武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

7話 銀世界(2)

 家にファーガスを招く。昔は、いつもの事だった。しかし改めてこうしていると、どうにもそわそわしてしまう。
 駅から出て、まず向かったのはケーキ屋だった。ファーガスが熱心にケーキを選び抜き、「丁重に、丁重にお願いします!」とチップも大盤振る舞いして、包装を頼み込んでいた。
 そこまでする必要もないのに、と少々呆れつつ財布を開こうとすると、「こういう時くらいは自腹を切らせてくれよ」とやんわり押しとどめられてしまった。それが嬉しいような、不満なような気もするクリスタベルだ。
 そうして準備を整えて改めて実家に向かったが、思いの外値が張ったらしく「……これを安物とか言ったらさすがに切れてもいいよな」と暗い顔色で呟いていた。君は人の家で一体何を言っているんだ。
「だってさ、ポイントもこの日のために貯めた上、ほとんどすべて換金してきたんだぜ? それなのにケーキだけで一割消えるとか……。いや、マジでヤバい。何がヤバいって物価がヤバい。どうなってんだここ。ここだけ無保険者にとっての病院かっての」
「例えがいまいち分からないけれど……」
「知ってたか。庶民かつ無保険の妊婦さんは、金がないから生んだその日に赤ちゃん連れて家に帰るんだぜ」
「えっ」
 という雑談をいくつか交わしていると、家に到着した。
 自分の家を描写するというのは、結構難しい。物事を捉えるには主観というものが必要で、自分にとって当たり前の物を言い表すというのは、常識の再確認のような気恥ずかしさがある。
 だから、ここは簡単に事実を述べておくがよいだろう。ベルの家は四階建ての屋敷が中央に一つ。それを取り囲むようにして、庭園がある。今のような冬にもよく映えるため、ベルのお気に入りの場所の一つだった。
 あとは、森がある。貴族領内亜人危険区域だ。ダスティン家の称号でもあるトスカーナ公は、五つほどの家とその付近の亜人危険区域を保有している。父の多忙さも、ここに起因していると言っていい。
 主観的に言っていいのならば、中々の物だとひそかに自慢でもあった。封建時代のような堅苦しさは無いものの、使用人を雇ってまで屋敷を維持させているのである。そのためファーガスがどのような反応をするのか楽しみでもあったし、出来れば褒めてもらいたいと期待していた。
「そ、そういえば、君がこっちの別荘に来るのは初めてだったね。どうかな、私の家は」
 言いながら、ちょっと図々しいだろうかと思ってしまう。これだと、称賛を催促しているみたいだと思ったからだ。考え過ぎなのかもしれなかったが、これがベルの性分なのである。それに対して、ファーガスは呆けたように目も口も大きく開けた。
「どうもこうもないな、こりゃあ。意匠もサイズも何もかも凄いとしか言えないっての。ホント、すげぇ」
「そ、そうかな……」
 内心飛び跳ねてひゃっほーい、とか言っているくせに、外面だけは取り繕うベル。「じゃあ、案内するよ!」と言った声は少々裏返っていて、ファーガスに困った顔をされて結構恥ずかしかった。
「あ、おかえりなさいまし、お嬢様」
「ああ、ご苦労様です」
 庭師のおじさんが出てきて、ベルに帽子を取って会釈した。ファーガスも「どうも」と挨拶すると「お、やあやあ」と大仰に手を上げる。
「お嬢様の恋人ですか。うーん、初々しくていいなぁ」
「え、あはは。そうなんですよ。本当可愛くて」
「……!」
 少し照れたように後ろ頭を掻くファーガスと、顔を真っ赤にして俯きつつ本心では狂喜乱舞中のベル。最近思うのだが、間違いなくファーガスが自分を好きなのよりも、自分は彼を好いていると思う。出なければこんなに態度に差が出る訳がない。
 ちょっと不公平だ、とむくれる。むくれてもファーガスが愛しくて堪らないのだから、はっきり言って重傷だ。多分今夜が峠だろう。越えられない類の。
