異世界八険伝

AW

94.魔王の復活

 アイちゃんの作戦は理論上完璧だ。

 リーンからの情報だと、魔王は火魔法及び闇魔法への耐性がある反面、お約束通りに光属性が弱点らしい。

 リーンが結界を張って魔王の魂を封じ込めた後、アユナちゃんとエクルちゃんの光魔法と、事前に準備させてあった光属性の弓矢を放ちながら持久戦に持ち込む。そして、他の戦力は地底城アークデーモンの動きを警戒する――。


「ん? 」

 アイちゃんを囲んで作戦会議をしているとき、ボクの右手の甲が赤く輝きを放った。

『只今戻りました、我が主リンネ様』

 炎の巨人が首を垂れている。精霊界に行っていたイフリートが帰って来たんだ。

「お帰り! でも、ボクはこっちね! 」

 今はまだボクの身体の“中身”はメルちゃんだ。真横からツッコまれた後、こっちを向き直ってより一層深々と頭を下げるイフリート。一発ギャグとは到底思えないので、相当に疲れている証拠なのかもしれない。


 遅れてアユナちゃんの横に、フェニックスが顕現する。

『遅くなってすまんのじゃ。でも何とか間に合ったか』

 いつもの少女姿ではなく、元の不死鳥のまま現れたフェニックス――片翼は折れ曲がり、綺麗な尾は途中から途切れていて見るも無残な姿だった。

「って、ボロボロじゃん!! 」

 顔面蒼白なアユナちゃんに代わり、ボクが一応ツッコんであげた。

『精霊は高位になるほど強情な奴が多くてのぅ――』

『主よ、我から話そう』

 深く長い溜め息をついているフェニックスを差し置き、イフリートが頭を上げて話し始める。

『この度の争乱につき、精霊は3派に分かれていました。精霊界の門を閉ざし、地上世界が収まるまで深く関係を絶つことを主張する精霊たちが、闇の精霊を筆頭におおよそ趨勢を示す中、逆に、光の精霊を主とする一派は滅ぶことを恐れずに魔と争うべきだと主張――そして、残りの精霊たちは、ただただ何もせず時を過ごすのみでした。そこに炎王フェニックス様が威風堂々と飛翔し――』

 立ち上がり、身振り手振りを交えてフェニックスを賛美しようとする巨人。でも、当の本人は渋い表情を浮かべたままだ。

『そんな話はどうでもいいのじゃ。各派の隔たりは余りに大きくてのぅ、結局、永らく不在であった精霊たちの王、精霊王を巡る戦いに勝利した者に従うことに決まったのじゃ。当然、妾が勝ったがな』

『はい、フェニックス様が精霊界を統べる王となられました。先代のフローリア様が召されてからおよそ500年。我々はやっと王を頂きましたぞ』

「フェニックスが精霊王になった? それで、友好条約は? 」

『勿論、成立じゃ! 』

「おぉ! 」
「やったね! リンネちゃん! 」

 アユナちゃんがボクの手を取って踊りだす。他の仲間たちも喜びを爆発させている。


「待ってください。まだ魔族が残っています。魔神様とフレイさんは戻りませんし――」

 アイちゃんの呟きで、みんなが興奮から一気に覚める。

 確かに、ボクの中に在る星は少し煌めいた程度で、今は元通りになっている。

「リンネさんがメルさんの中の星を抑えこんだ現状のまま、条約成立よりも前に魔王が復活したとしても、不完全な状態の魔王相手ならば、私たちに勝機ありと言えるでしょう。でも、リンネさんの作戦通りにメルさんの中の星を削ることができれば、リンネさんとメルさんは元の身体に戻れる――つまり、もっと勝機は増すはずです。今、私たちがすべきは、より確実に勝つための方法を模索することです」

 アイちゃんの言う通りだと思う。

 魔王は創造神を滅ぼし、世界を無に帰す存在。この世界は確かに争いが絶えず続く辛い世界だけど、絶対、良い方向に走り出している。それに、リーンたちが創った世界だからね、滅んでほしくないよ。

「リンネちゃん、世界の意思は“5日後”に魔王が復活すると言っていたんだよね? 」

「うん。いよいよ明日だね」

 空を見上げるレンちゃんに答えた後、ボクもゆっくりと上を向く。

 そこには、黒い炎を不気味に纏う赤い太陽があった。

 ボクは禍々しい太陽を見ながら、ある言葉を思い出していた。その不穏な言葉が脳裏を占める。そう、世界の意思が最後に言っていたこと。

 “それまでに星が消えなければ、我らは神を消す。そのための手段は選ばない――”


