絶望世界の最強機≪インフィニティ≫ ~三十五歳、異世界に立つ。~

巫夏希

第二百六十話 医師の意志

「嫌だ! 嫌だ……もうやめてくれ……」

 その静謐な空間に似つかわしくない怯えた声が聞こえたのは、ちょうどその時であった。お互いにコーヒーを飲んでいたティズとロスもそれを聞いてそちらを向いた。
 そこに居たのは兵士だった。一般兵士とも言えるだろうが、しかし腕章をつけているのを見てティズはロスに囁く。

「あの腕章、ありゃあきっと起動従士だな。リリーファーを乗って戦っていたんだろうが、やられちまったんだろうよ」
「……そのようだな」

 ロスもそれを聞いて頷いた。
 シェル・ショック。爆音や爆撃を絶えず近いところで感じていることにより発生する心理的障害のことだ。それ以外にも戦場独特の空気によって汚染されることもあると言われており、それに警鐘を鳴らす医師も居る。
 シェル・ショックに対する治療法は数多あるが、それを戦場で行っている余裕などない。即ち、その時点で兵士は『用無し』なのだ。

「どうして……どうして、リリーファーが人を殺さねばならないのですか!! それも、同じ国の住民を、皆平等ではありませんか!!」

 起動従士は叫ぶ。
 起動従士の名前も知らないロスとティズはそれを知らぬ様子で聞いていた。

「確かにあの起動従士の嬢ちゃんの道理も理に適っている。それは間違いないだろうな。ただし、それが『戦場ではなく、平和な場所で言ったなら』の話だ」
「そりゃそうだ。平和な場所で物言いなど幾らでも出来る。今頃本国じゃ大慌てなんだろうなあ。ティパモールの内乱が収まらないことについて阿鼻叫喚している上層部、内乱が収まらない、イコール税金が無駄に使われていることだと思い込んでデモ行動をする国民、それによってさらに上層部のストレスは溜まっていき……。考えるだけで胃に穴が開きそうだ」
「何言っているんだ? 俺なんかもう、とっくに穴開いているぜ。医者に『普通ならこれ程まで穴は開かないのだけれどなあ』と笑いながら言うくらいにはな」

 そう言ってティズは茶化した。

「貴様、この状況が解っているのか!! ティパモール全域を凡て我らの手に落とす。そのために一致団結しているのではないか!」
「しかし……しかし、このやり方はおかしすぎます! おかしいと思わないのですか! ティパモールはそれほどまでに悪いことをしたのですか! リリーファーまで投入して、その理由が反乱を押さえつける為? そんなの、おかしいとは思わな――」

 言葉が唐突に途切れた。
 理由は単純明快。彼女が激昂しているあいだに背後から迫り寄った兵士が首筋に何かを打ち込んだからだ。恐らく鎮静剤か何かだろう。
 そして眠るように崩れ落ちた。

「そいつを牢屋に閉じ込めておけ」

 それだけを言って上官と思しき男は立ち去っていった。

「……善と偽善、果たしてどちらが正しいのかね」
「そんなこと言ったら俺らも仲良く牢屋行きだ。そんなことは言わねー方が身のためだぜ。まだ生きたいと思うのならな」

 そう言ってコーヒーカップを持ったまま、ロスは去っていった。
 それをティズはただ彼の背中を見送るだけしか出来なかった。


 ◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇


「陛下。連絡が有ります」

 部下のひとりがラグストリアルにこう言った。
 対してラグストリアルはリラックスした様子で――まるで戦場に居る指揮官とは思えないほどだ――頷く。

「何だ、言ってみろ」
「はっ。実はティパモール地区クロウザの『処理』中にこのようなものを見つけました」

 そう言って部下はあるものをラグストリアルに献上する。それを受け取ったラグストリアルは目を丸くした。
 彼が持っていたのは剣であった。そしてその柄には鍔が付けられており、独特な形状となっていった。
 強いて言うならば、ヴァリエイブルではない他国で生産された剣であるという絶対的な証拠であるともいえるのだが。

「……柄に紋章が見えるのをご覧いただけますでしょうか」
「紋章? ……ほう、紋章というよりかは国章をあしらったものとも言える。それにこれは……」

 そこに描かれていたのは雲の上に居る二人の人間、雲から生える樹、そしてその樹に生っている林檎。
 アースガルズ王国の国章であることは、ラグストリアルは見て直ぐに理解した。

