寵愛の精霊術師
第51話 星の砂丘
ゆっくりと、身体が泥の奥底に沈んでいくような、そんな感覚。
その中で、オレの心は妙に落ち着いていた。
そうだ。
オレはエーデルワイスに完膚なきまでに叩きのめされて、『リロード』を奪われた挙句、空中から落下したのだ。
タフネスが大幅に上がる『防御力大幅上昇』まで奪われていたのか、たしかに全身が砕けるような激痛に襲われたのを、おぼろげながら覚えている。
……オレは、どうなったのだろう。
死んだのか?
だとしたら、
「ここ、は……?」
死後の世界、なのだろうか。
意識を取り戻し、立ち上がったオレの目に飛び込んできたのは、奇妙な光景だった。
まるで砂丘のように、延々と砂の山が続いている。
すくい上げると、きめ細やかな砂がサラサラと手のひらからこぼれ落ちていった。
上を見上げると、満点の星空が広がっている。
思わず、感嘆の吐息を漏らしてしまった。
地球ではもちろん、異世界でもそうそうお目にかかれないほど見事な星空だ。
そして、砂山の遥か向こうには、
「星が、埋まってる……」
地球が、半分ほど砂に埋もれている。
すぐそこに見えているはずなのに、そこまでの距離は途方もないものであることを実感させた。
本当に、よくわからない場所だ。
宇宙空間に、延々と砂丘が続いているような光景、と言えばわかりやすいだろうか。
なんだか、無性にもの悲しくなる。
手が届きそうなのに、どう足掻いても届かないという事実が、オレの心に突き刺さって――、
「そこに、行きたいの?」
「――っ!?」
いつの間に現れたのか。
声のしたほうを振り向くと、一人の少女がいた。
しかし、オレが驚いたのはそれだけが原因ではない。
オレは、その少女に見覚えがあった。
だが、彼女の名前がどうしても思い出せない。
「……どちらさまですか?」
まあ、こんなところに現れる少女だ。
そんな得体の知れない存在に、あまりいい印象は抱かなかった。
「――!」
万が一の場合に備え、周りの精霊たちを集めようとして、気がつく。
この空間には、精霊たちが全く存在しないことに。
亜空間を開こうとしても、使える気配がない。
どうやら、魔術や精霊術はここでは使えないようだ。
「大丈夫だよ。私はきみに何もしないから」
しかし、少女には戦意がない。
それどころか、何か特別な力があるようにも見えない。
……それがわかってもなお、オレは戸惑いを隠せなかった。
「きみには、わたしがどう見える?」
「どう見えるって……」
意味のよくわからない質問だった。
少女は、セーラー服のようなものを身に着けていた。
肩の辺りまで伸びた髪は黒色で、瞳は薄い茶色。
年齢は高校生くらいで、美人というよりは可愛い系の、愛嬌のある顔立ちだ。
というか、どう見ても日本人だった。
「日本人、ということはないですよね?」
「まあ、日本人かと聞かれたら日本人でもある、と答えるしかないんだけどね」
肩を竦めながら、少女がそう答える。
彼女の質問の意図もわからなければ、オレのした質問の返答も、人を馬鹿にするようなふざけたものだ。
文句の言葉を喉の奥に飲み込み、オレは少女の問いに答えた。
「セーラー服の、女の子に見えるけど……違うのか?」
「なるほど。で、この場所はどこに見える?」
少女は興味深そうに頷くと、さらにそんな質問をしてきた。
何なんだ、一体。
「宇宙みたいな空間に、延々と砂丘が続いている……みたいな感じか? よくわかんねぇ」
「うふふ。そっか」
何が可笑しかったのか、少女はクスクスと笑う。
でも、それは人を馬鹿にしたような笑い方ではなく、どこか温かみのあるものだった。
そんな少女の笑顔を見て、オレも口元を緩めてしまいそうになる。
――それは、看過できない違和感だった。
頭では少女のことを警戒しているのに、心の奥底では彼女のことを好いてしまっているという、思考と心の間にある、あまりにも大きな歪み。