『かつてリーン様が戦った魔王は全ての星を宿した身体を持つ、完全なる存在でした。正直、魂のみからなる不完全な魔王がどのような存在かは未知数です』

『白の言う通りだ。お母さん、完全か不完全かは身体の有無でしかない。黒が言うように星が邪悪な意思からなる魂を中和させる存在であるならなおのこと、星を宿さない不完全な魔王の方が厄介と言うことになる』

「えっ!? 過去の魔王より強い可能性があるってこと!? 」

 “それまでに星が消えなければ、我らは神を消す。そのための手段は選ばない――”

 嫌な予感しかしない――。

「まだ半日あります! 魔神様を迎えに行くチームを編成しましょう」

「クルン占ったです。魔王の復活は明日の正午です。リンネ様とクルンが行かないとダメです! 」

 泣きながら抱き付いてくる狐っ娘――クルンちゃんがこんなに切羽詰まるのは初めて見る。


「転移魔法は使えるし、さっと行って、さっと戻って来よう! 」

 クルンちゃんの頭を撫でてあげながら、みんなの目を見る。

 ボクの決意を宿した目を、みんなが優しく頷いて肯定してくれる。


「転移! 」

 クルンちゃんを抱き締めたまま、ボクはグレートデスモス地境の最奥へと飛ぶ。

 みんなの顔の残像が消えたとき、ボクの目の前には黒く蠢く闇が現れていた。

 再び開かれた魔界との境界――躊躇せず、その中へと飛び込む。深い沈黙と闇を切り裂くように、クルンちゃんの甲高い悲鳴が木霊する。



 ★☆★



「魔界……前と随分雰囲気が変わったです? 」

 グレートデスモス地境を出た瞬間に広がる光景を見て、クルンちゃんが恐る恐る訊ねてくる。

「そう、かもしれない――」

 明言できなかった。

 魔界は地上界を模して創られている。当然、気候が同じなら植生だけでなく、都市構造も似通ってくる。実際、王都キュリオ・キュルスは地上界の都市と大きく違いはない――そこに住まう者を除いてだけど。

 でも、ボクの目の前にあるべき光景は全く異なっていた。

 広大な草原には渦巻く炎以外何も見えず、空には雲の代わりに夥しいほどの魔物が跋扈している。その様子は地獄絵図そのものだった――。

「魔神様はどこに居るです? 」

「やっぱり大神林、それか、魔王城キュリオ・キュルスかな。リドなら何か知っているはずだよね! 」

「ひゃぁ! 魔王怖いです! 」

 ボクが大半の魔力を込めたとは言え、身体自体はメルちゃんの物だから、ボクの魔力を全て包含している訳ではない。つまり、メルちゃんの魔力総量分しか魔力はないみたい。無駄な転移はできない――。

 震える尻尾を抱き締めるクルンちゃんを捕まえて、再び転移する。



 ★☆★



「うわっ! 」

 頭上から降り注ぐ瓦礫を間一髪で躱し、転がりながら食堂のテーブルに潜り込む。

 隙間から見えるのは、パステルカラーに彩られたお洒落な店舗ではなく、赤紫色の血痕が辺り一面に飛び散った惨劇の間だ。ボクたちが過ごした階上は崩落し、賑わっていたあの頃の見る影もない。

 魔王リドも、副王リズさんも、魔人フラムさんも居ない――。


「何があった――」

「占いでクルンが見たのは、殺し合いだったです」

「殺し合い!? 誰と誰が!? 」

 俯き加減に口を閉ざすクルンちゃん――ボクは、彼女が話し始めるのをじっと待った。


「……クルスと魔神様です」

「えっ!? どうしてクルスくんが!? もう訳が分からないよ! 」

「クルンも分かりません……でも、クルスはリンネ様の言うことなら聴くはずです! 止められるはずです! 」

 ちょっと待って!

 クルンちゃんとクルスくんは、あの拝光教の儀式で召喚されたんだよね。召喚前の記憶は無いけど、2人は双子だって言っていた。南で儀式が行われたのに北端の町ノースリンクで召喚された――何かのトラブルだと思っていたけど、実は何者かに仕組まれていたってこと? クルスくんは魔神の敵、すなわちボクたちの敵だと言うこと?

