「お前ごときが魔王に勝てると思うな」とガチ勢に勇者パーティを追放されたので、王都で気ままに暮らしたい

kiki

049 幼体

 




 ライナスは、螺旋の子どもたちスパイラルチルドレンを探して西区を彷徨う。
 しかしその頭の中には、常にマリアの存在があった。
 どちらが“ついで”なのかわからないほど、強く彼女が見つかることを願っていたのである。
 そして貧民街の近く、西区でも特に人通りが少ない通りを歩いていると――彼はすぐ横の家屋から、血の匂いがすることに気づいた。
 みたところ空き家で、長い間使われていないようだ。
 しかし、漂ってくる匂いは新しい。
 玄関に手を伸ばす。
 鍵はかかっていなかった。
 立て付けの悪いドアを力づくで開け、埃の舞う屋内に一歩踏み出す。
 ギシ、と床板が不気味に鳴った。
 中は昼間だというのに暗く、目を凝らさなければ家具にぶつかってしまいそうだ。
 そこでライナスは立ち止まり、耳を澄ました。
 カサ……微かに、布ずれのような音が聞こえる。
 人の気配もあるし、やはり誰かがここに潜んでいるようだ。
 キリルか、マリアか、はたまた浮浪者か。
 治安の悪い地区だ、空き家を住処にしている人間である可能性も十分に考えられる。
 過度の期待はせずに、腰から短剣を抜き、いつ襲われてもいいように備える。
 中はそう広くない。
 廊下を進み、突き当りの部屋の前で足を止めた。
 扉に手を当て、一拍間を置いて、ナイフを握り直し、ゆっくりと押し開く。
 部屋の中は廊下以上に暗い。
 しかしその隅に誰かが座り込んでいるのは、ライナスの目にもはっきりと見えた。
 ボロ布をローブ代わりに纏い、膝を抱えるその金髪の女・・・・は――彼の探し人によく似ている。

「マリアちゃん、なのか?」
「……」

 返事は無い。
 しかし、声に応じるように、ぶちゅっという音がして、顔から垂れた赤い液体が床に広がった。

「お、おい、怪我してるんじゃっ」

 心配して駆け寄ろうとするライナス。

「来ないでくださいっ!」

 だが彼女は、明確にそれを拒絶した。
 もっとも、声をあげたせいで、ライナスは彼女がマリアであることに気づいてしまったわけだが。
 どれだけ拒まれようとも、想い人だと気づいた以上は止まれない。
 ライナスは彼女に近づくと、しゃがみこんで、膝を抱えるその腕に触れた。

「来ないで、ください……」
「そのぐらいで諦めるようだったら、最初からマリアちゃんには惚れてないって」

 優しい声がマリアの胸に染みていく。
 いつだってライナスはそうだった。
 閉ざしていた扉をこじ開けたりはせず、甘い言葉で内側から開かせようとする。

「……卑怯、です」
「何がだ?」
「ライナスさんは、いつも……わたくしの弱いところばかりを突いてくるから、卑怯だと言っているんです。どうせ、そうやって、他の女性も口説いているのでしょう?」
「出会ってからはマリアちゃん一筋だよ」

 嘘はない、だからライナスは胸を張って言い切る。
 それでも、マリアにはわかっているのだ。
 きっと今の自分の姿を見たら、彼は幻滅してしまうだろう、ということに。

「とりあえず顔を見せてくれないかな、この出血量だとかなりの怪我なんだろ?」

 ライナスは、彼女が顔に傷を負っているから見せたがらないのだろう――そう思いこんでいる。
 しかし一方で、なぜ自分に回復魔法を使わないのか、という疑問も抱いていた。

