「お前ごときが魔王に勝てると思うな」とガチ勢に勇者パーティを追放されたので、王都で気ままに暮らしたい

kiki

048 交錯

 




 眠れば嫌なことは忘れられる、そう思っていた。
 けれど人は、本当に落ち込んでいるとき、眠りですら安寧を得ることはできない。
 悪意のない・・・・・悪夢が、押し寄せるようにキリルに襲いかかる。

『おめでとう』

 彼女は喜ぶフリをした。
 けれどそんなもの、誰が欲しいと望んだか。
 素行の悪い人間が、ほんの少しの善行を積むと、周囲から高い評価を受ける。
 態度の悪い生徒ほど、先生に可愛がられる。
 人間とはそういう生き物だ。
 期待なんてされない方がいい。
 だって他人よりどんなに優れていても、それに応えられなければ、周囲から向けられるのは冷たい評価だから。

『オリジン様に選ばれるだなんて、すごいねキリルちゃん』

 数年前から、両親に芋の育て方を習っていた。
 畑の一角に専用スペースをもらって、ようやく最近は売り物にできるぐらいの物が出来るようになった。
 楽しかった。
 今日はその取れた作物を使って、お菓子でも作って、両親に振る舞おう。
 二人は笑いながら“おいしい”と言って、キリルの頭を撫でるだろう。
 幸せだった。

『畑のことなんて気にするんじゃない、お前はお前の役目を果たすんだ』

 父が嬉しそうに言った。
 母も頷いていた。
 キリルは二人の期待に応えるため、無理やり笑顔を作って、返事をする。
 あのとき――泣きながら、“本当は嫌だ”と訴えていたら、何か変わっていたのだろうか。

 そんな、悪い夢を見た。
 目を覚ます。
 悪い現実が広がっていた。

 固く冷たい地面に横たわったキリルは、薄っすらと目を開ける。
 周囲は朝だというのに、建物の影の下だからか暗く肌寒い。
 そこは中央区の東側にある、とある店の裏手だった。
 人の目が届かない場所を探して、二人がたどり着いた場所である。
 ぼーっと、眼前に広がる灰色の景色を見つめるキリル。
 必死に餌を求めて這い回る小さな虫を観察して、「羨ましい」とつぶやいた。
 いや、彼には彼なりの苦労があるのだろうが――少なくとも“自分のため”に生きてはいるはずだ。
 しかし彼女には、もうそれができない。
 自分のために行動を起こそうとすると、理性が静止をかけるのだ。
 大事な人を傷つけ、他者の期待を裏切り、逃げ出したくせに、罪も償わずに甘えたことを――と。

「起きてる?」

 ミュートの声が聞こえてきた。
 先に目をさましていた彼女は、地面に座り、壁に背中を預けている。

「……うん、起きてる」

 昨日、彼女と出会ってから、何度も言葉を交わした。
 ミュートは主張する。

『人間、自分だけ。他人、望み、本当を理解、無理』

 そして全ての人の期待に応えることもまた、不可能である。
 だがそれでも――失望の目を向けられることを、キリルは恐れているのだ。

『優しさ、正義、怒り、憎しみ、他、全部……言葉、違う。意味、同じ。全部、自分のため』

 この世界は全ての人々の自己満足で形成されている。
 他者を思いやる気持ちも、突き詰められば偽善だ。
 与える人と、受ける人、その二人のチャンネルが偶然にも一致していたから、“優しさ”として成立するだけ。

『他人のため、生きる。いつか、自分、壊れる』

 そのレールの上に、今のキリルはいる。
 罪の償いも、自分を責め続けることも、いわばただの自己満足だ。
 そんなことをしたって、自分のせいで傷ついた人が癒えるわけじゃない。
 だから、自分の望みを貫け――ミュートはそう説き続ける。