「……ティパモールが長年内乱を続けていく体力が無いはずだと思っていたが、アースガルズというパトロンが居たとはな」
「いかがなさいますか、アースガルズにも出撃を?」
「いや、我が国にそれ程までの軍事力は無い。少し時を待とう。確か噂によればクルガードが独立を画策しているという情報もある。クルガードの動きを見ろ。そして、独立を宣言したときは直ぐにそれを支持するのだ」
「かしこまりました」

 そう言って頭を下げ、部下は部屋を後にした。



 その頃、ヴァルトは街をふらついていた。居なくなってしまったグレイシアを探すためだ。兄のブレイブは僧の修行があるからと言って早々に寺院に戻ってしまったため、彼一人で捜索しているということになる。
 雑踏の中聞こえてくるのは、内乱に関する話題のみだ。
 昼間から酒を飲んでいる浮浪者が隣にいる似たような人間に語っている。

「俺さ、昔クロウザの西……確かブロクスってところだったかな。そこにいたんだよな。そんときは俺の友人もいてよ、一緒に軍潰そうぜって躍起になったわけよ」

 酒を一口あおる。

「それで、どうしたんだ?」
「それでよ、その友人が途中で逃げちまったんだよ! 俺の目の前に五人の武装兵士、そして俺。よぼよぼの年寄りが倒せるわけがねえ、って思ったわけよ」
「それじゃ、お前さん幽霊なのかよ?」
「そんなわけねえだろ? 五人全員吹っ飛ばしてやったよ。はらくくった意味があったってもんよ」
「マジかよそれすげえな!」

 浮浪者の会話がとても耳障りに聞こえて、ヴァルトは足早に立ち去った。
 次にヴァルトが立ち寄ったのは墓場だ。墓場はティパモールの内乱が始まってからさらに増えていった。今では墓場ではないただの土地にも埋められている死体も多く、場合によっては雑踏に放置されているものもある。それくらい人が死んでいっているのだ。
 それを見ながら、ヴァルトは呟く。

「人々は皆、内乱が起きてから『内乱を止める』ことなんて一切考えちゃいない。姉貴、それでも姉貴はこの街の人々を信じるっていうのかよ」



 その頃。
 ティパモール地区、レステア。
 クロウザが北、サラエナを南とするならレステアは東に位置していた。
 そのレステアにある廃墟にて、ひとりの医者が活動していた。しかしながらその医者は白衣を着ていたわけではない。医師の資格は持っていたからこそ、そして、昔からここで活動しているからこそ、彼はずっとここに居るのだ。

「ベクター先生、こんにちはー」

 ドアを叩いて扉を開ける。入ってきたのはひとりの少女だった。白いワンピースを着て、赤い髪の少女は身寄りが居なかった。だが、寂しくなど無かった。

「その声は、ルナかな。たっぷり遊んできたかい?」

 優しい声だった。その声を聞いてルナは不思議と笑顔になる。

「はいっ! たっぷりと遊んできました! もうとっぷりと日が暮れます!」

 ルナはそう言って敬礼する。大方、何処かで見た本の受け売りなのだろう。
 ベクター・レジュベイトは医師として長年この地に住んでいるレジュベイト家の当主である。当主とはいえその地位が高いわけではなく、本家の診療所を継ぐという意味であった。
 この診療所はティパモールでも有数の名の知れた診療所である。とはいえ正確な名前は無い。皆、『レジュベイトさんの病院』だの『ベクター先生の家』だの自由に呼んでいるからだ。その慣習めいたものは先代も、それからその先代も、さらにその先代も続けてきたことだった。だから、ベクターがここを継いだ時にはもうここの正式な名前なぞ誰も憶えてなどいなかったのだ。
 また、この診療所はもう一つ別の側面も持っている。

「ルナ、今日はもう疲れただろう。私もこれが終わったらそちらに向かう。多分アニーがいるはずだから、彼女にご飯を作ってもらおう」
「はあいっ!」

 そう言ってルナは駆け出し、診療所の奥へと消えていった。
 ルナとベクターは血の繋がった親子でも親戚でもない。単刀直入に言えば、ルナは孤児だった。
 ブラーシモ商会が水を売買するようになってから、正確にはこの内乱が始まってから孤児の数は増えていた。理由は様々で、内乱で親を失ったとか、水の売買によって家計が苦しくなり子供を捨てざるを得なかった……などある。理由は違えど、結論から言って理由の殆どは『内乱』に集結する。
 内乱によって多くの人間が傷を負った。それは刃傷にんしょう銃創じゅうそうのような身体的負傷だけではない。精神的ショックだってあるわけだ。それをどうにか治療して社会復帰までさせるのがベクターの仕事だった。