「違います、怪我ではないのです」
「この血の量でそんなわけが……」
「いいえ……本当に、これは、そういうもの・・・・・・なのですよ、ライナスさん」

 そう言って、マリアは顔をあげた。
 そしてライナスの目の前に現れたのは、渦を巻く肉の面。
 全体が脈動し、血でぬらりと光り、顎からは雫を滴らせている。

「どうです、醜いでしょう?」

 言葉を発するたびに渦は細かく震え、さらに多量の血液を分泌させた。

「こんなわたくしでも、あなたは好きだと言ってくださいますか?」

 声が震えている。
 オリジンに身を捧げ、全てを諦めた彼女でも――ライナスを前にすると、年相応の自分が出てきてしまう。
 恋とはそういうものである、抑え込もうとしてどうにかなるものではない。
 だからこそ、絶望する。
 マリアは、ライナスの気持ちが離れたことを確認したら、別れを告げてこの場を離れようと思っていた。
 そして今度こそ、人としての自分を完全に捨てて、オリジンの使徒としての役目を果たそうと。
 しかし彼は、彼女の期待通りには動かない。
 何も言わずに――その顔に手を伸ばし、頬があった場所に触れた。
 ぬちゃりと、粘り気のある血液がライナスの手を汚す。

「……え?」

 呆然とするマリア。
 ライナスは申し訳なさそうに言った。

「あー……勝手に触ってごめんな。やっぱりこれ、痛いのか?」

 彼が何を言っているのかわからない。
 なぜ恐れない、なぜ罵倒しない。
 なぜこんな、化物じみた姿を前にして――

「いやほら、血が出てるし、剥き出しだろ?」

 ――いつもと同じ調子で、話しかけることができる。

「あ、あの、どうして……っ」
「何が“どうして”なんだ?」
「やめてください、触ったら……ライナスさんの手が汚れてしまいます」
「ははっ、なんだそりゃ。汚れようがなんだろうが、マリアちゃんに触れるより大事なことがあるとでも?」

 彼は笑う。
 予想を裏切って、超越して、何もかも捨てようと思っていたマリアの決意を打ち壊す。

「残念だったな、俺はこの程度じゃマリアちゃんのことを嫌いにはならない」
「……どうか、してます」
「かもな、どうかするぐらい好きになっちまったらしい。でもそうしたのはマリアちゃんだ、俺だけの責任にされたって困る」

 もちろんライナスだって、元の顔の方がいいに決まっている。
 外見だけでもなく、中身だけでもなく、そのどちらにも惚れたのだから。
 しかし、だからこそ、片方が失われたからといって気持ちが離れることもない。

「ですが……どうすると言うのです? もう自分の意思では元に戻すことはできません。こんなわたくしを好きになったところで……」
「人の目が気になるってことか。じゃあ、事が落ち着いたら、他人のいない田舎でも探して暮らすかな」
「な……そんなことしたって……ライナスさんは自分の地位も名誉も捨てることになるんですよ!?」
「だからなんだよ。金なら、これまでの蓄えで一生食っていける。あとは畑でも耕して、たまに狩りでもして、平和に生きてくってのはどうだ? マリアちゃんには退屈すぎるかな」

 嘘でも理想でもなく、ライナスには本気でそれを実行する覚悟があった。
 なんなら計画だってすでに頭のなかで立て始めている。
 まずはマリアを王都の隠れ家で保護する。
 そしてチルドレンとの戦いを終えたら二人で王都を出て、戦いのない辺境に身を隠すのだ。
 田舎での不便な生活は慣れるまでは大変だろうが、彼女と一緒ならきっと苦労だって楽しめる――そう信じて疑わない。

「いえ……いえ、決して、そのようなことは。ですが……あぁ、こんな、こんな夢のようなことが……っ」
「夢、か。マリアちゃんにそこまで言われるとは嬉しいな、男冥利に尽きる。じゃあ両思いってことで、これで決まりだな。大丈夫だよ、きっと幸せな毎日になるはずだ」

