「お前ごときが魔王に勝てると思うな」とガチ勢に勇者パーティを追放されたので、王都で気ままに暮らしたい

kiki

EX4 バレンタイン・カプリッチオ

 


 バレンタインデー、それはかつてこの世界で二月十四日に行われていた、女性が男性にチョコレートを渡すイベント。
 お菓子会社の陰謀だとか、元はバレンタインさんが処刑された日だとか色々あるが、実際に参加している人からしてみれば御託はどうでもいい。
 友達に渡してみたり、好きな人への告白ついでに渡してみたり、恋人への愛情表現として渡してみたり。
 バレンタインを口実にして、そういうやり取りを楽しんでいただけだ。

 ここコンシリアでも、バレンタインの風習が広がりつつあった。
 きっかけは、太古の遺跡より文献が見つかったこと。
 だがそこに記されていたのは、せいぜい“想い人にチョコを渡す風習”という内容ぐらいで、実際に当時の人たちがどういうノリでその日を過ごしていたのかまでは書かれていない。
 なので受け取り方は、人によってさまざまだった。
 必要以上に“遺跡から発掘された文献”という部分をありがたがり、『チョコは神を降ろす媒体であり、一年に一度だけ真なる神を対面できる日なのだ』と解釈して巨大なチョコ像を作る者もいれば、『好きな人にチョコを渡せばその人の感情をねじまげて自分に気持ちを向けられる呪いの日』と受け取って、下心満載で作る者もいた。
 もちろんそんな面倒な人間は一握りだが、なにやらただならぬ意味が込められているのでは――と思う人間は少なくなかった。
 それも仕方ないことだ。
 今の世界においてカカオはかなり高級品で、それを素材にして作るチョコレートなど、一般市民が口にできるものではないからである。



 ◇◇◇



 二月になったばかりのある日。
 夕食の席で、インクは何気なくキリルに問いかけた。

「キリルの行ってるお菓子屋さんに、チョコって無いの?」
「さすがに無いと思うけど……どうしていきなりチョコなんて」
「お菓子屋さんなら聞いたことあるんじゃないかな、バレンタインってやつの話」
「あー、あったねそんなのも。好きな人にチョコを渡す特別な儀式、だっけ」
「そんなものがあるんですか?」

 ミルキットは興味津々だ。
 それに答えたのはエターナだった。

「少し前に、遺跡から発掘された文献から見つかったらしい」
「最近、雑誌で特集が組まれたりして、ちょっとした話題になってるやつですよね」

 フラムの言葉にうなずくエターナ。

「そうだったんですね……ご主人様、そういう雑誌も読まれるんですか」
「ギルドで待ってる間とかにね」

 整備された今の西区のギルドには、そういった雑誌も揃っているのだ。
 以前の薄汚れていた頃は、どちらかと言うと男性向けの下世話な本が多かったのだが。

「そうそう、そのバレンタインなんだけど、できればエターナに渡したいなと思ったんだ」

 エターナのフォークを握る手がぴたりと止まった。
 そして少し恨めしそうな目でインクのほうを見る。
 だがそれは照れ隠しで、少し頬が緩んでいるのは一目瞭然だった。

「そういうのは内緒にしておくものだと思う」
「いやあ、どうせ手に入らないだろうと思って。噂によるチョコレートには人をやらしい気分にさせる効果があるそうだから、食べさせたらエターナが勢いで押し倒してくれないかなーとか考えてたのに」
「またそういう下品な話をする……」

 赤らむエターナの頬。
 本格的にお付き合いを始めた二人だが、フラムとミルキットとは対照的に、非常に清いお付き合いをしているようだ。
 キスも数えるほどしかしておらず、先駆者二人の濃密な絡みを見せつけられてきたインクとしては物足りないらしい。

「あはは……でも、お店としては手に入れたい気持ちはあるみたいだよ。目玉にできるからね」
「確か、カカオとかいうのが必要なんだよね。キリルちゃんのお店では入手できたの?」

 キリルはふるふると首を左右に振り否定した。

「今のところ王国に栽培してる場所は無いから、南のほうで自生してる木を探すしかないんだって」
「うっはぁー、それは大変そうだね。じゃあ冒険者にも依頼が来てたりするのかな。私は気にしてなかったけど」
「もちろんあると思うよ。木を見つけたら、軽く家が経つぐらいの報酬はもらえるんじゃないかな」

 それを聞いて、インクとフラムは同時に『ほへー』と気の抜けた声をあげた。

「ご主人様に渡せないかと思ったのですが、さすがに無理そうですね……」
「大丈夫だよ、ミルキットの愛はいつだって私に届いてるから」
「ご主人様……ありがとうございます。ですが愛し足りないんです、私の気持ちを全て伝え切るにはそれでもまだ」
「これ以上伝えられたら私壊れちゃうかもよ?」
「それでも……なんです」
「ふふふ、本当にミルキットは私のことが好きなんだね。嬉しい」
「私も、それでご主人様が喜んでくれることが嬉しいです」

 そんなやり取りをしながら、自然と近づいていくフラムとミルキットの距離。
 そもそも、椅子の初期位置の時点で肩が触れるほど近く、もはや最初からキスをすることを前提にしているとしか思えなかった。

「好きだよ、ミルキット」
「私も好きです、ご主人様」
「今日のご飯も、とってもおいしい」
「ありがとうございます」
「いつもありがとうね」
「いえ、私のほうこそご主人様に……んっ、支えていただいて」
「足りないの。もっと私の気持ちを伝えたい」
「だめですよぅ……私のほうが、壊れてしまいます……っ」

 浅いキスを繰り返しながら、周囲の目など気にせずにいちゃつきだす二人。
 ふとしたきっかけでフラムとミルキットが二人の世界に入り込むのは今や日常茶飯事で、もはやエターナですら『またはじまった』と呆れることすらしない。

「カカオかぁ……そこらへんにころっと落ちてるといいんだけどなー」
「宝くじに当たるより難しい」
「夢が無いなあ、エターナは」
「リアリストだから。それにそんなものが無くたって……その……インクは、わたしの恋人だから、気にしなくていい」

 それはエターナにとって精一杯の勇気だったらしく、耳まで真っ赤に染まっている。

「エターナ……えへへ、そだね」

 インクはでれっと笑った。
 その様子を見ながら、パクパクと食事を進めるキリル。
 しかし彼女はおかずに手を伸ばしていない。
 この空間に満ちる幸福感でいくらでも食べられる――そう言わんばかりに、黙々と食べ続けていた。