 それでも、キリルが変わることはなかった。
 沈みきった感情に罪悪感のチェーンが巻き付いて、浮上を許さない。

「そろそろ、はじめる。ついてきて」

 そう言ってミュートは立ち上がり、どこかに向かって歩き始めた。
 寝起きのキリルは、腫れた目をこすって、彼女の小さな背中を追いかける。



 ◇◇◇



 何を始めるのか、聞いてもミュートは話さなかった。
 二人とも、相変わらず薄汚れたローブを纏い、フードを深くかぶり、顔を隠しながら歩く。
 東区に差し掛かると裕福な人間が増え始め、その格好が逆に周囲の注目を集めるようになっていた。
 キリルが挙動不審に視線を彷徨わせていると、ミュートは前方から近づく二十代ほどの男性に駆け寄る。

「ミュート?」

 キリルは戸惑い、声をかけるも、ミュートは止まらない。
 そのまま彼の前で足を止め、肩を掴んだ。
 もちろん男性はミュートを睨みつける。
 だが彼女は動じずに、そして――能力を発動させた。

共感シンパシー

 特別、何か目に見える変化があったわけではない。
 しかしキリルはそのとき、男性の目から意思が消えるのと、ぶちゅ、という湿った音を聞いた。
 ミュートは彼から手を離すと、用済みと言わんばかりに何も言わずにまた歩き出す。
 キリルは動かなくなった男性を見ながら、彼女のあとを追った。
 その後も、先にあった公園に入っていったミュートは、人に触れて「シンパシー」とつぶやき、それを繰り返す。

「ねえミュート、何をしてるの?」

 聞いたって彼女は答えない。
 だが、ミュートに触れられた途端に動かなくなる人々を見ていると、ひょっとすると何か恐ろしいことが起きているのではないか、そんな恐怖感が湧き上がってきた。
 もちろんキリルは、彼女が何者かを知らない。
 だからそんな能力・・・・・があることなど、想像すらしなかった。
 知っていたのならもちろん、今のキリルだって止めようとしただろう。
 そこを一通り回ると、入ってきた場所とは別の出口から公園を後にする。
 そして、ギリギリで公園の状況が確認できる位置まで移動すると、ようやくミュートはキリルの方に振り向き、口を開いた。
 そのローブの首元は、なぜか赤黒く湿っている。

「準備、できた。はじめる」
「準備って、どういうこと?」
「共感。意識を繋げる、没個性化する、同一化させる。意識、混濁。自我、喪失。最初からそういうもの、オリジン、注ぐ。私、支配する」
「同一化? オリジン? 支配? ごめん、私にもわかるように――」
「見る。それで、わかる」

 ミュートはそう言って、公園の方を指差した。
 キリルは彼女に言われるがまま、その方向に視線を向ける。
 すると――散歩をしていた男性が、おもむろに自分の拳を咥え始めた。
 もちろん口には入らない。
 それでも強引に、唇の端を切りながら押し込み、そして顔や喉を変形させながら、肘まで飲み込んでいく。

「……え?」

 彼に何が起きたのか、キリルには理解できなかった。
 自分で自分の腕を飲み込み、呼吸困難に陥り、打ち上げられた魚のように苦しそうにもがく。
 しかし腕が引き抜かれることはなく、やがて彼は窒息して動かなくなった。

「死んだ……?」

 人の死。
 非日常。
 それが、何の前触れもなく、目の前で起きている。
 あまりに現実感がないせいか、キリルが取り乱すことはなかった
 だが、心が余裕を持てるのも、今のうちだけである。
 死んだ男の隣にいた女性が、いきなり硬い地面に頭をぶつけだす。
 額が切れて血が流れても、ぐちゃっ、と何かが潰れるような音がしても、彼女は止まらない。
 両腕に力が入らなくなっても、地面に必死で頭を擦り付ける。
 その行為は、彼女が完全に絶命するまで続いた。

「あ……あぁ……」

 そのほど近くを歩いていた男児が、自分の腕の肉をパンのように千切りだす。
 血をだらだらと流しながらも、いたがる様子はない。
 そして握りしめたそれを、自分の口に放り込んだ。
 さらに続けていくつもの肉をむしり取り、頬張っていく。