 マリアもマリアで、この体で子供を産めるのだろうか、などと浮ついたことを考えはじめていた。
 だめだ。
 こんなものは、だめだ。
 希望に――毒されている。

「しかし、すげー困ったことが一つだけある」
「どうしたのですか?」

 ライナスは頭を掻いて、苦笑いしながら言った。

「この場合、どこにキスしたらいいんだ?」
「……そ、それは……わたくしにも、わかりませんわ」

 普通の顔をしていたら、マリアの顔は熟れた果実のように真っ赤になっていたに違いない。
 しかし見えずとも言葉だけでそれが伝わってきたのか、ライナスは微笑ましい気持ちになった。
 顔なんて無くても、感情はわかるのだ。
 結局、彼は悩んだ挙句にマリアの手を取ると――その甲に、誓いを込めてキスをした。

「それじゃあいきましょうか、お姫様」

 歯の浮くような台詞に、マリアの胸は高鳴り、くらりと目眩を覚えるほど“好き”の感情が膨らんでゆく。
 そして彼の手を取り、泡沫の夢に身を委ねた。



 ◇◇◇



 リーチの家を出たフラムは、東区を一通り回ったあと、中央区へと向かった。
 東区は朝からあのような事件があったからか、ほとんど誰も出歩いていない。
 一度ネクトやミュートとも遭遇しているし、ここに彼らがいる可能性は低いと考えたのだ。

「なんだか全体的に、妙に騒がしいような気がする……」

 大通りで馬車が暴走した事件のことを、まだフラムは知らない。
 通り過ぎる人々がみなどこか慌てた様子であることに、何となく気づいただけある。
 そしてそのまま進み、教会の前までたどり着く。

「セーラちゃんは無事なのかなぁ」

 フラムは立ち止まり、セーラの生まれ育った場所を見て、ふいに彼女のことを思い出した。
 ネイガスとともに行動していると言うが、果たして本当にあの魔族は信頼できる相手なのか。
 初めてセーラを見たときにやけに気に入っていたようだし、王都に残すよりはよほど安全だとは思われるが。

「こっちは他の場所と違って、やけに静かだなー……」

 考えごとをしながら教会を眺めていると、フラムはその異変に気づく。
 大聖堂ほどではないものの、中央区の教会はかなり規模が大きい。
 だというのに、その敷地内から人の気配がほとんどしないのだ。

「出払ってるのかな、それとも中で何かあったとか?」

 出払っているのなら、王都で負傷者が大量に出たということ。
 どちらにしても、何かが起きていることに間違いはない。
 周囲の気配を探りながら、礼拝堂に向かおうとすると――背後から誰かが駆け寄ってくる足音が聞こえた。

「はぁ、はぁ、はぁ……ふぅ。やっと顔を知ってる人に会えたわ。確か、フラムさんだったっけ?」

 金色の髪の男性が、馴れ馴れしく話しかけてくる。

「そっちはスロウさん、でしたっけ?」
「さんとか良いって、俺の方はフラムさんがギルドのお得意さんだから付けてるだけだから」
「じゃあ、スロウで。ところでいきなり走ってきてどうしたの?」
「それがさあ、聞いてくれよー」

 彼は不機嫌そうに、大通りで起きた出来事の顛末をフラムに語った。
 いきなり馬車が暴走して、多数の死傷者が出たこと。
 その状況を救ったのがガディオだったこと。
 そして、逃げ惑う人々が巻き起こした混乱に巻き込まれてもみくちゃにされたこと――
 どうやらそこから逃げ出して、ようやく教会までたどり着いたらしい。

「馬車の暴走……もしかしたら、ルークがやったのかも」

 残る最後の螺旋の子どもたちスパイラルチルドレンであるルークは、ちょうどスロウと似たような金色の髪をした、生意気そうな少年だった。
 一体どのような能力を使い、馬車を暴走させたのか。
 それさえ分かれば対処も楽になるのだが、スロウはそこまで詳しく見ていないようだ。