 ◇◇◇



 その翌日、ギルドには珍しくエターナの姿があった。
 最近はもっぱら魔法の研究や薬の開発で生計を立てている彼女だが、戦いの腕が落ちたわけではない。
 テロリストとの戦いを経て、まだ力を磨く必要があると考えた彼女は、以前にも増して熱心に訓練を行うようになった。
 水の魔法も、周囲に浮かぶ魚型の球体を使った格闘術も、確実に洗練されている。
 しかしながら、今日ギルドにやってきたのはそれが目的ではない。

「おやエターナ様ではないですか、いかがなさいましたか?」

 受付カウンターのメイアは、少し驚いた様子で声をかける。

「依頼を見たくて来た」
「珍しいですね、お金に困ってらっしゃるのですか?」
「そんなわけはない、これでもお金持ち。ただ、どういう依頼が出てるか気になって来ただけ」
「それはなおさら珍しい。Sランク向けの依頼は……ああ、こちらがございます」

 差し出された書類は、『カカオ採取依頼』と書かれている。

「同様の依頼がAランク、Bランクでも出ていますが、こちらが最も報酬の高いものですね。今のところ誰も受けていないようですが」
「本当に出てるんだ……目的はやっぱり、バレンタインに合わせて?」
「エターナ様、それを調べるために来られたんですね。ええそうです、商人や貴族たちがこぞってカカオ豆を欲しがっているようでして、中にはギルドを通さずに冒険者に仕事を依頼する方もいるほどです」

 メイアは少し困っているようだった。
 冒険者に直接依頼すること自体は違法ではない。
 ギルドに手数料を取られないので、コネさえあればいい稼ぎになる。
 しかしそういった依頼は、非常に危険だったり、犯罪が絡んでいたりすることも珍しくない。
 そして往々にして、そういう依頼を受ける冒険者というのは、振る舞いが粗暴だったり、倫理観に欠けていたりと、問題児が多いのだ。

「すでに出発している冒険者の方も多いですし、現地が荒れていないかが心配ですわ」
「現地は混沌としていると……これはチャンスかも」

 今のエターナの実力ならば、例えSランクだったとしても、他の冒険者に遅れを取ることはない。
 バレンタインデーまでもう一ヶ月も残されていない。
 つまりエターナは今の段階ですでに出遅れているわけだが、それでも手遅れではないわけだ。

「まさかエターナ様、依頼ではなく個人的にカカオを探していらっしゃるのですか?」
「まあ、そういうこと」
「インク様に渡されるために、ですか」
「……まあ」

 恥じらい、メイアから目をそらすエターナ。
 メイアは心なしかニヤついているように見えた。

「話を聞いたところによると、カカオを手に入れただけではチョコレートの原料にはならないそうですが。発酵や乾燥など、面倒な手順がいくつもあるそうですよ」
「それぐらいはわかっている。そういうのは、わたしの得意分野だから」
「現地の方もどこに生育しているかもわからないので、広大な山を探索するところから始めなければいけないとか」
「……もしかして、わたしを行かせたくない?」
「それは当然です。ただでさえ現地に人が殺到しているというのに」
「それでもわたしは諦めるつもりはない。わかった、ギルドで場所を教えてくれないなら、力ずくでもそこらの冒険者から聞き出す。ちょうど良さそうな酔っぱらいがそこにいるし」
「む……わかりました。いつも冷静なエターナ様がそこまで言われるということは、覚悟は硬いのでしょう。場所をお教えいたします」
「最初からそうしておけばよかった」
「私にも責任というものがあるのです」

 不満げなメイアには、現地の状況が伝わっているのかもしれない。
 それでもエターナは譲らなかった。
 インクと恋人同士になってからしばらく経ったが、まだ彼女が満足できるような“恋人らしいこと”ができていないのだ。
 かといって、キスやそれ以上の行為はエターナの得意ジャンルではないし、いくらインクがそれを期待していても、自ら迫るのは難しい。
 だからこういうイベントに参加することで、恋人らしさを演出していき、仲を深めていきたいと考えている。

 メイアから野生種のカカオが自生している地域の情報を聞いたエターナは、ギルドを出る。
 そして一旦家に戻ると、すぐさま荷物をまとめ、馬車ではなく水魔法で作り出した、やたら足の長いダチョウにも似た謎の乗り物を駆って、現地へと向かうのだった。



 ◇◇◇



 その日の午後――仕事を終えたキリルと、買い物にでかけていたミルキットは時間を合わせ、一緒に帰宅した。

「ただいまー」
「ただいま戻りました」

 声を合わせてそう言うと、いつもなら誰かしら返事をするはず。
 だが今日に限っては、なんの反応もない。
 ちなみにフラムはギルドの依頼に出かけているので不在なのだが、にしたってインクはいるはずなのだ。
 キリルとミルキットは顔を見合わせて首をかしげると、ひとまず家にあがる。
 そして居間を覗いた二人が見たものは――風船のように頬を膨らまし、不機嫌アピールをするインクとセーラと、そんな二人を若干困った様子で見ているツァイオンの姿だった。
 インクとセーラは仲がいいので一緒にいるのはわかるとしても、なぜツァイオンが――再び同時に首をかしげるキリルとミルキット。

「お、帰ってきたか」

 二人に気付いたツァイオンが声をかける。

「どうも、ツァイオンさん」
「どうかなされたんですか?」
「むしろオレがそれを聞きたいぐらいなんだが……」

 彼が頭を掻くと、膨れていたセーラがいきなり立ち上がり、吠えるように声をあげた。

「ネイガスがおらを置いて遠出しちゃったんすよー!」

 それにインクも続く。

「エターナもどっかいっちゃったのー! 何日か家を開けるって、あたしを置いて!」
「……つうことらしい」
「はあ……事情はわかったけど、なんでツァイオンさんが?」

 キリルの言葉に、こくこくとうなずくミルキット。
 するとツァイオンはさらに眉間にシワを寄せて回答する。

「それがな、うちの嫁さんも何日か空けるって出て行っちまったんだわ」
「シートゥムさんが、ですか?」
「これは集団浮気っす!」
「三人で集まってやらしいことをしてるんだー!」
「ネイガスはロリ二人に挟まれてデレデレしてるに違いないっす!」

