鮫島くんのおっぱい
『虎ちゃん』
虎は普段、この傭兵団の建物で寝起きをしているらしい。彼を含め、二十数人の宿無し傭兵の寮になっていた。
食事の世話などなにもないが、家賃はかからない。急な仕事にもタイムラグなしですぐ対応できる。お世辞にも心地は良くないが、稼ぐためにはもってこいの住処であった。
「あんたら運がいいよ」
と、受付男はそう言った。
「あいつは売れっ子でね。リピーターからの指名も多いし、どんな依頼でも我先にって挙手して出向する。ここで寝てることはめったにないんだ」
「……。例えば、どんな仕事を……」
「なんでもさ。とくに稼ぎがいいやつは、周りを押しのけてでも受けてたな。逆に、ラクだが薄給の依頼は手を出さなかった。断然、高額の依頼ばかり。……そんなだから、こないだチョイとケガをしてな。今療養中なんだ。呼んできてやろう。ちょっとココで待ってな」
本当に運がいいよ、と再度言って、奥の部屋へと引っ込んでいった。
「……また、稼ぐため、か」
受付男がいなくなってすぐ、蝶はボソリと呟いた。彼は落ち着きを取り戻し、事務所の壁にもたれかかって、いつもの穏やかな表情である。それでも声には苦いものが混じる。鮫島も隣で目を伏せていた。
「……虎ちゃんってそんな守銭奴――あの、お金に執着するひとだったっけ?」
「いや」
梨太の問いに、蝶は即答した。
「おれはアイツを入団当初から知ってるけど、給料は右から左でスラムの親兄弟に渡して、返却された小遣いで漫画を買って、それで満足してるようだった。生まれた家は、貧しくて何もかも不自由で、だから毎日工夫して遊んでたって――楽しそうに笑う。贅沢も、将来の安寧も、なんにも求めないやつだった」
「…………なにか、あったのかな」
さあね、と、ぶっきらぼうに吐き捨てる蝶。
「理由がなんであれ、アイツは変わった。それが事実だ」
梨太はカウンターの正面に立ち、奥の扉が開くのを待つ。もしかしたら、顔を出してすぐに引っ込んでしまうかもしれない。そんな気もした。
彼が出てきたら、その瞬間、捕まえてやろうと思っていた。
「ケガをしたと言っていた」
鮫島が言う。
「もしかすると、それを理由にして出てこないかもな
……」
思わず、蝶を振り返る。彼は何も言わなかった。
傭兵団と聞いて想像したより、まっとうな商売だったのは安心した。場合によって、鮫島たちの手で虎を牢獄に送る可能性もあったのだ。とりあえずそれを避けられたことを、梨太は心から喜ぶ。
しかし――
扉は、唐突に開いた。出てきたのは受付の男。やはり拒絶されたのかと懸念したが、そのすぐ後ろに、知った男が続いていた。
「ほらよ、連れてきてやったぜ」
恩着せがましく、受付男。誰も礼を言わなかった。ただ絶句して、旧友を――かつて少年だった男を、愕然と凝視した。
特徴的だったトサカ頭は、頭骨の形がわかるほど短く刈り込まれていた。
背丈は、かつてとさほど変わらない。しかし一回り痩せていた。もとが細身の少年である、今や骨格が分かるほどに絞られて、かけらの贅肉もない。
飢えてやつれているわけではなく、剥き出しの腕はゾクリとするほど筋肉質。鋭利な棘の様だった。
まばらに日焼けし、浅傷だらけの顔――大きな金色の目、とがった鼻、細い顎は、『虎ちゃん』と同じ。頬がこけたぶん、より造作が際立つ。しかし顔面の、右半分に黒革が張り付いていた。頬の下までを覆う、巨大な眼帯だった。
受付男の後ろに佇んで、億劫そうに俯いている。
梨太は、カウンターから少し、身を引いた。
「……虎ちゃん」
梨太の声に、ギョロリと大きな目を向けた。思わず悲鳴を上げそうになる――と。
梨太の真横を、蝶が駆け抜けた。一気にカウンターを飛び越え、虎の胸倉を持ち上げる。反射的に、虎は蝶の手首をつかむ。蝶はそのまま押し倒した。
受付周りの書類、文具が床へ散らばる。
「チョーさん!」
慌てて駆けだそうとしたところに、ペンが飛んできた。目の前で鮫島が叩き落す。彼は梨太を後ろに庇い、男たちを放置した。抗議する梨太に、視線で制止する。やらせておけ、と。
「ああっ伝票が! や、やめてくれ誰か止めてくれーっ」
受付男の悲鳴は置いておく。
蝶は力づくで虎を絞め上げていた。
