武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

5話 トリックスターは毒を吐く(1)

「ひー、ひー、そっ、そうか……。くっ、アンジェに妙な動きをした教官の監視を突き合うように言われて……プフッ、付き合うって答えちまってって訳……もー無理だ! くはははははははは! 馬鹿じゃねぇの! あんな地雷女の引っかかるとか、お前見る目なさすぎだろ! あっはははははははははははは!」
「今日もお前の毒舌っぷりは最高潮だな。いい加減野垂れ死んでくれよ、俺の知らないところで」
 アンジェの監視に付き合う旨を一応話したところ、ハワードはこのように爆笑した。苛々しつつ、ファーガスはそれを聞き流す。
「それで? 進展はあったのかよ」
「んー、一週間経ったけど別に。ぶっちゃけ飽きた」
「まぁそうだろうな」
 終始ニヤニヤしているハワードを見るのは珍しい事だったが、それに価値を感じる少年ではない。正直言って殴りたい、この笑顔。
「つっても、お前の言い分じゃあすでに俺は被害者だったんだろ? じゃあ別に爆笑される筋合いなんざねぇよ」
「は? オレ、そんなこと言ったか?」
 ファーガスは無言で奴の脛に蹴りを入れる。だがハワードはそれを察知していたようで、小さな所作で容易くかわした。余計に苛立ちの募るファーガス。
「いつか殺して山に埋めてやるからな……」
「分かった分かった、冗談だっての。ったく、これだからハンプティ・ダンプティはよぉ……」
「……どうやら殴らなければならない奴が一人増えたらしいな」
「あ、ファーガス先輩! こんな所に居たんですか探しまし……、え、ちょっと。何で剣を抜いてるんですか? ここ食堂ですよ? ちょっと! ここに亜人は居ませんよ!?」
 ファーガスは嘘の怒りを瞳に燃やし、ハワードは再び指を指して爆笑し、アンジェは戸惑い逃げ惑う。そんな小さな騒動が、ファーガスのアイルランドクラスでの日常だった。
 実際、ファーガスはアイルランドクラスに移ってから他の二人とは少々疎遠気味になっている節があった。ベルとは毎晩メールでやり取りをしていたが、直接会う機会というのは少ない。ローラとも、狩りくらいでしか会わない。
 これは由々しき事態であると、ファーガスは憤然としていた。何に対する怒りかと問われると、しばし考えた後に少年は「自分」と答えるのだろう。ローラはただの友達だからともかく、ベルとの距離感の遠さは忌々しい。
 如何とすべきか。そのように考えて、これからは彼女を頻繁にデートに誘おうと決心した。先立つものも、無くはない。ファーガスは換金できるポイントが二十溜まっているのを確認する。メールで打診すると、一分もしないうちに肯定の返信が来てファーガスは狂喜乱舞した。
 第二学年騎士候補生になってからのファーガスの輪と言うものは、その二つだった。日常としてのアイルランドクラスの三人組、ベルと友達以上恋人未満の関係。 それ以外は、何もなかった。特待生として皆の先を行く成績を示してはいるものの、ハワードと共にいると優越感と言うものを抱く余裕もない。常に実力ギリギリの相手に向かうから、次の瞬間自分が死んでいないことだけが重要だ。他人と比べる機会もなかった。
 ソウイチロウの謎めいたメールも、興味が薄れ始めていたといっていい。寮内のテレビで映し出される情報は、淡々としている。ドラゴンはあと三匹。二匹はまだ探索中らしかったが、「三百年前にUKを焼き尽くした黒龍に比べたら、最近のドラゴンなんて雑魚だよなぁ」なんて舐めた言葉を口にする生徒もいる。市民用でなく、機密情報を隠さない寮のテレビでもネガティブな放送がないのだから、当然とも言えた。
 時は過ぎゆき、十二月になった。
