従妹に懐かれすぎてる件

きり抹茶

五月三日「従兄と従妹の従妹」

 彩音の部屋を出て一階にあるリビングへ移動する。
 静まり返るその場所に人気ひとけは感じられなかったが、視線を下にずらすとソファーにちょこんと座る女の子を発見した。
 高原たかはら美夜みや。彩音の従妹で先月地元の小学校に入学したばかりのピカピカ一年生だ。

 美夜ちゃんはすぐに俺の存在に気付き「わーっ!」と歓声を上げながらこちらに駆けてきた。無邪気な所が可愛いな。

「お兄ちゃんおかえり! 美夜ずっと待ってたんだよ!」
「ただいま。ごめんな、暫く会えなくて」

 かがんで目線を美夜ちゃんに合わせてから、さらさらの髪を撫でる。艶やかな黒髪は彩音とそっくりだ。おまけに漂うローズマリーの香りまで同じである。恐らく彩音と同じシャンプーを使っているのだろう。

「ううん、大丈夫! 大学忙しかったんでしょ? 美夜はもう小学生だからそういうの分かるもん!」
「おお、偉いなー。よしよし」

 甘えん坊の美夜ちゃんに気を遣われる時が来るとは思わなかったが……。きっと背伸びしたい年頃なのだろう。これもまた可愛らしい。

「ねぇねぇ! お兄ちゃんって今、あやねぇとしてるんでしょ?」
「…………え?」

 何ぃぃぃぃぃ!?
 美夜ちゃんよ、いきなり何を言っているんだ。それに『同棲』って……どこで覚えたんだよその言葉。

「うーん、彩音とは一緒に住んでるけど同棲はしてないよ?」
「そうなの? でも梨恵伯母さんが「お兄ちゃんとあやねぇは一歩進んだ関係になった」って言ってたけど……」
「なるほど、あの変態の仕業か。また余計な事を……」

 娘だけでは飽き足らず姪にまで手を出していたのか。
 彩音はもちろんだが美夜ちゃんもあの魔の手に触れさせてはいけない。何としても死守しなくては……。

「でもあやねぇも東京に行っちゃったから結構寂しいんだよねー。……あ! なら美夜もお兄ちゃんの家に住んじゃおっかな!」
「いやいや、美夜ちゃんまで来たら家の中パンクするって」

 ただでさえ狭いワンルームに彩音が居るというのに、これ以上住人が増えたら寝る場所すら無くなってしまう。
 それに六歳の少女を親元から引き離すのは流石にマズいだろう。美夜ちゃんにはもっと両親の愛情を受けて、彩音のように素直で可憐な女の子に成長してもらいたいものである。

「そっかー。お兄ちゃんの家は狭いって言ってたもんね。仕方ないから大人しく身を引いてあげる」
「はは、助かるよ」
「その代わり、今のうちにお兄ちゃん成分をたっぷり吸収しておくね!」
「……っ!?」

 ワガママを言わなくなって偉いと思ったら、美夜ちゃんはそのまま俺の腰元に抱き着いてきた。年齢こそ違いはあるものの、言動がどことなく彩音に似ているな。というか昔からこんなに懐かれてたっけ……?

「むっふふーん。お兄ちゃんの体あったかーい!」
「はは、そりゃどうも」

 返答に困る言い方だな。

 戸惑う俺の心情など知らずに、頭を俺の腹に当てて擦っている美夜ちゃん。だが背後から階段を降りる音が聞こえてきたのと同時に顔を少しだけ引き離した。

「誰かな?」
「彩音だと思うけど。梨恵さんはもう一階に居ると思うし」

 ぺたぺたと鳴らす足音は段々大きくなって、やがて人影を現した。
 部屋の入口から顔を覗かせたのは俺の予想通りの彩音だった。

「ゆうにぃ……。美夜と何してるの?」

 何故か彩音の顔は若干引きつっているように見えた。

「えっとこれは……」
「お兄ちゃん成分を吸収してるんだよ!」

 俺を遮るように美夜ちゃんが元気良く答えた。
 よく言えました。偉いですねー…………じゃなくて!
 人前で何堂々と言ってるんだこの子は!

「お兄ちゃん、成分…………」

 ほら、彩音も困惑してるじゃないか。しかも女の子に抱き着かれてる所を他人に見られるのって凄く恥ずかしいんだな。それが例え家族同然の仲だったとしても……いや、寧ろ親しみがあるからこそ恥ずかしいのかもしれない。

「違うんだ彩音。これは美夜ちゃんが勝手に――」
「私も……したい!」
「…………は?」

 予想とは裏腹に、彩音は何故か目を輝かせていた。普通なら「親戚に手を出すなんて最低っ!」等と言ってドン引きされるのがオチじゃないだろうか。

「私もゆうにぃ成分吸収するぅぅぅ!」
「おい、待てって!」

 彩音はドン引きどころかズカズカとこちらに寄ってきて、ついに俺の背中に抱き着いてしまった。

「むふふ、ゆうにぃの体あったかーい!」
「美夜ちゃんと同じ反応してるぞ」

 因みに俺は前を美夜ちゃん、後ろを彩音にホールドされている。つまり動けない。これこそ正に美少女サンドイッチ…………なんて悠長な事は言ってられないのだが。
 早く離れてもらわないと梨恵さんに見られてしまう恐れがあるのだ。もしそうなれば……世間一般とは別の意味でマズい事になる。

「二人とも離れてくれ」
「やだー! まだお兄ちゃん成分が足りないぃぃ」
「私もまだ足りないなー」

 やはり駄目か。言って聞かせたところで、この二人はそう簡単に動かないだろう。こうなれば強硬手段だ……!