 それは100%ありえないのだが、セーラもインクもそれぐらい不満らしい。

「ですがどうして、みなさん揃って出かけてしまったんでしょうか。なにか心当たりはありませんか?」
「オレに隠れてこそこそなんか調べてたのは知ってるんだが、なにを調べてたのかはさっぱりでな」
「どうせ行くならあたしも連れてってくれたらよかったのに」
「おらも……いや、おらは仕事があるから無理っすけど。でも、旅行なら日程を合わせて二人で行くべきっすよ!」
「なら旅行ではないってことじゃないかな」
「オレもそうだとは思ってるが……だったら、目的ぐらい話してくれてもいいと思わねえか? 隠すってのがよくわかんねえんだよな」

 五人で『うーん』と首をひねりながら考えるも、やはり目的はわからない。

「ネイガスに、おらより大事なものなんてないと思うんすけど!」
「うんうん、エターナもあたしのことが一番大事だって言ってくれたし!」
「なら大丈夫なんじゃないでしょうか、きっと二人のためになにかを探しに行ったんですよ」
「そうは言うっすけど、ミルキットもフラムが何日もいなかったら寂しいっすよね?」
「絶対に寂しくなって夜も眠れないはずだー!」
「それはそうですが……でも、なにかしら隠したい事情があるということでしょうし……」
「ほら二人とも、ミルキットが困ってるからやめてあげてよ」

 キリルがやんわりと諌めると、セーラとインクは『はーい』と声を揃えて椅子に座る。
 四年前に比べるとかなり成長した二人だが、恋人のこととなると子供っぽさが出てきてしまうようだ。

「でも私も驚いたよ、昨日までなにも言ってなかったよね」
「はい、エターナさんからは聞いてません」
「三人揃ってどこでなにしてんだろうなぁ……」



 ◇◇◇



 コンシリアの遥か南に、その町はあった。
 時折、貴族の避寒地として使われることもある場所だが、基本的にフラムの故郷と変わらないぐらいのド田舎である。
 そんなところにカカオを求めた冒険者たちが殺到しているわけで、当然宿泊施設は足りず、町の外にはテントが並ぶ異様な光景が広がっていた。

「これはまた……メイアがわたしを行かせたくなかった理由もわかる」

 明らかに町のキャパシティを越えた人数。
 食料、水、トイレなど、様々な問題が起きているのは想像に難くない。
 もちろんエターナは、そういった事態を想定して、コンシリアで食料等は仕入れてきた。
 水やトイレは、自身の魔法でどうにでもなる。
 その気になれば、水のドームを使ってベッド代わりにすることだって可能だ。
 できるだけ町に迷惑をかけないように、施設は使わない。
 しかし、情報を集めるためには、やはり一度は足を踏み入れなければなるまい。

「みんな心なしか慌ただしいし、表情も浮かない。特需で湧いてるのはごく一部……」

 歩きながら住民を観察するエターナ。
 この町でカカオを栽培しているならともかく、あくまで周囲に自生している話があるだけだ。
 特別ここに住む人々が儲かる、というわけではないのだろう。

「お、おい、あれエターナ・リンバウじゃねえか?」
「マジかよ、あんな大物まで争奪戦に参加してんのか!?」

 エターナの格好はやはり目立つ。
 ただでさえ水着のような服を着ている上に、謎のオブジェまで浮かべているのだから、もはや一目瞭然だ。

「他にもとんでもない連中が来てるらしいな」
「魔族もいるんだろ? クソッ、Bランクの依頼なんか受けるんじゃなかったぜ」

 彼女はそこらじゅうから聞こえてくる話に、聞き耳を立てる。
 町を見た限りでは、そこまでの大物がいるとは思えなかったが――やはりそのレベルの冒険者になると、町に迷惑をかけないよう、しっかしと準備した上で野営しているのだろう。
 つまり、今この町にいるのは、低ランクの冒険者ばかり。
 信憑性の高い情報は期待できないかもしれない。

「それにしても……」

 だから・・・なのか、あるいはメイアが言っていたように、ギルドを通さない依頼を受けてきた者が多いからなのか――

「こんだけ金を積んでんだ、出せねえなんていわせねえぞっ!」
「そうは言われましても、もう商品が……」

 いかにもかつての西区にいそうな冒険者が、住民に絡んでいる姿がちらほらと見受けられる。

「なあ、いいだろねえちゃん。俺ら困ってんだよ。一晩だけでいいんだ、泊めてくれよ」
「困ります。そんな余裕、うちにはありませんので」
「ベッドは一緒でもいいんだ。悪いようにはしねえって、な?」
「いや……っ!」

 エターナは「はぁ」と大きくため息をつくと、左手に微かに力を込めた。

「口ごたえするな! 俺はAランクの冒険者なんだ、こんな店なんて簡単に――ってなんだこの触手!? 引っ張られて……うおおぉおおおおおっ!?」
「嫌がるんじゃねえよ、たった一晩だぞ? いい夢を見せてやるって言ってぶぎょぉっ!? いってぇ……なにかが顔にいきなはぶっ!? ふごぉっ!!」

 すると町のいたるところから、チンピラどもの叫び声やらうめき声やらが聞こえてきて、中には空高く舞い上がって町の外まで吹き飛ばされる者までいた。

「こんなことをしにきたわけじゃないんだけど……」

 そう言いながらも、さすがに見過ごせなかった。
 あんなのを放置していれば、冒険者やコンシリアという街の印象を悪くしてしまう。
 フラムなんて王国中を文字通り飛び回って頑張っているのに、それを台無しにするような真似は許せなかった。
 するとエターナに助けられた女性が、こちらに駆け寄ってくる。

「ありがとうございます、助かりました」
「大したことはしていない」
「いえ、そんなことは。それに、その……あなたは、エターナさんですよね? オリジン討伐に参加した英雄の」
「まあ、一応そういうことになっている」
「うわ、本当に本物だった……あの、握手してもらってもいいですか?」

 口を真一文字に結んだまま握手に応じるエターナ。
 ぶすっとしているようにも見えるが、こういったファンサービスに慣れておらず、少し照れているだけだ。

「ありがとうございますっ! エターナさんは、もしかして他の冒険者と同じようにカカオを探しに?」
「うん。できるだけこの町には負担をかけないようにするつもり」
「でしたら……私の知っている情報、お教えしましょうか? 助けていただいたお礼になるかはわかりませんが」
「むしろあの程度のことで教えてもらえるなら安いもの」
「それはよかったです。実は、私の子供が言っていた話なんですが――」