 クリスマスを、ベルと共に祝おうと考えていた。雪は降るだろうか。去年ぎくしゃくして逃したクリスマスだから、ことさらファーガスはホワイトクリスマスを望んでいる。


 ある日の事。ベルとデートをした翌日のことだった。うきうき気分でハワードに愛想良く話しかけたら、奴はあろう事か無視を決め込んだ。大してムカッ腹が立った訳ではなかったが、テンションが高いファーガスはハワードに不良のような頭の悪い喧嘩の売り方をし、やっとそこで奴が思案顔でいた事に気付いた。
「……どうしたんだ、お前」
「――仕方ない。彼らを率いて少し検証してみようか……。ん? グリンダーいつからお前そこに居やがった。顔も近くて気持ち悪ぃし。やっぱお前ゲイか?」
「んな訳ねぇだろ! 昨日もデートしてきたばっかだよこの野郎!」
「ハン。良いご身分なこった。せいぜいクリスタベルとも仲良くしてやってくれ。……で、話は変わるが、少し放課後付き合え。山行くぞ」
「は?」
 狩りに行く、ではなく、山に行く。ファーガスは、その僅かな違いに顔をしかめる。
「……別にいいけどさ。改めて言うなんて、何をやらかすつもりだ?」
「後で言う。オレはこのあと少し用事があるんでな。お前も放課後すぐ出れるよう準備しておけ」
 言うが早いか、ハワードは早歩きで去って行ってしまった。奇妙な顔をして、一人残されたファーガスは呟く。
「まだ分かったなんて一言も言ってないんだが……」
 気分が高揚していたのもあって、別にいいか、と言う気分だった。時間が余っていたので何かないかと鞄を探すと、ソウイチロウに貸してもらいっぱなしの本が出土する。
 放課後、襟首を掴まれて振り返ると、案の定ハワードだった。「行くぞ」と催促され、「おう」と答えながら立ち上がる。
「なぁ、ハワード。結局、何の用なんだ?」
「は? 言ってなかったか」
 ギルドの中。言いながら、転送陣に二人は足を踏み入れた。もはや見慣れた木々の陰影が、豊かな表情を持って二人を出迎える。
「後で話すってお前が言って、それきりだっての」
「サーチ」
 歩きながら一言、ぴしゃりと言われて、ファーガスは黙り込む。ハワードは、早足を保ったまま、ぽつぽつと話し出した。
「昨日、暇だったからアイルランドクラスのツレと狩りに来てよ、索敵した時に妙なものが引っかかったんだ。オーガみたいな馬鹿でかい体躯に、オーガみたいな人に似た体形の亜人だ」
「じゃあ、オーガなんじゃねぇのか? ……と言うかそれ以前にお前友達なんかいたのか?」
「居るに決まってんだろクソが。それにそいつは友達じゃねぇ、あくまでツレ――と言うかアンジェだ」
「アンジェ友達扱いすら受けてないのか、可哀想だな」
「でよ、本当ならツレを置いて一人で挑戦しに行ってた所だったが、生憎と一つだけ決定的に異なる点があってな、結局諦めた。何だかわかるか?」
「……体の色とかか?」と、分からず苦し紛れに答えるファーガスである。対するハワードはと言えば、急に躰を折って震えだした。
「プッ、クッ、ハハハハハハハハハハハ! 何だ、グリンダー。お前アレか? 亜人もゲームみたいに、色が変わったら強くなるとか考える性質か? 2Pカラーか?」
「五月蝿ぇな! 違うなら何なんだよ!」
「数だ」
 急激に下がった声のトーン。周囲の音が、唐突に気になりだした。ざわざわと木々が静かに騒いでいる。
「強いが希少。滅多に出ない。そして、出ても第六エリアだけ。だから奴らは掃討されずにこの山に残ってる。増えすぎたら、騎士候補生如きじゃ対応できないからだ」
 ここは、第四エリアだ。そして、オーガというのは夜行性で、言ってみれば第十二エリアでの亜人である。それが、大量に。おおよそ信じられる話ではない。信じたいとも思わない。
「……何匹見付かったんだ?」
「ざっと二百は下らなかった。しかも、超の付く密集っぷりだ。流石のオレでもぞっとしたね。ありゃあ」