 ふさふさの可愛い尻尾が垂れ下がっている。それでもクルンちゃんは頑張って魔界に来た。今も頑張って立ち上がったんだ。クルスくんが敵だろうと味方だろうと、絶対に取り戻すんだ!

「ここに隠れていても何も解決しないよね。とりあえず生存者が居ないか捜してみる? 」

「分かりましたです……」


 その後、無事なまま残っていたトイレでお花摘みを済ませた。

 スキルが使えなくて1番困るのは、やっぱりトイレだよね。この身体を借りて何日か経つけど、全然慣れないし。自分の身体の方も心配と言うか、メルちゃんと会った時、会話にならないくらい恥ずかしいんだけど!


 すっきりさせた後で街中を散々捜し回った結果、とある宿屋の地下に隠れている魔人を見つけた。

「こんにちは、ボクは怪しい者じゃありません」

 自分で怪しい者じゃないと言う奴ほど怪しいに決まっているけど、今はそんなセルフツッコミは置いといて、地下倉庫の隅っこで膝を抱えている犬人族の男の子に優しく声を掛けながら近づく。

『あ!! 魔界統一戦争で優勝したお姉ちゃん!? 』

 さすがメルちゃん! あの鮮烈なバトルの数々は魔人たちの記憶に刻まれているんだね!

「そう、お姉ちゃんは強いんだぞ! で、魔界で何が起きているのか教えてくれない? 」

『僕もよく分からないんだけど、3日くらい前に神様が突然現れて、偉い人たちを魔王城に集めたんだって。その後、白い奴が襲ってきて戦争になったの。僕は、お父さんが戻って来るまでここに隠れていないといけないんだ』

 ボクの手を握るクルンちゃんの小さな手に、ぎゅっと力が籠もる。狐は犬が苦手だって聞くけど、こんな小犬に怯えてる訳じゃないよね。

 嬉々として喋ってくれるこの少年だけど、彼の親は恐らく――。

「ありがとう。悪い奴が居たらお姉ちゃんがえいっやぁってやっつけてあげるから、ゆっくり寝て待っててね」

 そっと頭を撫でてあげることしかボクにはできない。

「リンネ様、クルンにもお願いです」

「うん。よく頑張ったね。あともうちょっと頑張って、クルスくんを助けようね」

「はいです! 」

 笑顔と泣き顔を大きな胸の中に抱き寄せる。別に、母性本能が湧き出したって理由じゃないよ。たっぷりともふもふを堪能するためだ。



 ★☆★



 地上で見たのと同じ不気味な太陽が、西の空へと帰って行く――。

 ボクとクルンちゃんは、ひたすら南を目指して駆けていた。いつもならスカイの背に跨って悠々と大空を翔るのに、今は召喚魔法も使えないから。それに、この魔界ではヴァルムホルンへ転移したことが無かったし。悔しいけど、走るしかなかった。

 振り返ると、既に地平線から魔王城キュリオ・キュルスの尖塔が消え去ろうとしていた。


 小犬の魔人に会った後、手掛かりを求めて向かった先の王宮では、血の海が広がっていた。

 魔人は死後、魔素に還る。でも、装備や服は勿論だけど、流れた血もその場に残されるんだ。瞼に焼き付いたヴェローナの最期――その確かな記憶と共に、ボクの目頭が熱を帯びていく。

 恐らくは、夥しい数の、それも100や200なんかではない、1000を超える魔人の命が失われたのだろう。しかし、この場には相応の魔素が感じられなかった――。


 南へ。

 遥か南、霊峰ヴァルムホルンの麓へ急げ。

 東の大神林へ行けば魔神が居そうな気もするけど、クルンちゃんの見た“殺し合い”の予言には、ヴァルムホルンが映っていたと言う情報を信じる!


