セクハラチートな仕立て屋さん - 如何わしい服を着せないで -
09 ダンジョンの法則性 後編
「つっ……うぅっ!」
「痛くても我慢なさい。こんな傷をつけた貴女が悪いんだからね」
ある程度進んだ後、木が一本も生えてない開かれた草原へとたどり着いた二人は、月の光を頼りにナフィリアの傷を治療していた。
リリカがボトルを開け、飲み水として持ってきた水をナフィリアが負った傷に注ぐと、染みこむような痛さに歯を食いしばる。
ある程度血を洗い流し包帯を巻いていくリリカの手際は良く、自分が怪我した時でもよくやっているんだろうかとナフィリアは考えていた。
「だから、コグロウルフと戦いたくなかったのよ」
「す、すみません、私が足を引っ張ってしまって……」
「え? 足を引っ張る? なんのこと?」
「……え?」
リリカの意外な言葉に、思わずナフィリアが声を上げる。
「戦闘を避けたかったのは、怪我をしたくないからに決まってるじゃない。コグロウルフは集団で襲ってくるから、無傷ってことなんて稀なの。知ってる? 怪我すると痛いのよ?」
「そ、それは、まあ……」
天然なのか、それともわざとなのかわからないボケにナフィリアは微妙な表情をすると、リリカは「それに」と続けた。
「ナフィにもなるべく怪我させたくないもの。自分がされて嫌なことを他人にするわけないじゃない」
「リ、リリカさん……」
思わずナフィリアの目頭が熱くなる。
こんなことを言われたら、誰だって感激してしまうだろう。
実際、リリカが男だったら惚れていた、とナフィリアは確信していた。
「それはそうとナフィ。私が最初に説明したダンジョンのこと、覚えてる?」
「え? ええと、『ダンジョンは一部を除いて不規則に変化するもの』であり、例外の一部であるマイラダンジョンは木が移動しない場所がある……でしたよね?」
「そう。東西南北、それぞれに木が一切移動してこない場所が複数存在していて――」
リリカが足で地面を軽く叩く。
「ここが、その例外の一部よ」
――この世に一つしかない財宝が、このダンジョンに眠っているの。
ふと先程の言葉を思い出す。
「じゃあ、ここに財宝が……?」
「あくまで可能性よ。本当にあるかなんて、掘ってみないとわからないものだわ」
「……そうですよねー」
「だから」
リリカが柄を力強く握りしめた。
「――こうするのよ」
次の瞬間……地面が割れる。
リリカが剣を抜いた動きを、ナフィリアは捉える事が出来なかった。
いつの間にか剣は抜かれ――まるでそれに気がついたかのように、地面に大きな亀裂が走ったのだ。
「……リリカさんって、やることがむちゃくちゃですよね」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
「――ルーヤさんと同じで」
「…………」
ナフィリアが冗談めかして言うと、リリカは急に無言となり。
「へ……きゃあああああ!?」
気がつけば、ナフィリアの赤ドレスは斬り刻まれていた。
――更に肌をさらけ出すような服装になったのを、まるで意図的に狙ったかのように。
「ちょっ、ちょっ! なんてことをしてくれてるんですかっ!?」
「貴女こそ、なんてことを言ってくれたのかしら? 斬るわよ?」
「もう既にやっちゃってるじゃないですかっ! しかもこれ、下手に動けば色々見えちゃうっ!」
「あぁ、本当ね。全然、微塵も、これっぽっちさえ気がつかなかったわ」
「絶対、気づいてましたよね!? 狙ってやりましたよね!? これでどうやって帰れと!?」
「手で隠してもじもじさせながら帰れば? あら可愛い」
「リリカさんの鬼ぃっ!」
「そんな下らないことはどうでもいいわ」
「私にとっては超重要なんですけどねっ!」
「見なさいナフィ」
キーキーと騒ぎ立てるナフィリアはさらりと受け流すように、リリカは剣を鞘に仕舞いながら地面を指さす。
