「お前ごときが魔王に勝てると思うな」とガチ勢に勇者パーティを追放されたので、王都で気ままに暮らしたい

kiki

108 それでも夢を追い続けるあなたが

 




 緑が茂る草原の中、抱き合うセーラとネイガスをフラムたちは発見した。

「いきなり暴走とは、世話のかかる女だ」

 ジーンは眼鏡をくいっと上げながらため息をつく。

「セーラがそんだけ大事な相手だったってことだろ」
「助かったんだから結果オーライでいいんじゃない?」
「貴様らは甘すぎるんだ! もう一週間と少ししか時間が残っていないことを忘れるなよ」

 それだけあれば、とフラムはさほど焦ってはいなかった。
 ある程度近づくと、セーラとネイガスも彼女たちの存在に気づく。

「フラムおねーさんっ!」

 セーラはフラムの姿を見るなり、駆け寄りその手を握った。

「また会えて嬉しいっす!」

 ぶんぶんと手を上下に振るセーラを見て、ネイガスは「やっぱりかわいいわぁ……」とうっとりしている。
 フラムも頬をほころばせ、再会を喜んだ。

「セーラちゃんが無事で本当によかった」
「ネイガスのおかげっす! えっと……ミルキットおねーさんは一緒じゃないんすか?」
「ミルキットは……」

 唇を噛むフラム。
 セーラも察し、気まずそうに俯く。

「王都の近くにある遺跡に逃げ込んでたんだけど、私が外に連れ出された隙に、その遺跡ごと潰されて……」
「そんな……」

 再会に水を差すつもりはなかったが、ミルキットの話題が出るとどうしても平常心ではいられない。
 セーラも落ち込み拳を握っていた。
 そんな彼女の背後からツァイオンが近づき、肩に手を置く。

「よう、フラムばっかじゃなくてオレが無事なのも喜んでくれよ」
「……あ、ツァイオンさん。ご無事で何よりっす!」
「フラムのおかげでな。ところでセーラ、そっちのやつとは面識があるのか?」

 そう言って、ツァイオンは顎でジーンの方を指した。
 セーラは彼を見ると、きょとんと首をかしげる。

「この僕がそのような小娘と言葉を交わしたことがあると思うか?」
「でも顔は知ってるっすよ、英雄の一人であるジーンっすよね」
「呼び捨てとはいい度胸だな小娘、せめて様を付けろ!」
「おねーさんを傷つけた男に敬称をつける必要は無いっす」

 初対面だというのに、セーラは明らかに敵意を剥き出しにしている。
 彼女もフラムの事情は知っている。
 結果的にそれがオリジンの計画を破綻させるきっかけになったとは言え、フラムを奴隷商人に売り払った彼の行為は許されるものではない。

「チッ、どいつもこいつも、僕がいなければ生き残れなかったくせに……」

 不機嫌に吐き捨てるジーンを、フラムは無表情に見ていた。

「そろそろ私も自己紹介をしていいでしょうか」

 話が途切れたタイミングを見計らい、リートゥスがすぅっとフラムの背後に現れた。
 以前の集落でもそうだったが、彼女は初対面の相手を驚かせないように気を遣っている。
 フラムの能力の影響があるとはいえ、怨霊とは思えない優しさである。

「お、おねーさん……ゆ、幽霊が、幽霊が出てるっすよ!?」

 驚くセーラに、リートゥスは丁寧に頭を下げた。

「リートゥスと申します。シートゥムの母で、以前は魔王を務めておりました」
「へ……? でも、先代魔王って死んだんすよね……」
「それが、魔王城にあった鎧に取り憑いてたらしいのよ。それをフラムちゃんが装備したことで、こうして話せるようになったみたい」
「おねーさんが鎧を装備したら……幽霊と話せる……?」

 説明を聞いてもなお、セーラは理解できていない様子だ。
 正直、ネイガスやツァイオンはもちろん、フラムにも理屈はよくわかっていないのだから仕方ない。
 はっきりしているのは、リートゥスは意思をもった霊体としてここに存在しており、フラムに手を貸しているという事実だけである。

「とりあえず、リートゥスさんは味方ってことっすよね」
「そういう認識で良いかと。もっとも、私自身、いつまでこうして正気でいられるかはわかりませんが」
「えっと……よくわかんないっすけど、よろしくっす!」

 セーラは深く考えるのをやめて、リートゥスと握手するために手を差し出した。
 するとフラムの背中からにゅっと黒い手が伸びて、その手を掴む。
 冷たくて奇妙な感触に頬を引きつらせながら、セーラは挨拶を済ませる。
 そんな様子を冷めた表情で見ていたジーンは、やり取りが一段落したところで口を開いた。

「救出はできたんだ、そろそろ次の集落に向かうぞ」

 そして、同意も得ずに南へ歩き出す。
 するとセーラは両手を広げ、彼の前に立ちはだかった。

「待つっす! まだフークトゥスの問題が解決してないっす!」
「あの木がある町か……」

 ここはフークトゥスからはかなり離れた場所だが、それでも神樹ははっきりと見えていた。

「ミナリィアっていう魔族の女の子がオリジンコアを使われて、神樹と同化してるっす。それで、町のみんなも操られて、神樹の実を食べさせられて、化物になってしまったっす」
「花が咲いたみたいに体が開いた魔族がうじゃうじゃいたのは、そういう理由だったのね。じゃああの指が生えて追っかけてきた果実が、神樹の実ってこと?」

 セーラは首を縦に振る。
 果実に指が生えて追いかけてくる――そのシチュエーションが想像できなかったのか、ツァイオンは眉間に皺を寄せて「ん?」と首をひねった。

「さっき交戦した紐みたいなやつ、あれがコアを渡したんじゃないかな」

 立ち寄った集落からフークトゥスまで、フラムたちが全速力で駆け抜ければ二時間とちょっとで到着する。
 だが徒歩なら三日だ。
 数時間前に戦った紐の化物が予想通りフークトゥスから歩いて移動していたとすれば、町の惨状にも納得がいく。

「つまり町の魔族はほぼ全滅というわけか。ならばますます向かう理由が無いな」
「たくさんの魔族が苦しんでるんすよ!? 見捨てて行くっていうんすか!」
「オリジンを倒せばコアは力を失う、それで救ったことになるだろう」
「でも……コアが力を失ったら、化物になった魔族たちはどうなるんすか?」

 コアを埋め込まれたセイレルは、フラムにコアを破壊されたことで普通の魔族に戻ることができた。
 だがその反動で内臓の多くが傷ついていた。
 回復魔法がなければ、じきに命を落としていただろう。
 つまり、オリジンの影響が無くなったところで、異形が元に戻るわけではないのだ。