 庭園を横切って家に入ると、酷くがらんとしていた。薄暗いどころか豪華さがマイナスに働き、何処かおどろおどろしい雰囲気がある。
 とはいえいつもの事で、電気を付けたり、使用人を数人呼べばすぐに活気づくことをベルは知っていた。だから引き気味のファーガスにも狼狽しない。かすかに心に傷がつくばかりである。
「家族は誰もいないらしいね。ちょっと寂しくなりそうだ」
 そうファーガスに微笑みかけ、適当な客室を宛がう事に決めた。家族が誰もいない。つまり、父もいないという事だ。好都合である。
「客室は二階にあるから、付いてきて」
 勇気を出して、ファーガスの手を取って先導した。よく頑張ったと自分を褒めてやりたい。
 階段を上がり、長い廊下を歩いていく。ここの雰囲気は、どこか騎士学園に似ていた。父が似せたのかもしれない。理由は分からなかったが。
 しかし、手を握っていてわかるのが、ファーガスがこの家の雰囲気に気圧されているという事だった。ありていに言えば、怯えている。それに呆れた瞬間だった。渡り廊下の途中、ガタガタと揺れる扉が右横に現れて、彼はひときわ大きく身を竦ませる。
「何! この扉何!?」
「……多分家政婦さんじゃないかな。家開けている時でも必ず一人はいるんだ。ほこりが積もってしまうから」
「怖がった俺が馬鹿みたいだな!」
 もしかしたら怯えているというよりは、単純にテンションが高いだけなのかもしれない。
 軽く四回ほどノックすると案の定家政婦さんが出てきた。「客人が居るのでお茶の用意をお願いします」と指示を出すと、年老いた彼女は少し間延びした返事と共に歩き去っていく。
 客室へ案内し、「家政婦さんに呼ばれたらテラスまで来てね」と告げて、ベルは一旦自室に行く。開け放った扉の向こうにあるのは、簡素な部屋だ。五つある家を順繰りしていたから、自室に何かを置くという習慣が付かなかった。むしろ学園の寮の部屋の方が荷物も多い。相部屋のマーガレットのおかげもあって、人間味ある部屋になっていたはずだ。
 そうだ、マーガレット。と思い至って、ベルはイングランドクラスの中の数少ない友人の一人である彼女にメールを送った。ファーガスと自分との仲を応援してくれる、有難い友人だ。進行状況だけでも伝えておかねばとタブレットを開くと、すでにメールが届いていた。
『愛しのカレと、一つ屋根の下二人きり! これで何もせずに帰ってきたら、マジでヘタレって呼びますからね!』
「……私はまだ十四歳なんだけど……」
 友人の耳年増にも困ったものである。とりあえず返信として『キスなら済ませたから黙ってなさい』と書いて送信。そこまでやって我に返り、「あっ、駄目!」とキャンセルボタンを押すも時すでに遅し。送信完了の文字を見て顔を覆う。
「マーガレットに対して、油断しすぎだよ。私……」
 ヘタレと呼ばれることはなくなっただろうが、帰ったら相当冷やかされるに違いない。父が用意してくれた柔らかなベッドに飛び込んで、シーツを抱きしめ声を出して悶えた。顔が熱いと鏡を見ると、赤面している。最近赤面しやすくなった。ファーガスのせいだ、と再びじたばたする。
 ともかく、自分もある程度準備を済ませておかねば。ようやくやる気を出したベルは、握り拳を作りながら立ち上がる。そして、まずは各自休暇中の使用人たちに、帰宅の知らせを入れた。
 問題は、次である。
 家具などはあまりおかれていない自室だが、服自体は溢れるほどある。それが全ての家に散り散りに保管されているから、ここに来たらこの組み合わせ、と言う風な楽しみが出来ていた。ベルの美的センスはなかなかよく、即決するくせにマーガレットなどからもお世辞でなく褒められるほどなのだ。が、人目に触れない部分、組み合わせと言うものがない場所ほど、刻苦したりする。
 つまり、下着である。
「……服はまぁ、今日は室内から出ないだろうし、少し浅手のふんわりした印象の物にして」