「クルンちゃん、走るの速いね! 」

 2本足で跳ぶように走るクルンちゃん。確かに敏捷はそこそこ高かったと思うけど、メルちゃんより走るのが速そうだよ。

「クルン精一杯走ってるです! リンネ様の方が速いです! 」

 あ、そう言えばステータスは見れるのかな。

 って、ステータスは身体側メルちゃんの表示になるのか――。


◆名前:メル
 年齢:14歳 性別:女性 レベル:31 職業:メイド長
◆ステータス
 攻撃:46.60
 魔力:15.00
 体力:9.20
 防御:12.10(+5.20 魔法防御+4.00)
 敏捷:11.95
 器用:6.90
 才能:2.00(ステータスポイント0)
◆先天スキル:気配察知、食物超吸収、鬼化
◆後天スキル:闇魔法/上級、暗視、重撃、カウンター
◆称号:青の召喚者、大迷宮攻略者、特別捜査官、ティルス副市長、魔人討伐者、魔王の器

 あ、闇魔法が上級になってるし、称号がいろいろ増えてるね。
 鑑定眼が使えないから詳しくは観れないけど、職業欄に書いてあった“魔王の器”が、称号欄に移動してる。それが理由か、ステータスが激減しているけど、これって元の数値ってことだよね。この状態で身体を取り替えてもダメなんだろうな――。


「リンネ様! あそこです! 」

 暗視スキル持ちのクルンちゃんが何かを見つけた。まだヴァルムホルンの麓までは20kmくらいはありそうだけど?

「何? 魔物? 」

「大きな黒い鳥です! 」

「黒い鳥――もしかして魔神!? 」

 クルンちゃんの速度が落ちる。問いに対する沈黙も含め、恐らくは肯定。そして、魔神の様子が何かおかしいと言うことがその表情から伝わる。

 暗闇の中、ボクはクルンちゃんの隣で立ち止まる。


「クルスも居るです。戦ってるです」

 クルンちゃんの視線の先を目を凝らして見つめる。

「白い光、あれはクルスくんが? 」

 時折吹き荒ぶ白い竜巻、闇夜を貫く白い閃光――上級、いや超級の威力の魔法をクルスくんが使っている?

「リンネ様……止めてくださいです、止めてくださいです……止めて……」

 弟の命を奪い合う死闘を目の当たりにしたクルンちゃんがその場に泣き崩れる。彼女にとってみれば唯一血の繋がった家族。いつも苦楽を共にしてきた弟が目の前で殺される姿なんて見たくはないはず。それはボクも同じだよ!

「分かった!! 任せて!! 」


 激しく戦う両者の間合いに飛び込む!

 魔神、クルスくん、そしてその背後に迫るフレイの3者がボクの存在を視認した瞬間、ボクは精一杯の声で叫ぶ!

「戦いを止めなさい!!! 」

 ボクの頬を掠める閃光を最後に、戦場は静けさを取り戻していく――。


 ボクの方に近寄る気配が1つ。

『勇者リンネか。何をしに来た? 魔王がもうじき復活すると言うのに』

 ボクの視界に入ってきたのは、純白のマントを羽織った白髪の狐人族――見間違えるはずもない。元クルス光国の王、クルスくんだった。

 でも、違う!!

「お前は誰? どうしてクルスくんの身体を! 」

『おやおや、それはそっちも同じだよ? と言っても、君のその身体のお陰で私はこの憑代を手に入れたんだけどね』

 どういうこと?

 メルちゃんのお陰で憑代を手に入れた?

 メルちゃんがウィズを倒したから?

 と言うことは――もしかして、次元の存在!?

「あなたは次元の存在? 」

『その通り。おっと! 』

 その時、ボクを巻き込む威力で放たれた火魔法を、クルスくんが右手を一閃して消し去った!

「黒!? どうして――」

 20mの上空からボクたちを睨みつける巨鳥と目が合う。そしてその瞬間、頭を過ったのは最悪のシナリオだった。

 “それまでに星が消えなければ、我らは神を消す。そのための手段は選ばない――”

 最悪のシナリオ――魔界に赴いた魔神とフレイは、当初の目的を果たすことができなかった。“世界の意思”に支配された彼らは、既にリーン殺しの駒となっていたからだ。
 思い返せば、黒は世界の意思についてとても詳しかった。それに、魔王の真の意味についても隠していた。フレイが付いてきたことだって今思うと怪しい。もしかして、かなり前からボクたちは世界の意思に踊らされていたのかもしれない。

