武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

8話 我が名を呼べ、死せる獣よ(3)

 ソウイチロウとアンジェの、初めての対面だった。
 年下の少女を安心させようとしているのか、ソウイチロウは表情を微妙に緩めている。対して、アンジェは少し緊張気味だ。しかし、思い返せばファーガスとの邂逅もこんな感じだったような気がする。
「えっと……。どうも、初めまして。アンジェラ・ブリズット・……えー、うん。よろしくっ」
 ソウイチロウ、ミドルネームが若干違う上にファミリーネームを度忘れしやがった。「ブリジット・ボーフォードだ!」と小声で知らせてやるが、アンジェは気にしていないのか何なのか、満面の笑みかつ緊張の震え声で、かなりの大声であいさつしだす。
「ソーチル・ブズィガード先輩ですね! 初めまして!」
 こっちの名前間違いも相当だった。溜息ばかりが出るファーガスだ。
「……という訳で、ソウイチロウ。こいつはアンジェだ。アンジェって呼んでやれ。で、アンジェ。こいつはソーチルじゃなくソウイチロウだ。呼びにくいならソウとかロウとかそんな風に呼んでやれ」
「分かりました、じゃあ合わせてソウロウ先輩で!」
「……かつてなくファーガスからの悪意を感じてるんだけど、僕」
「ごめん。これは全く意図してなかった事故だ。だから木刀を握りしめないでくれ。いやほんと、頼むから」
 日本語が分からないアンジェは訳も分からず首を傾げている。対して少年二人は近距離での鍔競りあいと洒落こんだ。当然息切れのしないソウイチロウが勝つ。次いでボッコボコにされる。
「ファーガス先輩がいとも簡単に……。噂には聞いてましたが、ヤバいですね。ソウロウ先輩」
「ソウ先輩って呼んでほしいな。呼びにくいでしょ?」
「ひっ、はい! 了解いたしましたソウ先輩!」
「うんうん。素直ないい子だ。後輩ができるっていうのも、久しぶりで何だか新鮮な気持ちだね」
 ねぇファーガス。と声がかかる。それに、地面にキスしていたファーガスは辛うじて「そうだな……」と返すことができた。打ち据えられた患部をさすりつつ、起き上がる。
「クッソー。搦め手なしの試合じゃ敵なしだな」
「ううん。むしろ搦め手の方が得意だよ? 僕は」
「……恐ろしいことを言うんじゃねぇよ」
 そういえば以前、格言的なものを聞かされた覚えがあった。何だったか。確かベルが言っていたような気がする。
「……まぁ、『常に背後を注意しろ、木の上に影が見えたらブシガイトだ』。で有名なソウ先輩ですからねー」
「それだぁ……」
 まっこと油断ならない遣い手である。
 そんな訳で、親睦会を称してファーガス、ソウイチロウ、アンジェの三人で狩りと相成った。ベルやローラは、久しぶりに二人で街に出かけるのだという。
 ファーガスが、仕組んだことだった。
 会話や相談などの摺合せ上に、この親睦会は成り立っていた。というのも、ただでさえ出不精のローラが、ソウイチロウを心配して「一人にしておくのは不安なのです」と過保護な母親みたいな理由でベルの誘いを拒否したのだ。
 違和感を覚えたのは、最近の事だった。早朝の修練で、頻繁にソウイチロウとローラに会えるようになった。彼らは、朝と夕方以外の時間では会おうと思っても会うことができない。どうやらいつも一緒に行動しているようで、見る度に仲良くなっているように見える。
 と言うのは、ひどく優しい表現だ。
 共依存。手をつないで現れた二人を見て、ファーガスはその言葉を思い浮かべた。今日は少年の前では離していたが、それでも数日しないうちに自分の前でもつなぎ続けるようになるのだろうとファーガスは確信してしまう。何かあったのか。訝ったが、その話題に触れることはできなかった。
 ただ、何となく嫌な予感がした。
 だから、少しでいい。二人を引き離したくなった。
 当事者全員、特にローラから入念に聞き込んで、ローラ自身がベルと外出したがっていない訳ではない事を明確にさせた。ならば都合の良い形で計画を立てようという話に運び、皆で話し合った結果、「ファーガスに任せられるなら安心です」との許しを得たのである。
 正直、満足がなかったわけではないが、それより徒労感が強かった。
 ソウイチロウが「どっちでもいいよ」スタンスな事に一層腹が立った。
 結局色々とモヤモヤして、ファーガスはこっそりとソウイチロウに尋ねると、こんな回答が返ってきた。
