鮫島くんのおっぱい

とびらの

三女神の教会③

「不意打ちとは卑怯だーっ」
「顔合わせそうそう跳び蹴りしてきたやつが何を言う」
「ひぃたいいたいたいギブアップ! ……ってなんで緩めるだけなんだよ、どけよっ!」
「どかない。もうお前ほんと邪魔。そのまましばらく這いつくばってろ」
「地面が冷たい! 今朝水を巻いたところだから冷たい!! おなか冷える!」
「知らん」

「……珍しい。鮫島くんが容赦ない」

 と、つぶやきはしたが、もともと容赦の無いひとだったような気はする。それでも、無意味な虐待をしているわけではない。ハヤブサにしても完全に自業自得である。止めるのはもうやめて、梨太はその場にしゃがみこんだ。顔を半分泥に埋めながらも元気いっぱい騒いでいるハヤブサに、穏やかに尋ねる。

「どうして、最強になりたいんですか?」
「どうしてって、そりゃなりたいだろ」

 シンプルな返事が来た。本気で首を傾げる梨太に、ハヤブサが追加する。

「だってあたし、腕力以外に取り柄ないし」
「なるほど」

 と、頷いてしまってから慌てて口をふさぐ。しかし彼女は気を悪くしなかった。自分で言ったのだから当然だが、この流れで機嫌を損ねない女性は珍しい。
 鮫島の下で、ハヤブサは嘆息する。

「……あたしは鯨やカモメとはちがうんだ。頭も悪いし、愛想も使えない。気が回らないから家のこともできやしない。このチカラを使って生きていくしかないのに、女だからと傭兵隊は相手にせず、お父さんからも騎士に推薦してもらえなかった……」
「傭兵はともかく、騎士団はお前の能力がたりないからだ。兵隊こそ知性と教養、器用さが求められる総合職だぞ。あの虎も、粗雑ながらめざましい社交性があり、少年兵団ではとびぬけて優秀だったんだからな」

 鮫島はそう言ったが、女性が不利という事実はあるのだろう。ハヤブサは奥歯をかみしめた。

「だから、称号がいるのよ! あの鮫騎士団長を倒したっていう、惑星最強の称号が! こんな辺鄙なところの雇われ守衛隊長なんて、実力を発揮する機会もない!」
「……それで、その称号を得たらどうなるの?」
「今の鮫の地位に、あたしが成り代わるっ!」

 ハヤブサは断言した。さすがの梨太も目が点になる。彼女にかける言葉を選んでいる間に、鮫島があっさり呟いた。

「馬鹿め。成り代わったとしてこなせるか馬鹿」
「お、おまえだって、不愛想だし勉強は苦手だったじゃないか!」
「するのが苦痛だというだけで、できなかったわけじゃない。俺にしんどいことがハヤブサに出来るか馬鹿。代わってやれるもんなら譲るわ馬鹿」
「そっそんなこと、民間人は知らないもん! それに王都で、お前の顔写真や肖像画、しまいには彫刻まで売られてるじゃないか。その売り上げだけで食べていけるだろー!」
「お前、あれが俺の収入になると思ってたのか? 俺が作って俺が売ってるわけじゃあるまいに。ただの盗撮だ。マージンすら無い。把握もしてない。一銭の稼ぎにもなってないぞ馬鹿」
「ばっ、ばかばかいうなーっ!」

「それに、あれらが売れるのは俺が騎士団長だからじゃなく、見目がいいからだろ。ハヤブサじゃ無理」
「あっ、言った」

 梨太は思わず呟いた。

「ふんぎゃぁ」

 トドメのセリフに、這いつくばって呻くハヤブサ。彼女も決して見目が悪くはないが、肖像画よりも、可動式フィギュアが似合いそうだ。動くところを見ていて面白い、そんな魅力である。
 対して、鮫島の美貌はやはり異質なものだった。顔立ちやスタイル以前に、まとう空気に神秘的な吸引力がある。飾っておいて眺めたい――それこそ美術品のモチーフにふさわしい、特殊な魅力だ。
 正直、梨太もちょっと欲しい。