「――虎、お前いったい、なにをしている!」
硬い床と、男の腕力に挟まれて返事が出来ない虎。構わず、蝶は叫んだ。
「なんで騎士を辞めた? せっかく手に入れた貴族の称号も屋敷も家族も手放して、なぜまたスラムに戻った。こんなところで、なんで――二年間も、一体なにをやっているんだよ!!」
怒鳴りつける声は、まるで泣いているように掠れていた。聞いているほうの胸が締め付けられる。だが、やりすぎだ。あれでは虎も答えることができない。
さすがに、鮫島も口を開いた。同時に、虎は上半身を捻り、蝶の束縛から逃れる。できた空間で体をたたみ、一気に伸ばして、蝶を蹴り飛ばす。
類まれなる体のバネ。後方に吹き飛んだ蝶、彼が立ち上がるより早く、虎も体制を直していた。カウンターの上に飛び乗って、一同をぐるりと見渡す。
そして、目を丸くした。
「――うお! 誰かと思ったらお前、蝶じゃねぇーか。ひっさしぶりだなおい!! わー。元気してたか?」
「……あ?」
蝶の目が点になる。
虎は、今度は梨太のほうへ体ごと向き直った。
「そっちにいるのはだんちょーだし。なになに、二人して遊びに来てくれたのか。大物からの依頼だっつって、昼寝してるの叩き起こされて来たからよぉ。どこの成金かと思ったぜ! あーびっくりした」
「……ああ」
鮫島も、気の抜けた声で、片手を上げる。なんとなく左右に振って見せると、虎も気さくに振り返した。そして、隣の地球人に目を剥いた。
「うぉおおおおっちょっと待てお前、なんだよお前、もしかしてリタじゃね!?」
「……あ。……う、うん。ひさしぶり……」
「おおおホントにリタか! ええーっなんだよなんだよ。なんでラトキアにいんの? 観光? まさか団長追いかけてきたとか言わねーよな」
「……そのまさかです。結婚するつもりで、移住を」
「まじかよすげーっ」
天井を仰いでげらげらと大笑い。そして軽い身のこなしで、カウンターテーブルから飛び降りた。愕然とし座り込んだままの蝶、呆然としている鮫島、どうしていいかわからない梨太をそれぞれ見回して、目を細める。
にやりと、野生的な笑み。とがった犬歯を見せて、虎はとても嬉しそうに、言った。
「みんな全然変わってないな」
食事の世話などなにもないが、家賃はかからない。急な仕事にもタイムラグなしですぐ対応できる。お世辞にも心地は良くないが、稼ぐためにはもってこいの住処であった。
「あんたら運がいいよ」
と、受付男はそう言った。
「あいつは売れっ子でね。リピーターからの指名も多いし、どんな依頼でも我先にって挙手して出向する。ここで寝てることはめったにないんだ」
「……。例えば、どんな仕事を……」
「なんでもさ。とくに稼ぎがいいやつは、周りを押しのけてでも受けてたな。逆に、ラクだが薄給の依頼は手を出さなかった。断然、高額の依頼ばかり。……そんなだから、こないだチョイとケガをしてな。今療養中なんだ。呼んできてやろう。ちょっとココで待ってな」
本当に運がいいよ、と再度言って、奥の部屋へと引っ込んでいった。
「……また、稼ぐため、か」
受付男がいなくなってすぐ、蝶はボソリと呟いた。彼は落ち着きを取り戻し、事務所の壁にもたれかかって、いつもの穏やかな表情である。それでも声には苦いものが混じる。鮫島も隣で目を伏せていた。
「……虎ちゃんってそんな守銭奴――あの、お金に執着するひとだったっけ?」
「いや」
梨太の問いに、蝶は即答した。
「おれはアイツを入団当初から知ってるけど、給料は右から左でスラムの親兄弟に渡して、返却された小遣いで漫画を買って、それで満足してるようだった。生まれた家は、貧しくて何もかも不自由で、だから毎日工夫して遊んでたって――楽しそうに笑う。贅沢も、将来の安寧も、なんにも求めないやつだった」
「…………なにか、あったのかな」
さあね、と、ぶっきらぼうに吐き捨てる蝶。
「理由がなんであれ、アイツは変わった。それが事実だ」
梨太はカウンターの正面に立ち、奥の扉が開くのを待つ。もしかしたら、顔を出してすぐに引っ込んでしまうかもしれない。そんな気もした。
彼が出てきたら、その瞬間、捕まえてやろうと思っていた。
「ケガをしたと言っていた」
鮫島が言う。
「もしかすると、それを理由にして出てこないかもな