「な、なにが……なにが、起きて……!」

 男児の母親は、自らの眼球を指でほじくり出し、投げ捨てた。
 さらにぽっかりとあいた空洞に、強引に手を挿入して脳をかき混ぜようとする。

「ミュート……まさかあれ、あなたががやらせてるの……?」
「そう、私、やらせた」

 さすがにキリルでも気づく。
 そしてミュートも即答した。
 ここまで連れてきたのは――彼女が見せたいと言っていたのは――この、狂った光景だったのだ。
 公園のいたるところで、人間が自らの肉体を破壊し、命を落とす。
 果たしてその行為に、一体何の意味があるというのか。

「やりたいこと、やる。他人、関係ない。生きた証、傷跡、残す」
「そ、それはダメ、そんなのはおかしいッ!」

 声を荒らげ、キリルはミュートを睨みつける。
 しかし、彼女の顔はフードで隠れていてよく見えない。

「おかしい、何もない。正しいも、何もない。私は、私。望み、果たす」
「人が死んでるのに!? そんな身勝手なこと許されるはずがないよ!」
「他人の目、関係ない。身勝手、構わない。止める理由、ない」

 確かに彼女はそんなことを言っていた。
 他人のために生きるな、自分の望みを貫けと。
 それでもキリルには、そのために他人を殺すことが正しいとは思えない。

「キリル、止める、望む。なら、私、殺せばいい」
「そ、それは……」
「私、勇者、勝てない。キリル、私、殺せる。私、死ぬ。他人、生きる」

 ミュートの言うとおり、キリルが剣を抜けばいい。
 それだけで、あそこでもがき苦しむ見ず知らずの他人のうちの何人かは生き残るかもしれない。
 勇者ならばそうするべきだ。
 だが――彼女を殺して勇者を気取ったところで、キリルは救われない。
 何も変わらない。
 また期待に押しつぶされて、自分を殺す・・・・・羽目になるだけだ。

「っううぅ……うああぁぁああ……ッ!」

 キリルは呻き、右腕を震わせた。
 その手のひらに剣が握られることはない。
 ミュートを殺さなければ、きっと彼女は人々を見捨てた罪悪感に苛まれるだろう。
 しかしミュートを殺せば、彼女を殺した罪科を背負い、寄る辺を失い、また光も何もない暗闇の中に突き落とされるだろう。
 どちらを選んだって――そこは、地獄だ。
 悩んでいる間にも犠牲者は増えていく。
 断末魔の叫びが聞こえないのが唯一の救いか。
 淡々と、肉が裂け、骨が砕ける音だけが、公園から聞こえてくる。

「殺すなんて……でも、ああ、だけどっ……私はどうしたら……!」

 膝をつき、キリルは嘆く。
 泥沼の中で足掻き、さらに奥へとはまっていく。

「決める、自分。全部、自分のため」
「でもっ、私にはそれが、どうしたらいいのかわからな――」

 キリルは縋るようにミュートの方を見上げる。
 すると、フードで隠れていた顔が、下からだとよく見えるようになっていた。
 ぶじゅっ。
 そこにあるのは、いかにも大人しそうな、ぽーっとした少女の顔――ではない。
 顔をえぐり、削ぎ落とし、そこに何かの肉を詰め込んだかのような、異形の面。
 しかも、それそのものが生きて動いている。
 うぞうぞと、脈打つように、這いずるように、螺旋を描き時計回りに捻れ、血を吐き出す。

「は……」

 息を吐き、それきり何も言葉を発せなくなるキリル。
 いや、声どころか、呼吸すらままならない。
 なぜミュートが――あのときの、最後に見たマリアと同じような姿をしているのか。
 人を操り自殺させる能力と言い、彼女は一体何者なのか。
 彼女たちは一体どのような存在なのか。
 自分は一体、何に巻き込まれているのか。

「あぁ……」

 ようやく声を取り戻す。
 だが、疑問、恐怖、混乱、絶望――赤と黒の吐き気を催すような感情が混ざりあって、頭がまともに働かない。
 一方で異形と化したミュートは、無言のまま肉の渦を脈動させながら、キリルの方をじっと見つめていた。

「うあ、ああ、あぁぁああ……」

 頭の中で、意識が、感情が、一瞬にして膨張する。

「ひ、ひぅ……あっ、あぁああっ……!」

 言わなくてはならないことがある。
 彼女の所行を止めるべきである。
 そんな正義心も存在しないわけではない。
 しかし、圧倒的な恐怖を前に、そのようなちっぽけな義憤は無意味である。
 何を否定しているのか首を横に振り、後ずさり、頭を抱え――