「花が咲くということは、内臓がむき出しの状態か。なら死ぬだろうな」
「っ……そんなのダメっす! 何百人もの魔族たちが、あの町で苦しんでるっす! 見捨てるわけにはいかないっすよ!」
「ならばどうやって救う? 確か、貴様は光属性の使い手だったな。回復魔法で助けられるのはせいぜい一人か二人だ。残りの数百人は見捨てるしかない」
「そ、それは……」
「それとも、他の連中を見捨ててでも救いたい相手でもいるのか?」
「おらは……その……」

 真っ先の脳裏に浮かんだのは、虐げられてきた姉妹、ミナリィアとクーシェナの姿だった。
 理不尽な憎悪を向けられ、苦しんできた二人――彼女たちは救われるべきである。
 しかしセーラを助けてくれたルゥラやジツェイル、他の町の住人、それによそから避難してきた魔族だって、死んでいい理由など無いはずなのだ。

「みんなを、助けたいっす」

 無理だとはわかっていても、それは紛れもないセーラの本音であった。
 するとジーンの口角がにやりと釣り上がる。
 さらに彼は、手で顔を覆って肩を震わせ始めた。

「くはっ……はは……ははははっ、あっはははははははははは!」

 まごうことなき、嘲笑。
 フラムが殺気の籠もった瞳で睨んでいることに、ジーンは気づいていない。

「あんた、なに笑ってんのよ」

 無論、ネイガスも表情に怒りをにじませている。
 だが他者の感情程度で、彼が止まるはずもない。

「みんなを助ける? 貴様のような小娘が!? 身の程をわきまえるんだな! もう十歳は越えているのだろう? だったらそろそろ現実を見た方がいい、その頃の僕はすでに天才魔術師として立派に名を馳せていたぞ? それとも、貴様は頭の中にお花畑でもあるのか? こんな状況で夢物語を語るなど片腹痛い!」
「そんなに……おかしいことじゃ、無いはずっす。助けられるかもしれない人たちがすぐそこにいるんすよ!? それも何百人もっ! だったら、どんな状況だろうと助けたいって思うのは当然じゃないっすか!」
「だったら一人でやればいい。いいか、僕たちはオリジンを倒すという崇高な目的を果たすために旅をしているんだ、貴様の無駄なお人好しに付き合っている暇など――」

 ぺちゃくちゃと屁理屈をこねるジーンの後頭部を、フラムが鷲掴みにした。
 そして一言、

「それ以上言ったら反転させて内臓を全部吐き出させるから」

 冗談味の一切感じられない声で、そう告げた。

「私も付き合います、殺される前に何箇所かねじ切っておきたいので」

 少し遅れて、リートゥスの腕がジーンの肩や足など体中を掴む。

「またこれか……フラム、お前だってわかっているはずだ、僕たちには時間が無い!」
「ロスって言ってもせいぜい一日程度でしょ。むしろ被害が拡大する前に潰しておくべきだと思うけど」
「正義の味方気取りか? 力を得て浮かれているのはわかるが、貴様が英雄を気取っている間に手遅れになったらどうしてくれる。エゴで世界を滅ぼすつもりか!?」
「さっきから時間がないだの手遅れだの好き勝手言ってるけどさ」

 フラムはジーンの耳元に口を寄せる。

「あんただって、自分の都合でオリジンの封印を解かせたじゃない」

 彼女の笑みには狂気が宿っている。
 セーラたち三人はフラムの様子がおかしいことを理解していたが、その迫力に止めることが出来なかった。

「オリジンを滅するために必要だったと言ったはずだ。それにお前が今の力を得ることができたのは僕の――」

 それでもジーンは気づかない。
 己を過信して、ぺらぺらと墓穴を掘り続ける。
 もはやフラムは、限界だった。

「黙れクズ」

 口調すら変わり果てた、憎悪の極地。
 背中から全身を覆い尽くすような寒気を感じ、ジーンはようやく状況のマズさ・・・を把握した。

「ま、待て!」

 慌てて体を離して彼女を止めようとしたが、もう遅い。
 今度は顔を鷲掴みにされ、足を払われると、一瞬でジーンはフラムに馬乗りされていた。
 そして、彼女は拳を振り上げ――彼の頬に叩き込む。

「あがっ!?」

 辛うじて『殺してはいけない』という理性だけは働いているのか頭が吹き飛ぶことはなかったが、代わりに眼鏡が地面に転がった。
 ジーンはその痛みにひるむどころか、むしろ憤りを感じたらしく、声を荒らげる。

「待てと、言っただろうが……! 奴隷に堕ちた女は、やはりその程度の知能しかないのかゴミがぁっ!」
「奴隷にしたのはあんたじゃないッ!」

 次は左で右頬を叩く。

「ぐっ……あれがあったから、今、こうして貴様は生きているんだぞ? あのまま事が進めば、全てはオリジンの思い通りだったっ!」
「だから何? あんた、そこまで考えてやってたわけ? 違うでしょ? ただ私が憎かったから売り払っただけ。それだけのくせに――善人ぶって言い訳するなあぁぁぁッ!」

 右の拳が鼻の骨を潰し砕く。
 直後、ジーンは抵抗しようと腕を振り上げたが、フラムの背中から伸びた黒い腕がそれを掴み、へし折る。

「がああぁぁあぁっ! き、貴様ら……こんなことをして、いいと……っ! お前らも、見てないで止め……ぶぎゃっ!」

 無論、誰も止めようとはしない。
 止められる気はしなかったし、何より――ネイガスとツァイオンは、フラムがいずれこうするつもりでいたことを知っていたからだ。
 セーラという回復魔法の使い手が合流した今、それをためらう理由はない。
 とはいえ、フラムとてこの場で殴るつもりなど無かったはずである。
 だが、想定外にジーンが挑発的な言動を繰り返すものだから、爆発してしまった。

「痛かった。苦しかった。数え切れないぐらいそういうことを経験してきたッ! あれがなかったら確かにミルキットとは出会えなかったかもしれない。でもねぇ、それは決して! 断じて! あんたのおかげなんかじゃないッ!」
「は……か、ひ……っ」

 ジーンはもはや、反論すら出来ないほど満身創痍である。

「おねーさん、それ以上やったらその人、死んじゃうっす!」
「そうだね。じゃあセーラちゃん、回復してあげてくれる?」
「わかったっす……リカバー!」

 光の粒子がジーンの体――主に頭部周辺に集まり、傷を癒やしていく。
 もちろん、折れていた腕も元に戻った。
 痛みも引いて余裕が出てきたのだろう、すぐさま彼はフラムを罵ろうと口を開く。