「自分で言うのも何だけど、ローレルは僕に惚れ込んでくれているんだよ。そして、逆も然りってね」
 驚くほど盛大に惚気られた。ムカついたので殴ったら、全く避けなくてびっくりした。びっくりついでのクリーンヒットである。ソウイチロウは死んだ。二秒後には生き返ったが。
 そんな事を考えつつ歩いていると、「ボーっとしてたらヘル・ハウンドに狩られるよ」と忠告された。背筋に悪寒が走って、身を引き締める。
 ファーガスたちが歩いているのは、第六エリアだった。
 ソウイチロウのポイントは、桁が違った。寒さをしのぐためにため込んでいたヘル・ハウンドの毛皮やその他諸々をすべて提出したら、第十エリアまで解放されたのだと。
 ヘル・ハウンドの毛皮は、一度に得られる量が多ければ多いほど、その価値を増していく。と言うのも、彼らの骸はそう長く保管できるものではなく、大量に得られる機会が少ないのに加え、群れが多ければ多いほど困難な相手となるからだ。
 さらに言えば、少量でも多少の加工材料になるが、大量に縒り合わせて外套を作ると、触れた敵のみを爆発させられるヘル・ハウンドそのものの効果を持つ超高級装備品となるのである。そのため、今のソウイチロウは大富豪である。と思ったのも束の間、大量の装備品を買うので、現在はほとんどスッカラカンであるらしい。
「いやぁ、珍しい効果のある装備品を買い占めていたら、気づけば二ポイントしかなくて。面白い物ばっかりで研究のし甲斐があるよ。あ、あらかた調べ終わっちゃった奴とかは、いらないから処分しようと思ってるんだけど、折角ならファーガス使ってくれない?」
 そんな話があったので、現在ファーガスはヘル・ハウンドの外套を着込んでいる。これがあれば、奴らに突撃されても爆発しないのだ。もちろんほかの種族なら当たればあちらだけ爆発する。反動は微小な安全設計だ。ついでに言えばアンジェも着込んでいた。
 そうしていると、噂をすれば影が差すとも言おうか。ヘル・ハウンドたちが、大体十匹ほど群れになってファーガスたちを取り囲んできた。ソウイチロウだけは外套を着こまず木刀を構え、ぐるりと周囲を見回してぽつりと呟く。
「グレゴリーは、……いないね。よし、狩りだー!」
 猫のいない間にネズミは遊ぶ、と言うことわざを思い出した。何とも情けない話である。
「狩りだー!」
 とはいえノリの悪いファーガス、アンジェではない。二人して前のめりでそれぞれの得物を構える。「教えた通り、攻撃には全て聖神法をかけてね」と言われ、「おう!」と持続性の高いアイルランドのそれを掛けた。
 乱戦が、始まった。
 ファーガス、ソウイチロウが前に出て、アンジェが木々の合間に隠れた。前者二人はそれぞれ個々に立ち回り、アンジェは隙を見つけ次第遊撃と言う戦法だ。
 ベルやローラなどの遠距離型の人間が居ればもっと布陣も違っただろうが、全員近距離のアタッカーとなればこんなものである。
 しかし、それにしても剣、盾に聖神法をかけ、ヘル・ハウンドの外套をかぶった状態での奴らは弱い。普通の狼と対峙しているのと変わらないと思ってしまう。奴らが木などにぶつかって意図的に起こした爆発さえ、この外套はものともしないのだ。
 正直、安全すぎて退屈なほどである。
 だが、とファーガスは余裕綽々でヘル・ハウンドを切り捨てつつ総一郎に目をやった。
「あいつ、何にも着てないのになぁ……」
 盾もなく、武器はファーガスの剣より少し長い程度の木刀だけだ。しかし、その動きは惑う所のない滑らかなものである。一振りするごとに、ヘル・ハウンドたちが血煙を上げて緑に萌える草花を濡らしていく。
「帰るころには億万長者ですね、ファーガス先輩」
 敵意のない背後からの気配に、「そうだな」と笑った。然るべき装備かあれば、ここまで難敵を狩るのが簡単なのだと思い知らされた。
 今まで量産品の最も安い武器しか買ってこなかったファーガスだから、次からはもっといいものを選ぼうと思った。
 とはいえ、ひとまず今はソウイチロウの処分物を借り受けておこう。


 ソウイチロウは、夕方になっても帰ろうとしなかった。「パーティを解けば、僕は第十エリアまで解放されているから」と微笑む。どうやら、狩りを続けるつもりらしい。疲れ知らずだなと半ば呆れつつ、「了解、ギルド着いたら伝える」とタブレットを掲げて別れた。
 翌日、彼と遭遇することは出来なかった。
 その代わりに、ベルとゆっくりする時間が取れた。