「犯人を知ってるんだ? さっすが英雄」
「そういう言い方やめてよ、心当たりがあるってだけだから。じゃあさ、この教会に誰もいないのって、もしかしてみんな負傷者の治療に向かったからってこと?」
「たぶんそうじゃないかな、修道女たちが駆け回ってるのを見かけたからさ。しっかし、これじゃイーラさんから頼まれたおつかいは無理だな……はぁ」

 スロウは手に握りしめたくしゃくしゃのメモを広げ、内容を見ながらため息をついた。
 フラムにもその気持ちはよくわかる。
 彼女は怒らせると面倒なタイプだ、怒りが収まったあとも長時間ネチネチと攻めてくるのである。

「今は非常時だからって言えば許してくれるんじゃない?」
「でも間違いなく不機嫌になる」
「うわ、ありそう……じゃあ私がギルドまで付いていこっか?」
「マジで? それは本気で助かる」

 騒動はガディオが収めたようだし、混乱の続く中央区では情報収集も難しい。
 フラムはスロウを送るついでに、調査の場所を西区へ移そうとしていた。
 話がまとまったところで、二人は教会の前を離れ、並んで歩き始める。
 その直後――

「危ないっ!」
「うわあっ!?」

 フラムは背後から迫る殺気を感じ、咄嗟にスロウを突き飛ばした。
 ヒュオッ!
 見えない何かが、高速回転しながら彼のいた場所を通り過ぎていく。

「スロウ、巻き込まれるかもしれないから離れてて!」
「え、えっ? 何が起きてんの!?」
「いいから早くっ!」

 状況を理解していないスロウは、地面に座り込んだままきょとんとしている。
 その間にもルークは拳を構え、それを前に突き出すと同時に――次の弾丸・・を放った。

大気よ回れロタジオン

 フラムは射線に割り込み、異空間より引き抜いた漆黒の刃でそれを受け止める。

「っぐ……!」

 ガギィッ、ガガガガガガッ!
 刀身を削り取るように空気が回転し、フラムの腕を押し返す。
 最初に戦った異形のオーガと、それはよく似た力だった。
 いや――というより同一なのではないだろうか。
 オリジンより授かったルークの能力は、おそらく“回転”。
 大通りで馬車に人を轢かせたのも、今朝に見つかった捻れた死体の犯人も、彼なのだろう。
 馬車に関しては、荷車の車輪を高速で回転させることで荷車を暴走させたと考えられる。
 しばし耐えると、弾丸は自然消滅した。
 その隙に、スロウは最寄りの建物――教会に向かって走っていく。

「な、なんなんだよ、あの気持ち悪い顔のやつっ!」

 逃げながらも、スキャンでルークのステータスを確認する。



--------------------

 ルーク・フーループ

 属性:土

 筋力:3298
 魔力:3792
 体力:3512
 敏捷:3148
 感覚:4215

--------------------



 彼らがしきりに“第一世代とは違う”と主張する理由の一つとして、このステータスがあった。
 最初の被験者であるインクは、オリジンコアとの適合がうまく進まずに、肉体的にはただの人間と同じような状態だったのだ。
 しかし第二世代は、コアの恩恵を身体能力の面でも受けている。
 その結果、Sランク冒険者並の肉体を手に入れることができたのだ。
 もっとも、彼らは戦闘訓練はほとんど受けていないため、武術や魔法の扱いは身につけていないのだが。
 だがそれを踏まえても、余りある能力の高さだった。

 その数値を見たスロウの顔が青ざめる。
 冒険者ではないが、彼も魔法の扱いに多少の自信があった。
 だから少しでも援護できれば――と思っていたのだが。

「え、Sランク並……無理じゃん、逃げよ」

 ステータスを見た瞬間に心が折れてしまった。
 スロウは前だけを見て、全力疾走で教会を目指す。

「チッ、邪魔しやがって」

 ルークはフラムを睨みつけて悪態をつく。
 八歳とは思えない荒みっぷりである。

「なんでスロウを狙ったの!?」
「んなこたどうだっていいだろ、どうせ死ぬんだ――回れロタジオン

 話が通じない、しかし否定もしない。
 やはり狙われていたのはスロウなのだろう。
 フラムは剣を構え、放たれる弾丸に備える。
 だがルークが回転させたのは指先ではなく、足元・・だった。
 ガリガリガリッ――循環する空気が地面を削り、車輪の要領で高速移動を可能にする。