 子供の情報らしく、非常に曖昧でアバウトな表現ではあったが、こうしてエターナはカカオの場所を知ることに成功する。
 遅れてこの町に来たにもかかわらず、他の冒険者よりも一歩先に進むことができたのだった。



 ◇◇◇



 得た情報をもとに、彼女は町から少し離れた場所にある山にやってきた。

「双子山の右側、たんこぶが三つあるうちの真ん中――」

 目的地に辿り着くと、ここから先は手探りでカカオの木を探すしかない。
 両手で道を塞ぐツタをときにかきわけ、ときに切り落とし進んでいく。
 ここに来る途中で、何度か他の冒険者の姿を見かけたが、この場所までたどり着いた者は一人もいないようだ。
 周囲に人が踏み入った形跡が残っていないのがその証拠である。

「持って帰ったら、喜んでくれるかな……」

 コンシリアで待つ恋人も、まさかバレンタインにチョコをもらえるとは思っていないだろう。
 理由も告げずに家を空けてしまったことは怒られるかもしれないが、きっとそれ以上に喜んでくれるはず。
 その顔を想像すると、いくらでも力が湧いてきた。
 そして絡み合ったツタを魔法で切り裂くと――他よりも少しだけ開けた場所にでる。

「あったわ!」

 実をひとつだけ・・・・・ぶら下げた大きな木が、そこにはあった。
 念願のカカオを見つけ、彼女は駆け出す。
 そしてカカオポッドに手を伸ばす。
 すると――

「あら?」
「……あ」
「あれっ?」

 三人・・が、そこで鉢合わせた。
 全員が互いの顔を見ながら、目を見開く。

「エターナに、シートゥムじゃない」
「魔族二人がどうしてここに……」
「え、エターナさんにネイガスっ!? まさか二人ともカカオを狙ってきたんですか?」

 それは誰もが予想だにしなかった顔ぶれだった。
 恋人を置いてコンシリアを発ったのは、エターナ一人ではなかったのだ。
 ネイガスもシートゥムもまったく同じ目的でこの場所を目指し、そして奇跡的に同じタイミングでたどり着いた。
 そして、実ったカカオポッドは一つだけ。
 つまり――恋人にチョコを渡せるのは、この中で一人だけ。

「一応確認しておくけど、あなたたちの狙いはカカオなのね?」
「当然」
「それ以外にありませんよっ!」
「それで、私に譲ってくれるつもりはないのね?」
「インクがコンシリアで待ってるから無理」
「むしろネイガスが、私の上司特権で諦めてくれるとか……」
「無いわね」
「ですよね!」

 魔王と言っても、それ以前に二人は幼馴染。
 上司特権など通用するはずもなかった。

「でも、魔王がカカオを手に入れられなかったのに、その部下であるネイガスが持って帰ったら気まずい。逆に魔王だけ持って帰って部下が手ぶらで帰ったら、上司としての器の狭さを指摘されるかもしれない。ここはわたしが持って帰るのが一番丸く収まる方法だと――」
「丸かろうと尖ってようと、私はバレンタインにセーラちゃんとチョコプレイをやるって心に決めたのよ!」
「なっ――そんないかがわしい行為にチョコを使うなんて言語道断です!」

 顔を真っ赤にして憤るシートゥム。
 その反応を見て、ネイガスのいじめっ子スイッチが入ったようだ。

「とか言いながら、あんただってツァイオンとそういうプレイをやるつもりなんじゃないの? セイレルが言ってたけど、なかなかお盛んだって――」
「私は普通に渡します! というか魔王城に住んでるわけじゃないセイレルがそんなこと知ってるわけありませんからっ!」
「わたしも普通に渡すから、この時点でネイガスは失格」
「そうですそうです! バレンタインデーは神聖なものなんです!」
「私にとってセーラちゃんとのえっちは神聖なものよ!」
「あー! えっちって言いましたね! 包み隠さず言いましたね!?」
「えっちはえっちよ! 好きな人と気持ちよくなってなにが悪いのよ!」
「うわー! わー! ダメですよネイガスっ、こんなお天道様が見てるところで卑猥な発言は!」
「えっちえっちえっち!」
「ああぁー、ダメです! バチがあたりますからぁ! エターナさんもなにか言ってやってください!」
「……ん」
「恥ずかしくてなにも言えないって感じの顔してるわ」
「どれだけウブなんですか!?」
「それは仕方ない、まだわたしとインクは……そ、そういうこと、してないから」

 いかにも乙女なエターナの反応を見て、固まる二人。
 特に爛れた生活が日常となっているネイガスにとっては信じられないようだ。

「そんな引かれるようなことを言ったつもりはない! そもそもシートゥムは見た目が犯罪だし、セーラに至っては年齢も完全に犯罪。それで堂々としてるほうがおかしい!」
「愛の前に法律なんて無力よ! ほらシートゥムもなにか言ってあげなさいよ」

 顎でシートゥムをけしかける。
 しかし彼女は人差し指を唇に当て、「うーん」と悩みながら逆にネイガスに尋ねた。

「正直なところ、どうなんです?」
「なにがよ」
「好きになった人が幼かったのか、それとも幼かったから好きになったのか……」
「はぁ? そんなのセーラちゃんがたまたま幼かったからに決まってるじゃない! まあ、幼女体型に興奮したり、成長しても幼さを残してくれたことが嬉しくないと言えば嘘になるけど」
「うわぁ……」
「やっぱりロリコンだったんですね……実は私のことも狙ってたんでしょうか」
「案外わたしも守備範囲内だったのかもしれない」
「私を幼女だったら見境なく手を出す女みたいな目で見るのはやめなさいよぉ! セーラちゃんだから! セーラちゃんだから愛してるし興奮してるのー!」

 ネイガスは必死に弁明するが、時すでに遅し。
 エターナとシートゥムは彼女から物理的に距離を取ろうと後ずさっていた。

「ああもうっ、このままじゃ埒が明かないわ。私たちの目的は言い争いをすることじゃない、誰がカカオを手にするかよ! こうなったら、戦いで決めましょう!」
「ここでやりあうってこと?」
「ネイガスも無謀なことを言いますね。魔法での戦いなら、私が一番強いのは知っているはずです」

