「お前ごときが魔王に勝てると思うな」とガチ勢に勇者パーティを追放されたので、王都で気ままに暮らしたい
閑話4-2 冷たく燃える
反射的に肉体が感じる親近感を、インクは心の底から嫌悪した。
狼の顔、蜘蛛の手足、蜻蛉の羽。
ともすれば妖精のようにも見えるそれは、間違いなく人狼型キマイラの生き残りだ。
フラムやエターナから、飛竜型の生き残りがいることや、その原因については聞いていたが――そこに人の手が加われば、人狼型でもオリジンが消えても生存可能ということか。
オリジンコアはすでに効果を失っている。
しかしそいつの“瞳”の内側に、インクは渦巻くものを見た。
「離してっ、離せえぇぇぇぇっ!」
騒ぎ、暴れる。
コンシリアの地下に張り巡らされた水路に、少女の声が響いた。
しかし、びくともしない。
蜘蛛の足にがっちりと体を抱きかかえられ、どこか遠くへと連れ去られていく。
「くっ……」
歯ぎしりをして、にらみつけ――インクはなおも抵抗を続けた。
「バブルプリズンっ!」
エターナから教わった、水属性魔法の発動。
現れた泡がキマイラの頭部を包み、呼吸を阻害する。
「グガッ……ガッ……!」
彼を動かしているのはコアではない、その肉体の残された心臓だ。
人間と同じ仕組みで生命を維持しているいのだとしたら、酸素さえ止めれば殺すことができる。
「ガアァァァァッ!」
するとキマイラが吠えた。
口から螺旋の力場が発せられ、泡が弾ける。
「これで終わりじゃな……いっ……!?」
キマイラの目が、インクをじっと見つめた。
視線が絡む。
渦巻き模様が、ぐるぐると、ネジのように体の中に入り込み、意識をかき乱す。
「こ……こ、れ……う、ぶ……ぐぇ……っ」
逃げられない。
そう言われているようだ。
たとえ神が滅びようとも、咎は、罪は、その肉体に刻まれ続けるのだ。
喉が脈動する。
腹の底――否、もっと別の場所から、大きくて丸いなにかがせり上がってきて、口から吐き出された。
「は……は……あ……」
キマイラは現在進行系で移動を続け、インクが産み落としたそれはどんどん離れていく。
薄暗い水路の中、人の目では可視範囲はせいぜい数メートルだが、それでもはっきりと見えた。
目。
人を殺した、目。
あの人の腕を奪った――
「あ……ああぁ……」
インクの胸で脈打つのは、デインの――人間の心臓だ。
今の彼女は間違いなく人間。
しかし、0歳から心臓の代わりに命を繋いできたオリジンコアの影響は、すでに全身に染み込んでいる。
消えない。
四年ぽっちでは――否、何年経とうとも。
「まだ……まだ、こんな……ああぁぁぁぁああああああっ!」
涙をこぼして、叫んだ。
時間が解決してくれると、それ以外に望むべくもなかったから、放置するしかなかったのだ。
だから、自分の体が当時から変わっていないことは、薄々わかっていた。
それでも心のどこかで期待していた。
自分は“普通”に近づいているのだと。
いや、ただの普通ではなく――それはエターナの望む普通だ。
他の王国で生きる人間と同じように……好きな人が望むのなら、そうなろうと思った。
けれど不思議なことに、普通になればなるほど、エターナは遠ざかっていく。
彼女は異常地点にとどまって。
だけど、だからと言って、インクが異形に戻ったところで、近づくわけでもないのだ。
むしろ、普通を目指すのとは違う方向に離れてしまう。
繰り返す吐き気。
せり上がってくる、ぬるりと生暖かい眼球。
求めてはならない。
十四にもなってわがままを言い続けて、困らせて、挙句の果てに勝手に飛び出したのは自分なのだから。
それでも彼女の名を呼ばずにはいられない。
「エターナ……助けてぇ……っ」
届くはずもない、か細い声。
まあしかし、呼ぼうが呼ぶまいが――彼女がインクを見捨てるはずもない。
水路に地鳴りのような、腹の底まで震わす音が鳴り響く。
キマイラの背後、暗闇の向こうから、大量の水が押し寄せる。
その先頭に、氷のボードにより波に乗るエターナの姿があった。