 繻子織のゆったりした、それでいて気取りすぎてないドレスを身にまとい、到着まで維持していたポニーテールを取った。騎士学園では激しい運動があるからこのままにしていたけれど、羽目を外す時は髪型をいじる楽しみが増えるのだ。
 とはいえ、それすら「シュシュでこう、肩口から前に出して、下の方で纏める感じでいっか。うん、お嬢様っぽい」と即決からの自画自賛で〆てしまう。表情も精々微笑くらいで、そこまで感情が左右しない。
 そして、タンスを開けて「む」と唸る。
 色とりどりの、下着を丸めたものがそこに整然と並べられている。
 多種多様なそれらを、ベルは一つ一つ吟味し始めた。こういうものは、コーディネートに関係ないので、完全にその日の気分で決めてしまう。
 そう、それこそが、ベルにとっての難関なのである。
「むむむむむむむ」
 ベルの場合、洋服はまず手近な三つの中からパッと決めて、そこから決まった組み合わせとなる。一度来たものは家政婦さんが洗ってから奥の方にしまうので、他の物を全部着るまでは二度と着ないというローテーションが確立していて、あまり思考を必要としない。
 だが、下着は――そう言うのがない。洗い途中の物以外の三十個以上の中から、完全にその日の気分だけで選ぶと決めている。
 いつもなら、これもまぁ、即決だ。しかし、今日ばかりは違う。思い人が、一つ屋根の下に居るのだ。
 見られないはずだ。しかし、絶対とは言い切れない。ベルも思春期の少女であり、つまるところ、全く興味がないわけではない。とはいえ淑女たる者絶対に自分からは見せないし見せてたまるかとも思っているが!
 という訳で、迷う。俄然、迷う。ここに至るまでは冷静にぱっぱと決めるのに、ここだけは考え過ぎて目を回す。
「ここは、はしたない子だと思われないように白と青のストライプで。……いや、子供っぽいかな。じゃあ、ちょっと大胆にこの紐……。駄目、ほどけたらと思うと勇気が出ない。じゃあいっそのことこのクマさんの……。こっちは子供っぽ過ぎる! じゃあ、……あ、あああ、穴!? 何で穴あきなんてものが私の箪笥に!?」
 大分迷走中のクリスタベル。結局無難なものを選ぶあたりヘタレである。
 ともあれ着替えもいい感じに終わり、準備万全、と姿見を見て満足する。あとは、これをファーガスに見せに行って……と、褒められたらという妄想ににやけてしまうのは、恋する少女としては致し方ない事なのだと留意してもらいたい。
 下着までみられる方の妄想は、少々ベルにはハードルが高かった。

 これは一体、どういう事なのだろう。
 晩餐だった。広間の長テーブルにて、ベル含む六人が食事を口に運んでいる。
「どうした、クリス。フォークがあまり進んでいないようだが……」
「い、いえ。何でもありません。父上」
 ファーガス、自分。本当なら、それだけのはずだった。しかし、それより四人も人数が多い。
「食い終わった。なぁ、トスカーナ公。ちょいと森に出て、狩りをしてきてもいいか?」
「こら、ネル。仮にも公爵閣下にその言葉遣いは何だ」
「いいんだよ、ナイオネル君の事は昔から知っている。そう肩肘を張る年頃でもないのだ。ゆっくりさせてやるといい。なぁ、フェリックス」
「ほっほっほ。そうですな、そのくらいでよろしいでしょう」
 ネル、その兄、ベルの父上に、その執事にしてファーガスの師匠でもあるフェリックス。彼ら四人は、何故かベルたちがこの家に到着した三十分後ほどに現れた。
 聞けば偶然だという事だったが、やすやすと納得できるわけもない。食い下がると、ネルが渋い顔で頭を掻きつつ「運が悪かったな。マジで」と言った。今回この四人が集まったのは、ネルとベルの婚約の解消の話をするためなのだという。
 ちなみにファーガスが尋ねていたのだが、ネルがこの時渋い顔をしていたのは「オレが意図しない形で嫌がらせになってても、達成感がねぇんだよ」とのことだった。徹底していると思ったものだ。もちろん悪い意味で。
「しかし、私たちが帰ってきてから全く言葉を発していないな、ファーガス。どうした? 体調でも、悪いか」