「この野蛮なおごぉっ!」

 再びフラムの拳がジーンの頬にめり込んだ。

「お、おねーさんっ!?」
「回復ありがとね、セーラちゃん。あとリカバーは何回ぐらい使える?」
「えっと……四回ぐらいは」
「おい……フラム、貴様……まさか」

 ジーンは、おそらく人生で初めて、純粋に“恐怖”を感じた。
 回復魔法の使い手が必要だったのは、決してジーンの傷を癒やすためではない。
 彼を殺さずに、どこまで痛みを与えられるか――その限界を追究するためだったのだ。

「ねえジーン、四回だって。それが使い終わるまでに、私はあと何発、あんたのその憎たらしい顔を殴れると思う?」
「や……やめろフラム。いいか、人の頭は衝撃を受けると脳細胞を失っていく。特に僕の脳細胞は貴重だ、つまり僕を殴るということは世界の損失になるんだっ!」

 それでジーンはフラムが止まると思っていたのだろうか。
 むしろさらに怒りのボルテージが増した彼女は、容赦なく腕を振り下ろす。

「黙れよこのゴミクズナルシストがあぁぁぁぁぁぁッ!」

 空に響き渡るほど大きな声で、叫びながら。

「お前がとっととディーザの裏切りをみんなに話していればッ、ミルキットは死なずに済んだっ! お前が殺した、お前がミルキットを殺したんだっ、ジーン・インテージぃッ!」
「ぬれぎっ……げ、か……っ」
「濡れ衣なものかああああぁぁ! リーチさんやフォイエさん、ウェルシーさんだって、キリルちゃんだって、ガディオさんだって、ライナスさんだって、シートゥムだってぇっ! お前が前もって話してれば、みんな、みんなあんなことにならずに済んだのにッ!」

 狂乱しながら拳を叩きつけるフラムに、ジーンをいたわる余裕はもはや無い。
 セーラはタイミングを見ながら、彼が死なないようにリカバーを放っていた。

「王都の人たちだってそうだッ! 何万人死んだと思ってるの!? あんただったら、オリジンの封印を元に戻す方法だってわかったはずなのにッ! 殺せなくたって、破壊できなくたって、完全に封印できてればそれでよかった! みんな幸せだったのにいぃぃいいいいッ!」
「許容……できる、ものかっ」
「あぁっ!?」

 リカバーを受けたばかりだからか、反論を止めないジーン。
 フラムはそんな彼の胸ぐらを掴む。

「コアを与え僕の才能を否定したばかりか、奴は同化などという姑息な手段を用い、僕という人類史に爛然と輝く偉大なる個を冒涜しようとした! 封印されているとはいえ、そんなものの存在を認められるわけがないだろうがッ! 跡形もなく消し去るべきなんだよ!」
「どこまでも……!」

 胸ぐらを掴まれたまま、ジーンの頭が地面に叩きつけられる。
 そのまま何度も何度も何度も、フラムは彼の頭を地面にぶつけた。

「どこまでも、どこまでも、どこまでもッ! 何もかもが自分、自分、自分でっ! こんなやつに……こんなやつのせいで、みんながっ、私だって……うわあぁぁぁあああああああッ!」

 もはや感情はおろか、言葉すらまとまらない。
 悲しみと怒りと混ざり合って、涙で顔をぐしゃぐしゃに濡らしながら、がむしゃらにジーンの顔面を殴り続ける。
 リカバーで傷は癒えているとはいえ、さすがに彼も限界だったのか、途中で白目を剥き何も言わなくなった。
 それでも彼女は止まらない。
 最終的に、セーラが魔力を使い果たし、気絶したジーンが失禁し、ツァイオンとネイガスが二人で羽交い締めにして止めるまで――フラムは彼のことを殴り続けた。



 ◇◇◇



「……そっか、そんなことがあったのね」

 一つ前に立ち寄った集落へ移動しながら、ネイガスはセーラからフークトゥスで起きた出来事を聞いていた。
 ちなみに速度に付いてこれないセーラはネイガスに抱きかかえられ、気絶したジーンは彼女の風の魔法で浮かべられている。
 先頭を駆けるフラムは目を赤く腫らしている。
 ツァイオンがそんな彼女を励まそうと何度か近づいたか、取りつく島もなかったようだ。
 今は、時間が彼女を癒やしてくれるのを待つしか無い。

「ジーンの言う通り、おらにはみんなを救う力は無いっす。助けるとしたら、ミナリィアとクーシェナになると思うっす……でも」
「自分を助けてくれた人を見捨てたくない、ってこと? でも助けたところで、またその姉妹はみんなから虐げられるんじゃない? 神樹と同化して化物に変えたっていうんなら、今まで以上に」
「そうっすね……だから、おらたちが、別の集落に連れていってあげるしかないと思うっす」

 だがそれは、何の解決にもなっていない。
 セーラは、町の人々があの姉妹を受け入れて、罪を償うために彼女たちを幸せにするのが一番だと思っている。
 しかし、ああ確かに、ジーンの言う通りそれは頭の中がお花畑な人間の発想だ。
 彼女にもその自覚がある。

「おらがやろうとしていることは、そんなに馬鹿げてるんすかね」
「普通は化物になった人たちを見て、助けようとは思わないかもしれないわ。ましてや、そんな話を聞いたんならなおさらに」
「やっぱり、そうなんすね……」

 落ち込むセーラを見て、ネイガスが優しく微笑んだ。
 その姿を見てツァイオンは『娘を慰める母親みたいだな』と思ったが、決して口には出さない。

「でもね、私はそういうセーラちゃんが好きだから、叶えたいと思うわ」
「ネイガス……」
「理想や夢物語を追いかけられる人って、強いと思うのよ。だって、大人になるとみんな諦めちゃうじゃない。1パーセントの可能性があっても、それは諦めた瞬間に0パーセントになってしまうから。セーラちゃんの願いは無茶だけど無理じゃない、私はそう思ってる」
「ありがとっす。おらも、そういうネイガスのことが大好きっす」
「なーんか今日のセーラちゃんはやけに素直ねえ」
「茶化さないで欲しいっす。それだけ、一人が寂しかったんすよ……」

 そう言うと、セーラはネイガスの服をきゅっと握り、体を寄せた。
 前を走るフラムはそんな二人をちらりと見ると、悲しげな笑みを浮かべる。

「ミルキットのこと思い出してたのか?」

 ようやく話のきっかけを掴めたツァイオンが、そんな彼女に声をかけた。

「うん、ああいうの見てるとどうしてもね。ツァイオンもシートゥムのこと思い出さないの?」
「思い出すぞ」
「悲しくならない?」
「なるわけねえだろ、オレはあいつのこと助けるって決めたからな」
「そっか……」