「インクッ!」
「エターナぁぁぁぁぁっ!」
ヒーローのように現れた想い人の名を、喉が枯れるほどの声で呼ぶインク。
だが手をのばすことすら許されない。
キマイラはエターナの姿を横目で見ると、さらに速度をあげた。
「逃さない、絶対にここで取り返す」
彼女が手を前にかざすと、背後にある大量の水の一部が弾丸となって放たれる。
インクを傷つけないよう気を使ったせいか数はそこまでではないが、狙いは正確そのものだ。
回避ルートまで計算した上で、逃げ道を塞ぐように射出される。
だが――キマイラは回避すらしない。
代わりに、横腹あたりがぼこっと膨らみ、そこから魔族の上半身が現れた。
髪が紫の、細長く、気味の悪い男――彼はニタァと笑うと、手をかざして魔法を放つ。
「アクアバレット・イリーガルフォーミュラぁ」
ねっとりとした言い方で唱えると、無数の水の弾丸がエターナの放ったそれを相殺し、さらに彼女自身を狙う。
「アイスシールド!」
氷の盾が弾丸を防ぐ。
しかし衝撃で減速、キマイラの――否、男の姿は遠ざかる。
「誰っ、誰なのっ!?」
戸惑うインクに、男はその頬を指先で撫でる。
引きつる表情を見て満足気に笑い、彼は答えた。
「知ってるだろぉ? 顔とかさぁ、よく似てるって言われるんだよねぇ!」
「ディーザの子供……!」
苛立たしげに吐き捨てるエターナ。
言われてみれば、細い輪郭や鋭い鼻は似ているような気がする。
だがそれ以上に――纏う不快な雰囲気が、なによりもそっくりだった。
「そーそー、それ。ジェリルって言いまぁす、よろしくね?」
「ふざけるなっ! インクに手を出すというのなら、誰だろうとわたしは許さない!」
「うわっとぉ!?」
水の剣がジェリルの頭部を狙う。
彼は慌ててキマイラの体内に引っ込むと、別の部位から顔を出した。
「わぁ。エターナ・リンバウって冷静で大人しいって聞いてたのにぃ、話と違うんだけどぉ? まぁ、どちらにしてもここは逃げさせてもらうけどねぇ」
「逃さないと言って――」
「いいや、逃げさせてもらうさぁ」
「っ!?」
ズドォンッ! とエターナの頭上から、鋭く尖った岩の杭が落ちてくる。
「まだ敵が――!」
寸前で回避はしたものの、水路の天井は崩落し、瓦礫に飲み込まれていく。
さらに砂埃が舞い上がり、無事を確認することすらできなくなってしまった。
「エターナっ!」
インクが必死に呼んでも、返事は無い。
だがジェリルは、あの程度でエターナが死なないことを理解している。
「足止めはできたんだ、僕は僕の目的を果たさせてもらうよぉ」
「離せえぇぇぇぇっ!」
「黙っててくれないかなぁ、うるさい子供は嫌いなんだよねぇ」
「あたしはっ、エターナに……っ、ちゃんと、伝えないといけないことがっ!」
「うるさいって言ってんの、わかんない?」
「がぼっ……!?」
ジェリルの魔法が、インクの喉に水を満たす。
「がっ、ぐうぅ……う、んぐうぅっ……!」
一切の呼吸が止められ、彼女は目を剥きながら手足をばたつかせた。
地上にいながら溺れるような感覚。
顔色はみるみるうちに青ざめ、あと十秒も続けば意識が飛んでしまいそうだ。
「安心しなぁ、殺しやしないからさぁ。君には役目が有るんだぁ……新生オリジン教のシンボルになるっていう、大事な役目がねぇ」
インクの耳元でそう囁くと、ジェリルは彼女の頬を舐めた。
そしてキマイラの体内に戻っていく。
以後、水路から脱出するまで、追跡者が彼らを捉えることはなかった。
◇◇◇
「おーい、返事してくれないんですかー?」
地面に空いた大きな穴に声をかける、ジェリルよりも若い魔族の男――名はデザァロと言った。
彼の体は、例のごとく獅子型キマイラの胴体から生えている。
「まーさかー、英雄ともあろうものがー、こんな簡単に死ぬわけないですよねー?」
彼が呼びかけているのは、水路にいたエターナに対してだ。
彼女を襲ったのは、地属性魔法“アーススピア”。
当然、法外呪文も使用してある。