「早いっ!?」

 想定以上のスピードでフラムに迫るルーク。
 接近すると同時に両腕に削岩機のように回転する空気を纏い、それを右の拳とともに突き出す。
 ガギンッ!
 フラムも魂喰いで反撃するも、まるで強固な鉱石を叩いたときのように手がしびれる。
 そして回転によって弾かれたところで、左フックが彼女の脇腹を強襲した。

「あ、があぁ……っ!」

 グチャァッ、と削り吹き飛ぶフラムの横腹。
 左腕の螺旋が血を巻き上げ赤に染まる。
 さらに続けて顔面へ右ストレート、それはフラムの振るった剣とぶつかり合う。
 そして次はまたもや左拳――だがワンパターンだ、さすがにこれは読まれている。
 フラムが体をひねり大剣を手放す。
 ルークの攻撃は、胸元をかすめて服を破るに留まった。

「くそッ、外した――!?」
「攻めが単調だってのッ!」

 仕返しと言わんばかりに、フラムの右拳がルークの頬に突き刺さる。
 少年はのけぞり後退する。
 密着状態を脱却すると、そこは大剣の間合いである。
 フラムはパンチのフォロースルー、その勢いを利用して一回転し、黒の金属塊をルークの頭部目掛けて振り下ろした。
 よろめく彼は、身体能力だけではそれを回避できない。

回転しろロタジオンッ」

 焦りながらも能力を行使、足裏の空気を高速回転させ事なきを得た。
 しかしフラムの攻勢はまだ続く。

「逃がさない!」

 素早く十字に剣を切り結び、プラーナの刃を射出する。
 それはフラムから離れようとするルークの背中に迫り――直前で、彼は大きく跳躍した。
 ステータスの高さを加味しても、異常な高度である。
 回転する空気が彼を空高くまで押し上げたのは明白であった。
 フラムはすぐに飛んだ彼を見上げて剣を構える。
 一方で、高さでの利を得たルークは、苛立ちからか歯を食いしばり、犬歯をむき出しにして彼女を睨みつけた。
 そして拳を握りしめ、地表に向かって、連続で腕に纏った螺旋の力を打ち出す。
 ズガガガガガッ!
 それは雨のように降り注ぎ、整備された地面を破壊し石礫を巻き上げた。

「高いところからちまちまと、神様の力のくせにやることがせこいっつーの!」

 フラムは走り回って避けるが、絶え間なく放たれる空気の弾丸に反撃の手が見つからない。
 そこで彼女の頭にふと、ある考えが浮かんだ。
 相手が“回転”だというのなら――そもそも逃げ回る必要すら無いのではないか、と。
 あれはオリジンがもたらす力。
 時計回りの回転は、その向きだからこそ初めて破壊力を発揮する。
 ならば反転させてやれば、逆回転を始め、正ではなく負のエネルギーを発し、消えて無くなるはずであった。
 あえて足を止めたフラムは、自分に向かって飛来する不可視の力に合わせて剣を振り――