 得意げに、無い胸を張って勝ち誇るシートゥム。
 実際、単純な魔力だけなら、今でも彼女が一番強い。
 それは認めるところだが――実戦となると事情が変わってくる。

「わたしだって最近は鍛えてる。戦いの経験もそれなりにある。相手が魔族だとしても、遅れをとるつもりはない」
「ふっ、私には愛の力があるわ。どんな力の差があろうと、絶対に負けない!」
「ロリコンパワーだ」
「ロリコンパワーですね」
「だから違うって言ってるじゃない!」

 もはやネイガスがなにを言おうと二人に届くことはない。
 そもそもどうあがいても覆せない事実なのだから、否定したところで無意味なのは当然のことである。

「ですがネイガス、ここで戦ったらカカオの木が危ないですし、なにより他の冒険者に場所を知らせてしまうことになります。かといってこの場を離れてしまえば、その隙に奪われるかもしれない」
「確かにそうね」
「わたしは、穏便にじゃんけんで決着をつけるのがいいと思う」
「私もそれに賛成します。身内同士で傷つけあったってなに一ついいことはありませんからね」

 なにより、ボロボロになって帰ってきたらコンシリアで待つそれぞれのパートナーが悲しむだろう。
 そしてその理由のあまりの下らなさに怒るはずだ。

「そうね……わかったわ、ならじゃんけんで決めましょう。恨みっこなしの一発勝負よ? いい?」
「わかってる」
「絶対に勝ちます……!」

 各々が腕に力を込める。
 エターナは自らの切る手札を悟られないためか、あえて水で作り出した右腕で勝負に臨むようだ。
 シートゥムは天に祈るように胸の前で両手を組み、瞳を閉じる。
 ネイガスも左手で右の手首を掴みながら集中するような素振りを見せたが、実際はひたすらセーラとのチョコを使ったいかがわしい行為を想像し、自らを奮い立たせているだけである。
 そしてあたりに吹いていた風がぴたりと止まったその瞬間――三人は同時に動き出した。

『最初はグー!』

 誰かが示し合わせたわけでもないのに、そのタイミングはわずかにもずれていない。
 繰り出された握りこぶしが三つ並ぶ。
 彼女たちはそれらを一度引き、直後、再び同じように――

『じゃんけん!』

 しかし先ほどよりも確実に力強く、自らの前方に突き出す。

『ポンッ!』

 二人は形を変えずに。
 そして一人――ネイガスは“チョキ”の形に変えて。

「……」
「ふ、勝った」
「勝ちましたー!」

 喜ぶエターナとシートゥム。
 一方でネイガスは、チョキを出したまま、声も出さず、微動だにせずに固まっていた。

「あとはシートゥムに勝てばカカオはわたしのもの」
「兄さん待っててくださいね、必ず私の手作りチョコを渡してみせますから」
「……」

 早々に二回戦が始まろうとしている。
 それでもネイガスは止まったままだった。
 目は虚ろで、光を失っており、生気が感じられない。
 しかし時間の経過することで徐々に魂は彼女の体に戻っていき、否が応でも現実を思い知らされる。

 悪い夢だと思いたかった。
 セーラとのチョコプレイが実現しないなんて、そんなこと。
 いっそ別の食材――例えばオイスターソースとかで再現する可能性も考えたが、やはり違う。
 甘くてほろ苦いチョコレートだからこそ、意味がある行為なのだ。

 ――絶対に、譲れない。

 たとえじゃんけんで負けたとしても、それを認めるわけにはいかない。
 悪あがきだと罵られようと、ロリコンだと事実を指摘されようと、いかなる手段を使ってでもチョコプレイは実現されなければならないのだ。

「……ちょ、ちょっと待って、やっぱりこういう大事な戦いを運任せの一発勝負にするのはどうかと思うのよ!」

 エターナとシートゥムも鬼ではない。
 特にシートゥムはネイガスの幼馴染。
 こういうときは、一度ぐらいは大目に見てくれる――

「一発勝負って言い出したのはネイガスですよね」

 ――わけもなかった。
 むしろ幼馴染だからこそ容赦がないのである。

「そうそう。それにどうせ二回勝負だって運任せなことに変わりはない」
「えぇー! やだやだやだぁー! 私もカカオが欲しいのー! セーラちゃんとチョコでえっちなことしたいのぉー!」
「駄々をこね始めた……」
「一番外見年齢が高いくせに、そんな子供みたいなこと言わないでください!」
「えっちするぅー! セーラちゃんの幼女体型をチョコまみれにしたいー!」
「もはやロリコンであることを包み隠しもしない」
「ドン引きです……」

 ドン引きされても駄々をこねるのをやめない。
 ネイガスはそれほど強い決意でこの場に立っているのだ。
 まあ、そんな彼女を相手する側にしてみれば、ただただひたすらに面倒なだけなのだが。

「……ん?」

 そのとき、ネイガスはふいに動きを止め、カカオの木を見て首をかしげた。

「ねえ、今……その木、動かなかった?」
「そんなことを言って気をそらそうとしても無駄」
「そうですよ、悪あがきがすぎます! さあエターナさん決着をつけますよ!」

 狼少年状態である。
 しかしネイガスは、決して二人をだまし討しようとしているのではない。
 本当に、木が動いているところを見たのだ。
 しかも幹が揺れるとかそんなレベルではなく、ぐにゃりと曲がる姿を。

「いや違うのよ、本当に動いてたの! ほら、ほら見てよ! 位置がさっきと違うじゃない!」

 あまりにネイガスが必死なものだから、しぶしぶ木のほうを見るエターナとシートゥム。
 すると、木の幹が踊るようにくねる。

「……動いた」
「動いてますね」
「でしょー!?」

 自分の目で見てしまった以上は、信じるしかない。
 戸惑うエターナは、人差し指を木に向けると、軽めの水鉄砲を放った。

「アクアバレット」
「グギャオォオンンッ!」

 明らかに獣的な声が周囲に響く。

「なんか鳴きましたよ」
「木が出すとは思えない音だったわ」

 幻聴ではない、間違いなく木は鳴いた。
 さらにエターナは、先ほどよりも少し威力を強めて、魔法を連発する。

「アクアバレット、アクアバレット」
「ギャオォンッ♪ ピギャアァァッ♪」

 もはや考える必要もない。
 カカオの木だと思っていたものは、植物ですらなかったのである。

「あれ、モンスターだ」
「しかも攻撃を受けて心なしか喜んでいるように見える」
「変態モンスターですね」

 植物として、水を得られて喜んでいるだけなのだが、どこからどう見ても悦んでいるようにしか見えなかった。
 割と気持ち悪かったので、エターナは魔法を止めて様子を見る。