「――どうやら、当たりを引いてしまったようね」
「……っ!」
薄ら笑みを浮かべるリリカに、ナフィリアが息を呑み込んだ。
土の中から現れた黒い石版。
自然の中に埋め込まれた、明らかな人工物。
石版には何かの文字が刻まれているが、ナフィリアは読むことが出来ない。どうやらヒト族が使う文字ではないようだ。
「ふうん、『北東の鍵』……ねえ」
「読めるんですかっ!?」
「え? まあ、何回か読んできたことがあるもの。これ、古代文字だし」
「古代文字っ!」
さらりと言うリリカに、ナフィリアは大きく反応する。
古代文字とは、ヒト族が今の文字を使う遙か前の文字のことで、謂わば文字の原点だとも言えるのだ。
ただ、古代文字が書いてあるものなど数少ないので目にすることは滅多にない。
そもそも古代文字とは、完成された現代文字になる前の文字……『未完成の文字』なのだ。
つまり、個々のオリジナル文字。
いくら現代文字の元とは言え未完成の文字を完全に解読できることなど、難しいにもほどがある。
その古代文字をリリカはノータイムで読み上げたのだ。
「リ、リリカさんって何者……はっ! もしかして古代人なんじゃ」
「もっかい斬るわよ?」
割といい線いってると思わず声に出してしまったナフィリアだが、再び剣の柄を握ろうとしたリリカを見て慌てて「すみませんっ」と謝る。
「……まあいいわ。さっさと封印を解除しましょう」
「ふ、封印……?」
石版に手を添えるリリカにナフィリアは首を捻る。
「……――」
次に彼女が放った言葉は、ヒト語ではなかった。
聞いたこともないような発音が呟かれる。
すると彼女の言葉に反応したかのように、石版の文字が白く輝いた。
石版は数秒光り続け、やがて徐々に光を失っていく。
「ふぅ……これでよし、と」
「あの、リリカさん。今、何を……」
「ん? ただ『封印を解いて』ってお願いしただけよ?」
「は、はあ」
「古代語で」
「古代語!?」
古代文字があるのは知っていたが、そんな言語があるとは知らず、ナフィリアは思わず声をあげてしまった。
本人はただのヒト族だと思われたいというのはわかっているのだが……それでも、ナフィリアはこの女性がただ者だとは思えない。
――でも。
「もう帰りましょうかナフィ。あまり遅くなると、リュウヤくんに怒られちゃうわ」
「ああ、そうですね……ルーヤさん、心配性なところありますし」
「まあ早く帰ろうが、貴女はその傷で怒られると思うけど」
「うっ……そ、そうですよね……」
「ふふ、一緒に怒られましょうか。私もあなたの服をこんなにしちゃったんだし」
「……リリカさん。も、もしかして、私の服をこんなにしたのは、わざと――」
「いえ、それはないわ。服を裂かれて顔真っ赤になるナフィを見たかっただけだもの」
「やっぱりリリカさんの鬼ぃっ!」
リリカという女性の得体はしれない。
それでもナフィリアは、今のリリカが心地良く感じていた。
「あとで絵にしてあげる。その姿が後世にも残るようにね」
「やめてください、まじでやめてください!」
探索に出たばかりの距離は、もうなかった。
* * *
「あっ、おかえり二人とも……って、随分すごい姿で帰ってきたね。特にナフィちゃん」
さすがのルーヤもこの変わりようは予測できなかったのか、二人の姿を見た瞬間微妙な顔つきになった。
今、ナフィリアの格好はボロボロになった赤ドレス。その姿はまるで辱めを受けたお姫様のようである。
そしてその上から羽織っている黒服。これはリリカが着用している上着で、寒そうにしていたナフィリアに羽織らせてあげたのだ。
……まあナフィリアが寒くしている理由の半分は、リリカのせいでもあるのだが。
今のリリカの服装は白いシャツに足首まで伸びる黒のズボン。スラッとした体形である為、上着を脱いだ姿も凜々しい姿にナフィリアも思わず見蕩れてしまっていたほどだ。