その強大な威力は、周辺の民家を大きく揺らすほどで、コンシリア西区に暮らす住民たちは、遠巻きにその異形の姿を眺めていた。
中には四年前、実際にキマイラの姿を見たものもおり、歯をカタカタと鳴らしながら恐怖している。
デザァロはその様子を見てご満悦である。
テロリスト組織“神の血脈”は、『自分たちこそ被害者だ』と主張する。
なぜなら、心の拠り所であったディーザやオリジンを一度に奪われてしまったのだから。
ゆえに、彼らの存在する世界こそ正しい姿だと主張し、現在の平和な世界を破壊するべく活動してきた。
そんな神の血脈にとって、オリジンのいないこの世界で幸せを享受する国民は全て、侮蔑の対象であり、彼らの恐怖は何よりのご褒美なのだ。
しかし――フラムの帰還によって、今はそのチャンスすら失われた。
彼女はコンシリアで異変が起きれば、どこであろうと一瞬で現れて、その圧倒的な力で作戦を台無しにしていく。
つまり、フラム不在の今こそが、神の血脈にとって最後のチャンスであった。
彼女が戻ってくる前に持ちうる全ての戦力を放出し、王城を占拠する。
『オリジン様の力――コアが無くとも動き続けるキマイラが必要ですな』
それはディーザが死の少し前に、息子たちに指示した言葉である。
周到な彼は、オリジンが死んだあとも考えていたのか、はたまた単純に、フラムにコアを破壊されても動ける兵器を欲したのか、今や真意はわからない。
だがそれによって生まれたのが、フラムが撃退した自然と生き残った飛竜型とは違う――人為的に生き残ったキマイラ。
オリジンが存在するうちにコアから肉体に力を蓄え、消滅後もそのエネルギーを維持しつづけた特別製の化物。
それと“同化”することにより、さらなる力を手に入れたディーザの子供たち――
まさに神の血脈にとっての切り札だ。
それら全てを使い尽くせば、計算上は、コンシリアに残った全戦力を潰すことも可能なはずであった。
今のデザァロは、それだけの魔力を持っている。
先ほどの不意打ちでエターナが即死した――その可能性も有り得なくはなかった。
「完全に死体を確認するまでは油断するなって言われてるんですよねー。出てこないならー、このまま野次馬殺しちゃいますけどいいですかー?」
歯を見せて笑うデザァロ。
むしろ出てきてほしくない、好き放題に弱者を蹂躙して殺し尽くしたい。
そんな欲望が、表情に醜く滲み出ている。
すると――地面にあいた穴から、じわりと水が溢れ出してきた。
「おー? やっぱり生きてんじゃないですかー。でもオレ的にはー、そのまま様子を見てタイミングをはかったほうがよかったと思いますよー?」
彼は別に、根拠もなく生意気な言動を撒き散らしているわけではない。
確信しているのだ。
この肉体なら必ず、エターナ相手であろうと勝てるはずだ、と。
そしてキマイラによる感覚の拡充によって、彼女が自分の足元にいることも把握している。
どうやら穴よりも少し奥、天井が破壊されていない場所で息を殺して潜んでいるようだ。
「今のオレ、めっちゃ強いですからー」
事実、彼のステータスは――
--------------------
デザァロ
属性:土
筋力:19421
魔力:21512
体力:18522
敏捷:15817
感覚:13923
--------------------
オリジンと戦った英雄――当時の彼らを超える力を有していた。
キマイラの“螺旋の力”を交えれば、デザァロのみで英雄二人を相手に取ることも可能かもしれない。
彼が勝ち誇るのも仕方のないことだろう。
「さっきから水がちょろちょろ出てくるだかんですけどー、もしかしてビビってますー?」
エターナはなおも動きを見せない。
その溢れ出す水が魔法によるものかはっきりしないため、無事かどうかもわからないままだ。
「仕方ないですよねー。じゃあそのまま見ててくださいよー、英雄の目の前でー、人間、殺しまくっちゃいますからー」
待ちきれないデザァロは、目を細めて野次馬たちを見た。
