鮫島くんのおっぱい
豆の国の試練④
改めて確信したのだが――鮫島は、馬鹿ではない。あえて言い切ってしまうならば料理がヘタでもない。
ただ、彼は知らないのだ。
軍隊やお屋敷での厨房と、一般家庭のキッチンでは使い勝手が違うこと。『キッチン周りで使うもの』として、食糧ストックの隣に食器用洗剤、あまりよろしくはないが殺鼠剤や殺虫剤が置かれているのもままあること――まずは、そういう常識。
「こ、こら、やめろ! なんで野菜スープに砂糖を入れる!?」
「さっき味見をしたとき、甘みを感じたから」
「野菜の甘みだ、お前いままで飯を食ってて、これは何が入ってるのかなー、とか考えたことなかったのか!?」
「ない。……これはなんだろう」
「キャベツだ、見るからにキャベツだ!」
「ふうん、これキャベツっていうんだ」
「いうんだ!!」
「冷蔵庫に見当たらないんだが……」
「自分で千切りにするんだよ、待てお前マジか? 『原材料』を見たこと、一度もないのかっ!?」
「ない」
味覚も異常なわけではない。記憶力に乏しいわけでもない。ただただ、彼は知らないだけ。
なんのことはない、異邦人である梨太と同じだ。
彼はキャベツを見て、それがどんな味なのかをしらない。
当然、それを使った料理を食べても、それがキャベツで出来ていると想像ができない。
(……まあ、しょうがないよな)
キッチンの壁にもたれて見物しながら、梨太はぼんやりとそう考える。それは妻を甘やかすのではなく、かといって突き放すのでもなく、ただ事実を受け入れただけだったが。
鈴虫はまだ、そこまで鮫島を理解していなかった。いちいち激怒しながら、頭を抱えてぼやく。
「お前、今まで一体どうやって一日三食こしらえてきたんだ……」
「帝都にいるときは給食弁当が与えられる。厨房に入る機会はない。遠征中は群から渡された携行食だ。フリーズドライをお湯に入れるくらいはするけど」
梨太の想像通りの答えである。鈴虫はまだあきらめない。
「……それでも、連れとコレはなんだって話しくらいするだろ。なんて言い訳しようとも、やっぱりお前の社交性の問題だよ」
そこには、鮫島はなにも反論しなかった。ただほんのすこし眉を垂らして、目を細め、口元をゆがめる。自嘲気味に笑っていた。
梨太はいたたまれなくなった。
鈴虫の言うことは、半分は正論、半分は見当違い。
たしかに、鮫島は社交性に問題はある。
だけども彼には、その機会がなかった。仲良くなる機会がなかったのだ。
いつもひとり。
たった一人で、なんだかわからないものをもくもくと食べてきた。料理の名前を尋ねる相手がいなかった。
誰かひとり、そばにいれば、彼はちゃんとそうすることができるのに。
――美味しい。
地球でもこの星に来てからも、梨太は何度も彼からそう聞いた。材料を問われたこともある。梨太が答えると、彼はいつでも、なんともいえない嬉しそうな顔をしていた――
(あの時だって、僕のために、せいいっぱい料理をしようとしてくれたんだ……)
「まったく、リタは甘やかしすぎだ」
嘆息する鈴虫に、決してそうではない、と反論が頭をよぎる。だがあえて、梨太は前に出た。
見本の料理を前後左右から観察し、原材料を特定しようと必死な鮫島の肩を、優しくたたいて。
「大丈夫、ゆっくりやろう。これからずっといっしょにいるんだから、大丈夫。ゆっくりでいい」
「……リタ?」
首をかしげる彼に背を向け、今度は鈴虫の方へ向き直る。梨太は言った。
「鈴虫さん、ちょっと聞きたいことがあるんですが」
「うん? なんだ。手伝っていいですかってのは一切ナシだぞ」
「わかってます。それより、この試験の確認をさせてください。
……この試験は、料理人の就職試験ではない。あくまで、僕の妻としてふさわしいか――夫を満足させられるか、それを確かめるための、嫁入り修行十番勝負、ですよね?」