「いやいや、これ絶対わざとでしょ。リリカ、確かにこういうのもいいかもしれないけどね? 僕はきちんとした服装の方が――」
困ったように笑みを浮かべていたルーヤだが、やや後ろに隠していたナフィリアの左腕に目が行くと急に真顔になった。
「っ!」
反射的に身を引こうとしたナフィリアだが、その前にルーヤが彼女の左腕を掴む。
ぐるぐるに巻かれた包帯が露わになった。
「…………」
「あ、あのっ……」
ルーヤの無言が怖く、声が震える。
怒っているのだろうと思うと、何も言えなくなる。
――言わなくちゃ、いけないのに。
すると、恐怖で怯えるナフィリアの右手を誰かが握ってくれた。
チラリと隣を見ると、リリカが小さく笑みを浮かべてくれる。
右手から伝わる温かさは小さなものだが、それだけでナフィリアが勇気づくには十分だった。
「ナフィちゃん――」
「ごめんなさいっ!」
ようやく口を開いたルーヤを遮り、ナフィリアは頭を下げる。
「ルーヤさんとの約束を破って……私、無茶してしまいました! 自分がルーヤさんやリリカさんにどれだけ心配をかけてしまったのか、わかってるつもりです! だから……ごめんなさいっ!」
口早に謝るナフィリア。
若干怖がっているところもあるが、これが今の彼女の精一杯の『勇気』だった。
「リュウヤくん、怒らないであげて。彼女だって反省してるんだし」
「…………はぁ」
リリカもナフィリアを擁護すると、ルーヤからため息が洩れた。
「別に怒鳴ったりするつもりはないよ。ナフィちゃんが帰ってきてくれればね」
そう言うと左腕の包帯を解き、傷に手をかざす。
みるみるうちに消えていく傷――回復魔法を使ったのだ。
傷が目立たないまでに治ると、彼はナフィリアの小さな頭を撫でる。
「無事で良かったよ。おかえり、ナフィちゃん」
「…………んっ……」
いつものナフィリアであれば嫌そうな顔で彼の手を払いのけようとするが、今だけは抵抗する気がなかった。
それだけ彼がどんな気持ちなのか、理解できているからだ。
だから今は、黙って彼の手を感じていたかった。
「まあナフィには私がきちんと叱っておいたから。感謝してくれてもいいのよ?」
「それは確かにありがたいけど……リリカ。僕の仕立てた服をこんなにして、謝罪する気はないの?」
「微塵もないわ」
「……そこまですがすがしいと、怒る気もなくなるよ」
堂々と胸を張るリリカに、ルーヤは肩を竦める。
「まあ、また作り直せばいいし……さてナフィちゃん。ちょっと遅くなっちゃったけど、晩ご飯にしようか。リリカは街の宿屋にでも止まるのかな?」
「いいえ」
てっきり宿屋に泊まるのかと思いきや、意外にもリリカは首を横に振った。
そして――ナフィを抱き寄せる。
「……へ?」
「私、しばらくここを拠点にするから。文句ないわよね?」
「それはいいけど……急にどうしたんだい? 行く前はすぐ帰る気満々だったじゃないか」
「最初はそのつもりだったんだけどね。この子のこと、気に入っちゃったのよ」
この子とは誰のことだろうか――ナフィリアは混乱するが、そんなこと考えるまでもないのだ。
「そういうわけだから。しばらくの間、よろしくねナフィ」
もはや彼女が半ば強制的に決めてしまっているが、すぐ近くで聞こえる吐息と優しい笑みに鼓動を高鳴らせながら顔を真っ赤にして……つまり、めっちゃ混乱していたナフィリアはただコクコクと頷くしかなかった。
――しかしこの時、ナフィリアは知る由もなかった。
いや、仕方がないのだ。
あんなに本気で心配してくれたり、たまに冗談を言ってきたりする、強くてかっこいい第1級冒険者という印象で、誰が信頼しきれないのだと言うのだろうか。
だから、ナフィリアも無意識にリリカのことを信頼しきっていて、『しばらくリリカさんと共同生活』としか考えてなかったのだ。
だから、ナフィリアはわからなかった。
優しく微笑む彼女の瞳の奥に――ある『野望』が抱かれていることに。
