寵愛の精霊術師
第70話 エーデルワイスの戦い
ラルフ達がガベルブック邸で作戦会議をしていた頃。
『色欲』の魔術師エーデルワイスと、『憤怒』の魔術師カミーユは、『終焉の魔女』アリスと死闘を繰り広げていた。
「カミーユ! 絶対にその蔓に触れてはダメよ!」
「わかっています! しかしこれは――っ!!」
無数の『常闇の蔓』が、エーデルワイスとカミーユに襲いかかる。
満点の夜空を内包するようなその触手はしかし、触れただけで存在が消失する、神級と呼ぶにふさわしい力を持った悪夢の体現に他ならない。
「――精霊は歌う」
詠唱を唱え、『強制移動』を駆使しながら、エーデルワイスはひたすら『常闇の蔓』を回避する。
それは、エーデルワイスの能力をよく知る者にとっては、奇妙な光景に映ったかもしれない。
「我は、光をもたらす者なり――」
だがエーデルワイスには、それを避け続けなければならない理由があった。
『常闇の蔓』については、エノレコート王城の禁書庫に存在する禁書に目を通していたおかげで、その存在だけは知っていた。
それが持つ力が、どのようなものであるのかも。
それの能力は『消失』だ。
だが、それはただの消失ではない。
『常闇の蔓』は、『始祖』の前に立ちはだかった十二人の超人のうち、最初の一人が使った魔術であるとされている。
かの者は『常闇の蔓』で『始祖』を削り、新しい個性を得た。
さらにその力を以って、他の十一人の使徒を生み出したと。
ここで注目すべきなのは『常闇の蔓』が『始祖』をも削り取ったことではなく、その力を以って十一人の使徒を生み出したという部分だ。
つまり『常闇の蔓』には、削り取ったものの力を奪う力がある、と解釈するのが自然だ。
そしてそれは、それだけにとどまらない。
つまり、その消失に『大罪』が例外である保証はどこにもない。
『常闇の蔓』に触れることで削り取られるものが『色欲』でないという保証など、どこにもないのだ。
ゆえに、その蔓に触れる危険性は、エーデルワイスにとっても計り知れないものがある。
だから、エーデルワイスはその蔓に直接ではなく、間接的に触れる手段を模索していた。
「――『煌光』」
『始祖』デスロ・エノレコートが生み出した固有魔術の一つ。
眩いばかりの青白い光は、ありとあらゆる闇を切り開く希望の象徴だ。
エーデルワイスはそれを両手に纏い、アリスが振り回している『常闇の蔓』――その一つに向かって手を伸ばした。
『煌光』が通用するのは、アリスの『常闇の蔓』も例外ではない。
エーデルワイスはそう確信していた――が。
「チッ!」
『煌光』は『常闇の蔓』と接触することには成功したが、ほとんど一瞬とも呼べるスピードで消失してしまった。
慌てて腕を引っ込めたものの、ピリピリとした感覚が指に伝わってくる。
表面を溶かされたような痛覚に、エーデルワイスは自身の錆び付いた感情が呼び起こされるのを感じていた。
――無意味な思考だわ。
エーデルワイスはそれを振り切り、再び常闇へと向き直る。
しかし、その感情を振り切った後、エーデルワイスの心中に湧き上がってきたのは、歓喜だった。
「……ふふっ」
――戦いの中で、これほどの高揚感を覚えるのは、いったいいつぶりのことだろうか。
場違いな感情であることは、エーデルワイス自身も理解している。
男に抱かれるのとはまた違う、命のやり取りの中でしか生まれ得ないそれを、エーデルワイスは歓喜の念をもって噛みしめる。
『常闇の蔓』と接触したことで、『煌光』は消滅した。
だが、闇を消し去る『煌光』の力は『常闇の蔓』に対しても有効だったようで、先ほどエーデルワイスと接触した『常闇の蔓』が、一回り細くなっているのが確認できる。
「なるほど」
『常闇の蔓』を受けるには、『煌光』はあまりに薄すぎる。
ならば、答えは簡単だ。
つまり、『煌光』を四重、五重、さらに積み重ねれば、『常闇の蔓』もエーデルワイスに傷をつけることはできない。
だが、エーデルワイスが行使しているのは仮にも『始祖』の魔術。
それを幾重にも積み重ねることなどできるのか――そんな問いは、かの『色欲』の魔術師の前では無意味に等しい。
「――『煌光』」
エーデルワイスは、再び『煌光』を発動させる。
しかし今度は腕だけではなく、その全身を聖なる光が包み込んでいた。
バカにならない魔力の消費量。
それを、エーデルワイスは『リロード』によって補う。
『リロード』を使って魔術を行使する前の状態に自身を戻すことで、魔力が全回復し、ほぼ無限に魔術を使用することができる。
常人では決してできない荒技を以ってしてようやく、エーデルワイスは自身に五重の『煌光』を纏うことに成功した。
『リロード』を使ったことによって霧散しそうになった『煌光』を強引に押し留めながら、エーデルワイスは目の前に迫った『常闇の蔓』に手刀を斜めに振り下ろした。