「……いいえ、ちょいと緊張しているだけですよ」
 彼の師匠であるフェリックスに言われ、ハハ、と硬くファーガスは笑う。しかしベルからしてみれば、ファーガスの委縮っぷりは手に取るようにわかった。
 昔から、ファーガスは我が家の執事であるフェリックスを前にすると竦みを見せると思っていた。無知な昔は、それを父に倣って軟弱だと認識していた。今は違う。よくもまぁ、『耐えられるものだ』と思ってしまう。
 殺気。それを、クリスタベルも騎士学園で嫌と言うほど学んだ。事実、多くの命を奪った。そうしたから、分かるのだ。師匠たる我が家の執事が、弟子たる彼にどれだけの殺気を向けているのか。
 自分には向けられていない。それでも、行動が少しつっかえる。あまりに鋭いそれは、一般人には感じ取ることが難しいだろう。だが、ベルには目に浮かぶようなのだ。フェリックスがテーブルをなぎ倒し、ファーガスを撲殺する情景が。
「……」
 しかし、父はそれを咎めない。フェリックスの稽古に、口出ししないと決めているのだ。ネルの兄も、すでに聞き及んでいたのか触れようとしない。
 食事中くらいは、と自分が助け舟を出すべきなのだろうか。そのように覚悟を決めかねていると、給仕に盛り付けを頼んだファーガスが買ったケーキを、意外にも上品に食べていたネルが「つーかよ」と機嫌悪そうに言った。
「話には聞いてたが、目の前でやられると折角のケーキがまずくなっちまうんだ。やるなら時を選ぶなりなんなりしてくれねぇかな」
「おっと、これは御客人に失礼しました。では、食事中は慎ませていただきます」
 ふっ、と空気が軽くなった。すると、ファーガスの動きも滑らかになる。良かったと思っていると、ファーガスがネルに礼を言った。乱暴な手つきで「気にすんな」と示している。
 ちくりと、胸が痛んだ。自分がもっと早くに覚悟を決められれば、と小さな後悔をした。
 次からは、と決心する。ベルには生来の臆病さがあった。それを、いずれ無くしてしまう。当面の目標だ。
 その日は、蟠りとも、淀みともいえる居心地の悪さを感じただけで終わった。夜中、ベッドで横になりながら、目を瞑りつつ考えていた。
 天蓋付きのベッドの中、シルクの長そでフリースを着、月の光に包まれながら布団を抱きしめている。寒さは、気にしない。ただ、今は思考に耽っていたかった。
 今日、晩餐の時にあった、あの嫌な感じ。
 自分ではない。明らかに、ファーガスに向けられていた。フェリックスはただ淡々と、久しぶりの弟子と再会して高ぶっているだけのようにも思われたが、他の二人――父とネルの兄らしき人は、ファーガスの存在を歓迎しているようには思えなかった。
 それ以前に、ネルも婚約の解消を本格的に話し合うなら、こちらに一報入れてほしかったというのもある。
 不満に、寝返りを打った。今日は、寝つきが悪そうだ。
 長くなった銀の髪が、ベッドの上に広がっている。その一部を掬い取り、薄目を開けてくるくると弄っていた。再び瞼を閉じる。だが、髪の毛弄りは止めない。
「……ファーガス」
 愛しい恋人の名を口にする。それは全く意識しなかった言葉で、思わずつぶやいていた自分を知って、羞恥に目を強く瞑る。だが、周りに人は誰もいないのだと改めて思って、馬鹿らしくなった。
「……ファーガス」
 今度は、意識的な呟きだった。考えるのは、彼の異能の事。きっと、父も知っている。昔を思い出すと、父のファーガスに対する態度は、今日ほど冷たいものではなかったようにも思えるのだ。その原因には、その事もあるのではないかとベルは疑っている。
 瞼が、少しずつ落ちてきた。髪の毛をいじる手も、いつの間にか止まっている。
 寝る前に、一度でいいから彼の笑顔が見たかった。父たちが来てから、一度も見られていないような気がしている。

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