 諦観しきったフラムに向けて、ツァイオンは言い放つ。

「熱くねえなあ」
「これ、そういう問題かな」
「そういう問題だと思いますよ」

 リートゥスがぬるっと会話に割り込んでくる。

「うおっ、リートゥス様」
「ツァイオン、いい加減に慣れてください。さっき、遺跡に潰されて死んだと言いましたよね」
「言いました」
「ということは、死体を見てはいないということです」
「そう……ですけど」
「だったらまだ諦めるには早いだろ、ってオレは言いたかったんだよ」
「ミルキットさんが生きていて、あなたを待っていたらどうするのですか?」
「……そんなの」

 あの遺跡は、ガディオの攻撃を受けて潰れたのだ。
 そう簡単に抜け出せるとは思えない。

「悲観的になって荒れちまう気持ちはわかるがよ、こういうときだからこそ前向きに、熱く行こうぜ。ミルキットは生きてる! 王国に行ったら必ず見つけてみせるぜ! ってな」
「柄じゃない」
「嘘つけ、戦ってるときのフラムはいつだって誰よりも熱いじゃねえか。一時はもうダメかと思ったが、こうしてオレやセーラとも再会できた。すでに奇跡は何度だって起きてる。だったら今後も起きるかもしんねえ。でも、信じなけりゃ起きるもんも起きねえ」

 フラムは暑苦しいツァイオンの言葉に、思わずため息をつく。

「それ、さっきのネイガスさんの話を聞いて思いついたの?」
「ああ、受け売りだが悪かねえだろ」
「悪くはないけど、堂々とパクるんだな、と思って」
「ツァイオンは物覚えがあまり良くなかったので、他人から聞いた話をそのまま聞いた相手に話してしまうことも……」
「リートゥス様、変な昔話をでっち上げないでくれよ!」

 リートゥスとツァイオンがけらけらと笑うと、フラムも釣られて笑った。
 その表情に、もう先ほどまでのような暗さは無い。

「ありがとね、ツァイオン、リートゥスさん。確かに、あんまり悲観的になってもしょうがないかも。正直、すぐに考えを変えるってのは無理だけど……少しずつ、ミルキットが生きてるってことを信じられるようになろうと思う」
「ああ、そうしとけ」
「それがいいです……と、死んでいる私が言うのも変な話ですが」

 心が軽くなると、体も一緒に軽くなる。
 フラムは先ほどよりも軽やかな足取りで、爽やかな風が吹く平野を駆けた。



 ◇◇◇



 集落に戻ってきたフラムたちを、住民は歓迎して迎えた。
 キマイラの被害が少ないとは言え、襲われる可能性はゼロではないし、ここからも一応巨大化した神樹は見える。
 戦える彼女たちがいた方がやはり安心なのだろう。
 住民が逃げたため空き家となった一軒家を借り、今日はここで一泊することとなった。
 とりあえずジーンの濡れた服をツァイオンに脱がせてもらい、洗っておく。
 その間、彼には家にあった質素なローブを着せて寝かしておいた。
 するとベッドに寝かせて二時間ほど経ったところで彼は目を覚ます。
 無論、怒りを露わにしてリビングでゆっくりしていたフラムに詰め寄ったが、彼女が適当に流していると、意外にもあっさりと引き下がった。

「フラム、お前からの復讐はあれで終わったと思っていいんだな? だったら納得してやらんでもない。これ以上、揉め事で時間を浪費したくないんだ」
「少なくとも事が終わるまでは私もあれ以上のことをするつもりは無いよ」
「……事が終わったら?」
「さあ?」

 とぼけるフラム。
 ジーンは舌打ちすると、彼女から最も遠い椅子に腰掛けた。
 ひとまずオリジンとの戦いが終わるまでの言質を取れたので、それ以上の交渉は諦めたらしい。

「ふぅ……おい、そこで乳繰り合ってる色ボケども」

 今度は、ソファで肩を寄せ合っていたネイガスとセーラに喧嘩を売るジーン。

「何よ」
「確か、フークトゥスの住民たち全員を救いたいと言っていたな」
「言ってたっすけど、夢物語なんすよね」
「ああ、夢物語だ。普通ならば不可能だろう。だが……この天才、ジーン・インテージの頭脳をもってすれば、可能かもしれない」
「本当っすか!?」

 前のめりになって大きな声をあげるセーラ。
 一方で話を聞いていたフラムは眉をひそめた。
 ジーンが“かもしれない”という言葉を使ったことに違和感を覚えたからだ。

「だったらなんでさっき言わなかったのよ」
「成功が保証できないからだ。失敗すれば誰も救えず、無駄に時間を浪費するだけで終わる。それでも乗るというのなら、僕の指示に従ってもらう」
「嫌な予感がするわね……何をしろっていうの?」

 どうやら彼もあまり気乗りしないらしく、珍しく気まずそうに目をそらす。
 そしてため息をついて、ネイガスに告げた。

「今夜、セーラを抱け」

 室内に、静寂が満ちる。
 ジーンはテーブルに肘をついた姿勢のまま口を閉ざし、フラムはそんな彼を死んだ目で見つめ、ネイガスとセーラは口を半開きにしたまま固まっていた。
 誰もが呼吸すら忘れて静止し、とにかく室内は静かだった。
 そこに、外に出ていたツァイオンが戻ってくる。

「ただいまー! 見ろよこの肉、厚いだろ? まさか泊まらせて貰っただけじゃなく、食材までもらえるなんてな! 忍びねえけど、どうしてもって言われ……て……」

 そして四人の様子を見て、怪訝そうな表情を浮かべた。

「お前ら、どうしたんだ?」

 彼のおかげで金縛りが解けたのか、ようやくネイガスが言葉を発した。

「ごめん、言ってる意味がわからないわ」
「理由は明日、フークトゥスに攻め込む直前に説明する。とにかく必要なことなんだ、救いたいんならやれ」
「いや、やれって言われても……あんた、本気で言ってんの!?」
「元を正せば、貴様らが町の住民全員を救いたいと言い出すからこうなるんだろうが!」
「いや、確かに言ったわよ。でもそれがどうしてっ、私が……その、セーラちゃんを抱くとか、そういう話になるのよ!」
「今できることがそれぐらいしか思いつかないからだ! 必要とは言い切れんが、可能性を上げるためにはやった方がいい。それでも拒むというのなら僕は知らん、勝手に失敗したらいいさ」

 言い争う二人を横目に、両手いっぱいに食材を持ったツァイオンはテーブルの上にそれを置き、フラムに近づく。

「おいおい、抱くとか抱かないとか、何があったんだ?」
「私にもわかんないけど……どうも、ジーンがふざけてるってわけじゃないみたい」
「珍しく真面目と言いますか、フラムさんに殴られたのが効いたのでしょうか」

 フラムが止めに入らないのは、そういう理由があるからだ。
 にわかには信じがたいが、どうやらネイガスがセーラを抱けばフークトゥスの人々を救う可能性が上がる――というのは事実らしい。
 すると今まで黙っていたセーラが立ち上がり、意を決して口を開く。