 そろそろだ。奴は言って、少しずつ歩調を落としていった。きょろきょろと周囲を見回し、「あった」と、とある一本の木に駆け寄っていく。
 見ればそこには、剣で切り付けたような跡が残っていた。
「ここで昨日、『サーチ・ブロード・アウトルック』を掛けた。お前もやってみろ」
 命令しながら、奴自身も索敵の所作を行う。ファーガスはそれに従い、杖に触れた。
「……何も引っかからないぞ。唯一強いて挙げられるなら、俺の横に居るらしい勘違い野郎だけだ」
「……チッ。移動したか? だが、奴らはあの時動く気配が無かったはず……。ま、仕方ないな。どうせ興味本位だ。じゃあ普通に、狩りでもするか」
 あまりに自然に誤魔化していて、ファーガスは思わず吹き出してしまった。だがそれを見咎めないハワードではない。苛立った声で恫喝してくる。
「何だ、グリンダー。いきなり笑い出して笑いだして。何がそんなにおかしいのだ。言ってみよ」
「素が出てるぞハワード! 何だ言ってみよって、いつの時代だよ。ぷっ、あはははははは!」
「分かった、始末してやるからそこに直れ!」
「止めろ! ふふっ、切っ先をこっちに向けるな!」
「だから笑うなと言っている!」
 ぎりぎりと歯ぎしりするハワードを見て、そういえばこいつは自分よりも中々に背が低いのだという事を思い出した。そう考えると奴も意外に愛嬌が有る。
 その刹那、二人は己らに向けられた強烈な殺気に反応した。視線が捉えたのは、一匹の猟犬――ヘル・ハウンドだ。自分達から大体十メートル離れた場所で、こちらに視線を送っている。
 その体躯は、通常よりも大きなものだった。この、普通のヘル・ハウンドとは異なる警戒感、そして値踏みするような視線から感じられる知性。かつて病院で話された、ソウイチロウが名づけたというヘル・ハウンドの事を思い出す。
「……グレゴリーか?」
「グレゴリー? ……何だそりゃ」
「ソウイチロウが名づけたらしいんだ。ヘル・ハウンドの群れの一つの長で、……ほら、ソウイチロウを殺すか殺さないかって時に、前に出てきた一匹だ。……でも、何でここに居るんだ? 結界があるはずなのに」
「ああ、『油断なき警戒』ってか。……マジかよ、ヘル・ハウンドってのは、成長すると結界を食い破ってエリアを移動できるようになんのか。それともこいつが特別なのか? ――事実はどうあれ、あんまり相手にゃしたくない相手だな」
 コマッタ、と頭を掻きながら、片眉をキュッと下げて表情を作るハワード。変に多彩な顔芸が腹立たしい。
 すると、グレゴリーらしき一匹はくるりとこちらに尻尾を向け、てくてくと歩き出してしまった。と思うと、こちらに振り向いて立ち止まる。
「付いて来いって事か?」
「フン、面白いじゃねぇか。付いていったらヘル・ハウンドの大軍が襲い掛かってきた――みたいなのだったら、オレはもう爆笑だぜ」
「その前に死ぬだろ」
「バカ。笑いながら死ぬってのは、人生で究極の目標だろうが」
「俺はベッドの上で死にたいね」
「じゃあ引っ叩かれた尻みたいな顔して、ここで待ってろよ。オレは行く」
 早足で進んでいくハワードに、ファーガスは舌を打って付いていった。グレゴリーはそれきり彼らの事を気にせず、木々を縫って進んでいく。
 ハワードは、鼻歌交じりだった。ファーガスは本当にヘル・ハウンドの大軍が来たらと考え、背筋の冷えるような思いで歩いている。
 木々の奥。何か、広場のような物があるとファーガスは気付いた。腐葉土の床。針葉樹の海。深い、声のような物が聞こえた。「何だよ。ここ、案外山の入り口から近いぜ」とハワードは剣を抜きつつ文句を言っている。
 そして、そこに着いた。
 ヘル・ハウンドの大軍は、待っていなかった。あるのは広場の様な開けた場所だけだ。切り立った崖が、二人の前にそびえ立っている。木々の高さは高く、広い空間と言えど光が差しそうな所じゃない。