「あ、あああぁぁぁあ、ああぁああああああああああああッ!」

 キリルは感情を爆発させるように叫んだ。

「あ―――」

 そしてその叫声は突如ぷつりと途絶え、彼女は意識を失う。
 崩れ落ち、地面に横たわるキリルを見下ろすうちに、ミュートの顔は元に戻っていった。



 ◇◇◇



 ――誰かの声が聞こえた。
 立ち尽くしていたフラムはぴくりとそれに反応すると、自分で両頬をぺちんと叩いて気を引き締め、走り出す。
 園内には見るも無残な死体がいくつも転がっており、痛ましい亡骸を見るたびに、彼女は胸を痛めた。
 そして公園を抜けた彼女は――地面に倒れる誰かと、その近くに立つ少女の姿を目撃する。
 白い髪に、赤黒い顔が渦巻き、両手で人の形をしたぬいぐるみを抱きしめている。
 フラムは、すぐさま彼女が螺旋の子どもたちスパイラルチルドレンの一人、ミュートであることに気づいた。
 プラーナを脚部に満たし、加速して接近する。
 いつでも魂喰いを抜く用意はできていた。
 遠慮など必要ない。
 教会に裏切られ、破れかぶれになって無差別の虐殺を行うような輩など、例え子供だろうが何だろうが――容赦なく斬り伏せる。
 しかしその途中で、倒れていた少女のフードが風で揺れ、顔の一部が露わになる。

「え……キリルちゃん!?」

 思わずフラムは声をあげた。
 完全に見えたわけではないが、金色の髪にあの顔立ち――倒れているのはおそらく彼女だ。
 行方不明になっていたキリルが、なぜミュートと一緒にいるのか。
 理由はさておき、まずは彼女を救い出さなければ。

「フラム程度、私、負けない」

 肉の渦を蠢かせ、ミュートは臨戦態勢に入る。
 フラムも彼女を睨みつけ、魂喰いを引き抜こうと手のひらに力を込めた。

「おっと、ミュート。それはまずいよ、決戦にはまだ早すぎる」

 すると、前方に突如ネクトが現れる。
 思わず足を止めるフラム。
 ミュートは意外そうに彼の方を見た。

「ネクト、どうして来る?」
「どうしてって、妹分がいつの間にか勇者を連れて、その上に無茶してるのを見かけたら放っておけるわけがないじゃないか」
「……確かに」

 彼女はあっさりと納得する。
 一方でフラムは、少し離れた場所で苦しげに二人を見ていた。

「まさか、ネクトまでいるなんて」

 ミュート一人ならともかく、ネクトまで現れてはフラム一人で相手するのは難しい。
 少年は相変わらずの生意気な顔で、上から目線に話しかけてくる。

「やあお姉さん、シェオルから無事脱出できたようでよかった」
「おかげさまでね。余裕かましてるけど、そっちだってネクロマンシーを潰したせいでキマイラに狙われてるんじゃないの?」
「まあね、あれがきっかけになったことは否めない」