それが気持ち悪くてたまらないのに、それでも彼女に、心のどこかでは好意的に接している。
「■■くん――ああ、いや、今はラルくんだったね。おーけー。大丈夫。この彼女が誰かもわかった。協力ありがとうね」
「は、はあ……? どういたしまして?」
ますます意味不明な言葉を浴びせられ、オレは反応に困ってしまう。
この少女は、やはり電波なのだろうか。
そして、どうしてオレの名前を知っているのだろうか。
ここまで会話が成り立っているようで成り立っていない気がする相手と対話するのは、初めてかもしれない。
黒髪の少女は、地面に座って夜空を見上げている。
その表情に思わず見とれていると、彼女の口が再びゆっくりと開いた。
「ここはね、分岐点なの」
「……分岐点?」
「そう。きみのいる世界の未来が変わる分岐点。そこに今、きみは立たされてるんだよ。具体的に言うと、きみがエーデルワイスに殺されたところで、だね」
「――っ!!」
鮮烈に思い出される、耐えがたいほどの激痛。
やはり、オレは死んだのだ。
だとするならば、
「やっぱり、ここは死後の世界……なのか?」
「全然違うよ。詳しくは言えないけど、とりあえず死後の世界じゃないことだけは保証する。というよりも、厳密に言えば、きみはまだ死んでいないんだよ」
ん?
あれ?
「オレは、エーデルワイスに殺されたんじゃないのか?」
「殺されたのと死ぬのとはまた別物だよ。きみは今、生きているわけでも死んでいるわけでもない。まあ、わからないならわからないでいいんだけど」
「は、はぁ……」
よくわからないが、オレはまだ死んだわけではないらしい。
「じゃあ、まだオレはあの世界で生きられるのか?」
あの世界は、あまりにもやり残したことが多すぎる。
オレのことを一人の女の子として好いてくれているキアラやカタリナ。
それに、友人や家族としてオレのことを大切に思ってくれている人達がいる。
フレイズ、ヘレナ、エリシア、ミーシャ、クレア、ロード、アミラ様。
みんなの顔が、脳裏を過ぎった。
「それはきみの選択次第だね。このまま死ぬことを望むなら、きみは死ぬことを選ぶことができる。でも、もしそれを望まないなら、きみは死を避けるのを選ぶことができる。――『運命歪曲』の力を使えばね」
「『運命歪曲』って……」
それは、オレの能力一覧に存在しながらも、その効果や習得方法が一切不明だった代物だ。
「オレは、『運命歪曲』を使えるようになったのか?」
「そうだね」
あっさりと、少女は頷く。
「それなら教えてくれ。『運命歪曲』っていうのは、どんな能力なんだ?」
『運命歪曲』が使えるようになった、と言われても、どういう能力なのかわからなければ、使いようがない。
この少女の言葉を鵜呑みにするのは危険だが、話を聞くぐらいはいいだろう。
「文字通り、運命をねじ曲げる能力だよ。そうなるはずだったものを、そうなるはずじゃなかった方向へと持っていく能力……と言えば、理解できるかな?」
「……まあ、少しは」
いまいちよくわからない説明だったが、死ぬはずだった命を、この世につなぎとめることくらいはできそうだ。
それに、もしかしたら、
「その『運命歪曲』の力を使えば、エーデルワイスを倒すことができるのか?」
そう。
『運命歪曲』の力を使えば、あのエーデルワイスを倒すことすらできるのではないかと、そう思ったのだ。
「きみは運命というものを少し勘違いしているみたいだね。多少運命を変えたところで、圧倒的な戦力差は覆らないよ。はっきり言って、きみとエーデルワイスの間には、天と地ほどの力の差がある。『大罪』というのは、ゲームで例えるならバグみたいなものなんだよ。まず、正面からやり合おうとするほうが間違ってるの」
だが、そううまく話は運ばないらしい。
少女の口から語られたのは、『大罪』に真っ向から挑むことの無謀さだった。
「……じゃあ、『大罪』の魔術師に勝つにはどうすればいいんだ?」
「簡単なことだよ。バグにはバグをぶつければいい」
