武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

2話 貴族の園(1)

 目覚めると、部屋はまだ暗かった。
 貴族の子である騎士候補生の寮の部屋は、広い。二段ベッドだが、粗雑さの感じるところのない一室だ。どちらかと言うと一体感を出すべく、あえて選ばれたような雰囲気がある。文句をつけるならば、総一郎には相部屋の人間がない事だった。
 その部屋の壁の一番目立つところに、『武士は食わねど高楊枝』の掛け軸を飾ってある。洋風のこの部屋に案外似合っていて、総一郎は満足していた。テレビこそ無いものの、寮の入り口付近にある談話室に行けば見ることが出来る。
 だが、総一郎はそういう物にはあまり興味がわかなかった。今はただ、早朝で素振りが出来ることが嬉しい。
 カーテンを開いたりベッドを整え直したりと朝の一手間をさっと終わらせ、部屋の片隅に立てかけてあった父の長い木刀を取って部屋を出る。
 総一郎は、早朝が好きだった。仄暗い空に、僅かながら赤い日が差している。昔は気付かなかったが、これを朝焼けと呼ぶのだろう。淡い赤と、色濃い青。それが奇妙に境界線を失くしている様が、何とも彼の心を惹きつけるのだ。
 修練場に出た。本来スコットランドクラスの人間は授業以外使わないのだそうだが、私的に使ってはならないという訳ではないと生返事ながら教えられた。問題を起こすなよと昨日の学校案内で他クラスとの交友で釘を刺された時の口調が、妙に印象的だったのを覚えている。
 円形の修練場の端っこで、木刀を構えた。薄暗い修練場の地面と、赤と青の混じり合う空が半々の割合で総一郎の視界を占めている。木刀を一度上げ、振り下ろした。確かな感覚にうなずき、続ける。
 振っている内に様々な物が曖昧になり、そうした余分なものから先に消えていった。最後に残るのは向かい合う自分の姿。そして白羽の物だろう羽と、『武士は食わねど高楊枝』の言葉だけである。
「おっ」
 声が聞こえて、素振りを一旦終えて振り返った。背丈から、年長の少年であるらしいと推察する。黒髪で目は琥珀色、一般的に狼の目と言われる瞳だ。声変わりも済んでいるようで、なかなか変わらない総一郎からしてみれば羨ましい。
「っと、邪魔してしまったかな。済まない。ただ、おれよりも早くにここに来る生徒がいるとは思わなかったもので」
「いえ、構いませんよ。えっと、先輩もここで練習を?」
「ああ、とは言っても君の様に熱心に振り続けるような物ではないのだがね。おれはせいぜい、型の確認と聖神法の短縮詠唱の練習をしに来ただけだから」
 聖神法のせの字も分かっていない総一郎には、なんだかその言葉が格好良く聞こえた。『だけだから』がいいのである。『だけだから』が。
「名前を聞いてもいいかい」
「ソウイチロウ・ブシガイトです。そちらは」
「カーシー・エァルドレッドだ。よろしく、ソーチロウ」
「ソウイチロウです」
「ふぅむ、発音が難しいな。それにしても中々変わった名前だ」
「よく言われます。愛称にはこだわらない性質なので、好きに呼んでもらって構いませんよ。ところで、何故名前を聞いたのか尋ねてもいいですか?」
「ああ、君、新入生だろう? 見た事ないから。それで、こんなに精力的に素振りをするなんて感心だと思ってね。……すこし、恐いくらいの音だった」
「ははは」
 やはりセリア達フェアリーは人間とは感性が違うのだろう。彼女らが何故頬を赤らめたのかは永遠の謎にしておこうと思い定めた総一郎だ。
 エァルドレッド先輩は用事を思い出したように総一郎を素通りし、居なくなってしまった。おやと思うものの、自分には関係ないかと割り切って素振りを再開すると、彼は何処からか石柱のような巨大な石の塊を数個引きずってきた。見れば修練場の三つある入口――修練場は各三クラスの中央に有り、それぞれの生徒が来れる様になっている――付近の倉庫から引っ張り出してきたものらしい。
 何となく、かつて図書が作ってくれた土像を思い出す。あの頃は魔力も加護の数も未熟で、破壊するのに苦労した。
 先輩はその石柱を自らの周囲に、円を描くように並べた。それらを敵に見立てるならば四面楚歌もいい所である。彼は持参してきた鉄のロングソードを腰に溜め、息を吸い込み始めた。僅かに彼の体が淡い光に帯びてくる。そして、光が剣までも包み込もうとした瞬間、ぐるりと彼は体を一回転させ、追従するように剣が石柱を貫通して走っていった。