……」
思わず、蝶を振り返る。彼は何も言わなかった。
傭兵団と聞いて想像したより、まっとうな商売だったのは安心した。場合によって、鮫島たちの手で虎を牢獄に送る可能性もあったのだ。とりあえずそれを避けられたことを、梨太は心から喜ぶ。
しかし――
扉は、唐突に開いた。出てきたのは受付の男。やはり拒絶されたのかと懸念したが、そのすぐ後ろに、知った男が続いていた。
「ほらよ、連れてきてやったぜ」
恩着せがましく、受付男。誰も礼を言わなかった。ただ絶句して、旧友を――かつて少年だった男を、愕然と凝視した。
特徴的だったトサカ頭は、頭骨の形がわかるほど短く刈り込まれていた。
背丈は、かつてとさほど変わらない。しかし一回り痩せていた。もとが細身の少年である、今や骨格が分かるほどに絞られて、かけらの贅肉もない。
飢えてやつれているわけではなく、剥き出しの腕はゾクリとするほど筋肉質。鋭利な棘の様だった。
まばらに日焼けし、浅傷だらけの顔――大きな金色の目、とがった鼻、細い顎は、『虎ちゃん』と同じ。頬がこけたぶん、より造作が際立つ。しかし顔面の、右半分に黒革が張り付いていた。頬の下までを覆う、巨大な眼帯だった。
受付男の後ろに佇んで、億劫そうに俯いている。
梨太は、カウンターから少し、身を引いた。
「……虎ちゃん」
梨太の声に、ギョロリと大きな目を向けた。思わず悲鳴を上げそうになる――と。
梨太の真横を、蝶が駆け抜けた。一気にカウンターを飛び越え、虎の胸倉を持ち上げる。反射的に、虎は蝶の手首をつかむ。蝶はそのまま押し倒した。
受付周りの書類、文具が床へ散らばる。
「チョーさん!」
慌てて駆けだそうとしたところに、ペンが飛んできた。目の前で鮫島が叩き落す。彼は梨太を後ろに庇い、男たちを放置した。抗議する梨太に、視線で制止する。やらせておけ、と。
「ああっ伝票が! や、やめてくれ誰か止めてくれーっ」
受付男の悲鳴は置いておく。
蝶は力づくで虎を絞め上げていた。
「――虎、お前いったい、なにをしている!」
硬い床と、男の腕力に挟まれて返事が出来ない虎。構わず、蝶は叫んだ。
「なんで騎士を辞めた? せっかく手に入れた貴族の称号も屋敷も家族も手放して、なぜまたスラムに戻った。こんなところで、なんで――二年間も、一体なにをやっているんだよ!!」
怒鳴りつける声は、まるで泣いているように掠れていた。聞いているほうの胸が締め付けられる。だが、やりすぎだ。あれでは虎も答えることができない。
さすがに、鮫島も口を開いた。同時に、虎は上半身を捻り、蝶の束縛から逃れる。できた空間で体をたたみ、一気に伸ばして、蝶を蹴り飛ばす。
類まれなる体のバネ。後方に吹き飛んだ蝶、彼が立ち上がるより早く、虎も体制を直していた。カウンターの上に飛び乗って、一同をぐるりと見渡す。
そして、目を丸くした。
「――うお! 誰かと思ったらお前、蝶じゃねぇーか。ひっさしぶりだなおい!! わー。元気してたか?」
「……あ?」
蝶の目が点になる。
虎は、今度は梨太のほうへ体ごと向き直った。
「そっちにいるのはだんちょーだし。なになに、二人して遊びに来てくれたのか。大物からの依頼だっつって、昼寝してるの叩き起こされて来たからよぉ。どこの成金かと思ったぜ! あーびっくりした」
「……ああ」
鮫島も、気の抜けた声で、片手を上げる。なんとなく左右に振って見せると、虎も気さくに振り返した。そして、隣の地球人に目を剥いた。
「うぉおおおおっちょっと待てお前、なんだよお前、もしかしてリタじゃね!?」
「……あ。……う、うん。ひさしぶり……」
「おおおホントにリタか! ええーっなんだよなんだよ。なんでラトキアにいんの? 観光? まさか団長追いかけてきたとか言わねーよな」
「……そのまさかです。結婚するつもりで、移住を」
「まじかよすげーっ」
天井を仰いでげらげらと大笑い。そして軽い身のこなしで、カウンターテーブルから飛び降りた。愕然とし座り込んだままの蝶、呆然としている鮫島、どうしていいかわからない梨太をそれぞれ見回して、目を細める。
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