「痛くても我慢なさい。こんな傷をつけた貴女が悪いんだからね」
ある程度進んだ後、木が一本も生えてない開かれた草原へとたどり着いた二人は、月の光を頼りにナフィリアの傷を治療していた。
リリカがボトルを開け、飲み水として持ってきた水をナフィリアが負った傷に注ぐと、染みこむような痛さに歯を食いしばる。
ある程度血を洗い流し包帯を巻いていくリリカの手際は良く、自分が怪我した時でもよくやっているんだろうかとナフィリアは考えていた。
「だから、コグロウルフと戦いたくなかったのよ」
「す、すみません、私が足を引っ張ってしまって……」
「え? 足を引っ張る? なんのこと?」
「……え?」
リリカの意外な言葉に、思わずナフィリアが声を上げる。
「戦闘を避けたかったのは、怪我をしたくないからに決まってるじゃない。コグロウルフは集団で襲ってくるから、無傷ってことなんて稀なの。知ってる? 怪我すると痛いのよ?」
「そ、それは、まあ……」
天然なのか、それともわざとなのかわからないボケにナフィリアは微妙な表情をすると、リリカは「それに」と続けた。
「ナフィにもなるべく怪我させたくないもの。自分がされて嫌なことを他人にするわけないじゃない」
「リ、リリカさん……」
思わずナフィリアの目頭が熱くなる。
こんなことを言われたら、誰だって感激してしまうだろう。
実際、リリカが男だったら惚れていた、とナフィリアは確信していた。
「それはそうとナフィ。私が最初に説明したダンジョンのこと、覚えてる?」
「え? ええと、『ダンジョンは一部を除いて不規則に変化するもの』であり、例外の一部であるマイラダンジョンは木が移動しない場所がある……でしたよね?」
「そう。東西南北、それぞれに木が一切移動してこない場所が複数存在していて――」
リリカが足で地面を軽く叩く。
「ここが、その例外の一部よ」
――この世に一つしかない財宝が、このダンジョンに眠っているの。
ふと先程の言葉を思い出す。
「じゃあ、ここに財宝が……?」
「あくまで可能性よ。本当にあるかなんて、掘ってみないとわからないものだわ」
「……そうですよねー」
「だから」
リリカが柄を力強く握りしめた。
「――こうするのよ」
次の瞬間……地面が割れる。
リリカが剣を抜いた動きを、ナフィリアは捉える事が出来なかった。
いつの間にか剣は抜かれ――まるでそれに気がついたかのように、地面に大きな亀裂が走ったのだ。
「……リリカさんって、やることがむちゃくちゃですよね」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
「――ルーヤさんと同じで」
「…………」
ナフィリアが冗談めかして言うと、リリカは急に無言となり。
「へ……きゃあああああ!?」
気がつけば、ナフィリアの赤ドレスは斬り刻まれていた。
――更に肌をさらけ出すような服装になったのを、まるで意図的に狙ったかのように。
「ちょっ、ちょっ! なんてことをしてくれてるんですかっ!?」
「貴女こそ、なんてことを言ってくれたのかしら? 斬るわよ?」
「もう既にやっちゃってるじゃないですかっ! しかもこれ、下手に動けば色々見えちゃうっ!」
「あぁ、本当ね。全然、微塵も、これっぽっちさえ気がつかなかったわ」
「絶対、気づいてましたよね!? 狙ってやりましたよね!? これでどうやって帰れと!?」
「手で隠してもじもじさせながら帰れば? あら可愛い」
「リリカさんの鬼ぃっ!」
「そんな下らないことはどうでもいいわ」
「私にとっては超重要なんですけどねっ!」
「見なさいナフィ」
キーキーと騒ぎ立てるナフィリアはさらりと受け流すように、リリカは剣を鞘に仕舞いながら地面を指さす。
「――どうやら、当たりを引いてしまったようね」
「……っ!」
薄ら笑みを浮かべるリリカに、ナフィリアが息を呑み込んだ。