鈴虫は眉をひそめた。腰に手を当て、若き夫に優しく諭してくる。
「その通りだ。しかしリタ、自分が主夫になるからいいんですっなんて話は通らないぞ。お前は星帝になると聞いての試験なんだから」
「……試験合格の基準は、鮫島くんの手料理を、この僕が完食すること。それをもって合格。見本の再現度は条件に入ってない……ですよね?」
怪訝な顔をしながらも、鈴虫は頷いた。それを確かに確認し、再び鮫島に向き直る。
彼が手に持った、見たことのない色の調味料と食事を下ろすよう、指示をして。
「――鮫島くん。僕が食べられるものを作ってください。『なんでもいい』から」
「…………あっ」
「――あっ。ああっ!?」
ぽんと手を打つ鮫島の横で、鈴虫が大きな声を上げた。
「お待たせいたしました」
メイドが恭しく、シルバートレイをそこへ置く。
「奥様の手料理――エンリコ魚のムニエル、レモンカルパッチョソース仕立てでございます」
「ありがとう」
梨太はそれを受け取った。
鮫島の料理――それは魚料理であり、魚は一切使われていなかった。
原型がなかった。見本を真似ようという気すら感じれなかった。
それは、料理というにはあまりにも小さすぎた。 
小さく、丸く、白く、そして大雑把過ぎた。 
それは、正におむすびだった。
ふう、という嘆息は安堵のそれだ。日本の白米とは少々ちがえど、驚くほど差があるわけでない。
しっかりと研がれ、適宜炊かれ、ちょっと堅めにしっかりと握られた白むすび。
「いただきます」
一口齧ってみる。塩加減はばっちりだ。二口で平らげ、お茶をのんで、ほうと一息。
「ごちそうさまでした!」
そう言ったとたん、鮫島と鈴虫、両者ががくりと膝をついた。鈴虫が愕然とするのはわかるが、鮫島が脱力したのは意外である。
貴族服の上にエプロンを付けた騎士団長は、長い髪を絨毯に垂らし、まさに脱力していた。
大きな大きなため息とともに、震える声で、彼は言葉を吐き出した。
「――よかった……」
ただ、彼は知らないのだ。
軍隊やお屋敷での厨房と、一般家庭のキッチンでは使い勝手が違うこと。『キッチン周りで使うもの』として、食糧ストックの隣に食器用洗剤、あまりよろしくはないが殺鼠剤や殺虫剤が置かれているのもままあること――まずは、そういう常識。
「こ、こら、やめろ! なんで野菜スープに砂糖を入れる!?」
「さっき味見をしたとき、甘みを感じたから」
「野菜の甘みだ、お前いままで飯を食ってて、これは何が入ってるのかなー、とか考えたことなかったのか!?」
「ない。……これはなんだろう」
「キャベツだ、見るからにキャベツだ!」
「ふうん、これキャベツっていうんだ」
「いうんだ!!」
「冷蔵庫に見当たらないんだが……」
「自分で千切りにするんだよ、待てお前マジか? 『原材料』を見たこと、一度もないのかっ!?」
「ない」
味覚も異常なわけではない。記憶力に乏しいわけでもない。ただただ、彼は知らないだけ。
なんのことはない、異邦人である梨太と同じだ。
彼はキャベツを見て、それがどんな味なのかをしらない。
当然、それを使った料理を食べても、それがキャベツで出来ていると想像ができない。
(……まあ、しょうがないよな)
キッチンの壁にもたれて見物しながら、梨太はぼんやりとそう考える。それは妻を甘やかすのではなく、かといって突き放すのでもなく、ただ事実を受け入れただけだったが。
鈴虫はまだ、そこまで鮫島を理解していなかった。いちいち激怒しながら、頭を抱えてぼやく。
「お前、今まで一体どうやって一日三食こしらえてきたんだ……」
「帝都にいるときは給食弁当が与えられる。厨房に入る機会はない。遠征中は群から渡された携行食だ。フリーズドライをお湯に入れるくらいはするけど」