「おらは……構わないっすよ」
「セーラちゃんっ!?」
「ネイガスが相手なら、全然嫌じゃないっすし、どうせいつかそうなってたとは思うっす。だから……」
「そういうわけだ。手段は問わない、そこは自由にやってくれ」
「……ジーン、本当にこれで、フークトゥスを助けられるんでしょうね?」
「僕の頭の中には理論があるだけだ、実践できるかは定かではないが――不可能と言い切れはしない」

 セーラの言う通り、いずれは・・・・とネイガスも思っていた。
 だが、それが今だとは、まったく想像していなかったのだ。
 しかしセーラは受け入れてしまった。
 ならば年長者であるネイガスが拒むことは、できない。

「セーラちゃん、本当にいいのね?」
「あれだけ唇を奪っておいていまさらっすよ」

 と言いつつも、セーラの頬は赤い。
 羞恥や恐怖が無いはずなどない。
 それでも健気に、誰かを救うために『抱かれてもいい』と言い切れる彼女が――ネイガスは愛おしくてたまらなかった。
 思わず強く抱きしめる。

「抱けとは言ったが、ここで盛らないでくれないか」

 そうぼやいたジーンの言葉は、すでに二人には届いていなかった。



 ◇◇◇



 その後、ツァイオンがもらってきた食材で夕食の準備を始めたが――とにかく気まずい。
 セーラとネイガスが並んで食器を並べている姿を見るだけで、色々と考えてしまう。
 ひたすら芋の皮を剥くツァイオンは、向かい合って座るジーンに尋ねた。

「なんでんなこと言い出したんだ?」
「……必要だからだ」

 そう返事をしたジーンも、リートゥスに脅されて不機嫌そうにナイフ片手に芋の皮を剥いている。

「こいつ、重要なことを隠したがる悪癖があるから」

 台所から移動してきたフラムは、椅子に腰掛けながらそう言った。
 彼女はテーブルの上にゆで卵の入ったボールを置くと、その殻を剥き始める。
 英雄二人と魔族一人が食事の下ごしらえをする姿は、それなりにシュールであった。
 炊事場の前で幽霊リートゥスが洗い物をしている姿というのも、それに負けじと奇妙だが。

「僕がいつ隠しごとなどした?」
「ディーザのこと隠してたくせによく言うよ。それと、私が力を手に入れた理由とかまだ聞いてないんだけど」

 魔王城からの脱走時、『あとで話す』と言われたきりである。
 今のフラムの力は頼もしい一方で、オリジンから流れ込んできたものという気持ち悪さもある。

「ああ、あれか。オリジンは、人間の脳を螺旋状につなげた回路の中で、“意思”を正方向に回転させることでエネルギーを作り出す装置だ。つまり、逆回転を始めればマイナスのエネルギーが生まれる」
「それは知ってる。だから私の反転で、コアが破壊できるんでしょ?」
「重要なのは、あのオリジンに接続されていた一人ひとりの人間、そいつらにもそれぞれ“正方向”が存在するということだ。その証拠に、全員が同じ方向を向いていただろう?」

 フラムにとってはあまり思い出したくない記憶だが――確かにオリジンに繋がれた人間は、みな内側を見ていた。

「オリジンに逆方向に繋がれると、マイナスのエネルギーが生じたのと同じ作用が発生する。つまり肉体がそれに耐えきれず、自壊してしまうんだ」
「ならなんでフラムは平気だった……ってそうか、反転か」
「でも、私は普通に接続されたはずなんだけど」
「その前に地下牢で僕が細工をしたんだ。頭の接続、そのプラスとマイナスが逆になるようにね。もっとも、相当な力技だったけど」
「それであんな痛みが……」

 本当に地獄のような頭痛だった。
 ただでさえミルキットを失って沈んでいた心に、あの激痛はかなり堪えた。
 思い出して拳を握ったフラムだったが、今回は自制する。

「思いっきりケーブルに繋がれたのに、頭に傷跡がないのもそのあたりが原因なの?」
「そこまでは知らないな。脳まで物理的に接続されているはずだが……見えないぐらい小さな穴でもあけられたんじゃないのか」

 フラムは思わず確かめるように側頭部を触る。
 特に感触がおかしな部分は無いし、痛みも無い。
 だが見えないほどの穴なら、気づかないのも当然である。
 確認しようもないので、ただただ気持ち悪い。

「日常生活に支障が無いんなら気にすることねえだろ」
「そうかもしんないけど……」

 なかなかツァイオンのように割り切れるものではない。
 そこで会話は途切れ、三人は作業に集中する。
 ジーンはぶつぶつと文句を垂らしていたが、それでも割と器用にナイフを操っていた。
 しかし、黙り込むと、やはり意識は例の二人の方に向いてしまう。
 フラムはちらりと、肩を並べて料理を続けるセーラとネイガスの方を見た。
 特に変なところはない。
 たまにじゃれあって笑っているが、魔王城にいたころもあれぐらい距離が近かったはずだ。
 それだけに、余計にもやっとする。

「じろじろ見て変に意識をさせるな、彼女たちが自然体でいてくれた方が都合がいい」
「じゃあ隠し事してないで、ちゃんと話したら?」
「明日説明すると言っただろう。ただ、あの二人の距離が縮まれば縮まるほど、成功の確率が増えるかもしれない……というだけだ」
「説明しない理由になってないんだけど」
「ぶっつけ本番でやらせた方が緊張感も維持できる。何より、あの二人は理屈より直感で動くタイプだろう。だったら下手な指導は逆効果だ」
「そんで、あの町の全員を救うなんてこと、本当にできんのか?」
「知らん。不可能では無いだろうが、あの二人次第だ。失敗しても僕は責任は取らないからな」

 結論はぼかしているが、受け答え自体ははきはきしている。
 やはり少なくとも、嘘をついているわけではない。
 今はただ、明日がやってくるのを待つしか無かった。



 ◇◇◇



 その日の夜、セーラとネイガスは同じベッドで夜を明かした。
 部屋で二人きりになり、ベッドに並んで座ったとき、ネイガスは改めて認識する。
 セーラの小ささと、自分との年の差を。
 今まででも十分そうだったが、はっきり言って犯罪的である。
 一方でセーラはとっくに覚悟を決めているようで、無言でネイガスの方を見ると顔をあげ、唇を差し出した。
 年上として、ここで日和ることは許されない。
 とはいえ、実を言うと、経験値ではネイガスとセーラに大した差は無いのである。
 それでも『大人の女性としてリードしなければならない』という重圧が、彼女に過度の緊張感を与えていた。
 だが、これはもう決まったことだ。
 理性のタガを捨てる。
 倫理を投げ捨て、ネイガスはセーラと唇を重ね――そのまま、ベッドの上に押し倒した。
 見上げるセーラの肌は紅潮し、瞳は濡れている。
 ネイガスはその胸元に手を向けると、たどたどしい手付きで上着を脱がせていった――



