鮫島くんのおっぱい

とびらの

鮫島くんと学食

 昼休みはすでに半分が過ぎていた。

 男子校のランチタイムラッシュは早い。大半の生徒がチャイムと同時に駆け込んで、早食いをしてグラウンドへ出てしまう。
 四時限が長引いたクラスの生徒と、談笑やカードゲームなどをやっている数グループを残し、食堂は空いていた。

 鮫島と二人、入り口そばの券売機に立つ。そこには手書きの張り紙が上がっていた。

「やったっ今日は生姜焼きだー」

 歓声を上げ、券売機のボタンを押した。鮫島はそのままじっと佇んでいた。順番を譲っても動かない。どうしたのかと聞くと、彼は真顔で言った。

「ショウガヤキってなんだ?」
「ええと。……豚肉を、醤油と酒と砂糖と生姜のタレにつけ込んで焼いた料理」
「おいしいか?」
「うま――おいしいよ。僕の分析によると、カレーとラーメンと唐揚げに次ぐ日本男児の大好物だよね。ご飯の親友っ」

 小さくガッツポーズをつけて力説すると、鮫島は券売機にむきなおり、またじっとボタンを見つめた。

「どれだ?」
「ん? ああ、日替わり定食のボタンだよ。今日の日替わりが生姜焼きだってソコに張り紙が」
「ヒガワリテイショクとは、どれだ?」
「えっ?」

 梨太はしばらく混乱した。
 学食のレパートリーはそれほど多くはない。十種類ほどの定番メニューと、一番上に鎮座するボタンが「日替わり定食」である。

 まさか、と鮫島の顔を見上げる――彼は、なんら感情のこもらない声で言った。

「俺は字が読めないから」

 顎が落ちそうになった。

「まじでっ!?」

 思わず大きな声がでるのを、手でふさぐ。鮫島はうなずくと、券売機に顔を寄せて指をあて、なぞるように読み始めた。

「日……わり、食。これか?」

 どうやら平仮名とカタカナ、日常にあふれる簡単な漢字だけがなんとか読めるらしい。なるほどこれでは「本日、生姜焼き定食、味噌汁付き也」の張り紙は読めないし、テストが白紙なのも授業に上の空なのも致しかたないだろう。読めない以上に書けないに違いない。

 券をカウンターに出しながら、やや声を潜めて、

「……いままでどうしてたの?」
「買い食いと、うどん、ラーメン、やきめし」
「いやご飯だけの話じゃなくて、日常生活」
「……学生が出来ていないのはわかっている。任務では犬居が音読してくれる。それ以外では、それほど不便はない」

(……ぜったいあちこちでやらかしている気がする)

 梨太は確信した。
 彼は言葉がわからないだけではなく、地球人の共通常識からはずれたものがある。異文化の民、さらに軍人である職業病、もっといえば本人自身もどこか抜けたところがある。当人が気にしていないだけで、周囲の人間が驚くような大ボケをしでかしているに違いない。

「はい日替わり二つお待ちぃ」

 テナントで入っている食堂の、やけに大きな三角巾を付けたおばちゃんパートが勢いよくトレーを置いていく。ご飯が茶碗ではなく丼なのが男子校ご愛敬だ。適当なテーブルへ運んで、二人は向かい合わせに腰掛けた。

 鮫島は、初めて見る料理を前に、なにやら考えごとをしていた。
 梨太の真似をして、箸をとり、先に味噌汁を飲んで、漬け物をくわえた。まったく表情が変わることはないのだが、彼が柴漬けをおっかなびっくり口に入れ、酸味に驚き、その後うま味にほだされるのが見て取れて、梨太は声を出して笑いそうになった。

 生姜焼きを一口食べた鮫島は、すぐに目を細めた。口の中のものをすべて飲み込んでから、つぶやく。

「……おいしい」

 梨太はそろそろ確信していた。

 ――この、宇宙人は――可愛い。

 にやついてしまいそうになるのをこらえ、梨太も食事を進めていった。

 先日、梨太の家でふるまったときも思ったが、食事の所作がたいへん美しい鮫島である。これは異邦人ゆえの、初心者が過剰に丁寧になる心理かとも思ったが、ほとんどは彼個人の性質ではないだろうか。

 二口目の肉を口に入れた鮫島が、ふと眉を寄せた。
 箸をおいて、皿に強い視線をやり、何か慎重に咀嚼する。ゆっくり飲み下してから、水を飲む。しばしそのまま停止。

「……鮫島くん?」

 声をかけると、彼は、梨太が箸に挟んでいた肉を指さした。

「リタ、それ、ひとつもらえないか」
「えっ? そりゃいいけど、おなじものだよ」

 と、梨太が言い終えるより早く。鮫島は身を乗り出して、ぱくっと、梨太の箸からそのまま口でくわえた。

 どよっ!

