寵愛の精霊術師

触手マスター佐堂@美少女

第33話 触れられざるもの


 ほの暗い洞穴を、どんどん進んでいく。
 光精霊にお願いして小さな光源を創り出してもらっているが、迷宮の通路とは雲泥の差だった。

 足取りは軽い。
 まるでこの先に、何か懐かしいものでもあるかのような、そんな錯覚を覚える。

「ラルくん……やっぱりやめない? なんかここ、気持ち悪い……」

「気持ち悪い?」

「うん。なんか……ここにいちゃいけないような、そんな気がするの」

 ふむ。
 オレは全くそんな感じはしないが、キアラは何かを感じ取っているのだろうか。

「どうしても無理だったら、キアラはさっきの最下層のとこまで戻っててもいいぞ」

「そんなことできるわけないでしょ。ラルくんを、一人でこんな暗くて狭いところに置いていくなんて……」

 オレの提案に、キアラはとんでもない、といった様子で頑なに首を縦に振らない。
 まあキアラがそう言うなら、オレは何も言わないが。

 幸いなことに、今のところ魔物とエンカウントすることもなく、順調に進んでいる。
 というか、ここは迷宮なのだろうか。

 階層と階層の間にあったあの通路では、岩壁は何かしらの色の光を発していた。
 それがここには一切ない。
 本当に偶然できた洞窟のように、道は狭かったり広かったりと様々に変わる。

 そうやってしばらく歩いていると、広い空間に出た。
 かなり広い。
 先ほどの最下層など、比べ物にもならないほどの広さがあるのがわかる。
 おそらく、第一階層や第二階層くらいではなかろうか。

 相変わらず、魔物の気配はない。
 辺りにあるのは、黒っぽい色をした岩壁と、段差を作りながらも延々と続いている洞窟だけだ。
 どうやら、これ以上奥へは進めないようだった。

「ラルくん。やっぱりここ、なんか変だよ……」

 キアラが怯えたような声を出している。
 彼女がそんな声を出すなど、今までにないことだった。

「大丈夫だって。というか何もないじゃん」

 その姿に違和感を覚えながらも、好奇心を抑えることができなかった。
 大きな段差を飛び降り、辺りの景色を眺める。

 迷宮の最奥部に空いていた穴から伸びていたところにある洞窟だ。何が出てきてもおかしくはない。
 そんなオレの期待に、この洞窟が応えてくれたのかもしれない。

「お? なんだこれ」

 ふと気になるものを見つけ、それを拾い上げた。

 小さな、鉄の塊だった。
 平べったい形だが、風化していて、元の形状はイマイチ判然としない。
 大きさはちょうど、前世で言うスマートフォンくらいだ。

 しばらくそれをしげしげと眺めていたが、今のところそれ以上の情報を読み取ることはできなかったため、亜空間にしまっておいた。
 その鉄の塊以外にも、近くに色々と変なものが落ちていたので拾っておく。

「めぼしいのはこんなもんか」

 キアラも怖がっているし、オレの知的好奇心もそこそこ満たされたことだし、帰るとするか。
 そう思って、目の前にある段差を風精霊の力を使って飛び上がろうとした、そのときだった。

「……触手?」

 目の前にある壁の模様。
 それは明らかに、普通の岩壁ではなかった。
 石化していてはっきりとはわからないが、それは大小さまざまな触手に見えた。

 まるで、大量の触手たちが、この壁を形作っているかのような。

「……ラルくん、もう行こう」

「あ、ああ」

 感情を押し殺したような声を漏らすキアラに腕を引っ張られ、オレがその洞窟を後にしようとした、そのときだった。



 岩壁が、動いた。



「なっ!?」

 信じられない光景だった。
 オレの目の前で岩壁が蠢き、本来あるべき形へとその姿を変えていく。
 あっという間に岩壁が大小さまざまな触手に分かれ、オレたちのほうへと向かってきた。

 いや、岩壁だけではない。
 さっきまで地面だったはずの場所まで不自然に盛り上がり、数本の触手が顔を覗かせていた。

「くっ!」

 キアラが『風の刃ウィンド・カッター』で触手たちを切り裂く。
 今までオレに迷宮の攻略を任せていたキアラが、初めて魔術を使った瞬間だった。
 それだけで、どれだけ目の前に迫る触手が異常なものなのか察する。

 だが、無駄だった。
 切っても切っても、触手たちはいくらでも湧いてくる。
 どれだけ焼いても、切っても、潰しても、圧倒的な質量の前では、あまりにもささやかな抵抗だ。