 先輩は動きを止め、渋く息を吐き出した。剣に両断された石柱は重力に押され上体を地に落す。見事なものだと思ったが、生憎と彼が出したのは後悔の声だった。
「うーん。まだまだ難しいなぁ……。恥ずかしいところを見せてしまった」
「えっ、今の成功じゃないんですか」
「いや、成功の場合は石が完全に粉々になるからね。溜めが短いのか……?」
 釈然としない風に唸る彼は、結局三度目に成功し石柱を粉々に砕いていた。
 その後、総一郎は数分だけ素振りを続けて、別れを告げ自室に戻った。カーシー・エァルドレッド。外見や聖神法の使い方からして、アイルランドクラスなのだろう。身体強化の術式が、石を粉々砕いたのだ。逆に総一郎のスコットランドなんかは、事物干渉しか使えない。分かりやすく言えば魔法らしい魔法だという事だった。炎弾を放ったり、という事になる。イングランドはそのハイブリットなのだろう。
 一旦シャワーで汗を流して、定時の祈りとその後の朝食を済ませてから自室に戻り、規定説明のミーティングまで本を読むことにした。父から預かった『美術教本』である。同じ単語が多く出たり、落丁や乱丁があったりしたが書いてある内容は興味深い。絵を描いてみようかなと思う程度には。
 昨日は列車で見つけて少々思ったに過ぎなかったが、今のように腰を据えてしまうと本当に趣味として始めてもいいかもしれないと考えだす。騎士学園の外には街が広がっているから、そこで画材を探してみようか。
 思案していると、持参していた携帯が鳴った。アラーム機能である。騎士と聞くと何だか中世を連想するから、妙な感覚だ。今日授業が終わったら街を見て回る事に決め、部屋を出る。
 施設の説明は昨日終えてあったから、今日はきっと授業の受け方などについてだろう。
 騎士学園の教室は大学のように、後方に行くほど位置が段々に高くなっていくという造りになっていた。それが教師の数だけあって、逆に担任の教師という者は居ない。本来この年頃に習う勉学については貴族以外からも有能な人物が教えてくれ、それ以外の特殊科目――聖神法の事物干渉、身体強化など――は貴族であり騎士であるお歴々がご高説を講じてくださるらしい。
 皮肉っぽい紹介になるのは、未だあの杖屋で出会った貴族の坊ちゃんが苛立たしく蘇るからである。
 今朝会った先輩は貴族にしても親しみやすい相手だった。だが、総一郎が『サー』の称号を受けて入ってきたと知ったら、態度を変えるかもしれない。
 少なくとも、警戒はしておいた方がいいだろう。そのようには思う反面、ファーガスの様な友人に恵まれたらいいな、とも思う。
 彼は、一体何をやっているのだろう。他クラスへは容易に行かれないらしいから、想像するしかないのが残念だった。
 教室に入ると、一人だけが教室に座っていた。金髪を肩口で切りそろえた少女が、前から二番目の列に座っている。読書をしていて、ちらっとこちらに視線をやったものの、それ以上の行動を起こす様子はなかった。総一郎は声を掛けづらく思い、仕方なしに比較的後ろの方に座った。
 時計を確認して、少々早すぎたのかと考える。総一郎は、フォーブス家で買ってもらった本の一冊を取り出して、ぱらぱらと捲りだした。
 総一郎は本に熱中しやすい性質である。よって本が一段落して顔を上げた時にはいつの間にか教室の大半が埋まっていて、彼の両サイドにも人が座っているという始末だった。
「どうしたんだ、そんな慌てて」
 驚いてキョロキョロしていた総一郎に、右隣から声が掛かった。それに照れつつ頭に手をやり「いやぁ、本を読んでたらいつの間にか人がいっぱい居てびっくりしてさ……」とその人物に向かい合った。
 その少年は、薄い金髪だった。少々皮肉げな笑みを浮かべているが、そう嫌らしいものではない。癖のような物だろうと推察できるそれだった。細身な所があってあまりスコットランドらしい体格とは言えない。総一郎は彼の容姿を見て、何かが引っ掛かった。
「……君、何処かであったことある?」
「偶然だね、ぼくも今そう思ったんだよ」
 あまり強い関わり方をしてないという事か、と彼は口元に指を当て、考えだしたようだった。逆に、こちらはその言い回しを聞いて誰だか思い出す。
 杖屋で遭遇した、あの貴族の子だ。
「ああ! 君はいつぞや杖屋に居た……」