「美夜ちゃん、痛いのが嫌だったら抵抗しないでね」

 彼女の肩に手を乗せて引き離そうと徐々に力を入れていく。しかし美夜ちゃんもそれにあらがうように抱き着くのをやめない。

「ゆうにぃ、美夜にはまだ早すぎるよ! 私ならまだしも……ちょっと大胆すぎだと思うな……」
「お前は何を言ってるんだ」

 早速勘違いをしている彩音は置いといて、まずは目の前の美夜ちゃんをどかそうと力を込める。すると――

「あらあら、さかりだねー」

 間に合わなかった……。
 振り向くと梨恵さんがニンマリとした笑みを浮かべながらこちらを見ていた。

「梨恵さん、誤解です! これは……」
「いいのよ気にしなくて。でもちゃんとけなくちゃダメよ。彩音もまだ高校生だからね」
「な…………! だから違いますってば」

 本当にこの人の発言にはヒヤヒヤさせられるな。遭遇しただけで寿命が一日縮まりそうなくらいだ。

「ねぇゆうにぃ? 付けるって……何のこと?」
「いや、知らないならいいんだ。それで」

 彩音は理解していないみたいだな。なら安心……。彼女の純潔な心は俺が守るのだ。


 それから梨恵さんが立ち去って、更に二十分程が経った頃にようやく俺は解放された。二人は幸せそうに笑っていたが、俺には当然そんな余裕は無く、しばらくの間その場で項垂うなだれていた。


 ◆


「またいつでも遊びに来ていいからね、佑真君」
「はい、できれば正月まで顔を合わせたくありませんが」

 帰り際、玄関で梨恵さんと彩音、そして美夜ちゃんに見送られる。といっても俺の実家はすぐ隣なのでここまで形式ばらなくてもいいと思うのだが。

「明日もいっぱい遊んでね、お兄ちゃん!」
「うん、もちろんだ」
「私も私も! ゆうにぃと一緒に遊ぶもん!」
「お前は子供か」

 でも可愛いから良いと思います。

「ねぇ佑真君、私にだけ態度冷たくないかしら?」
「そうですね。梨恵さんがもう少しまともな事を言うようになったら見方が変わると思いますが」

 俺の母を含め、星月家の大人はどうも気が抜けている人が多い。危機感が無いというか適当というか……自分もその血を引いていると思うと将来が不安になってしまう。

「そっか……。じゃあ私には冷たいままだね」
「止める気はないんですね」
「もちろん。少なくとも彩音が佑真君と結婚するまでは続けるつもりだよ?」
「はぁ……」

 梨恵さんは変態だけど、それは全部彩音の為に努力してる事なんだよな。方向性は明らかに間違っているが、娘への愛情は惜しみなく注いでいるのだから無闇に止めさせる訳にはいかない。

「あ、佑真君。言い忘れる所だったけど、今月の生活費の振り込みはちょっと遅れるかもしれないから。ごめんね」
「…………え?」

 生活費? 振り込み…………? 何それ初耳なんですけど。

「待ってください。そんな話聞いてないんですが……」
「え!? じゃあ彩音の分の食費とかどうしてるの?」
「全部自腹ですが」
「本当に!? 私毎月十万円づつ振り込んでたんだけど……」

 マジか……いやマジか。今まで思わなかったけど、勝手に居候させておいて費用も全部家主が負担というのも考えればおかしな話だ。
 いくら梨恵さんでも最低限の常識は弁えていた事は分かったが、何故その話が俺に届かなかったのか。……まあ、原因は想像できるけど。

「因みに梨恵さん。いつもお金は誰に振り込んでましたか?」
「えっと……佑真君のお母さんの口座だけど」
「分かりました。では俺の口座番号を教えますので次からは直接振り込んでください」

 そういえば実家に帰った時、リビングにあった家電が軒並み買い換えられていたのを思い出した。
 母さんめ……超絶珍しい梨恵さんの誠意を横取りしやがって……。いくら親とはいえ到底許される行為では無いと思う。新年恒例の「お年玉はお母さんが預かっておくわね」とは訳が違うのである。


 別れの挨拶をして、玄関の扉を閉める。同時にやれやれと溜め息が漏れた。

 俺の親族は本当にどうしようもない人ばかりだ。

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