 生物としての本能が警鐘を鳴らしている。
 あの触手に触れたが最後、取り返しのつかないことになると。

 理屈ではなく本能で、近づいてくる触手を切り捨てる。
 『空の刃エアー・カッター』を使い、目の前に迫る触手たちを切って切って切って切りまくる。

「ラルくん! 早くっ!」

 キアラの焦ったような声を聞いて、ようやく己の失敗を理解する。
 ここに来るべきではなかった。
 キアラの直感に従っておくべきだった。

「クソっ! 切っても切っても減りやしねえ!」

 触手たちが減る気配はない。
 むしろ、少しずつだが確かにその数を増している。
 後ろを迫ってくる触手たちに魔術を食らわせながら、オレは洞窟の入り口へと戻った。

「――『岩壁ロックウォール』!」

 細い洞穴へと戻ってくると、『岩壁ロックウォール』の魔術で入り口を塞いだ。
 これで、さっきの触手が通路まで来ても、少しは時間を稼げるはずだ。
 後ろを振り返ることなく、時折『岩壁ロックウォール』で通ってきた道を塞ぎながら、オレとキアラは洞窟の道を引き返していった。



「……来ないね」

 最下層の部屋まで戻ってきても、後ろから触手が迫ってきている気配はなかった。
 念のため、最下層に空いていた穴も『岩壁ロックウォール』の魔術を使って塞いでおく。
 ずっと続いている白く平たい壁には明らかに不釣り合いな茶色い岩だが、今は見た目まで気にする必要はない。

「本当にごめん。キアラの忠告を無視したせいで、危うく死ぬところだった」

「死ぬなんて大げさな……とは、言いきれないか。あれはただの触手じゃないよ」

「ああ。なんだったんだろうな、あれ」

 キアラの言う通り、あれは普通の触手じゃない。
 オレたちが使う、闇属性の初級魔術の『触手』などとは比べ用もないほどの禍々しい気配。
 触ったらどうなるか、わかったものではなかった。
 はっきり言って、もう二度と相対したくない。

「もしかしたら、あの触手が旧世界が滅びた原因なのかもしれないね」

「え?」

「あの触手が埋まっているところが、旧世界の大地だった場所なのかも。私たちは、その上でまた新しい文明を築いているけど、旧世界の遺物はずっと地下で眠り続けてる……とか」

 なるほど、その発想はなかった。
 ということは、

「これは、旧世界の遺物なのか?」

 亜空間から、小さな金属片を取り出す。
 金属片は、白い光を受けてキラキラと輝いている。
 ……オレたちのそんな疑問に、金属片が答えてくれるはずもない。

「……帰ろっか、ラルくん」

 キアラが、オレに向かって手を差し出す。
 うん。そうか。
 そうだよな。
 もう、迷宮の攻略は終わったのだ。

「そうだな。帰ろうか、キアラ」

 今日は疲れた。
 このまま眠りたいほどの疲労度だが、間違っても最下層で寝るほど判断力が鈍っているわけでもない。
 せめて、第二階層の通路ぐらいまでは引き返さなければ。

「……? ラルくん、寝ちゃうの?」

「いや、寝るつもりはなかったんだけど、なんか急に眠くなってきて……」

 残りのスタミナ的にも何ら問題ないと思っていたのだが、安心したせいか瞼が重くなってきた。
 歩かなければと思うのだが、意志に身体が追いついていない。

「寝ててもいいよ。私がおんぶして帰ってあげるから」

「そんなこと、させられるかよ……」

 疲れて女の子に負ぶさられるなんて、格好が悪すぎる。

「いいから。お姉ちゃんに任せなさい」

 誰がお姉ちゃんだ。
 変態幽霊の分際で何を言ってやがる。

「……うん」

 でも、オレの口から出たのはそんな言葉だった。
 ツンデレじゃない。
 断じてツンデレじゃないぞ。
 これはほら、気の迷いというやつだ。うん。

「まったく、素直じゃないんだから……」

 そう言って、キアラがオレを負ぶさった。
 ほのかに香る女の子特有の匂いが、オレの鼻腔をくすぐる。
 温かい体温が、黒いドレス越しにダイレクトに伝わってきた。
 そのすべてが、オレを安心させる。

「……あれ?」

 ふと、デジャヴを覚える。
 キアラの白くて華奢な背中。
 その背中が、誰かの背中と重なって見えた。

 そして思い出す、あるはずのない記憶。

「……なんかさ、今、ちょっとだけ前世のことを思い出したよ」

「え? どんなことを思い出したの?」

「昔……ホントに昔のことなんだけど、ちっちゃい頃のオレが公園かどこかで遊んでて、遊び疲れちゃったのか、誰かにおんぶしてもらってた」

 父親のような感じではない。
 もっと小さい……小さい頃のオレと大して変わらない大きさの背中だった。

 あれは一体誰なのだろう。
 自分の名前すら思い出せないのに、そんなことを考えるのが少し可笑しかった。

 オレの言葉を聞いたキアラは、一瞬だけ驚いた顔をした。
 でも、すぐにその表情を崩して、一言。

「それじゃ、今と大して変わらないよね」

「……うるせぇ」

 否定できない。
 オレの子供じみた返事にも、キアラは笑みを絶やさなかった。
 なんだか、本当に姉と弟みたいになっていてちょっと悲しい。

「おやすみ、ラルくん。また明日」

「……うん。おやすみ、キアラ。また明日」

 だから、最後は素直に答えることにした。
 明日もキアラと会えるのだから、何も不安に思うことはない。

 その言葉を最後に、オレの意識は泥の底に沈んでいった。

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