 ネクロマンシーが潰れたことで喜んでいたようだが、それもほんの一瞬の夢だった。
 歓喜して王都に戻った直後に、キマイラに襲撃されたのだから。

「でもサトゥーキはいずれそうするつもりだったんだろうさ、あいつに信仰心なんて無いから」

 そう言いつつも、ネクトの表情は苛立たしげだ。
 彼らにも仲間意識はある。
 フウィスの死に、彼だって少なからずショックを受けているはずなのである。

「心臓まで捧げたのに、結局は信仰心の無いやつらに裏切られて負けるなんて、オリジンも大したことないんじゃない?」

 フラムは挑発のつもりで言い放つ。
 しかしネクトは動じない。
 むしろ「ははっ」と自嘲的に笑い、

「そうかもしれない」

 そして肯定する。
 オリジンに全てを捧げてきたネクトにあるまじき言葉である。
 驚くフラムをよそ目に、彼はさらに饒舌に語った。

「そう意外そうな顔をしないでよ。僕らを裏切り切り捨てたのは、サトゥーキだけじゃない。オリジンだってそうさ。僕らは完全なる捨て駒だ」

 言葉を紡ぐ度に、彼の口元に悲壮感のある笑みが浮かぶ。

「いや、思えば最初からそうだった。礎になるべく生まれてきた。ここまで生きてこれたのは、マザーの優しさがあったからだ。でもそれも終わる」

 本当は終わりたくなどない――本心はそう思っているのだろう。
 だから、微かに声が震える。

「だからこれから、僕らは無差別に王都の人間どもを殺す。区別も差別もせず平等に殺戮して、僕らが生きた証をこの世界に刻むんだ。むしろ清々するね。ようやく、顔も知らないオリジンのためではなく、自分たちのためだけに、望みを果たせるんだからさぁ! あははははっ、はははははは!」

 その笑い声は空っぽで、どこか虚しさを感じさせた。

「あんたたちの都合なんて知らないけど……オリジンに見捨てられたってどういうこと? オリジンのために生きてきたんじゃなかったの?」
「さあ? 僕らにだってわからないよ。ただ結果としてそういうことになった、だから最期に一花咲かせたい」

 詳しく説明をするつもりは無いらしい。
 フラムはまともな応酬を諦め、怒気を孕んだ声で言い放った。

「その手段が人殺しだなんて、他にもっとあるはずじゃない!」
「ははっ、無理だよ。キマイラ同様、僕らは“兵器”だ。そのためにマザーに育てられてきた。兵器にとって最大の幸福って何かわかるかい? 他者の命を奪うことだよ。そのために生まれてきたんなら、それを果たさなきゃ生きてる意味がない!」

 ネクトも負けじと感情的に言い捨てた。
 ネクロマンシーが例外だっただけで、教会のプロジェクトは基本的に戦うための道具を作り出すためのもの。
 それは彼らとて例外ではないし、その自覚だってあった。

「だけどインクは、今だって人として私たちと一緒に真っ当に生きてる!」
「第一世代と一緒にしないで欲しいな。僕らは第二世代、出来が違う」
「そうやってわけわかんない括りに拘って、挙句の果てに他人まで巻き込んで、むしろ第二世代の方が劣化してんじゃない!」
「辛辣だなぁ……でもまあ、最終的に生き残るのが彼女だけだったってことを考えると、お姉さんの言葉もあながち間違ってないのかもね」

 そう言って、また自虐的にネクトは笑う。
 相手をするフラムは、妙な感じを覚えていた。
 以前までの、話しているだけで伝わってくる不快感がないのだ。
 むしろ、今にも壊れてしまいそうな不安がある。
 余裕があるというよりは、全てを諦め、何もかもがどうでもよくなって、笑っているような――

「さて、と。思わず口車に乗って時間稼ぎに付き合ってしまったけど、本当にここで死ぬわけにはいかないんだ。そろそろ他の英雄たちが来そうだから、逃げさせてもらうよ」

 ネクトはどうやら、ライナスかガディオが近づいてくる気配を察知したらしい。
 ミュートが横たわるキリルを抱え起こす。
 そしてネクトは彼女に左手を当てると、右の手のひらを広げた。

「待ってよ、なんでキリルちゃんまで連れていくの!?」
「さあ? それはミュートに聞いてよ。僕個人としては勇者なんてどうでもいい」

 ミュートは何も答えない。
 いつの間にか顔は普通の少女のものに戻っていたが、その表情からは何も読み取れなかった。
 せっかく会えたのに、キリルをここでさらわれるわけにはいかない。
 フラムはリスクを承知の上で、転移しようとするネクトに突撃し、魂食いを抜き振り上げる。
 そして彼らに斬りつけたが――斬撃は空を切った。
 近くに転移したという可能性にすがり、フラムは機敏な動きで周囲を見回す。
 だがもちろん、彼らの姿が見つかることはない。

「……逃げられた。でもどうして、キリルちゃんまで巻き込まれてるんだろ」

 フラムの頭が混乱する。
 少なくとも教会絡みのいざこざに、キリルは関わっていなかったはず。
 フラム離脱後のパーティで何かが起きたのだろうか。
 だとすると、マリアが行方不明になったのも――
 剣を握ったまま立ち尽くす彼女の元に、少し遅れてガディオとライナスがやってきた。