 ローラとのお出かけの話を聞かされた。映画に誘われて、久々に見たら楽しかったとか。その後に寄った喫茶店のケーキが物凄く美味しかったとか。平凡で、楽しそうな体験を。
 そんなエピソードの中で、「夕方になると、何故だかソウの事が不安になってしまったみたいでね。残念だけど仕方がないから、帰宅を早めたんだよ」と言う話は、酷く際立って思えた。アメリアのか細い鳴き声から、何かを伝えようとしている意思すら感じられた。
 その、数日後の事。ファーガスは、ソウイチロウと早朝に遭遇した。様子が、どこかおかしかった。疲弊のようで、何かが違う。ほつれと言うと、しっくりきた。
 それほどまでに僅かで、不可解な違和感だった。
 いつも通りソウイチロウと模擬戦をして、その後数十分話をして別れた。ローラは付きっ切りでソウイチロウについて回り、顔色こそ変えないものの、ファーガスは気味の悪い感じを受け続けた。ソウイチロウもどこか、彼女を必要としている雰囲気があって、嫌だった。
 ただ、お互いを好きあっているだけならば、きっとファーガスは辟易しつつも嫌悪を抱くことはなかったはずなのだ。
 彼らの距離の近さが酷くもどかしくなって、居てもたってもいられず、昼休みに簡単に昼食を済ませた後に二人のことを探し始めたことは、我ながら狂的でもあった。
 自分がおかしかっただけだったなら。その様にファーガスは思ってしまうのだ。
 スコットランドクラス。その、図書館にいつもいると聞いていた。スコットランドクラスの図書館は他の二クラスの物に比べて立派だ。修練場をほぼ使わないという点も考慮されているのだろう。
 幸い、ファーガスはどのクラスの人間からも邪険に扱われるという事がない。元居たクラス、今のクラス、そして来年入るだろうクラスであるから誰もが温かい。
 スコットランドクラスの図書館に入り、誰か居ないかと探した。彼らが魔法による隠れ蓑を使っているのは知っていたが、自分の姿が見えれば解いてくれるだろうという打算もあった。
 しかし、居ない。念を入れ全ての席を触れるという奇行を起こしても、見つからない。
「……飯でも食いに行ってんのかな」
 ファーガスが口に出した言葉は、安穏としている。その反面、彼が抱く感情は激しかった。追われるような気持をこらえて、小走りにスコットランドクラスを探し回る。
 その途中、声がかかった。
「やぁ、これはこれは英雄殿。よくぞここまで来たね。どうしたんだい?」
「お前は……グレアム、だっけ?」
「ああ。ギルバート・ダリル・グレアム二世。君には少し長かったかな?」
「いっつも小馬鹿にしてくれるよな……。ネルとは少しベクトルが違うけどよ」
「まぁまぁ、天才児と名高い彼と比べられるのは光栄だけれど、とりあえず世間話はこのあたりにしておこうか」
「お、おう……」
 自分から切り出すつもりだったが、先手を取られてしまってファーガスは少し戸惑った。「ブシガイトのことだろう?」とグレアムは言う。
「二階の詠唱室に行くと良い。そこで、面白いことが起こっているよ」
 詠唱室? と聞き返すと、「そういう教室がスコットランドクラスにあるのさ」とだけ告げて、彼は去って行った。いろいろ問い詰めたかったが、やむを得ずファーガスは二階へと駆けていく。詠唱室は大きく部屋名が掲げられていたので、探すのも楽だった。
 少年は、扉を開けた。手ごたえが、奇妙だった。ドアノブを見ると、こじ開けたような痕跡があった。なおさら急いて、部屋の中に飛び込む。
 そこには、血の海があった。
「……ぁ……!」
 ファーガスは前世の記憶のフラッシュバックによって、半ば叫びだしそうになった。しかし、堪えた。堪えなければならなかった。
 その惨状に、細かくは目を向けない。ただ、大量殺人の犯人が居るという事実だけ知れれば十分だった。
 一体、誰がこんなことを。いや、分かっている。ファーガスだけは、理解していた。こんなことが出来る人間は、こんなことをしかねない人間は、一人だけだ。
 ファーガスは、思わずその場から逃げ出した。
「畜生、畜生。何でだよ、それだけは、駄目だったのに。お前にだけは、俺の後に続いてほしくなかったのに」
 走る。涙がこぼれた。虚無感。失望。その根幹にある、とある感情。そして、いつしかその感情は純化していく。
 取り返しのつかない物事は、人間に悲しみと混乱をもたらすのだ。
 ファーガスは走り続けた。我を忘れて、行先もなく。

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