梨太の想像通りの答えである。鈴虫はまだあきらめない。
「……それでも、連れとコレはなんだって話しくらいするだろ。なんて言い訳しようとも、やっぱりお前の社交性の問題だよ」
そこには、鮫島はなにも反論しなかった。ただほんのすこし眉を垂らして、目を細め、口元をゆがめる。自嘲気味に笑っていた。
梨太はいたたまれなくなった。
鈴虫の言うことは、半分は正論、半分は見当違い。
たしかに、鮫島は社交性に問題はある。
だけども彼には、その機会がなかった。仲良くなる機会がなかったのだ。
いつもひとり。
たった一人で、なんだかわからないものをもくもくと食べてきた。料理の名前を尋ねる相手がいなかった。
誰かひとり、そばにいれば、彼はちゃんとそうすることができるのに。
――美味しい。
地球でもこの星に来てからも、梨太は何度も彼からそう聞いた。材料を問われたこともある。梨太が答えると、彼はいつでも、なんともいえない嬉しそうな顔をしていた――
(あの時だって、僕のために、せいいっぱい料理をしようとしてくれたんだ……)
「まったく、リタは甘やかしすぎだ」
嘆息する鈴虫に、決してそうではない、と反論が頭をよぎる。だがあえて、梨太は前に出た。
見本の料理を前後左右から観察し、原材料を特定しようと必死な鮫島の肩を、優しくたたいて。
「大丈夫、ゆっくりやろう。これからずっといっしょにいるんだから、大丈夫。ゆっくりでいい」
「……リタ?」
首をかしげる彼に背を向け、今度は鈴虫の方へ向き直る。梨太は言った。
「鈴虫さん、ちょっと聞きたいことがあるんですが」
「うん? なんだ。手伝っていいですかってのは一切ナシだぞ」
「わかってます。それより、この試験の確認をさせてください。
……この試験は、料理人の就職試験ではない。あくまで、僕の妻としてふさわしいか――夫を満足させられるか、それを確かめるための、嫁入り修行十番勝負、ですよね?」
鈴虫は眉をひそめた。腰に手を当て、若き夫に優しく諭してくる。
「その通りだ。しかしリタ、自分が主夫になるからいいんですっなんて話は通らないぞ。お前は星帝になると聞いての試験なんだから」
「……試験合格の基準は、鮫島くんの手料理を、この僕が完食すること。それをもって合格。見本の再現度は条件に入ってない……ですよね?」
怪訝な顔をしながらも、鈴虫は頷いた。それを確かに確認し、再び鮫島に向き直る。
彼が手に持った、見たことのない色の調味料と食事を下ろすよう、指示をして。
「――鮫島くん。僕が食べられるものを作ってください。『なんでもいい』から」
「…………あっ」
「――あっ。ああっ!?」
ぽんと手を打つ鮫島の横で、鈴虫が大きな声を上げた。
「お待たせいたしました」
メイドが恭しく、シルバートレイをそこへ置く。
「奥様の手料理――エンリコ魚のムニエル、レモンカルパッチョソース仕立てでございます」
「ありがとう」
梨太はそれを受け取った。
鮫島の料理――それは魚料理であり、魚は一切使われていなかった。
原型がなかった。見本を真似ようという気すら感じれなかった。
それは、料理というにはあまりにも小さすぎた。 
小さく、丸く、白く、そして大雑把過ぎた。 
それは、正におむすびだった。
ふう、という嘆息は安堵のそれだ。日本の白米とは少々ちがえど、驚くほど差があるわけでない。
しっかりと研がれ、適宜炊かれ、ちょっと堅めにしっかりと握られた白むすび。
「いただきます」
一口齧ってみる。塩加減はばっちりだ。二口で平らげ、お茶をのんで、ほうと一息。
「ごちそうさまでした!」
そう言ったとたん、鮫島と鈴虫、両者ががくりと膝をついた。鈴虫が愕然とするのはわかるが、鮫島が脱力したのは意外である。
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