 目を丸くして、彼は総一郎を指差した。総一郎はただ居心地悪く苦笑するのみである。あまり思い出してほしくなかったというのが本音だ。恐らくだが、彼とは相性が悪い。
 しかし総一郎の心持ちに反して、少年は親しげな表情を見せた。
「もしかしてあの時の口げんかを気にしているのかい? いやだな、アレはぼくも悪かったから、お互い様と言っただろう。となると、ここに来たという事は、君は存外ジャパニーズではないのかな? そういえば君の名前は何と言うんだい?」
「……ソウイチロウ・ブシガイト」
「ふむ、変わった名前だね。ぼくはギルバート・ダリル・グレアム二世。ギルと呼んでくれ。あと既に知っているかもしれないが、ぼくはモントローズ侯爵の息子だけど――別に身分の差などという事は気にしなくていい。ここに居る間はぼくも君もただの騎士候補生なのだからね。まぁ、仲良くやろう、ソウイチロウ」
「……ああ、そうだね。過去の確執は忘れるべきだ。よろしく、ギル」
 言って握手する二人。総一郎は、もしかしたらこの少年は悪い奴ではないのかもしれないと思い始める。少なくとも、お喋りな性格ではあるようだったが。
「それで、君が読んでいるのは一体なんて本なんだい?」
「これ? まぁ、ちょっとした推理小説さ。『弱者の円環』っていう」
 ギルの問いに、軽く答える総一郎。虐められっ子をつい殺してしまった苛めっ子が、事実を少しずつ警察に暴かれて破滅するという内容だ。少々ハードなので、年齢的に中学一年生になったばかりの彼には伏せておこうと思う。
 だが以外にも、彼はそれを聞いて目を輝かせた。
「君も『弱者の円環』を読んだのか! まさかこの学年であの小説を読んだ人がいるとは思わなかったよ。中々ハードな内容だからね」
「僕もまさかだよ……」
 なんて過激な本を読んでいるんだこのクソガキ、とまでは思わないが。ちなみに総一郎は精神年齢と言うか経験年齢がもうおっさんだからいいのである。ノーカンだ。
「もう全部読んだのかい?」
「うん。内容はあんまりよろしくないけど、なんだか気に入っちゃってさ。もう読み返すのは三回目なんだ」
「そうか。随分と読み込んでいるんだね。あの作者は人を選ぶ代わりにとても濃厚な話を書くからぼくも好きなんだよ」
 数度首を頷かせるギル。仲間を見つけてうれしいのだろう。総一郎も、読者仲間がすぐに見つかって喜ばしい限りだ。本好きというのは本の解釈を語り合うのが何よりも楽しいのである。
 その例に漏れない彼も、「そうだ、ソウイチロウ。知っているかい?」と総一郎を煽ってくる。総一郎も行間を読むのが好きなため、ある程度なら受け止められる自信があった。
 だが、ギルの仮説は総一郎の度肝を抜いた。
「本当はね、『弱者の円環』では、あの破滅していく苛めっ子こそが実際は虐められっ子だったんだよ。殺されたのは、虐められっ子でなく苛めっ子であったとね」
「……何それ」
 眉を顰める総一郎である。聞いたことが無い上に、不愉快な改変だ。
 しかしギルは気付いた風もなく、「実はね」と語りだす。
「ぼくの父がこの作者と懇意なのだが、彼は伏線として、虐められっ子が苛めっ子を殺した後、精神的に病んで自分が苛めっ子であったと勘違いしてしまった、という読み方もできるようにしてあったらしいんだ。それを聞いてから小説の中身や色合いがガラッと変わってね。普通の読み方もできるが、そういう表裏一体な意味にもとれる。素晴らしい作家だよ、彼は」
 言われて、しぶしぶ本を開きなおした。確かに、意味のなさそうに思えた伏線がことごとく虐められっ子である主人公に絡まってくる。しかし逆に、今まで苛めっ子であった主人公に絡まっていた伏線の全てが意味を喪失してしまうという、奇妙な状態になってしまった。
「あまり、好きな読み方じゃないな。これは」
「まぁね。この小説の一番の醍醐味は、調子に乗っていた苛めっ子が惨めに破滅していく様だから、それも仕方がないだろう。作者も読めるというだけで素直に読んでほしかったらしいしね。気付いてもらえないのは寂しいけれど、という訳だ。……おや。教師が来たようだね」
 見れば、段々畑のような学習机の一番下の所に、ローブを羽織った人が立っていた。次第に、教室が静かになっていく。

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