「それってつまり……カカオの木じゃない、ってことですか?」
「いや、わからないわよ。あそこにぶら下がってる実だけは本物って可能性も――」
「キシャアァァァァアッ!」

 実がくるりとひっくり返り、尖った牙をむき出しにして三人を威嚇する。

「獲物を呼び寄せるための疑似餌らしい」
「まんまと引っ掛けられたってこと!?」
「そんな……カカオ……兄さんとのラブラブバレンタイン……」
「インクの喜ぶ顔が……」
「セーラちゃんとの女体盛りパラダイス……」

 落ち込む三人。
 その間に、モンスター――“カカオトレント”はどこかに逃げていってしまった。
 だが子供も近づくような場所に生息する、危険なモンスターに違いはない。
 姿が見えなくなったあたりで、エターナは空から水の球体を落下させ、押しつぶして撃破する。
 微かに断末魔の叫びが聞こえたような気がしたが、その程度では気分は晴れない。

「これからどうしましょうか」
「三人で協力して探してみる?」
「でもこうなると、本当にカカオの木が自生してるかも怪しいわよ?」

 あくまでこの周辺にカカオがあるという噂があるだけだ。
 その噂も、先ほどのカカオトレントの目撃談が元になっている可能性がある。
 だとすると、これ以上探しても無駄になるわけで――重い空気が彼女たちと包み込む中、それはいきなり空から落ちてきた。
 ずしぃんと地面を揺らしながら現れたのは、フラムだ。
 彼女は肩になぜか根っこから引き抜いた木を抱えて、三人の前にやってきた。

「あー! コンシリアからいなくなったと思ったら、三人ともこんなとこにいたんですか? インクもセーラちゃんも、あとツァイオンさんも困ってましたよ?」
「フラム?」
「どうしてここにいるんですか!?」
「というか、その抱えてる木、もしかして――」
「あぁ、これですか? イーラからの依頼で、コンシリア周辺で栽培するためにカカオの木を探してきてほしいって言われたんです。あ、ちゃんと時間の進みを“無”にしてるんで、持ち運んでも痛むことはありませんよ!」

 そこには、先ほどまでネイガスたちが醜く奪い合っていた赤褐色のココアポッドが、いくつも実っていた。
 一つだけで家が建つほどの値段で取引されているのだから、これだけの量があれば城ぐらい買えるかもしれない。
 しかし大事なのは値段ではない。
 それさえあれば、三人の思い浮かべる理想のバレンタインデーが過ごせるという事実である。
 彼女たちはすがるようにフラムに駆け寄り、取り囲んだ。

「な、なんかみんな、目が怖いんですけど……?」
「フラム、お願いだからカカオを恵んで欲しい」
「兄さんとラブラブしたいんです!」
「女体盛りパラダイス!」
「にょた……? えっと、チョコを作りたいん、ですか?」

 コクコクと何度も頭を縦に振る三人。

「依頼されたものなんで、なんとも言えないですけど……イーラに頼んでみます、ね」

 その必死さに若干押されつつも、ひとまずフラムはコンシリアに戻り、交渉してみることにした。



 ◇◇◇



 イーラは驚くほどあっさりとカカオを分けてくれた。
 ただし、彼女にも完成したチョコを一部渡すことを条件として。

 実際にチョコを作ったのは、それから二週間後、バレンタインデー前日のことである。
 キリルが勤める店の厨房を借り、キリルを指導役として、それは行われた。
 参加したのは、エターナ、シートゥム、ネイガスはもちろんのこと、フラムとミルキット、そしてどこから聞きつけてきたのか、オティーリエの姿もそこにはあった。

「愛する人への想いを示す日にわたくしが不参加? そんなもの死に等しいですわ!」
「相変わらず大げさですねオティーリエさん。ところで、どこで今日のこと聞いてきたんですか?」
「あらフラム、わたくしが超人的な能力を発揮するのは、どんなときかおわかりではなくて?」
「アンリエットさんですか」
「そう! これはわたくしのお姉様への愛が為せる業ですわ!」

 どうやらアンリエットから聞いてきたらしい。
 ちなみに最近の彼女は、お姉様との結婚が決まったおかげか常にこんなテンションである。

「まあ、カカオマスの量は十分にあるから、参加者が増えても大丈夫だよ」
「ごめんねキリルちゃん、忙しいのに厨房まで借りちゃって」
「むしろ私はフラムにお礼を言いたいけどな。おかげでバレンタイン当日にお店にチョコを並べられそうだし、ね」

 キリルは、明日店頭に並べるチョコ作りを任されているらしい。
 フラムたちと一緒に作りながら、その作業も並行して進めるつもりなのだろう。
 楽しそうに笑うキリルだが、かなり大変である。
 普段から遅く帰ってくる日も多く、フラムはお菓子職人が体力勝負だと思い知らされた。
 しかし、キリルは元から体力には自信があるし、旅をしている頃よりも生き生きとした表情をしていて――本当に“やりたいこと”をやれているのだろう。

「じゃあさっそく、チョコづくりに取り掛かろっか。手順は私が実演しながら説明するから、ちゃんと見ててね!」

 今日だって、フラムたちに自分の得意分野であるお菓子作りを教えられるとあって、目をキラキラ輝かせている。
 いつになく饒舌なキリルに教えられながら、チョコ作りに取り掛かる面々。

「ハートを……できるだけゴージャスで愛のあるハートを作りたいんです……!」

 やけにシートゥムがハートにこだわってみたり、

「がんばりなさい、シートゥム……」

 いつの間にかリートゥスが物陰から覗いていて、どこからどう見ても悪霊にしか見えなかったり、

「む……これは意外と……」

 インクのことを考えすぎてエターナが意外にも手こずっていたり、

「人体に塗るためのチョコはどう作ったらいいのかしら?」
「……えっ?」

 ネイガスが妙な質問でキリルを困らせていたり、

「お姉様ぁっ! わたくしの一部をあなたに捧げますわぁっ!」
「なにやってるんですかオティーリエさん!? チョコは血を入れたりするものじゃありませんから!」

 オティーリエが暴走してキリルをさらに困らせていたり、

「見てよこれ、神喰らい型チョコ!」
「うわっ、かっこいいですご主人様!」
「ミルキットはオーソッドクスに丸型なんだ」
「はい……だってこの形のほうが……口移しで食べて、舌で転がすの……やりやすそうじゃないですか?」
「そういうのしたいの?」
「……はい」
「じゃあ今やろっか?」
「あ、ご主人様ぁっ……」