 ◇◇◇



 翌朝、作戦会議のためにリビングに集まったフラム、ツァイオン、ジーンの三人は、セーラとネイガスが起きてくるのを待っていた。
 いつもならジーンあたりがイライラして強引に起こしにいくところだが、今日は彼自身が『それは避けた方がいい』と言い出したのである。
 どういう風の吹き回しか……いや、すでに彼の目的は町の人々を救うことではなく、『自らの理論を実践し成功させること』に変わっているのだろう。
 つまり、セーラたちと利害が一致しているということだ。

 待つこと三十分。
 遅れてリビングにやってきた二人は、やたら甘い空気を漂わせながら、手をつないで三人の前に現れた。

「お、おはようっす」
「おはよー……あはは」

 宣言通り、昨晩はきちんとやることをやってきたようだ。
 二人が席についたところで、ようやくジーンはフークトゥスの人々を救う手立てについて語りだした。

「必要なのは、属性の調和だ。僕が四属性を組み合わせて様々な魔法を作り上げていることは知っているだろう?」
「そういや妙な魔法ばっか使ってんな」
「妙とは失礼だな。魔王や三魔将がやっている、闇属性と他の属性を調和させた魔法とほぼ同じ理屈だ。もっとも、お前たちは意識して使っているわけではないようだが」

 ネイガスやツァイオンは、生きていく中で自然とそれを身に着けていった。
 ジーンはそれを理論化し、四属性の魔法を組み合わせることに成功したのである。

「つまり、おらとネイガスの魔法を合わせるってことっすか?」
「そうだ、セーラの回復魔法をネイガスの風魔法と調和させ広域化する。回復魔法を風に乗せて運ぶイメージだな。それでフークトゥス全域を包むことができれば、貴様の『全員を救いたい』という夢も叶うかもしれん。だがそのためには、少しでも互いを理解しあう必要がある……かもしれないというわけだ」
「なんでここまで来て“かもしれない”なのよ!」
「他人同士の持つ属性を調和させる方法など、実践したことが無いからだ。僕は僕の魔法が完成した時点で満足していたからな。頭の中で可能性を考えたことはあるが――」
「じゃあ何、私がセーラちゃんを抱く必要は……」
「無かったかもしれないし、あったかもしれない」
「こ、こいつ……っ」

 ネイガスは立ち上がり、握りこぶしを振り上げる。
 そんな彼女を、セーラは「まあまあ」と諌めた。

「結果的におらとネイガスの距離は縮まったんだから、よかったじゃないっすか」
「そりゃそうだけど……はぁ、釈然としないわ。んで、具体的にはどうしたらいいのよ」

 ジーンは属性の調和に関する説明を始めた。
 だが案の定、小難しい単語の並ぶ解説が始まり、まず最初のセーラの目がぐるぐると回りだした。
 ちなみにフラムは最初の方からほとんど話を聞いていない。
 ネイガスは途中までどうにか食らいついていたが、途中で限界を迎えたのか、「うがー!」と声を上げながら突っ伏した。
 二人をKOしたところで、ジーンはなぜか得意げに眼鏡をくいっと持ち上げ、不敵に微笑む。

「ふん、やはり凡人の頭脳では僕の話にはついてこれなかったようだな」
「聞いたことのない固有名詞を使いすぎなのよ、もっと簡単に話して!」
「最初から理解されるつもりなどないからな」
「はぁ? じゃあ何のための話だったのよ」
「感覚でやれ。それが一番手っ取り早いし、下手に考えるよりおそらく成功率が高い。二人の魔力を合わせ、一つにするんだ」
「……おらにはわかんないっす」
「考えるな、感じろ。僕にはそうとしか言いようがないな」

 投げやりな結論である。
 実際、ジーンは成否などどうでもいいと思っているのだが。
 フークトゥスの魔族が息絶えたところで、オリジンとの戦いには一切関連しないのだから。

「神樹は町の中央にあるんだったな。ならばその手前で準備しておき、フラムが神樹のコアを破壊したら魔法発動という手はずだな」
「オレは二人の護衛ってわけか」
「ああ、任せたぞ。僕は興味が無いから一足先に南へ……ああわかった、わかってるよ冗談だ、だからその腕をしまえリートゥス!」
「物分りがよくて助かります」
「すっかり躾られてんな」
「この天才を脅すとは……オリジンとの戦いが終わったら消滅させてやる……!」

 ジーンの負け惜しみに、リートゥスは笑みを浮かべた。
 彼のような人間は、これぐらい力づくで従わせるぐらいでちょうどいいのだろう。
 口で言ったところで変わるはずがないのだから。

「手伝いはするが、僕としては早く終わらせて王国に向かいたい。まだ朝早いがすぐに出るぞ、異論はないな?」

 全員が頷く。
 こうしてフラムたちは集落の住民に惜しまれながらも出発し、再びフークトゥスを目指すのだった。



 ◇◇◇



 勝利条件は、存外に困難である。
 相手がキマイラならば潰せばいいだけだ。
 しかし実際に戦う相手は、果実とやらに操られているただの人間である。
 下手に危害を加えれば、壊れて元に戻らなくなってしまうかもしれない。
 重要なのはセーラとネイガスの魔法であることは間違いないが、フラムがいかに早く戦いを終わらせるか――それも勝負を決める大きな要素であった。
 フークトゥス近辺まで到着した一行は、少し離れた場所から町の様子を伺う。

「脱出したときから変わってる感じはないっすね」
「説明はされてたが、あれが花ってやつか。かなりイカれたデザインをしてやがんな」

 人の形をある程度は保っているせいで、余計に異常性が際立っている。

「以前から思ってたけどよ、オリジンってやたら悪趣味じゃねえか?」
「確かに、意識の集合体のくせに、そこは一貫してるわよね」
「そもそも本体の外見からして悪趣味だからな」
「見た目なんてどうでもいいよ、潰したら全部一緒だし……私はもう行くから」

 フラムはそう言って、単身フークトゥスへと突っ込んでいった。
 敵を引き寄せる囮の役割も彼女が引き受けたのだ。
 遠ざかっていく彼女の後ろ姿を見て、セーラは両手を重ね祈った。

「おねーさん……」
「ふん、信じる神すらいない貴様が祈ったところどうにもならん」
「あんたいちいち余計なことしか言わないわね」
「案ずることはないと言っているんだ。あの神樹とやらより、今のフラムの方がよほど化物だからな」
「はぁ……だからそれが余計だって言ってんのよ」

