武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

3話 山月記(4)

 ヘル・ハウンドとの戦闘にも、だいぶ慣れてきた。
 奴らは言ってみれば賢い獣にすぎず、一体一体は騎士候補生の手練れに比べれば一段劣る。グレゴリーは別にしても、他の猟犬たちを相手にするのはもはやルーチンワークに近く、多数に襲いかかられても怪我一つしないようになった。
 強くなった。その実感が、無いわけではない。しかし、思うのだ。雑魚を蹴散らせるようになっても、本当に強い何者か一人には、苦戦させられるものなのだと。
「……」
 唸り声。山中。グレゴリーと、相対していた。
 周囲には、数匹のヘル・ハウンドの骸。その中に、彼の群れの一匹、あるいは複数匹が混じっていたのかもしれない。彼は犬歯をむき出しにして、憎悪を感じさせる顔つきで威嚇していた。総一郎はそれを、木刀を翳すだけで牽制している。一触即発。緊張が張り詰めている。
 彼とやりあうのは、久しぶりの事だった。今までは圧倒されていたが、以前死角を取った時を境に、少しずつ彼を押し返しているという感触を得始めた。今では、圧倒しているといっていい。しかし仕留めたり、四肢を飛ばしたりというような致命的な状況にはならなかった。
 最後にやりあったのは、二週間近く前の事。最近は、騎士候補生ばかりを相手にしていた。ヘル・ハウンドも、最近は遭遇しない。狩りつくしたというよりは、あちらがこっちを避けているような気がしている。
 一つ吠えて、襲い来た。総一郎は、待ち構える。しかし、迎え撃ちにかかるのは早計だ。グレゴリーは、フェイントを入れる。直接来ると思わせて、地面に突っ込んで爆発を起こす。
 察知していた総一郎は、まず背後に飛びのいてから横に転がった。立ち上がり確認すると、地面がえぐれている。土煙もひどかったが、総一郎には天使の目があるため意味がない。そのまま、肉薄にする。突き。しかし、紙一重でかわされた。そのまま、反転して逃げてゆく。
 しかしグレゴリーは、十数メートル離れた位置で、感情の窺えない瞳でこちらを見てから再び駆け出した。総一郎は、おや、と思う。もしかしたら、あのヘル・ハウンドたちの中に身内が居たという推理は間違っていたのかもしれない。
「……演技をしたってことなのか? ってことは――なるほど、魔獣にしておくのが惜しいな」
 人間顔負けの頭の回りようだ。その分だと、総一郎は二度とグレゴリーの群れに遭遇することはないだろう。
 少し考えて、今の戦いの意義がどこにあったのかを推察した。もしかしたら、近くに身内の群れが歩いていたのかもしれない。それから、少年の目を逸らした。そういう意図があっても、彼の場合はおかしくない。
「……僕よりも、人間らしい考え方だ」
 総一郎もその場から離れることに決めた。跳躍して、一息に木に登った。体を支えるために、枝を右手で掴む。その時、微かな違和感を抱く。
 無言で、右手を見つめた。僅かに歪んで見えたが、目を擦ると元に戻る。また、感触の違い。けれど、少しすると気のせいだったと考え、忘れてしまうのだ。そういうことが、最近多い。
 何かが、変わりつつある。それが好ましい物ではないという事は、それとなく感じとっていた。己という存在の変容。だとすれば、自分は何になるのか。
 空腹を感じて、総一郎は跳躍した。何か、食うものが欲しい。
 山菜などが期待できないこの季節において、有用な食材と言えば騎士候補生がザックに積んでいる食料、あるいはオークなどの食用に耐えうる魔獣くらいのものだ。飛び回っていると、総一郎は一匹でほっつき歩いているオークを見つけた。しめた、と腹をさすりつつ、木の上から近づいて、その肩に着地すると同時に木刀を突き下ろす。
 首が落ちた。頸動脈から、血が噴き出す。こうすると、仕留めるとともに血抜きができて便利だった。血が抜けきったのを確認してから、自前のザックから乾かした枝を取り出し、雪をどかして地面を露出させてから聖神法で火をともす。
 枝が燃え、パチパチと音がし始めた。総一郎はオークの肉を素早く小分けにして、他の鋭い枝に刺して焚き木のそばに立てておく。そのまま、しばらく待つのだ。油がしたたり落ち始めたら、焼け具合を少し確かめた後、齧り付く。
 塩が欲しい、と言うようなことを考えたのは初期のころだけで、今はただ、満腹感を得られれば良かった。味、と言うもの自体がよくわからなくなっている節さえある。
 騎士候補生の食料を奪って食っても、どこか遠いというような感じがあった。甘いとか苦いとかは分かるのだが、美味いかと聞かれれば、総一郎は答えられないだろう。しかし、それでもまだ、自分はこのように生きている。それならば何か問題があるか、そんな風にも思う。
 そこに、人が現れた。
 気配を気付くまでに、数秒かかった。そして、驚く。肌が粟立つほどの殺気。何故気づかなかったのかが、分からなかった。服装を見る限り騎士候補生だが、今まで相対した中でも頂点に君臨する強さが感じられる。
「……ブシガイト。会うのは、久しぶりだな」
「そう……ですね。顔は、覚えています。名前は確か、カーシー・エァルドレッドとか言いましたか」
「ああ、そうだ。お前と少し修練をして――そして、師を殺された者だ」
 彼は背中の大剣を抜き、構えた。総一郎は、眉を顰める。正面からは、絶対にやりあいたくない相手だった。こういう相手は、集団で歩いているところを襲撃する際、真っ先に倒す相手なのだ。
 総一郎も、正眼に構えた。にらみ合う。膠着し、動かなくなった。こういう時はきっかけがないと互いに動き出せない。しかし、妙な手ごたえもある。まるで、時がたつのを待っているかのような――
 総一郎は反転し、全速力で逃げだした。
「くっ、待て!」
 声が背後から飛んでくる。総一郎は木の中に紛れて、距離を取るよりも相手に察知されないことを心掛けた。聖神法で、相手の『サーチ』から逃れる物を使う。そして木に登り、こちらから探しに行ってやる。
「くそ、何故ばれたんだ。……すいません。こちらエァルドレッド。膠着状態に持ち込んだのですが、何が原因で気付かれたのか。逃げられてしまいました、申し訳ありません」
 やはり、応援を呼んでいた。総一郎は苛立ち、奴の頭上へと移った。けれど、飛び降りない。勘が告げていたのだ。奇襲をかけても、難しい戦いになると。
「……」
 総一郎は、無言で遠ざかった。彼の「殺してやる……」と言う怨嗟の声を背に、感心する。彼のように、ブレナン先生の仇と憎悪を向けてくる輩は少なくなかった。ただ、これほどまでに強く、狡猾なのは彼だけだ。恐ろしい相手だと溜息をつく。憎悪の手合いのほとんどが、感情任せに斬りかかってくるだけの雑魚ばかりだったからだ。
 感情をぶつけられると、疲れる。それは、どんな相手でも同じだった。戦闘の中の殺気、闘気などはもう慣れた。しかし、憎悪に類する個人的なそれは、山に籠り始めてから苦手になってきた。
 快い、と思えるのは、白羽や図書のそれだけだ。彼女たちと話している間は、日本に居た頃の『総一郎』で居られる。
 そう思うと、居ても立っても居られないのだった。少年は木の上を駆け、騎士候補生を探し求める。