 フラムとミルキットがいつもどおりいちゃついたりしていたが――なんだかんだで完成にこぎつけ、無事にバレンタインに間に合ったんだとか。















 というわけで以下、バレンタイン当日の各人の様子をご覧ください。





 ◇◇◇



「なんだかんだ言って、エターナってあたしのこと好きなんだねぇ……」
「……そうやってすぐに調子に乗る」
「乗るに決まってるじゃん! あたしに渡すチョコを作るために、わざわざ何日もかけてくれたんだよ? 向こう三十年……いや、死ぬまでは周りに自慢し続けると思うっ」
「大げさな……」

 そう言いながらも、心なしか嬉しそうなエターナ。
 ぱっと見は感情が希薄に見える彼女だが、一緒に過ごしているうちに、実はかなり表情豊かであることがわかってくる。
 インクはエターナのことを、見た目は子供だけど保護者で大人でかっこいい、と思っていたのだが――最近では『案外子供っぽくてかわいい』と思うようになっていた。

「んふふー」
「……なんでそこでわたしを見て笑うのかが理解できない」
「えー、エターナには無いの? あたしのことを見てるだけで幸せになっちゃう瞬間みたいなの」
「それは……あるかもしれない」

 特に言葉も必要なく、見ているだけで胸が暖かくなる。
 恋人になってからは――いや、それ以前からも、そういう経験はあった。

「今はそういうモードなのです」
「なら見ててくれていいけど、わたしとしてはチョコのほうも見てやってほしい」

 二人の前には、皿の上に置かれた立方体のチョコがある。
 四辺の長さをきっちり合わせ、綺麗な正方形にしてあるあたりに、エターナの研究者基質が出ていた。

「確かにこっちもいいなあ。見てるだけチョコを作ってるエターナの姿が浮かんでくるっていうか。あたしのことを考えながら細かい作業してたのかなー、とか考えるとでれっとしちゃうよねぇ」
「チョコそのものを見てほしいんだけど……あとできれば食べた感想も聞きたい」
「うん……あたしも食べたいのはやまやまなんだけどね。でも、もったいなくない?」
「食べ物は食べられるために生まれてくる」
「存在意義の話じゃないの! あたしにとってこれは、ただのお菓子じゃなくてね、いわば黒いダイヤモンドみたいなものなの! エターナからの宝石のプレゼント! つまり実質的なプロポーズ!」
「プロポーズはそのうちちゃんとするから」
「それとこれとは話が――って、今、エターナ、なんて……?」
「インクが十六になったら、ちゃんと」

 ぼふっ、と一気に赤面するインク。
 しかしエターナも負けじと真っ赤である。

「あうあうあう……不意打ちは、ずるいよエターナ……」
「インクがなかなか食べてくれないから」
「……わかった、食べる」

 インクは黒いダイヤをひょっとつまみ、まずはひとかじり。
 エターナの作ったチョコはかなりビターだったらしいが、不思議なことにとても甘く感じられた。



 ◇◇◇



「さてセーラちゃん、ここに溶かしたチョコがあります」
「あるっすね」
「問題です、私はこれをどうするでしょうかっ!」
「はい!」
「セーラちゃんどうぞ!」
「体に塗って舐めさせる!」
「ピンポンピンポーンっ! 大せいかーい!」

 言いながら、ずぼっとチョコの中に指を突っ込むネイガス。
 そして得意げな表情で、引き抜いたそれをセーラに見せつけた。

「というわけでまずは指から行きましょうか」
「本気でやるつもりなんすか!?」
「ロマンチックな渡し方も色々考えたのよ? でも私たちって、なんかもうそういう間柄ではないじゃない?」
「隙あらばやらしいことしてるっすもんね」

 二人きりの時に限るが、常にどこかしらが触れ合っている。
 そんな日常に、セーラもすっかり浸りきっていた。

「そういうこと。だから私たちらしく、好きな方法でやりましょう」
「まさかせっかく手に入れたチョコをそんな使い方するとは……」
「はいどーぞ」
「有無を言わさずチョコまみれの指を差し出されてしまったっす。もう、ネイガスは仕方ないっすねえ」

 そう言いながらも、セーラはノリノリである。
 彼女は口を開くと、ネイガスに見せつけるように赤い舌を出し、指に絡める。
 そのまま咥えこんで、わざとらしく音を立てながら舐めしゃぶった。

「ちゅぱっ……ちゅぷ、れる……んっ」
「おいしい?」
「んふ……おいひいっふ。おかわりを要求するっす」
「はーい、じゃあこんどは二本ね」

 増えた指で、ぬるぬるの舌を挟んだり、引っ張ってみたり。
 セーラの瞳は次第に潤んでいき、漏れる声も色っぽくなっていく。
 ネイガスもスイッチが入ったのか、浮かぶ笑みはぞくりとするほど妖艶だ。

「はぷ……れる……えぅ、あふ……んむ……っ」
「まだまだいっぱいあるから、今夜も楽しみましょうね」



 ◇◇◇



「しっかし……せめて護衛ぐらい連れて行けっての。お前の強さはわかってるが、さすがに心配したぞ」

 言いながら、ツァイオンはしゃがみ込み、夫婦のベッドに腰掛けるシートゥムと視線を合わせた。

「ごめんなさい……」

 彼女は本気でしょげていた。
 しかし、ツァイオンは別に怒っているわけではない。
 単純に心配しているし、必死になってくれた彼女の想いも理解している。

「でも、そこまでしてオレにチョコを渡したかったって気持ちは嬉しかった。あんがとな」
「あ……」

 シートゥムの頭に、大きくて温かい手が、ぽふっと置かれる。
 幼い頃からずっと彼女を守ってきた、大好きな手だ。
 その感触だけで、なによりも心が安らぐ。

「せっかく兄さんにあげたチョコで、少しぐらい返せたと思ったのに……すぐにまたもらっちゃうんですね、私」
「夫婦に貸し借りなんざねえよ、お前は胸を張って好きなだけもらっときゃいいんだ」
「難しいです、謙虚ですから私」
「本当に謙虚なやつは言わねえだろそれ」

