絶望世界の最強機≪インフィニティ≫ ~三十五歳、異世界に立つ。~

巫夏希

第三百四十五話 転移魔法とその世界


「いやあ……、それにしてもいつ見ても素晴らしいものだね。親子や姉妹といった絆というのは」

 ところ変わって白の部屋では、帽子屋は一人寂しく拍手をしていた。現在白の部屋に居る人間であるマーズは、それを傍観しているだけに過ぎなかった。
 帽子屋はマーズの様子に気付き、首を傾げる。

「おや? どうして君はこの感動的場面を見て何もしないんだい? 共感もしないのか? だとすれば感性が涸れてしまった人間だね。母親であるというのに、何も思わないのだから」
「ふざけるなよ、帽子屋。あなたが『母親』という存在を語るなど片腹痛い。言わせてもらうけど、そもそもあなたが人間の感情を代弁すること自体気持ち悪いのよ。先ずはそれを理解するところから始めたらどう?」

 マーズの言葉は帽子屋に突き刺さる。
 それは文字通りの意味合いでもあった。

「……君は立場を理解した方から始めるべきだろうね。生憎というか、相変わらずというか」
「あなたは私の何を知っているのよ。いい加減にしなさい。さもないと……」
「さもないと?」

 帽子屋は一歩前に踏み出す。
 マーズと帽子屋の距離が少し近付き、マーズは少しぎょっとする。

「……実現出来ないことは発言しない方がいいよ。何というか、見ていてとても悲しくなる」
「何よ。何が言いたいのよ……!」
「だってそうだろう? 君は問題無いのか知らないけれど、僕は今まで世界を監視してきた。だからこそ知っているのだよ、この世界がどうあるべきで、この人間がどう生きていくべきか」
「戯言よ、そんなもの」

 帽子屋の高説をそう評価して、言葉を吐き捨てた。
 その発言は何も間違っていないのかもしれない。そもそも人間の行動は『誰か』に決めてもらうものではない、自分自身で切り拓いていくものだ。
 帽子屋は『そんなこととっくに解っていた』。解っていたからこそ彼女にそんな質問をして、そしてテンプレートめいた回答をした彼女を嘲笑したのだった。

「残念だ……。ほんとうに残念だよ、マーズ。君ならば少しは解っているのではないかと思ったが……。それは杞憂だったようだ。ならば君の役割をさっさと伝えて、その世界に放り投げてしまった方がいいのかもしれない」
「その世界……? 私たちの世界以外に、別の世界があるというの!?」

 その言葉に帽子屋は頷く。

「その通りだよ。ああ、一応言っておくけれど、ここは世界というカテゴリには所属されないよ。あくまでもこの部屋は、君たちが居る世界と若干位相を変えている。要するに同位相の空間ではないが、同世界であるということだ。……まあ、難しい話だから、もしかしたら聞いていてまったく理解出来ないかもしれないが」

 その通りだった。
 帽子屋が言った言葉の意味を、マーズはちっとも理解出来なかった。
 とはいえ、マーズに理解出来ない専門用語ばかりを並べ立てて話していたわけでもない。日常で使うような平易な単語ばかりだったのだが、結果として理解出来ない文章が生まれ、まるでそのセグメント一つが丸々専門用語と成り果てたように見えた。
 帽子屋は目を瞑り、少し考え事をする素振りを見せるが――直ぐにそれを止めた。

「君には役割を伝えなければならない。なに、そんな仰々しいものではないよ。シンプルかつアグレッシブな仕事だ。ロールプレイとは言わないが、施設の名前を説明する人間でも無い。君個人の構成要素ではあるが、宇宙全体の構成要素でもある。君が悪いとはいわないが、この役割を無かったことにすれば『世界』はここまでの役割を持つことなく、まさに砂上の楼閣のように崩落していただろう」
「……長々と御託を話すより、簡潔に物事をまとめる方法を勉強したら?」
「はは、そいつはいいかもしれないな。実に面白い。人間にそんなことを諭されるとは思いもしなかったよ。しかしまあ、それもまた心地良い。人間に批判され非難されたシリーズは僕しかいないだろうからね! これは名誉だと言ってもいい!」

 それを見た彼女は流石に引いてしまった。まあ、当然といえば当然のことなのかもしれないが、引くような行為をする帽子屋も帽子屋である。
 帽子屋の話は続く。もう彼女も半分呆れ返ってしまったが、取り敢えず最後まで話を聞くこととした。

「僕のことを不安がるのも解る。だがね、でもね? 僕は何も悪いことをしようって思っちゃいない。この世界をより良い方向に変えていくための話をしているだけに過ぎないのだよ。この世界が良くなってほしい。それは誰しも思うことだろう? 僕だって思っているよ。監視していた世界が、どんどん戦争の泥沼に揉まれていく……。それをずっと見てきた僕の気持ちがわかるかい?」
「残念ながら、解らないわね」

 マーズは帽子屋の発言を、そう一言で切り捨てた。

「残念だね。まあ、しょうがないか。人間の考えも僕には到底理解できないし。人間がどういう存在なのか解らないだとかそういうわけではないけれど……、とにかく君がこの世界の凡てを知るにはあまりにも恐ろしいほどの時間がかかる。致し方ないことではあるのだけれど、ね」
「そうかもしれないわね。それに関してはあなたの言葉を鵜呑みするしか無い」
「そして君にはこの世界の真の立ち位置というものを知ってもらう。そのために君をある場所へと転送する。その先で君は決断しなくてはならない。タカトという男を、君が本当に愛しているというのなら」

 そして。
 マーズの頭に手を翳す帽子屋。

「やめろ、何をするつもりだ!」
「何も怖く無いよ、さっきも言っただろう? ただ、ちょっとした任務を君にはやってもらうとね。その場所へ連れていくための魔法を使っているだけに過ぎないよ。だから、怖がることはない。恐れることはない。今はただ、それだけを受け入れて……」

 そして、マーズの身体が、光に包まれた。


 ◇◇◇


 突然外に投げ出されたような感覚だった。
 階段を転げ落ち、柵に激突したマーズは、溜息を吐きつつもゆっくりと立ち上がった。

「いたた……。まさか転移魔法をつかうとは……。ちょっと嘗めてたわね。まさかあんな魔を使ってくるとは思いもよらなかったからね」

 そこまで言ったところで、マーズは状況を整理する。
 ここは外に突き出た階段だった。階段の踊り場に彼女は立っていた。

「滑落した原因は床面の滑り具合……か? どうやら濡れているようだし」

 冷静に状況を分析するマーズ。

「しかしながら、派手に滑落したなあ……。おそらく転移魔法で階段の途中に弾き出したのだろうけれど、もし打ち所が悪かったら死んでいたわよ、これ」

 ぶつくさ文句を垂れながらマーズは階段を降りていく。
 階段がついている建造物は悠に地上十階を超える高さだった。このような建物は彼女も見たことは無かった。
 階段の向こうに広がる道は車が走っていた。彼女は車を見たことがないわけではないが、これほど多くの車が走っているのは見たことが無かった。

「……どこよ、ここ……」

 彼女は周りを見渡す。しかし、この場所に関する情報はまったく入ってこなかった。
 恰好を確認する。恰好は起動従士の恰好となっている。正直、リリーファーに乗る状況でなければこのスーツを着る必要が無い。

「先ずは外に出て、確認してみるしかないかしらね……」

 そう言って、マーズは階段を降り始める。
 彼女は未だ知らない。
 この世界が、かつて崇人が三十五年間の人生を過ごしていた地球という惑星であるということを――。

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