反転しろリヴァーサルっ!」

 反転の魔法を行使した。
 するとあれほどの威力を発揮していたルークの力は、いともたやすく霧散する。

「……何だと?」

 彼は唖然としながらも、懲りずに再び拳を突き出す。
 ゴオオォオッ!
 空を切りながら迫る、先ほどよりもさらに多くの力が込められた一撃は、

かき消すリヴァーサルっ」

 今度はフラムの素手にかき消された。
 要するに――物を回転させるルークの能力と、それを反転させるフラムの能力は、相性が最悪なのである。
 ルークが五の力で放った攻撃を、フラムは一の力で打ち消せる。
 つまりどんなに彼のステータスが高かろうと、その“回転”の能力に頼り切った戦いをする限り、フラムを打ち倒すには力不足なのだ。
 それでも、フラムにはプラーナを飛ばす以外にこの高度に達する手段はないはず――ルークはそう高をくくっていた。
 しかしそんな最後の希望すら、彼女はたやすく打ち砕く。
 重力を反転させ、地面を蹴り跳躍。
 刃を寝かせ、剣を腰より低く構えた体勢で、瞬く間に空中に浮遊するルークまで肉薄する。

「馬鹿な、飛んだだと!?」

 慌てて螺旋を撃ち出そうとするも、すでに時遅し。

「はああぁぁぁぁあッ!」

 首を刈りとるつもりで振り上げられる魂喰い。
 それを空気の回転で弾き飛ばそうと、ルークは右手を前に突き出す。
 ザシュッ!
 しかし反転の魔力を宿した刃は、纏う力など無視してその腕を切り飛ばした。

「が、ぁああぁぁっ!」

 肘から先が喪失し、焼けるような感覚がルークの脳になだれ込む。
 傷口はすぐさま捻れ、出血も収まったが、激しい痛みによる目眩がまだ収まらない。
 重力反転を解除したフラムは落下しながら、体をひねって気剣斬プラーナシェーカーを放つ。
 ルークは傷口に気を取られたせいか、対応が遅れてしまう。
 直前で体を傾け回避を試みるも、ギリギリで逃げ切れなかった肩の表面と耳が吹き飛んだ。

「っぐうぅ……!」

 ルークは空中でふらふらと左右に揺れると、その高度を落としていく。
 負傷により能力の制御が乱れたようだ。
 無事着地したフラムは、落ちてくる少年を狙って走り出す。
 それを見るなり、ルークはあえて能力を解除し落下速度を早め、勝負を放棄して逃走を試みる。
 しかし――フラムの剣が彼を強襲する方が、明らかに早い。
 踏み込み、少年の命を奪わんと、柄を握るフラムの両手に力が篭もる。
 ルークは致命傷を覚悟し、ポケットに手を突っ込んで、マザーに持たされたそれ・・を使うことを決意する。
 だが――

「うっ、うわああぁぁあああああッ!」

 勝負が決着するその瞬間、教会内部からスロウらしき男性の叫び声が響いた。
 集中するフラムは構わずに剣を振る。
 しかし無意識下で影響を与えていたのか、踏み込みが浅い。
 その一刀は左上に深い傷を刻んだが、首は落とせなかった。
 フラムはさらに追撃をかけるような仕草を見せる。

「いいのかよ、あの坊っちゃんが第三世代・・・・に喰われちまうぞ?」

 ルークはニィ、と笑ってそう言った。
 第三世代――それはルークたち螺旋の子どもたちスパイラルチルドレンの次の世代を指す言葉だ。
 はったりである可能性も考えられる、しかしスロウに危機が迫っているのもまた事実である。
 フラムが逡巡しているうちに、ルークは回転による高速移動で瞬く間に遠ざかっていった。
 追いかけられないことは無いが、スロウを見捨てることになってしまう。

「ああもう、また目の前で逃げられたっ!」

 フラムは悔しげに地団駄を踏むと、教会内部へと向かった。



 ◇◇◇



 ――時間は少し遡る。
 無事に礼拝堂に逃げ込めたスロウは、一番奥の長椅子に座って、背もたれに体を預けていた。
 神聖な場所とはいえ、誰もいない教会というのは中々に不気味なものである。
 先ほどの、顔が内臓のようになった化物――ルークをみたせい、というのもあるのかもしれない。
 スロウは天井や祭壇、オリジン像をぼーっと眺めていたが、その目がこちらを向いているような気がして、息を吐きながら目を閉じた。
 外からはフラムとルークのやりあう音が聞こえてくる。

