おう。それと、今ヘヴンズ・ゲート近辺に居るバルダッサーレにも退却を命じる」
「ふふ……ありがとう」
そう言って彼女は、法王の唇を奪った。最初は唇が触れるだけのものだったが、彼女はそれに加えて舌を入れた。
法王は彼女の為されるがままだった。ピチャピチャと二人の唾液が混ざり合う音が、部屋に響いた。
法王の心はもう歪んでいた。彼女が放つ艶やかな何かに当てられたせいなのかもしれない。だが、今の彼はひたすらに――彼女を犯したいというどす黒い感情が渦巻いていた。
だから彼は彼女の服の隙間に手を入れ、直接そのたわわな胸をまさぐった。揉むと彼女は嗚咽を漏らす。
それを徐々に強めていく。嗚咽は嬌声に変わり、嬌声は喘ぎ声に変わっていく。彼女は火照ってきて汗をかいたのか、肌が艶立っていた。
その声一つ一つを聞いていくうちに彼の感情は昂った。
だが、そこまでのところで彼女は漸く唇を法王のそれから離した。
「お楽しみは、私のお願いをちゃんと叶えてからよ」
そう言って彼女は乱れた服装を整え、部屋から姿を消した。
それを追うように彼も部屋を後にした。目的はただ一つ、ヴァリエイブルとの和平交渉のための準備だ。
「……ちっ、あのエロじじい。ちょっと色仕掛けしてやろうと思って変形してやったらこの有り様だ」
部屋を出て、周りに誰もいないことを確認して彼女は言った。しかしその声色と口調は帽子屋のものになっていた。
そして彼女は僅か一瞬の間に帽子屋へ姿を戻した。
「行為に及ばれた時の対策は色々考えていたが……女性に変形するとき、心も女性になるのは考えものだな。思わずイッちまいそうだった」
早足で彼は歩く。彼とすれ違う人間など居なかった。
そして、彼は誰も居ない廊下で、ニヒルな笑みを浮かべた。
◇◇◇
「国王陛下、書簡が届いております」
部下の一人がヴァリエイブル連邦王国国王レティア・リグレーに声をかけた。彼女は何か考え事をしていたのか、窓から外を眺めていた。
「陛下!」
二度目の呼び掛けにレティアは漸く反応した。驚いた彼女はその部下の姿を見ると姿勢を糺した。
「……申し訳ありません、少し考え事をしていたもので。それで何があったのですか……?」
「ほんとうに聞いていないんですね……。書簡ですよ、書簡。しかも送り主は法王庁からです」
法王庁という言葉を聞いて、彼女は眉をひそめる。法王庁とは今も闘っている敵だ。何故このタイミングで書簡を送ってきたのかが、あまりにも謎だった。
インターネットが軍事技術として開発され、それが安価かつグレードダウンしたものが一般家庭にも使われるようになった。
だが、国と国の間で送受信する重要な書類に関しては、それを書簡として魔法で送受信を行う。ただし、それを行うことが出来るのは非常に高度な魔法を使うことが出来る人間に限られている。しかしながら、書簡が送受信されるのは精々一ヶ月に一本あるかないかなので、人数的にはそれで事足りるのであった。
「……ところで、その書簡の内容は?」
「ここで開けてもよろしいのですか?」
「構わないわ。今この部屋に居るのはあなたと私の、ただ二人なのだから」
それを聞いた部下は恭しく笑みを浮かべて話を始めた。
「……では、お話させていただきます。この書簡に書かれているが、とても質素に書かれているものになります。ですがたった一言で述べると、こうであると言えます。……これは、和平交渉のための同意書ですよ」
「それはほんとうか」
その言葉に部下は笑みを浮かべて頷く。
「えぇ、ほんとうにございます。嘘偽り無い真実でございます」
部下はレティアに書簡を手渡す。それを奪うように受け取ったレティアは一言一句眺めていく。
彼女が見てもそのまま内容が変わるわけもなく、彼女はそれを読んで直ぐには理解出来なかった。
部下が、レティアがそれを読み終えたであろうタイミングを見計らって声をかけた。
「……陛下、いかがいたしましょう? 一応我が国としてもこの和平交渉に応じても悪い点があるとは考えられません。また、国力も随分と疲弊してしまいました。それに関しても我々は何らかの策を講じなくてはなりませんし、国民の批判も大きくなることでしょう」
部下は長々と語っているが、一言でまとめるならこういうことだった。
――和平交渉に応じて戦争を終わらせた方がいい。
いや、終わらせなくてはならないだろう。元々テロによる報復のために行われた戦争は、着地点なんて存在しないのだから。
着地点のない戦争を長々と続けていれば、それこそ国が破綻してしまう。それはなんとしてでも避けねばならなかった。
「……決断するのが遅かった。あまりにも、あまりにも遅かったのよね……。父を殺され、私は憎んでいた。この戦争を、お兄様が帰ってくるまで指揮していく。お兄様が正式な国王になるまで、私がこの役目を全うするはずだったのに……、それすらも出来なかったのよね」
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