寵愛の精霊術師
第59話 絶望の足音
「……ダリア、さん?」
そこにいるのは、たしかにダリアさんだった。
クレアを連れて逃げてくれたのではなかったのか。
ダリアさんの近くに、クレアの姿は見当たらない。
ということは、クレアをどこか安全なところに避難させておいて、オレの救援に駆けつけてくれたのか。
本当に助かった。
ダリアさんが来てくれていなかったら、オレは死んでいただろう。
「……邪魔しないでください。これは僕とラル君の戦いです。あなたには関係ない」
不快げに眉を寄せながら、ロードがダリアさんに向かって言い放つ。
その瞳には、たしかに怒りの色が見て取れた。
「そういうわけにもいかないのよ。ラルくんには、まだ生きておいてもらわないといけないの」
ダリアさんは、呆れたような顔でロードにそう返した。
……ちょっと待て。
今、何かがおかしかった。
――ダリアさんが、オレのことを『ラルくん』と呼んだ。
それは明確な違和感だった。
「それはあなたの都合でしょう? 僕には関係ない」
「そうね。でも、あなたもわたくし達の側につく以上、わたくし達の言うことには従ってもらわないと」
それに、ダリアさんのロードに対する態度にも、一切の敬意が感じられない。
それはまるで、人が変わってしまったかのような変貌で。
「……ダリア、さん?」
オレはおそるおそる、ダリアさんの名前を呼んだ。
……ふと。
オレの頭の中に、恐ろしい想像が浮かんだ。
それが何かの間違いであってほしいと願いながら、しかしそれが聞き入れられることはないだろうということもわかっていた。
「……うふふ」
ダリアさんはオレに向かって微笑みかける。
しかしオレは、穏やかな顔の裏側に、隠しきれない悪辣さを感じずにはいられなかった。
「それにしてもあなた、どうして生きてるの? あのとき、確かに殺したはずなのだけれど」
「――――」
わけが、わからなかった。
そんなことをオレに言い放つことができる人間を、オレは一人しか知らない。
認めたくない、だが認めざるを得ない現実が、目の前にある。
「……エーデルワイス?」
オレの言葉を耳にしたダリアさん――いや、エーデルワイスは満足そうな顔をして頷いた。
「不思議そうな顔をしているわね。わたくしがここにいることがそんなに不思議かしら?」
不思議などというレベルではない。
ダリアさんの正体は、エーデルワイスだったとでも言うのか。
……いや、そんなことはないはずだ。
どんな手を使ったのかは知らないが、ダリアさんもまた、エーデルワイスに操られているだけと考えるのが自然だろう。
しかしエーデルワイスは、ディムールの軍を率いて、今もなおディムールへと向かっているのではなかったのか。
いかに『大罪』の魔術師の魔術とはいえ、操る対象と全く接触しないで魔術を発動させることはできないはず……。
となると、ダリアさんがどこかでエーデルワイスと接触したタイミングがあるはずだが……わからない。
「ね? 理解できない事態が目の前で進行しているということを認識しながらも、どうすることもできないでしょう?」
「っ……」
そうだ。状況は何も良くなっていない。
オレの身体は依然として拘束されたままだし、精霊術を使おうとすればロードに精霊を散らされる。
味方として現れてくれたと思っていたダリアさんも、なぜかエーデルワイスに取って代わられているようだ。
つまり、完全に詰みだ。
「はぁ。わかりましたよ」
盛大なため息をついて、ロードが剣を下ろした。
露骨に顔に不満が出ているが、ひとまずオレにトドメを刺す気はなくなったらしい。
「それじゃあ、ラル君はエーデルワイス様にお預けします。僕はカタリナちゃんを迎えに行かないといけないので」
「……待てよ。カタリナは無事なんだろうな!?」
「当たり前じゃないか。メイドはともかく、僕のお嫁さんになる女の子に手荒な真似はしないさ」
飄々(ひょうひょう)とした様子でそう言ってのけるロードに対し、オレは怒りを隠せない。
人の女を勝手に自分の嫁と言い出すクソ野郎に、オレは負けたのだ。
何よりも、なにもできない自分自身が一番腹立たしかった。
いや、それもだが、今はそれよりも、
「メイドはともかく、って……まさかお前」
「言ってなかったっけ? 君の家にいたメイドさん達。あれ僕が殺しちゃったんだ。『リロード』の回数稼ぎたくてさ」
本当になんでもないことのように、ロードは言った。
やっとの思いで、オレはカラカラに渇いた口を開く。
「……お前、自分が何したのかわかってんのか?」
「もちろん。これ以上ないほどに正しく認識しているよ」
そんな言葉を耳にして、はっきりとわかってしまった。
ロードは、本当に遠いところへ行ってしまったのだと。
「さて、そろそろ行きましょうロードくん。カミーユも戻ってくる頃だと思うし」
「わかりました」
エーデルワイスの言葉に、ロードは平然とそう返す。
それから、勝ち誇った表情でオレを見て、
「――安心してよラル君。カタリナちゃんは、僕が幸せにしてあげるから」
「っ!!」
認めたくなかった。
目の前にある現実を受け入れることを、オレの脳が拒絶していた。
「――『安らかなる眠り』」
ロードの口から発せられたその言葉を聞いた瞬間、意識が朦朧としてきた。
今の精神状態で『安らかなる眠り』を発動されたせいで、瞼が重い。
寝てはいけない。
寝たら、今度こそ本当に殺されてしまう。
「へえ、まだ意識があるんだ。頑張るね」
誰かに髪を鷲掴みにされているような感触がある。
しかし、瞼が開かないせいで誰にやられているのかわからない。
そして、また一段深いところに沈み、
「――カタリナちゃんは僕のものだ」
薄れゆく意識の中、ロードのそんな声が聞こえた気がした。
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