『そうだ。世界の意思は君を見限った。いや、最初から利用していたのかもしれないな』

 次元の存在はボクの心を正確に見通した。

「黒はボクたちの家族だ。助けたい! 」

『ふふふ、君ならそう言うと思ったよ。凄く欲張りだからね』

 クルスくんがボクの肩をポンッと叩く。凄く違和感を覚えるけど、不思議と勇気が湧き起こってくる。


「クルンはあの銀狐を黙らせるです! 」

 ボクと弟との会話を聴いてか聴かずか、クルンちゃんが力強く宣言する。

 白狐vs銀狐!?
 でも、本当は仲間同士で戦ってほしくない――。


「命の奪い合いは絶対にダメだからね! 」

「大丈夫です! 目を覚まさせるだけです! 」

 クルンちゃんが両手に短剣――ではなく、何か布切れのような物を持って突進する!


『私たちはアレを何とかしないとな』

 狐の追いかけっこを見ていたボクに、次元の存在クルスくんが語り掛ける。

 頭上で羽ばたく鳥は、鋭い目つきでボクたちを睨むと、両翼から炎の渦を放ってきた。

 クルスくんのことも気になるけど、今は何とか黒を助けないと!

 横に大きく飛んで魔法を回避し、対抗手段を模索する。

 フィーネ迷宮でワイバーンと戦った時みたいな状況だ。魔法が使えないなら、頭を使うしかない。どうする? どうすれば世界の意思の支配を外せる?

 風魔法、闇魔法――連続で放たれる攻撃を、ひたすら躱しながら考える。メルちゃんの身体を借りていても頭が良くなると言うことはないみたいで残念。


 次元の存在は何をしている?

 遠くで両腕を組んで様子を見ている彼――味方なのか全く分からない!

 黒的には、次元の存在よりもボクをメインターゲットに定めているようだ。何だか悲しい――。

 目元をそっと手で拭ったその時、巨大な闇の竜巻がボクに向かって来た!

「うわぁ!! 」

 地獄の炎を彷彿とさせる黒い竜巻を正面から受けたボクは、何回転もした末に、大地にうつ伏せに倒れ込んだ――。


 耳元で大きな翼が羽ばたく音が聞こえる。

 その後、迫ってくる気配は、ボクの足元で止まった――。


《ギィギィ》

 奇怪な声が聴こえる。

 何かヌルヌルした感触が頬を伝って口元まで来た瞬間、ボクは起き上がり、それを右手で握りつぶした。

《ナゼウゴケル!? 》

「さあねっ!! 」

 質問に答える代わりに、黒い羽毛で覆われたお腹を思いっきり蹴り上げる!

《グェ! 》

 さすがはメルちゃんの身体、パワーが凄まじい。

「返せ! 黒の身体を、返せ! 」

 1発1発に思いを載せて、ボクはひたすらキリンほどの大きさの黒鳥を殴る!

《グァ! ヤメロ! 》

 倒れても翼で身を守ろうとする黒の身体を、容赦なく殴り続ける――。

《グッ……》

 鳥の嘴から黒いガムのような物が飛び出して来た。

 ボクはそれを引っ張り上げ、地面に叩きつける!

《マダ……ギェ!! 》

 黒い物体がうねうねと動き出した瞬間、クルスくんの光魔法が一瞬にしてそれを消し去った――。


 黒は大丈夫!?

 振り返ったボクの目に映ったのは、黒く巨大な怪鳥ではなく、焼け焦げた大地にポツンと生えた1本の木だった。


『魔力を失って眠っているようだ』

 次元の存在が黒い木に近づき、物珍しそうに触っている。良かった、黒は死んでいない!

「それで、さっきの黒いのは世界の意思の? 」

 安心して地面にへたり込んだボクに、クルスくんが優しく語り掛ける。

『君はあれを知っているようだね』

「世界の意思が邪神を作ったって言っていたので、魔神も同じように支配されているのかと思って――」

 ボクには魔法は効かない。でも、ボクには物理攻撃しかできない。それに、世界の意思はボクを殺すのではなく、支配しようと企てると推測したんだ。だから、一か八か、演技をして引き寄せた。そして、運良く接近戦に持ち込んで黒からあれを引き剥がすことに成功した――。

『なるほど、そう言うことか。私は世界の意思の及ばない異次元空間に転移させようと機を伺っていたんだけど、邪神のように憑依されていたんじゃ意味がなかったね』

 憑依――そうだ、クルスくんの身体は!?