偶然視線があってしまった女性は、慌ててその場を走り去る。
その後も彼は、誰から殺そうか――と品定めをするように、怯える民衆を眺めた。
だが動きは途中で止まり、パチンと手をたたく。
どうやら、なにか思い出したようだ。
「あ、ジェリルのやつに油断するなって言われてたんだっけ。じゃあボーナスタイムの前に、トドメってことで――アーススピアのイリーガルフォーミュラ、いっちゃいますねー」
空中に巨大な岩の塊が浮かび上がる。
それは先ほどエターナの頭上から降り注いだものを凌ぐサイズだ。
彼女が地下水路で意識を失っているのだとしたら、ひとたまりもない大きさである。
デザァロの表情が邪悪さを増す。
歯をむき出しにして、頬に皺を寄せ、目をぎょろりと見開いて――
「無様に地下水路に引きこもったまま、死んじゃってくださいよぉぉぉっ!」
強く、拳を握った。
落下する隕石のごとく落下するアーススピア。
さらにそれは空中で回転を始める。
螺旋の力で、さらなる威力を得ようとしているのだ。
仮に今から防ごうとしても、エターナの魔力では不可能。
逃げようとしても、岩は落下するだけではなく、追尾することもできるのだ。
勝利を確信するデザァロ。
一方で地下水路内では――エターナがようやく準備を済ませていた。
左の手のひらの上には、拳大の水が浮かんでいる。
それはエターナの背後から押し寄せていた大量の水を、限界まで凝縮したものだ。
左腕を天にかざす。
水で作り出した右手で支える。
両足にも力を込め、瞳を閉じて、「ふうぅ」と息を吐き出す。
「あっははは、英雄も大したことないんですねぇー!」
迫る岩塊。
水路も大きく揺れ、頭上からは砕けた天井が落ちてくる。
人の頭よりも大きな瓦礫が真横に落ちても、エターナの集中は途切れなかった。
そして十分な量の魔力が左腕に集まると、その魔法の名を紡ぐ。
「ユグドラシルファウンテン、イクシード・イリーガル」
小さな水の球体が、手のひらの上で、暴力的に弾けた。
次の瞬間、それはデザァロの体を飲み込むほどの大きな水の柱となって、天上へ向かって放たれる。
「は――」
ズドォォオオッ!
勝ち誇った彼の笑い声は、途中で肉体もろとも消し飛んだ。
エターナの放出した水は、一瞬にして天高くまで舞い上がり、コンシリアの人々は『何事か』と空を仰ぐ。
その水圧に、デザァロの肉体は打ち上がるどころか、文字通り消滅したのである。
正確には、目に見えぬほど細かく粉砕された――と言うべきだろうか。
ある意味で彼は幸せだっただろう。
インクを奪われ、ブチ切れた彼女を前に、一瞬で死ぬことができたのだから。
四年を経て発展した技術は、人々の生活を豊かにしただけではない。
魔力を向上させるより効率のよい訓練法、魔族から伝わった魔力の使い方、装備の質の向上などなど。
魔法を初めとした、あらゆる戦闘技術も発展し、進化を続けているのだ。
その結果、エターナの装備を含めたステータスは――
--------------------
エターナ・リンバウ
属性:水
筋力:1523
魔力:43162
体力:1834
敏捷:12114
感覚:10923
--------------------
対オリジン戦の頃よりも、遥かに向上していた。
また、彼女の洗練された技術により、放つ魔法の威力は数値以上である。
それらの要素が重なってしまえば、強固なキマイラの肉体でも耐えることはできない。
エターナは地下水路からアクアテンタクルスで脱出すると、空を見上げた。
ユグドラシルファウンテンにより巻き上がった水は、雨となって西区全体に降り注ぐ。
空には鮮やかな虹がかかったが、彼女は見向きもしなかった。
エターナは呼吸を整え、魔法を用いて連れ去られたインクの居場所を探す。
「……今度は、必ず仕留める」
そして走り出した。
その瞳に、彼女らしからぬ強い殺意を宿して。
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