「とはいえ……最近は増え過ぎだ」

 ベクターは独りごちる。内乱が始まって以後、患者が増えているのだ。このままでは一人の患者にかけられる時間も減っていき、助けられるはずだった人間を助けることが出来ない――そんなことに発展しかねない。
 生憎この地区にはベクター以外にも診療所は存在する。しかしながら、それでも飽和状態に代わりなかった。

「早く戦争が終わってくれればいいんだがな……」

 ベクターのその願いを聞き届ける者など、誰も居なかった。


 ◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇


 その頃、グレイシアは独りで町を歩いていた。町並みが変わっていくことに彼女は気づいていたが、それでも足を止めようとは思わなかった。
 彼女は逃げたかった。雑踏の中でも内乱のことを得意気に話す人間から逃れたかった。
 しかしそれは同時に現実から逃避する意味を持っている。それに逃げようとしても子供には限界というものがあった。
 彼女はある場所へと向かっていた。それは昔グレイシアたちが住んでいた場所。両親が生きていた頃に暮らしていた、場所だった。

「あら、グレイシアちゃんじゃないの!」

 その時だった。
 彼女にとって聞き覚えのある、とても安らぎのある声が聞こえた。
 そしてその声を聞いて、彼女は上を向いた。
 そこに立っていたのはひとりの女性だった。大柄だが髪は短く、深みがかった青い服を着ている女性だった。
 エプロンをつけた女性は笑みを浮かべている。
 グレイシアは感極まって、その女性を抱き寄せた。泣いているグレイシアを見て女性はそれを受け入れる。そっとグレイシアを抱き寄せた。

「どうしたんだい、グレイシア。何か辛いことでもあったのかい?」

 グレイシアは答えない。
 グレイシアはただ泣くばかりだった。
 女性は小さく溜息を吐くと、グレイシアを彼女の身体から離した。

「解った。とりあえずもう夕方だから食事にしましょう? 話はそれからゆっくりと聞いてあげる。それでいいかな?」

 グレイシアは泣きながら、頷く。
 そして女性はグレイシアを自らの家へと招いた。



 アンリ・ユースベルクはグレイシアを自らの家に招いて、ソファに座らせた。隣にはグレイシアと同じくらいの背格好をした少年が座っていた。黒髪だったが、分け目の部分がワンポイント赤く染まっているという非常に変わった髪だった。遺伝によるものではなく、突然的に誕生したものと言える。

「私はご飯を作るから……レオンと一緒に遊んでいてもらえる?」

 グレイシアは頷く。
 アンリはレオンの方を向いた。

「レオン。彼女は私の友達の子供だから、一緒に遊んであげてね? 積み木遊びでもしていてくれれば、直ぐにご飯が出来るはずだから。今日はシチューよ」
「ほんと?」

 レオンは首を傾げる。
 アンリは笑みを浮かべ頷く。
 それを見たレオンはグレイシアの手を取り、

「それじゃ遊ぼ、えーと……」
「グレイシア。グレイシア・ヘーナブル」
「そっか、宜しくね。グレイシア」

 レオンの言葉にグレイシアは頷く。するとレオンはグレイシアの手を取ったまま、誘導するように、彼女を自分の部屋へと連れて行った。
 それをアンリは楽しそうに見送った。しかしながら、彼らの姿が見えなくなったら、大きく溜息を吐いた。その落胆ぶりは先程とは別人に見えるくらいだった。
 アンリとグレイシアの母はとても仲良しだった。グレイシアの両親がまだこの辺に住んでいた頃、彼女とは家ぐるみで付き合いを続けており、良く遊んでいたのだ。
 レオンとグレイシアがそれを知っていたのかは解らない。なぜなら、アンリがグレイシアの家に来たことはあるが、その逆は無かったのだから。
 だからレオンとグレイシアは今日初めて出会ったのだ。しかし、その割にはとても仲睦まじく見える。まるで今までずっと遊んできた、友達のように。

「さて、一人分増えたし、シチューの仕上げに入りましょうか!」

 アンリはそう言って被っていたバンダナにある結び目を、きつく縛った。

「絶望世界の最強機≪インフィニティ≫ ~三十五歳、異世界に立つ。~」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「SF」の人気作品

コメント

コメントを書く