『あぁ、クルスか。クルンには世話になったけど、私は元々あの娘の弟でも何でもないよ。世界の意思が結界を張っていてこの世界に入れなかったから、異世界召喚にかこつけて一緒に潜り込んだだけさ』

 えっ!?
 でも、クルンちゃんはクルスくんを大切な家族だと信じて――。

『私も十分に楽しませて貰ったよ。君や、クルンのお陰で私はこの世界にはまだ可能性があると信じられるようになったんだ。もっと言うと、君に出逢っていなければ、この世界は既に存在していなかった』

「…………」

 気付いたら、ボクの後ろにはクルンちゃんが立っていた。その肩には、意識を失っているフレイが居る。

「クルンちゃん……」

「リンネ様、銀狐を捕まえたです……黒いモヤモヤも燃やしてあげたです……」

 次元の存在の言葉、絶対に聴いていたよね。だって、クルンちゃんの両目から涙が――。

『クルン、はっきり言おう。私はそもそも君の弟ではない』

「う……嘘です……クルスはクルンの弟です! 」

「クルンちゃん……」

 クルンちゃんがクルスくんの身体に抱き着いて号泣し始めていた。ボクは放り出されたフレイを確保し、クルンちゃんが落ち着くまでもふもふを味わった――。



 ★☆★



「魔族との条約はどうしようか」

『リンネ様……覚えていますか? 私が、人間と魔族との懸け橋になりたいと言ったこと』

 泣き疲れてクルンくんのお腹の上でぐったりしているクルンちゃんに代わり、ボクの膝の上で意識を取り戻したフレイが、ボクの顔を見上げながら呟く。

「勿論覚えてるよ。優勝パーティの時だよね? 」

『はい……あの言葉に、気持ちに嘘偽りはありませんし、今でも間違ったことをしたとは思っていませんので、謝りませんよ……だって、創造主様はリーン様を殺せば人と魔が幸せに暮らせる世界を新たに創ると仰られましたもの……でも、私は……』

 血塗れの掌を見つめるフレイ――洗脳されていたとは言え、自らの手で仲間たちを殺した彼女。その目からは、透明な雫が次から次へと溢れ出てくる。

「フレイがボクたちのことを信じてくれるなら、もう一度手伝ってほしい。リドやリズさん、北王ノクト、南王カーリィ――あの辺はそう簡単に死ぬとは思えない。探し出して、条約を結んで。人間と魔族、亜人や妖精、精霊たちとの友好条約を。ボクはもう行かないと――」

 不気味な太陽は東の空を容赦なく駆けあがっている。

 それを睨みつけながら、フレイの肩を強く抱き締める。

『全力で! 私は全力でリンネ様の力になります! 』

 そう力強く叫ぶと、耳をピンと立てて起き上がると、飛ぶように黒の元へと走る。そして、その幹に頬を寄せ、静かに呟く声が聴こえた――。

『魔神様、リンネ様は貴方が仰られた通りの人間でした。きっと奇跡は起きますよ』

 ヴァルムホルンへと駆ける彼女の後姿を、しばらくボクたちは無言で見送っていた――。



 ★☆★



 グレートデスモス地境を経由して地底城アークデーモンへと戻ったのは、向かったときと同じ、ボクとクルンちゃんだけだった。

 クルスくんは、あの後、何も言わずに消えてしまったし、黒は根っこごと引っこ抜く訳にもいかないし、フレイには大役を任せてあるし――。

 それに、黒たちを助けると言う最低限の目標こそ達成できたものの、魔人との条約を結び、メルちゃんの中に在る星を削り取ることはできなかった。決して胸を張って“ただいま”を言える状況ではない。


 既に太陽は南中しそうな高度まで昇っているけど、辺り一面がボクの気持ちを投影したかのように、漆黒の闇に閉ざされていた。

「日食だ――」

 皆既日食や金環日食は、元の世界でも見たことがあると思う。月(新月)が地球と太陽の間に来て、地球が月の影に入ることで、昼間なのに太陽の光が届かない現象だと記憶している。

 よく見ると、魔王の魂からはどす黒い闇が溢れ出していて、それを囲うようにリーンが必死に結界を張っている姿が見えた。

「遅れてごめん! 」
「戻りましたです! 」

『お母さん、逃げて! 』

 必死に叫ぶリーンの足元には、頭を抱えて蹲る仲間たちが見えた――。

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