底の見えない闇に自身の腕をずぶずぶと沈めていくような錯覚を覚える。
だが、一方で、切れる――そう確信していた。
「……ふふ」
夜空を内包した触手は不自然に切断され、宙を舞う。
それは切断された途端に輝きを無くし、曇天の空の下で黒い煙となって空気中に霧散した。
「あら」
同時に、エーデルワイスの手に纏っていた『煌光』も、『常闇の蔓』に呑み込まれて消失している。
あと一枚でも薄ければ、エーデルワイスの手のほうが消失していただろう。
だが、切れることはわかった。
そして、それだけわかればもう十分だ。
理由はわからないが、アリスはエーデルワイスとカミーユを執拗に狙っている。
正気を失っているはずのアリスが、かつての仲間になぜそのようなことをしているのかはよくわからないが、致し方ない。
――この鬱陶しい触手を、消してしまおう。
エーデルワイスがそう決意するのに、そう時間はかからなかった。
「――精霊は歌う」
詠唱を省略し、『煌光』を幾重にもその手に張り巡らせていく。
さらにエーデルワイスの前に魔法陣が展開され、青白く輝くその光と『煌光』の発する光が、合わさって一つに溶ける。
「永遠の責め苦を受けた者たちに、永久の安らぎを」
本来であれば、触れたものすべてを焼き尽くす炎を生み出す魔術。
エーデルワイスはそれに『煌光』を纏わせ、破壊力を底上げする。
魔術を無理矢理改変し、自身の生み出した新たな理をねじ込む――。
それはまさに、魔術師の中でも異端中の異端、その中でもごく限られた精霊術師にしかできない芸当であった。
「――『煌光の焔』
そして完成した蒼炎の大渦は、エーデルワイスの手を離れて、アリスの『混沌球(カオス・スフィア』の直下、『常闇の蔓』が集中している部分へ向かっていく。
途中で何本もの『常闇の蔓』がそれに触れ、焼失する。
勢いをほとんど殺すことなく、巨大な蒼炎の塊は、何百本もの『常闇の蔓』と激突した。
「っ――!!」
そのあまりの眩しさと衝撃に、魔術を使用した本人であるエーデルワイスすら目を細めた。
まるでこの世界から、夜という概念が消え去ったかのような錯覚すら覚える。
やがて目が光を受容できるようになると、辺りの景色は一変していた。
『煌光の焔』の余波は、地上にも及んでおり、広場があった場所には巨大なクレーターができている。
神級魔術と、それに匹敵する魔術が大規模に衝突したのだから無理もないが、エーデルワイスが問題視しているのはそんなところではなかった。
「……ままならないものね」
アリスの『混沌球』は依然として空中に存在しており、その巨大な球から垂れ下がっている『常闇の蔓』も、数は減ったものの健在だ。
その事実に、エーデルワイスは軽い衝撃を受けていた。
同時に、ここにいる意味を考える。
はっきり言って、ここにいる意味は、もうあまりない。
アリスがあの状態では、エーデルワイスの言葉に耳を傾けるとは思えないし、今のエーデルワイスでは、復活したアリスを殺せない。
最悪の場合でも、アリスを殺すことぐらいはできるのではないかとタカをくくっていたが……よもやこれほどとは思わなかった。
とはいえ、まだ手はある。
エノレコートの王城、その禁書庫には、エーデルワイスがまだ使用することのできない魔術の文献が残されている。
そしてその中で、アリスを下すことができるものに心当たりがあった。
時間はかかるだろうが、エーデルワイスであれば習得できないことはないはずだ。
――『傲慢』の『最上位』の力。
それはまさに、エーデルワイスが欲しているものを体現している。
間違いなく、今のアリスはエーデルワイスの悲願を達成できるだけの力を有している。
ゆえに、アリスがエーデルワイスの悲願に非協力的な姿勢を貫くのならば、どんな手を使ってでも必ず『傲慢』を奪わなければならない。
だが、それは何も今すぐに行わなければならないことではない。
エーデルワイスが何もしなくても、アリスは暴走を続ける。
それが『常闇の蔓』と大規模な『吸収』によって行われているのは、エーデルワイスにとっては都合がいい。
一つ懸念材料があるとするならばラルくんが生きていることだが、大した問題ではないだろう。
あんな坊やが一人生きていたところで、なにかできるとも思えない。
一度生き返ったのは予想外だったが、不死鳥か何かの能力を持っていたのだろう。そこまで警戒するほどのことでもない。
「カミーユ! ロードくんを拾って撤退するわよ!」
とにかく、最低限の目的は果たした。
一度体勢を立て直して、出直してくるべきだ。
そんな言葉をカミーユにかけたつもりだったが、エーデルワイスはカミーユのほうに目を向けて硬直した。
「エーデル、ワイス……」
カミーユの身体が、一本の『常闇の蔓』に貫かれていた。
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