「ずるい。鮫ばっかりずるい。……いつのまに、なんでそんなに出世したのよ。ずるい。ちっちゃい頃は、あたしと一緒に歌ったり踊ったり、ぼーっとしてるだけだったのに……」
「……二十年以上前の話だろ」
「雄体優位なのに。雌体化しても、あたしよりずっとデカくてゴツくて強いくせに……」
「……ん?」

 男二人、首を傾げる。ハヤブサは泥に鼻先をつけて、独り言のように、呻いていた。

「五人姉弟で、二人が独身ならまだよかったのに……これであたし一人になっちゃうじゃないか。ずるい……しかも彼氏可愛い。ずるいぃ……」

 鮫島は呆れて嘆息する。姉がすっかり意気消沈したのを見て取り、拘束を解いた。もう襲いかかっては来ないだろう――と、離れたとたん、ハヤブサ渾身の回し蹴りが鮫島を襲う。当然防御しまたひっくり返す鮫島。
 地面でもみくちゃになって、姉と弟は、互いの関節を奪い合っていた。

「もう、勝手にしてよ」

 梨太もとうとう脱力し、とことん姉弟喧嘩をさせることにした。なんだかんだいって仲良しな気もするし、自分が口を出すことではなさそうだ。
 転がり回る二人から少し離れ、適当な地面に座り込む。
 リュックから水筒を出し、今朝つくってきたお茶を飲む。やれやれ、と嘆息。

「ここにきて、ほとんど無駄足か……。教会の人たちから推薦してもらうのは無理だろうし、教主様とも会えなさそうだし」

 再度リュックに手を入れ、薄いが頑丈そうなファイルを取り出す。中には星帝リタの推薦状がある。星帝皇后であり将軍でもある鯨、元騎士団長で生涯名誉貴族の白熊。貴族の妻であっても貴族ではなく、参政権のないカモメ、ツバメのものはない。
 たったの二枚――もしかすると最悪、身内贔屓だとノーカウントにされてしまうかもしれない。やはり、これだけというわけにはいかない。

「教会の教主様がダメだとすると、あとは、どこを回ればいいんだ? 一回騎士団に戻って……」

「苦労をされているようですね」

 と、横から声がかかった。五十がらみの中年女が、いつのまにやら隣に座っていた。梨太は軽く頭を下げて会釈する。

「いえ、がんばるのはこれからです。だけど絶対徒労になんか終わらないから、楽しみでもあります」

 女は、青い目をぱっちり、丸くした。そしてすぐに細くする。

「……良い言葉をおっしゃる。あなたは前向きですね。謙虚は味方を増やすが、弱気は自らを失う。慎重に、しかし強気である者に、成功という未来はあるのです」
「どうも」

 梨太はもう一度頭を下げた。そしてふと、女の胸元に目を留める。簡素なローブに見えていたのは、ゆったりしたマントを前で閉じたものだった。金色のブローチが布をあわせている。金色の針金を文字の形に曲げたそれを、梨太は読み上げた。

「……シュドレーティン……さん、それがあなたの名前ですか」
「いいえ、これは三女神の名前を並べたものです。鸚鵡シュドロエテ家守ハイン

 ああ、と梨太は頷く。

「では、やっぱり協会関係者の方でしたか。ここの事務員――じゃなくて僧侶? は、男の人しか居ないのかと思ってました」

 女はクスリと品良く笑った。青い目を細め、口元に手を当てて囁く。

「それで合っていますよ。教会の教えは、新聞や出版物、僧侶たちが街へ降りて伝導します。ここはその出版工場。作業はつらく、あの階段を上り下りしなくてはならない。この老婆にできる仕事ではありません」
「では、あなたは」
「ここは偉大なるラトキアの母、三女神の教えを説く場所……その主は、彼女らの教えを自らなさなくては務まりませぬゆえ、私はこの性別を選択したのです」

 梨太の問いに、彼女はまわりくどく、しかし正しく解答をくれた。梨太は地面に腰を下ろし、女と並んだその姿勢のまま、背筋を伸ばす。

「あなたが、教主さま、ですか」

 女は微笑んだ。すぐそばで乱闘している、守衛隊長と来訪者のほうを見向きもせず、梨太に向かって、膝をつく。

「――ウサギと申します。いらっしゃいませ、星帝候補、リタさま」

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