「フラム、大丈夫か!」
「すまねえフラムちゃん、もっと早くに気づいてりゃ射撃で援護できたんだが」

 どうやら、ライナスはネクトたちの存在に気づいたが、矢を射る直前で転移されてしまったらしい。
 フラムは彼らの方に振り向くと、浮かない顔で口を開く。

「キリルちゃんが……ネクトたちにさらわれてしまいました」
「なんでまたそんなことに」
「奴らの狙いは彼女だったということか?」
「いえ、そういうわけでは無さそうなんです。彼らの目的はわかりませんが、でも……これからも人殺しを続けると、そう言っていました」

 風に乗って、公園から血の匂いが流れてくる。
 その惨劇を視界の端に収めながら、フラムは悔しげに歯を食いしばった。

「公園はひでえ有様だったな、やっぱあれも“チルドレン“とやらの仕業ってことか」

 フラムから話は聞いていたが、想像以上の光景に、さすがのライナスもしんどさを感じているようである。
 一方でガディオは公園の方を見て、何度か“スキャン”を発動させていた。

「何やってんだ、ガディオ」
「名前もステータスも同一、か」
「ガディオさん、それって確か……」
「ああ、デインの部下とやりあったときと同じ現象だな」

 インクを救い出そうとするフラムの前に立ちはだかった、二十人ほどの男たち。
 彼らは何者かの手によって全員が同じ名前、同じステータスを持つ存在に作り変えられ、そして自らの意思も失っている様子だった。

「たぶん、あれをやったのがミュートっていう女の子なんだと思います」
「それが二人目か。となると残り一人も、どこかで動いていると見た方がいいな」
「敵は確か三人だったっけか?」
「いや、マザーも含めると四人だ」
「……そうか、女装してるっていう得体の知れないやつがいるんだったな。別れても手が足りねえな、マリアちゃんがいてくれると助かるんだが」

 彼らは誰ひとりとして、ジーンのことを最初から戦力として考えていなかった。
 もっとも、彼がいたところで、仲間内に不和が生じて空気が悪くなるだけだが。

「ひとまず手分けして敵の居場所を探るしかないな」
「私はリーチさんに話を聞いてみようと思います」

 送られてきた手紙のことも含めて、彼ならば何か知っているかもしれない。

「フラムちゃんが東区に残るなら、俺は西区でも探ってみるかな」
「ならば俺が中央区だな」
「あの……公園の死体は、このまま放っておいてもいいんでしょうか」

 もはや生存者は一人もいないが、せめて弔いぐらいはできないか――フラムはそう考える。
 しかしガディオは首を振った。

「じきに兵が到着するだろう、彼らに任せるべきだ。万が一、犯人として疑われでもしたら長時間拘束されることになる」
「そう……ですよね」
「フラムちゃんが落ち込む必要はないって、悪いのは敵なんだから」
「それに、この程度で気に病んでいると、キリが無い・・・・ぞ」
「っ……」

 ガディオの言葉は冷たく聞こえるが、彼とて何も感じていないわけではない。
 おそらくここから先、犠牲者はさらに増える。
 悲しみ足を止めるぐらいなら、一刻も早く螺旋の子どもたちスパイラルチルドレンを止めること。
 それが――今のフラムたちにできることなのだ。
 三人はその場で別れ、それぞれの目的地へと向かった。



 ◇◇◇



 単身、リーチの屋敷へ向かったフラム。
 アポイントメントを取っていないにも関わらず、彼女はすぐに客間に通された。
 そしてお茶が出されるよりも早く、リーチは慌てた様子で姿を現した。
 彼はソファに腰掛けるも、前のめりになりながら問いかける。