あっけらかんと、少女はそう言った。
「バグには、バグ……? どういうことだ?」
「『大罪』には『大罪』を、ってこと。というかきみ、少しは自分で考えなよ。だいたい、能力にばかり頼ってるからきみはエーデルワイスに殺されたんでしょ?」
「っ!!」
……そうだ。
オレは、自分の力に酔っていたんだ。
自分より才能がある奴なんていない。
誰も、自分には敵わない。
ずっとそう信じて、今まではその通りだった。
でも、それだけじゃダメなんだ。
土壇場で、オレはエーデルワイスから逃げてしまった。
それはあまりにも惨めで、情けない姿だった。
身体だけじゃなくて、心も強くならなければならない。
そして、そんな弱いオレの心を強くしてくれるのは――、
「――きみは、どうしたいの?」
「え?」
少女の目が、オレの目をとらえた。
「誰しもが、心の中に欲望を持っている。きみの欲望は、なんなのかな?」
さっきまでの、呆れたような声ではない。
少女はこちらを優しげに見つめ、オレが何らかの答えを返すのを待っている。
「……オレは、護りたい」
オレが愛する人たちを、護りたい。
オレのことを大切に思ってくれている人たちを、護りたい。
「でも、それだけじゃダメだ。オレは、もっとみんなを信じなきゃいけなかったんだ」
みんなのことを、無意識のうちに下に見ていた。
自分は精霊術師で、精霊級の魔術を扱えて、能力も大量に持っているからと言って、みんなのことを軽く見ていた。
そんな自分自身の反吐が出る人間性から目を背けていたから、今回のような結果が生まれたのだ。
「だから今度こそ、オレはみんなと力をあわせて、この世界に与えられた能力を使いこなして、オレの大切な人たちを絶対に護ってみせる」
オレが愚かで弱いのは、今すぐにどうにかなるものではない。
だから、みんなの力を、みんなの勇気を少しずつ借りて、オレはみんなを護る。
そう決めた。
「……うん。いい顔になったね。ラルくん」
今、初めてこの少女に名前を呼ばれた気がする。
なぜだかわからないが、それだけのことが無性に嬉しかった。
「さあ、そろそろ行ってきなよ。どうやら、きみのことを愛してくれている人が、起こしに来てくれたみたいだし」
地面に座り込んだ少女が、空を見上げながらそう言った。
オレのことを愛してくれている人?
一体誰だろうか。
まさか、エーデルワイスじゃないだろうな。
そして、ふと気がついた。
オレはまだ、彼女に一番肝心なことを聞いていない。
「……結局、何者なんだ。アンタは」
「私は、誰でもあって、誰でもない。今は多分、きみが心の底で一番求めている人の姿になっているはずだよ。この格好も、この声も、この心でさえも、ね」
「オレが心の底で一番求めている人の姿……?」
そんなはずはない。
たしかに、オレはこの少女に見覚えがある。
けれど、名前すらも思い出せない少女を、オレの本心が求めているわけがない。
……なのに、どうしてなのだろう。
この少女を見ていると、心の底から抑えきれないほどの深い愛情が沸き上がってくるのが、わかってしまう。
頭が、心が、記憶が否定しているのに、オレの魂が、目の前にいる少女を見てたしかに震えている。
「……君は、一体誰なんだ」
「それは教えられない。私はきみの知るべきことと、きみが知っていることしか教えられないからね」
そう語る少女は、オレの顔を見て、少し寂しげに微笑む。
「ちゃんとこの子を救ってあげるんだよ。――それが、きみがあの世界に再び生を受けた理由なんだから」
「は? おい、それどういう意味――」
オレの言葉が最後まで続くことはなかった。
「――っ!?」
足元が崩れ、オレの身体は莫大な量の砂と共に、常闇の中へと落ちていく。
少女の姿は、遥か彼方へと消えて。
そのまま、オレの意識は途絶えた。
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