 グレゴリーが、凄味のある声で崖に向かって一度吠えた。彼は一度ファーガスに振り向き、今度は軽く吠え、立ち去っていく。
「……何だったんだ?」
「さぁてね。……で、さっきから聞こえる変な声はここから聞こえんのか?」
 ハワードはいつの間にか崖の前に立ち、コツコツと剣先で叩いていた。「切れ味が鈍るぞ」と忠告してやると、「大剣ってのは戦場では鈍器として使うもんだぜ」としたり顔で言われる。
「こっち来いよ、グリンダー。そんでちょっと叩いてみろ」
 手招きされ、いやいやながら従った。叩くと、何やら不思議な手応えが返ってくる。
「これは……空洞なのか?」
「らしいな。しかも、結構薄いぜ」
 壊してみっか。とハワードが言った。ファーガスは土砂崩れを懸念して止めようとしたが、これは少しばかり遅すぎた。
 轟音。土煙。ファーガスは至近距離にいた為、思い切りそれを吸ってしまった。咽に咽て、呼吸が戻ってから「おいハワードお前!」と怒鳴りつけると、奴の表情がどうしようもなく強張っている事を知った。
「……ハ、ハハハ……。予想はしてたが、目の前にあるとなると、少しこれは……」
 ファーガスは、先ほどから聞こえてくる深い声が遮るものを失った事を知った。直接聞こえてくるそれは、いつか聞いたものとほとんど同じだ。唯一違いを挙げるなら、その密度。
 ゆっくりと首を動かし、直視した。ファーガスの目の前にあるのは、まず今まで崖の壁だった土の中から露出した材質不明の黒い棒。酷く頑丈だろうそれが、いくつも連続して少年たちの前に生えている。その中心には、無骨な錠があった。
 そしてファーガスは、その奥の陰に潜む『群れ』を見た。次いで、呼吸を忘れてしまった。
 罪人が如く牢屋に入れられた何百匹ものオーガが、こぞって少年たちを見つめている。
 ファーガスは、声を出さずに後ずさった。躰が、震えている。見てはならない物を見てしまった。その事だけが、頭を埋め尽くした。
「に、……逃げなっ」
「待て、グリンダー。迂闊に動くな。大声を出すな」
 ハワードはオーガ達に目を向けながら、極限まで押し殺した声でファーガスに告げた。続けて、生唾を飲み下し、奴は剣を地面に差した。索敵の所作だ。
「何してんだよ! 今そんなことしたって意味がないだろ!? 今すぐ逃げ、」
「黙れと言っているのがわからないか! ……囲まれてるんだよ、オレたちは」
「……は?」
 予想もしてなかった返答に、頭が真っ白になる。
「囲まれてる……? 誰に」
「ほぼ間違いなく、この『檻』を作った野郎にな。……木の上。人数は、――ざっと十五、いや、十六、十七……。っ、クソッ! 奴らオレの索敵を妨害しやがった! って事は何だ! この檻を作った奴らは騎士って事かよ!」
 目を瞑っていたハワードは、突然激昂して立ち上がった。訳が分からないまま立ち竦むファーガスの手を取って、「こっちだ! ぼけっとしてんじゃねぇタコ助!」と大声を出される。
 そのまま、二人は駆け出した。ファーガスは、その中で躍起になってローラのやっていた索敵の所作を思い出す。うろ覚えのそれは辛うじて発動し、少年にハワードの言葉が真実であると教えた。
 逃げ出す二人を、大勢囲んでいた内の三人が追っている。その内、大人は一人だった。他二人はファーガス達と同年だと程の体躯である。上を見ると、がさがさと木々の葉が鳴っていた。「もうすぐサークルに着く!」とハワードに告げられ、全速力で走った。
 木々を抜ける。転送陣に飛び込む。光が満ち、視界に映る光景が変わった。警戒して瞬間サークルを振り返ったが、何者かが現れるという気配はない。
 ファーガスとハワードはアイルランドの寮に戻るまで、結局足を止めることは出来なかった。

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