 一瞬、大勢の人間の声が一斉に上がる。驚いて見渡すが、たしかに二十人程度、生徒が散らばって座っている。だがこちらに顔を向けているものは皆無である。むしろ不自然なまでに全員あさっての方向を向いていた。

 梨太は、鮫島が天然でひとの目を引く人物であったことを思い出した。それと自分との組み合わせの違和も痛感する。

 いきなり居心地が悪くなった梨太に対し、主役である鮫島はまったく意にも介さず、やはり慎重なようすで咀嚼していた。そのモグモグ動く頬が丸く膨らんでいて、妙に幼い。梨太は遅れて動悸を高めた。

 うわずった声でリクエストしてみる。

「あのっ、さめじまくんのも、たべていい?」

 鮫島は不思議そうな顔をした。やはり口の中を飲みくだしてから、

「構わないけど、毒が入ってるからやめた方がいいと思う」

 梨太はその場に崩れた。テーブルにしこたまオデコをぶつけ、もんどりうつ。その間に鮫島は自分の皿からまた食べ始めた。腫れた額を押さえながら身を乗り出す。

「ど、ど、どくっ? 毒!? 毒ぅっ!?」

 しーっ、と指を唇に当てる鮫島。

 かなりの小声で、

「筋弛緩系の神経毒だな。微量なので死にはしないが、階段を上るのがつらくなる。午後の授業が大事なら止めておけ」

「いやいやいやそんなの聞いて食べないよっ。てか、鮫島くんは何でふつうに食べてるの!?」

「俺はたいていの毒は効かない。幼いうちから微量ずつ慣れさせて、毒味はもちろん、抵抗力をつけているんだ。完全に無効化できるわけではないので猛毒ならさすがに吐き出すが、このくらいなら平気」

 そういって、味噌汁を吸う。

 すっかり食欲をなくして呆然とする梨太に、

「リタのほうは大丈夫だったから安心して食べるといい。俺だけが狙われたのだろう。やはり校内に潜入しているものがいるな」

「えええぇぇ…………」

 愕然としたきり、やはり箸をつける気にならない。一応うつわを手にもって、ただ黙々と食べる鮫島を見つめるしかできなかった。

 彼は梨太に構わずマイペースに平らげると、ごちそうさまと手を合わせ、食器を整える。
 そして、平坦な口調で言った。

「今夜、またおまえの家に行ってもいいかな」

 どよどよっ!

 梨太はすかさずあたりを見渡した。何人かが顔を逸らし遅れたのが見えた。梨太は高らかに声をあげる。

「うん、いいよー! またみんなでおいでよ、みんなで。飯を食おうぜ。みんなで」
「? もちろん鯨たちも連れていくが」

 梨太のおかしな口調に違和感を覚えつつ、追及はしない鮫島。

「ちょっと長い滞在になるかもしれん。出来れば、そのまま泊めてもらえないか? していけないことは、言ってくれたら従うから」

 今度は、どよめきは起こらなかった。全員が、ぴくりとも動かないで硬直している。梨太も含めて。

 梨太の無言を、よもや肯定と受け止めたのだろうか。鮫島はトレーをもって立ち上がると、颯爽ときびすを返した。返却口に食器を返し、その場からつれない口調で教示する。

「リタ、急いで食べないともう昼休みが終わるぞ? あと二分」

 そしてさっさと退出していった。フリーズが溶けた梨太が大慌てで頬張り、返却口へ駆け込むと、その後にはやはりリスのように口を一杯に膨らませた男子高校生が二十人、ずらりと並んで順番待ちした。

 彼らがゴクンと飲み下すよりも先に、霞ヶ丘高校全域にチャイムが鳴り響く。

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