「公園で何があったんですか?」

 まるでフラムがそれを知っていることを確信しているようだった。
 リーチは彼女が答えるより先に、矢継ぎはやに次の言葉を発した。

「外に出ていた使用人が一人、帰っていません。おそらくは巻き込まれて命を落としたものと思われます。軍もまだ状況を把握していないようで、兵も戸惑っている様子でした」

 まだ集団自殺が発生してからさほど時間は経っていないはずなのだが――さすがの情報収集能力だ。
 フラムは圧され気味になりつつも、しっかりと疑問に答える。

「チルドレンに関連する人間が、公園にいた人々を操って自殺させたんです」
「な……っ、今まで秘密裏で動いていたはずなのに、なぜ急にそんなことを!?」
「教会から切り捨てられたことで、王都の人たちを無差別に殺そうとしているみたいなんです……」

 まだ目的がそれだけと決まったわけではないが。

「教会がチルドレンを見捨てた? どこでその情報を手に入れたのですか?」
「シェオルから持ち帰った資料の中に、チルドレンの拠点の場所が記してありました。それでガディオさんと一緒にいざその場所に言ってみると、戦闘の形跡と、子供の死体が放置してあったのを見つけて。あの場所を知っていて、なおかつチルドレンを殺せるだけの戦闘力を持った存在は限られています」
「なるほど……キマイラにやられた可能性が高いということですね。しかし妙だ、なぜわざわざ教会は死体を放置したんでしょう」
「えっ? あぁ、言われてみれば」

 幼少期からコアを心臓代わりに育ってきた子供だ。
 キマイラとの直接の関わりは無いにしても、研究で役に立つデータだって取れるはず。

「まるで誰かに見つけて欲しかったようではないですか」
「それって……私たちに、ってことですか?」
「あくまで可能性ですが」

 なぜ教会が、敵対するフラムに対して情報を与えようとするのか。
 そのとき彼女は、ふとあの手紙のことを思い出した。

「そういえば、昨日からうちにこんなものが届くようになったんです」

 ポケットから昨日届いた『あと四日』と記された紙を取り出す。
 そしてリーチの前に差し出した。
 彼はそれを受け取ると、目の前に広げてまじまじと観察する。

「あと四日……」
「今日も『あと三日』と書かれた手紙が届きました。エターナさんに調べてもらったら、普通の人は使わない上質な紙とインクを使ってるって言われたんです」
「ええ確かに、品質は高そうですね」
「大聖堂や王城で使われてたりしませんか?」
「うーん……」

 彼は手紙の角度を変えながら、さらに書かれた文字を凝視した。
 指で紙の感触やざらつきも確かめ、鼻を近づけて匂いまで嗅いでいる。

「確かにこの紙なら、取引はあったと思います。なるほど、フラムさんはこの手紙が、死体同様にキマイラからもたらされた情報ではないか、と考えたわけですね」

 フラムは頷く。

「それが事実なら、キマイラ……いえ、この場合はサトゥーキと考えるべきかもしれません。彼は王都で暴れるチルドレンの処理を、フラムさんたちに押し付けようとしているのかもしれませんね」
「王都で犠牲者が出れば、教会や王国が追い詰められるんじゃないですか?」
「そうなっても、一番痛手を受けるのは今の教皇と国王でしょう」

 そして教皇と国王の力が弱って喜ぶのは、野心を抱くサトゥーキぐらいのものだ。
 要するに彼は、王都の住民の命を、自分がさらなる高みに上り詰めるための踏み台にしてようとしている。
 その思惑に乗るのは嫌だが――自分たち以外にチルドレンを止める者が誰もいないのならば、やるしかない。

「じゃあこのカウントダウンは、チルドレンが三日後に何かを起こす……ということを、私たちに伝えてるんですかね」
「ひょっとすると、そう思わせておいてフラムさんたちを焦らせるためのブラフかもしれませんが」

 どちらにせよ、三日も四日もネクトたちに好き放題させるわけにはいかない。
 このカウントダウンが終わる前に彼らを止める――フラムはそのつもりである。

「ウェルシーもじきに事件を追って動き出すでしょう、情報共有をするように伝えておきます」
「ありがとうございます、助かります」
「いえ……私としても、公園で何が起きたのか一足先に知れましたので」