 ここにフラムがいたら、またリートゥスに首を触られているところだろう。
 それでも懲りないのがこの男の最大の欠点であり、彼を彼たらしめる部分でもあるのだが。

「構うなよネイガス。さて、オレらもそろそろ行きますかっ!」

 遅れてツァイオンたちも、町へ向かって駆け出す。
 セーラを抱え上げたネイガスは、不安げな表情を浮かべる彼女の額に軽くキスをした。



 ◇◇◇



 一足先に突入したフラムは、わらわらと湧いてくる果実と花の間を縫って、真っ直ぐに神樹へ向かう。
 当然、彼らの伸ばした有象無象が彼女に届くことは無いのだが、本来なら反転で全て吹き飛ばして突っ切ればいいだけのことだ。
 多少の煩わしさを感じたのか、表情に苛立ちがにじむ。

「あまり乗り気ではないようですね」
「セーラちゃんの話を聞いてたらそうもなりますよ」
「姉妹を虐げていたという、あれですか」
「たぶんこの町の人たちは、助かっても反省しませんよ。それが彼らにとっての正義ですから」

 最初から過ちだと思っていない。
 あっさりと死んでしまった両親に代わって、あの姉妹に罰を受けさせるのは、町の人間にとって当然の権利なのである。
 ミナリィアとクーシェナは、いわば偶像であった。
 当人の人格など、どうでもいい。
 ただ、象徴としてそこに存在しているだけの。

「王国の人間たちが奴隷を当然のように虐げるのと同じことです」

 まるで同じ人間では無いと思い込んでいるかのように。
 人間の善悪なんてそんなものだ。
 王都で清廉潔白に生き、誰に対しても優しく接する人間の中にだって、相手が奴隷というだけで冷たく見下す者がいる。
 “常識”と言う名の歪んだ共通認識の問題点は、それが歪んでいることに、多くの人が気づかないことにある。

「悲しいですね……その惨状に気づけなかった私には、それを言う資格など無いのかもしれませんが」
「経緯はどうであれ、この町の人々が姉妹を傷つけたのは事実です。残酷だという自覚すら無く」
「では、助ける必要は無いと?」
「そうは言いません。でも、セーラちゃんがどれだけ頑張ったって、望むようなハッピーエンドにはならないって言いたかったんです」

 それでセーラが傷つくかもしれない。
 必死で命を救ったのに、待つものが姉妹に向けられる罵詈雑言の嵐だったら――彼女は胸を痛めるだろう。
 フラムは、それが心配でならなかった。

「以前もそうでしたが、あなたは……思ったよりも、憎悪に支配されてはいないのですね」
「オリジンの作り出した化物を目の前にしているのに、ですか?」

 伸びた臓物がフラムの真横を掠めていく。
 彼女は涼しい顔で体をそらし、それを回避した。
 先ほどからリートゥスと会話をしながらも、ずっとこんな風に曲芸めいた身のこなしを披露している。
 おかげで、神樹のある広場はもう目と鼻の先まで近づいていた。

「本当はずっと前から、『ミルキットが本当は生きてるんじゃないか』って心のどこかで考えてたのかもしれません」
「ですが昨日はその考え方を否定していましたよね」
「信じるのって怖いじゃないですか。いつか裏切られるかもしれないから。でも……言葉はどうにかできても、心って偽れないんです」

 ふと、ミルキットと出会ったばかりの頃を思いだす。
 他者を信じることすらできなかった彼女は――きっと裏切られる怖さを知っていたのだ。
 そんな彼女に信じることを思い出させたフラム自身が、今は何も信じられなくなっているのだから滑稽な話である。

「ここにいる魔族たちを皆殺しにできるほど憎しみに染まれたら、きっとだったんでしょうけど」
「その場合、私はあなたに手を貸さなかったでしょうね」
「それは困った、ジーンの手綱を握れなくなるじゃないですかっ!」

 フラムは広場に足を踏み入れた瞬間、大地を蹴ってえぐりながら一気に加速する。
 まずは挨拶代わりに、神樹の巨大な幹――その中央に埋まるミナリィアへ向けて拳を振りかぶった。
 だが、もはや彼女の意思はどこにもない。
 完全にオリジンに支配された神樹は、オートマティックに外敵の存在を察知すると、コアを宿したミナリィアの肉体を幹の中に飲み込んだ。

「せえええぇぇぇぇえええいッ!」

 ドゴォオンッ!
 ダマスカスガントレットの、重い一撃。
 拳を叩き込んだ瞬間に彼女は各種装備を纏い、黒い鎧姿に変わっていた。
 衝撃は空気と神樹を震わせ、幹の一部をへこませたが――そこで止まる。
 もちろん反転の魔力は込めている。
 しかしその割には効果が薄い。
 そのとき、神樹から蔓が湧き出し、突き出された拳を絡め取ろうとした。
 すぐにフラムは右手を引くと、続けて左拳を叩き込む。
 次は右、さらに次は左――と目にも留まらぬ連撃を繰り出すも、そのどれもがコアまで届かない。
 足元が揺れる。
 地中からせり上がってくる殺気を感じ取ったフラムは、すぐさま後ろへ跳躍した。
 直後、地面から尖った根が突き出す。

「通ってないわけじゃないけど、反転の効果が薄い……?」
「フラムさん、どうやら神樹の様子が聞いていたものと少し違うようです」

 リートゥスは上空で揺れる葉を見ながら言った。
 セーラの話によると葉も全てねじれていたという話だったが、今は多少曲がっているだけで他の木と変わらない状態だ。
 さらに続けて地面から現われる鋭い根。
 それを後退しながら避けるフラム。
 背後からは花と化した住民たちも迫る。
 幹から引き剥がし、花に相手をさせようという意図を感じた彼女は、次の根が現れた瞬間、タイミングを図って強引に前進した。
 そして脚部にプラーナを込めて跳躍、幹へと再度接近。
 高い位置から振り下ろすように蹴りを放つ。
 ドオォオンッ!
 幹を揺らし、葉が舞い散る。
 今度は多めに魔力を込めてみたが、やはり、表面が弾け飛ぶ程度で効果は薄い。
 また絡め取ろうとする蔓を力づくで引きちぎる。
 さらに全方位から鋭い先端を向け一斉に迫る根を、飛び上がって回避。
 数メートル離れた地点に着地して、再度神樹を観察する。

「オリジンの力が薄まってる」
「弱体化……ではなく、意図的なものでしょうか。フラムさんが来るのを予測していたのかもしれません」

 神樹そのものではなく、ミナリィアにコアを埋め込み、そして彼女が神樹と同化しているからこそできる芸当だ。
 ミナリィアと神樹との接続を可能な限り弱め、操るのに最低限必要な力のみを流し込んでいるのである。