 ツァイオンが笑うと、シートゥムも釣られて笑った。
 その表情に、先ほどまでの暗さは残っていない。

「その……そろそろ、チョコ食べます?」
「ああ、そうだな。もったいない気もするが、食べてこそだもんな」
「それでは――」

 ツァイオンと比べると小さな手でチョコをつまみあげると、彼に近づける。

「はい、あーんっ」

 そして、ほんのり頬を赤くしながら、シートゥムは新婚夫婦らしく、チョコを夫の口に運んだ。



 ◇◇◇



「そうか、オティーリエがこれを作ってくれたのか。本当に嬉しいよ」

 赤い箱と赤いリボンで丁寧に包装されたチョコを受け取り、アンリエットは素直に喜んだ。
 しかし同時に、疑問も抱く。
 プロポーズ以降、なにかと暴走しがちなオティーリエ。
 そんな彼女が、こんなオーソドックスな包みに入れて、常識的なサイズのチョコを渡してくるのが意外だったからだ。

「お姉様に喜んでいただけて、オティーリエも天に上るような気分ですわ。ところで、バレンタインで渡すチョコの材料をお姉様はご存知ですか?」
「カカオや砂糖……じゃないのか?」
「それはもちろんですが、大切な人に愛情の深さを示すため、昔の人は自分の血や髪の毛を入れたそうですわ」

 それを聞いた瞬間、アンリエットの頬が引きつる。

「いや、それは……」
「血液を使った虐殺規則ジェノサイドアーツは、わたくしとお姉様をつなぐ絆の一つですから」
「いやオティーリエ、待つんだ、それは違うと思うぞ?」
「わたしくのお姉様への愛情は、ただのチョコでは表現することができませんわ! 安心してください、お姉様。お姉様が困ると思ってこの場で血を流したりはしませんわ、今日のために久々に血液弾倉ブラッドカートリッジを準備してきましたの!」
「普通のチョコでも十分に、十分に愛情は伝わっているから。な?」
「これを今からチョコの味のアクセントとしてたっぷりかけて、お姉様の体内にわたくしの体液をっ! 体液を流し込むのです! そうすることでわたくしたちはさらなる愛情で結ばれ……お姉様? どうしてわたくしの両腕を掴んでいますの? どうしてわたくしを止めようとなさっているのですか!?」
「私は、普通のチョコが食べたいッ!」

 今まではなんだかんだ言ってオティーリエの意思を尊重してきたアンリエットだったが、今日ばかりは我慢できなかった。
 いや、血が二人を繋いでいると考える気持ちはわかるのだ。
 実際、アンリエットだってオティーリエの血を舐めたりしてきたわけで、結果的にそれが今の彼女の依存を作り出したわけだ。
 だから否定できる立場でもないのだが――そういうのを差し引いても、単純に、チョコと血の味は合わない。

「……そう、ですわね。わたくしとしたことが、大事なことを失念していましたわ」
「よかった。わかってくれたかオティーリエ」
「確かに血をそのままかけたのでは、味に問題が出てしまいますわ」
「うん、うん、そのとおりだ」
「まずは血の味を整えるところですわね! 砂糖……いや、はちみつもいいかもしれませんわ。とにかく色んな味を試してみないと!」
「なんでそうなるんだーっ!?」

 アンリエットの叫びがこだまする。
 そのあと、どうにか普通にチョコを食べることはできたそうだ。



 ◇◇◇



「思っていた以上に大変でしたね」
「うん。あんなに難しいことをちゃちゃっとやってみせるんだから、やっぱキリルちゃんってすごいよね」
「さすがプロのお菓子職人です。私も負けてられませんっ」
「おお、ミルキットが燃えている」
「……でも今は、これを食べることに集中しないと。せっかくご主人様がカカオを取ってきてくれたんですから」
「作ったのはほとんどミルキットだよ」
「ということは、私たちの愛の結晶ですね」
「なんか子供みたい」
「う、そう言われると食べにくくなってしまいます……やっぱり一生大事に取っておきませんか?」
「あははっ、取っといたらすぐに悪くなっちゃうよ。せっかくだし、二人で食べよ?」
「そう、ですね。食べものは食べられるために生まれてきたんですもんねっ。それでは私が――」

 どこかで聞いたようなことを言いながら、ミルキットはチョコに手を伸ばす。
 しかしそれより先に、フラムがそれをつまむ。

「いや、今回は私が」
「あっ」

 いつもはミルキットがそれを咥えて、二人で味わうのだ。
 もはや食べ物がキスの口実にしかなっていないが、それが彼女たちの日常なのである。

「ふぁい。ひいよ」

 だが今日は嗜好を変えて、フラムが唇で挟んだチョコを、ミルキットが食べる。
 まあ、キスするという結果は変わらないので、他人から見ると大差は無いように思えるが、当人にとってはそうでもないようで。

「いつもご主人様からなので……とても緊張してしまいますね」

 胸に手を当てて、高鳴る鼓動を少しでも落ち着かせようとするミルキット。
 毎日のように、さんざんいちゃつきまくっている二人だが、それでも毎度、手を繋いだり、キスをしたり、抱き合ったりするたびにドキドキしているのだ。
 まるで新婚ほやほやの夫婦のように。
 ひょっとすると、フラムとミルキットには倦怠期という概念が存在しないのかもしれない。

「それでは、いただきますっ」

 ミルキットの顔が、フラムに近づいていく。
 そして開いた唇同士を重ね、互いの舌で一つのチョコを味わう。

 ここは二人の部屋。
 時刻は二十時を過ぎている。
 他の住人はそれぞれのパートナーと過ごしているし、キリルもなにやら店の同僚といい感じで出かけている模様。
 つまり邪魔は入らない。

 だから当然、“食後のデザートを楽しむだけ”でその行為が止まるわけもなく――

「ふは……チョコ、無くなっちゃいました」

 口の中のチョコが溶けてなくなると、自然と顔が離れる。
 フラムはすぐに皿の上から円形のチョコを口に入れると、舌に乗せた状態でミルキットに見せつける。
 すると彼女は、貪るように食いついて、また無くなるまでキスを交わす。

「はふぅ……あと、いくつ、残ってますか?」
「まだ五個あるけど――チョコが無くなってからが本番だからね」
「じゃあ、早く全部食べてしまわないと、ですねっ」

 その後、夜が更けて日付が変わり、バレンタインデーが終わっても、部屋に満ちる甘い雰囲気が消えることはなかった。





コメント

  • マシュまろ

    コレで終わりと言わず、ほかの番外編が欲しいです!

    0
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