 そう言って、リーチは少し寂しげな顔をした。
 使用人とはいえ、一緒に暮らしてきた人間だ、本当はもっと感情を表に出して悲しみたいのだろう。
 フラムは彼の気持ちを察して、早々にリーチの屋敷を後にした。
 門から外に出ると、空を仰いで「ふぅ」と大きく息を吐く。
 残り三日のカウントダウン。
 王都での虐殺を目論むチルドレン。
 そんな彼らとフラムたちを戦わせようとするキマイラの思惑。
 行方不明のマリアに、ネクトとミュートにさらわれたキリル。
 考えるべきことが多すぎて、頭がまとまらない。
 足を止めて考え込んでいても、それは同じこと。
 行く先は思いつかなかったが――とりあえずフラムは、何でもいいから手がかりをつかもうと、その場から歩きだした。



 ◇◇◇



 一方そのころ、ガディオは中央区の大通りを移動していた。
 王都で最も多くの人間が往来するこの場所――チルドレンの狙いが虐殺というのなら、最も効率の良い場所である。
 感覚を研ぎ澄まし、一般人とは異なる、殺気を放つ人間を探す。
 ただでさえ圧迫感のある顔をしているのに、さらに鋭い目つきをした彼には、誰も近づきたがらない。
 自然と人混みに微妙なスペースが空き、おかげで歩きやすくなっていた。
 しかし、これだけの人間がいると、その中から目的の人物を探し出すのは困難を極める。
 北側から王都南門に向かって進み、大通りのちょうど中央に差し掛かった頃――

「きゃあああぁぁぁあっ!」

 前方から、女性の叫び声が聞こえた。
 人々の視線が一斉にそちらを向く。
 ――馬車が暴走している。
 いわゆるキャラバンと言われる大型で金属製の荷車が、なぜか引いている馬も無しに猛スピードで人々を轢き殺しているのだ。
 車輪に巻き込まれた人間の体の一部が吹き飛び、血しぶきがあがる。
 大通りは混乱に包まれた。
 巻き込まれないように、と馬車から必死で遠ざかる人々。
 ガディオにも雑踏の波が押し寄せてくる。

「離れろォッ!」

 ガディオは気迫の篭った声でそう言い放つ。
 すると蜘蛛の子を散らすように、彼の周辺から人が離れた。
 その隙に軽く助走を付け、地面を蹴り、荷車に飛び乗る。
 ガギィッ!
 背負った大剣を抜き、高速で回転すると車輪に突き刺す。
 金属製の車輪は丈夫だが、ガディオの一撃に耐えられるほどではない。
 ひしゃげ、破壊され、地面に転がる。

 残る車輪は三つ、しかし一個でも壊せば荷車はバランスを崩し減速するはずである。
 だが不思議なことに、車輪の回転は止まらない。
 何か見えない動力でも備えているかのように、石の地面をガリガリと削りながら強引に走行を続ける。
 すぐさまガディオは、残り三つの車輪にも剣を振り下ろした。
 するとようやく止まったものの――通ってきた進路上には、大量の血が流れ、何十人もの罪のない人々が倒れている。
 騒ぎは以前収まらず、阿鼻叫喚の光景を少し高い場所から眺め、犯人を探すガディオ。
 だが、すぐさままた別の場所から叫び声が聞こえてくる。
 王都の大動脈ともなると、通りがかる馬車も一台や二台ではない。
 今度は小型の荷車が複数台暴走を始め、人々に襲いかかった。
 そのときガディオは、路地に入っていくローブを纏い、深くフードを被った少年を目撃する。

「あいつが――」

 おそらくは螺旋の子どもたちスパイラルチルドレンの最後の一人、ルーク。
 追いたい気持ちはあったが、これ以上死者を増やさないためにも、まず馬車を止めなければならない。
 彼は舌打ちをすると、荷車の上から高く飛び――暴走する荷車に向かって、大剣を振るいプラーナの刃を複数射出した。
 そして、着地。
 すぐさま路地に入り追いかけようとしたが……窮地を救ったのが英雄ガディオだということに気づくと、民衆は湧いて、彼の回りを囲んだ。
 道は塞がれ、身動きが取れなくなる。

「……クソッ」

 悔しさをにじませるガディオの言葉は、喧騒にかき消され、誰の耳にも届くことはなかった。





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