「ははっ、セーラちゃんが戻ってくることもお見通しだったってわけか。こうなると、ガントレットじゃ威力が足りないッ!」

 突き刺してくる根を横に飛んで避けると、その着地点を狙って頭上から硬化した葉が降り注ぐ。
 フラムは天に向かって手をかざし、自分を狙う葉を全て反転させ跳ね返した。

「こんなことなら、剣をどこかで仕入れとけばよかった……」
「ここは魔族の村です、農具ならともかく剣を探すのは厳しいかもしれません」
「まあどのみち、しっくりくる両手剣なんて武器屋にも滅多に置いてないんで」

 それが呪われた装備となると、なおさら見つからない。
 下手に合わない武器を使うよりは籠手で殴った方が威力は高いと考えていたのだが、ひょっとすると相手は、それすらも見越していたのかもしれない。

「果実の方もぞろぞろとっ!」

 そちらは地面に反転の魔力を流すだけで面白いように破裂してくれたが、数が際限ない。
 甘く腐ったような匂いが周囲に広がり、フラムは顔をしかめる。

「フラムさん、背後から根が来てます!」

 ノールックで右に回避、体の横を通り過ぎた根を掴み反転の魔力を通してみるも、やはり威力は通らず。
 それに構造が人体と異なるためか、『内部と外側の反転』がまだうまくできていないようだ。
 手を離し、続けざまに前から襲ってくる根を高く飛んで避けようとするが――潰れた果実で滑り、足元が安定しない。
 思ったよりも高度が出ずに、半端な体勢になったフラムをさらに別の根が狙う。
 するとリートゥスが黒い腕を高く伸ばし、枝を掴んで彼女の体を引き上げた。

「ありがとうございますっ!」
「葉の中に突っ込んでしまいましたが大丈夫でしょうか」
「幹が無理なら、枝を片っ端から折ってみるしかありません」

 そもそも神樹を攻撃したところで効果があるかはわからないが、フラムは拳で手当たり次第に太い枝をへし折っていった。
 ここまでは花たちも届かないし、根もうかつに伸ばすことはできない。
 しかし代わりに周囲に生い茂る葉が、全て凶器となってフラムを狙う。
 するとリートゥスの腕がいくつも伸び、フラムはその全てに反転の魔力を満たした。

全方位反射リヴァーサル・パラレルコネクトッ!」

 取り囲むように近づいていた葉の刃は、ことごとく向きを反転させ明後日の方向へと飛んでいく。
 生半可な飛び道具では、フラムにダメージを与えることすらできない。

「全力で殺しに来たってことはっ! 枝を折られるのを嫌がってるってことぉッ!」

 彼女は手を休めることなく、ひたすらに拳で枝を折り続けた。
 すると地面から二本の根が伸び、自ら枝を降りながらフラムの足場を崩す。

「身を削ってでもフラムさんを落とす方を選んだようですね」

 リートゥスはつかまろうと腕を伸ばすが、飛来した葉に遮られた。

「しかも挟み撃ち」

 頭上からは葉の雨が発射準備を済ませている。
 地面では数十本の根が落下する獲物を今か今かと待ちわびていた。

「どう対処しますか?」
「葉っぱの方は反射するんで、腕をお願いします。根っこの方は……私が、気合でどうにかしてみますからっ」

 迫る地面。
 フラムの体が幹の半分ほどの高度まで来たとき――根は、一斉に動き出した。
 空中で体を捻り、最初の一本を回避。
 次は頭を傾け、その次はあえてアビスメイルで攻撃を受けて吹き飛び場所を変える。
 この鎧は、ちょっとやそっとのダメージでは傷一つ入らない。
 胴体を狙った攻撃は、むしろフラムにとってチャンスだった。
 踊るように落下し、根の猛攻をやり過ごす中、そんな彼女を狙って葉が降り注ぐ。

「上から来ました!」
跳ね返れリヴァーサルッ!」

 一瞬だけ、意識を背後に向ける。
 その隙に一本の根がフラムの頬を掠め傷を負わせたが、大したものではない。
 葉は反射され上へ向かって飛んでいき、それとほぼときを同じくして彼女は地面に着地する。
 地に足さえ付けばこちらのものだ。
 フラムは手近な根を掴むと、『そういえば最近あんまり使ってなかったな』と思いながらエンチャントを発動させる。

「打撃はダメでも炎ならっ!」

 掴んだ根は、一気に燃え上がった。
 そしてすぐに苦しそうにのたうち回ると、地面に埋まる。
 燃やすのは有効なようだが、おいそれと幹の方には使えない。
 ミナリィアの肉体が完全に破壊されてしまえば、セーラの回復魔法で戻すのが困難になってしまうのだから。
 だが、炎でひるんだのか少しだけ神樹の攻撃が緩む。
 フラムはその隙に目を閉じ、息を吐き出し、意識を集中させた。

 確かに今の彼女に武器は無い。
 ゆえに、体内で生成したプラーナの使いみちは、身体能力の向上のみである。
 それがもどかしい。
 ステータスの向上により、以前とは比べ物にならないほど強力な騎士剣術キャバリエアーツが扱えるようになっているはずなのに。
 どうにかして武器を手に入れることはできないか。
 考えた末――フラムは一つの結論に達した。

 剣が無いのなら、その場で作ってしまえばいい、と。

 プラーナに身体能力向上という汎用性の高い使いみちがありながら、騎士剣術・・と名乗っているのは、おそらく力を振るう媒体として最も相性の良い武器が剣だからだ。
 ゆえに武器を持っていない今、手のひらからプラーナを放出しようとしても、うまく形を作ることができない。
 ガディオほどに熟練した使い手ならば、それでも容易くプラーナで作り出した剣――すなわち気想剣プラーナブレイドを生成することができるだろうが、フラムだとそうはいかない。
 一呼吸置いて、意識を研ぎ澄ました作り出せたのは、刃渡り一メートルもない、いびつな剣。
 だがそれでも、紛れもなく剣であった。
 フラムはそれを振り払い、渾身の斬撃を放つ。

「はああぁぁぁぁぁああああああッ!」

 射出された気剣斬プラーナシェーカーは、以前のものに比べあまりに巨大で、そしてあまりに速かった。
 気想剣プラーナブレイドによって作られた剣を使った場合、もちろん通常の大剣を使ったときよりも威力は落ちる。
 だがその欠点を補ってあまりあるほど、今のフラムの力は圧倒的だったのだ。
 射線上の神樹の根は為す術もなく全て切断され、殴ってもほとんどダメージを与えられなかった幹にも、深い溝が刻まれる。
 確かな手応えを感じたフラムは笑みを浮かべ、再び剣を振り上げた。





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コメント

  • 屠龍♪

    面白いです。ネイガスとセーラのシーンがあるなんて良かったです。本買います。楽しみにしてます・

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