「フラムさん、大丈夫かな……」

 年下の少女に守られるとは、男として情けないことこの上ない。
 独学で鍛えた風属性魔法がついに活躍するときが来たと思ったのだが、現実はそう甘くないものである。

「しかしあいつ……俺のこと狙ってたよなあ、なんで俺なんだ? 一般人のおふくろから産まれて、育てられた、何の変哲もないギルドの事務員だってのに」

 思い当たる節は一切ない。
 彼の人生において、特別なことなど、せいぜい父親の顔を知らない、ということだけである。
 あとはほどほどに――そう、ひたすらに、何の変哲もなく普通に生きてきた。
 そしてこれからも、それなりの収入があって、普通に暮らしていければそれで十分なのだ。

 激しい戦闘音は途切れることなく続いている。
 目を閉じると、感覚が視覚の分が他に割り当てられるのか、かなり鮮明に聞き取ることができた。
 すると、外からではなく、内側――教会の奥から、別の音が混ざっていることに気づく。

「……ふふっ……ぇ……かわ……ぁ……」

 スロウは体を起こし、礼拝堂から奥に続くドアを見つめた。

「誰かいるのか?」

 修道女が残っているのだとすれば、なぜ外の様子を見に来ないのか。
 あれだけの戦闘が繰り広げられていれば、異変に気づくはずなのだが。
 ドアに近づいたスロウは、緊張しながらノブに手を伸ばした。
 ここから先は、一般人は入れない領域なのだ。
 店で言うところの、従業員専用と書かれた扉の先なのである。
 しかし今は緊急時、きっと無断で入っても誰も起こらないはずだ。

「おじゃましまーす」

 それでもスロウは小声でそう言うと、恐る恐る、足音を殺しながら進んでいく。

「いい子……私……よぉ。んふふ……ふふ……」
「笑い声、か?」

 普通に女性が笑っているだけなのだが、状況が状況なだけに、輪をかけて不気味である。
 体をぶるっと震わせたスロウは、さらに声のする部屋に近づき、ドアに耳を当てた。

「私の子供……私だけの……かわいいわぁ、どうしてこんなにかわいいのかしらぁ……」

 どうやら部屋の中にいるのは、赤ん坊を愛でる母親のようだ。
 なるほど、生後間もない子供がいるというのなら、教会に残っていてもおかしくはない。
 声の正体が判明しほっとしたスロウは、その場から離れて礼拝堂に戻っていく。

「あら……どう……の? ママと……いん……か?」

 ズゥン、ズゥン。
 スロウが廊下を歩いていると、巨大な何かが動くように、床板が震えた。

「……めよ、まだ……あら、そう……あな……ら、殺……たないわね」

 ドスン、ドスン、ドスン。
 その音は少しずつこちらに近づていくる。
 そして、一旦止まったかと思うと――ドゴォッ! と先ほどまで耳を当てていたドアを、内側から吹き飛ばした。
 木製のそれはとてつもない力で向かいの壁に叩き付けられ、粉々に砕け散る。
 激しい音にびくっと体を震わせたスロウが振り返ると、そこには――

「アアアアァァァァァァァァ――」

 部屋から顔だけを出した、赤ん坊の顔があった。
 ただしその大きさは、顔の幅だけで一メートルを越すほどである。
 半開きの口からは野太い声が発せられ、透明の粘液が大量にこぼれ落ちる。

「う……うあ、あ……っ」

 ぎょろりとした眼が、何の力も持たず、何も知らない、一般市民であるスロウを凝視する。

「うっ、うわああぁぁあああああッ!」

 その恐怖に彼が耐えられるはずもなく――スロウは腰を抜かしへたり込むと、喉が潰れるほどの絶叫を響かせた。





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