土の中から現れた黒い石版。
自然の中に埋め込まれた、明らかな人工物。
石版には何かの文字が刻まれているが、ナフィリアは読むことが出来ない。どうやらヒト族が使う文字ではないようだ。
「ふうん、『北東の鍵』……ねえ」
「読めるんですかっ!?」
「え? まあ、何回か読んできたことがあるもの。これ、古代文字だし」
「古代文字っ!」
さらりと言うリリカに、ナフィリアは大きく反応する。
古代文字とは、ヒト族が今の文字を使う遙か前の文字のことで、謂わば文字の原点だとも言えるのだ。
ただ、古代文字が書いてあるものなど数少ないので目にすることは滅多にない。
そもそも古代文字とは、完成された現代文字になる前の文字……『未完成の文字』なのだ。
つまり、個々のオリジナル文字。
いくら現代文字の元とは言え未完成の文字を完全に解読できることなど、難しいにもほどがある。
その古代文字をリリカはノータイムで読み上げたのだ。
「リ、リリカさんって何者……はっ! もしかして古代人なんじゃ」
「もっかい斬るわよ?」
割といい線いってると思わず声に出してしまったナフィリアだが、再び剣の柄を握ろうとしたリリカを見て慌てて「すみませんっ」と謝る。
「……まあいいわ。さっさと封印を解除しましょう」
「ふ、封印……?」
石版に手を添えるリリカにナフィリアは首を捻る。
「……――」
次に彼女が放った言葉は、ヒト語ではなかった。
聞いたこともないような発音が呟かれる。
すると彼女の言葉に反応したかのように、石版の文字が白く輝いた。
石版は数秒光り続け、やがて徐々に光を失っていく。
「ふぅ……これでよし、と」
「あの、リリカさん。今、何を……」
「ん? ただ『封印を解いて』ってお願いしただけよ?」
「は、はあ」
「古代語で」
「古代語!?」
古代文字があるのは知っていたが、そんな言語があるとは知らず、ナフィリアは思わず声をあげてしまった。
本人はただのヒト族だと思われたいというのはわかっているのだが……それでも、ナフィリアはこの女性がただ者だとは思えない。
――でも。
「もう帰りましょうかナフィ。あまり遅くなると、リュウヤくんに怒られちゃうわ」
「ああ、そうですね……ルーヤさん、心配性なところありますし」
「まあ早く帰ろうが、貴女はその傷で怒られると思うけど」
「うっ……そ、そうですよね……」
「ふふ、一緒に怒られましょうか。私もあなたの服をこんなにしちゃったんだし」
「……リリカさん。も、もしかして、私の服をこんなにしたのは、わざと――」
「いえ、それはないわ。服を裂かれて顔真っ赤になるナフィを見たかっただけだもの」
「やっぱりリリカさんの鬼ぃっ!」
リリカという女性の得体はしれない。
それでもナフィリアは、今のリリカが心地良く感じていた。
「あとで絵にしてあげる。その姿が後世にも残るようにね」
「やめてください、まじでやめてください!」
探索に出たばかりの距離は、もうなかった。
* * *
「あっ、おかえり二人とも……って、随分すごい姿で帰ってきたね。特にナフィちゃん」
さすがのルーヤもこの変わりようは予測できなかったのか、二人の姿を見た瞬間微妙な顔つきになった。
今、ナフィリアの格好はボロボロになった赤ドレス。その姿はまるで辱めを受けたお姫様のようである。
そしてその上から羽織っている黒服。これはリリカが着用している上着で、寒そうにしていたナフィリアに羽織らせてあげたのだ。
……まあナフィリアが寒くしている理由の半分は、リリカのせいでもあるのだが。
今のリリカの服装は白いシャツに足首まで伸びる黒のズボン。スラッとした体形である為、上着を脱いだ姿も凜々しい姿にナフィリアも思わず見蕩れてしまっていたほどだ。
「いやいや、これ絶対わざとでしょ。リリカ、確かにこういうのもいいかもしれないけどね? 僕はきちんとした服装の方が――」
困ったように笑みを浮かべていたルーヤだが、やや後ろに隠していたナフィリアの左腕に目が行くと急に真顔になった。
「っ!」
反射的に身を引こうとしたナフィリアだが、その前にルーヤが彼女の左腕を掴む。
ぐるぐるに巻かれた包帯が露わになった。
「…………」
「あ、あのっ……」
ルーヤの無言が怖く、声が震える。
怒っているのだろうと思うと、何も言えなくなる。
――言わなくちゃ、いけないのに。
すると、恐怖で怯えるナフィリアの右手を誰かが握ってくれた。
チラリと隣を見ると、リリカが小さく笑みを浮かべてくれる。
右手から伝わる温かさは小さなものだが、それだけでナフィリアが勇気づくには十分だった。
「ナフィちゃん――」
「ごめんなさいっ!」
ようやく口を開いたルーヤを遮り、ナフィリアは頭を下げる。
「ルーヤさんとの約束を破って……私、無茶してしまいました! 自分がルーヤさんやリリカさんにどれだけ心配をかけてしまったのか、わかってるつもりです! だから……ごめんなさいっ!」
口早に謝るナフィリア。
若干怖がっているところもあるが、これが今の彼女の精一杯の『勇気』だった。
「リュウヤくん、怒らないであげて。彼女だって反省してるんだし」
「…………はぁ」
リリカもナフィリアを擁護すると、ルーヤからため息が洩れた。
「別に怒鳴ったりするつもりはないよ。ナフィちゃんが帰ってきてくれればね」
そう言うと左腕の包帯を解き、傷に手をかざす。
みるみるうちに消えていく傷――回復魔法を使ったのだ。
傷が目立たないまでに治ると、彼はナフィリアの小さな頭を撫でる。
「無事で良かったよ。おかえり、ナフィちゃん」
「…………んっ……」
いつものナフィリアであれば嫌そうな顔で彼の手を払いのけようとするが、今だけは抵抗する気がなかった。
それだけ彼がどんな気持ちなのか、理解できているからだ。
だから今は、黙って彼の手を感じていたかった。
「まあナフィには私がきちんと叱っておいたから。感謝してくれてもいいのよ?」
「それは確かにありがたいけど……リリカ。僕の仕立てた服をこんなにして、謝罪する気はないの?」
「微塵もないわ」
「……そこまですがすがしいと、怒る気もなくなるよ」
堂々と胸を張るリリカに、ルーヤは肩を竦める。
「まあ、また作り直せばいいし……さてナフィちゃん。ちょっと遅くなっちゃったけど、晩ご飯にしようか。リリカは街の宿屋にでも止まるのかな?」
「いいえ」
てっきり宿屋に泊まるのかと思いきや、意外にもリリカは首を横に振った。
そして――ナフィを抱き寄せる。
「……へ?」
「私、しばらくここを拠点にするから。文句ないわよね?」
「それはいいけど……急にどうしたんだい? 行く前はすぐ帰る気満々だったじゃないか」
「最初はそのつもりだったんだけどね。この子のこと、気に入っちゃったのよ」
この子とは誰のことだろうか――ナフィリアは混乱するが、そんなこと考えるまでもないのだ。
「そういうわけだから。しばらくの間、よろしくねナフィ」
もはや彼女が半ば強制的に決めてしまっているが、すぐ近くで聞こえる吐息と優しい笑みに鼓動を高鳴らせながら顔を真っ赤にして……つまり、めっちゃ混乱していたナフィリアはただコクコクと頷くしかなかった。
――しかしこの時、ナフィリアは知る由もなかった。
いや、仕方がないのだ。
あんなに本気で心配してくれたり、たまに冗談を言ってきたりする、強くてかっこいい第1級冒険者という印象で、誰が信頼しきれないのだと言うのだろうか。
だから、ナフィリアも無意識にリリカのことを信頼しきっていて、『しばらくリリカさんと共同生活』としか考えてなかったのだ。
だから、ナフィリアはわからなかった。
優しく微笑む彼女の瞳の奥に――ある『野望』が抱かれていることに。
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