 タブレットを手に入れて、総一郎は騎士候補生の入りにくい、ヘル・ハウンドの群れの巡回区域の木の上で座っていた。コール音はいつも総一郎の気分を弾ませてくれる。この瞬間だけは、総一郎にも笑顔が浮かぶ。
『もしもーし』
「あ、白ねえ? もしもし、総一郎です」
『総ちゃん!? え、嘘! 寝る寸前だったのに眠気吹っ飛んじゃったじゃん!』
「え? あー、時差か」
 こっちは午後の五時ほどである。日は暮れ始めているが、暗いというほどではない。
『まぁいいや。今日の夢見がよくても明日の寝起きは怒髪天ってことで。もー、電話くれるならくれるって言ってくれないとお姉ちゃん驚いちゃうでしょ?』
「……怒髪天なの?」
『うん。機嫌悪くてわがまま言って、最終的にはずっちんから拳骨くらってやっと正常モードになる感じ』
「ずっちん、いや、何でもない。そんなに昔寝起き悪かったっけ?」
『んーん、最近。何ていうんだろ。日本の枕と比べるとさ、アメ公の枕柔らかすぎない?』
「……白ねえ、アメリカ人の事アメ公って呼んでんの?」
『え? あ、……えへへ』
 笑って誤魔化された。可愛いのでよしとする。
『ていうか総ちゃん! 私の事ばっかり聞いてズルイ! と言うか私の言葉尻捕えすぎ! もっと寛容……じゃない。論旨ずれてる。えっとほら、アレだよ。総ちゃんの話ももっとアレしてよ!』
「ドレするのさ」
『アレ!』
 だからアレでは分からないというに。
「白ねえも何と言うか、アメリカに行ってからすっ呆けに磨きがかかったよねぇ」
『座右の銘が「リリカルコミカル」だから』
「……マジカルじゃなく?」
『いや、お姉ちゃん魔法あんまし使えないし。というか何でマジカル?』
「ううん、こっちの話」
 前世の記憶が若干後を引いていた。
「と言うか座右の銘が白ねえらし過ぎない? 何そのどんびしゃっぷり」
『お、やっぱり総ちゃんには分かっちゃうかー。でもねでもね? こっちの人たちには不評なの。ずっしょさんは辛うじて「いいんじゃねぇ?」って半笑いで言ってたけど、他の人たちには「姐さん、お言葉だがそれはない」だの、「ん、えー、あっと……、ごめん……」だの「白羽は馬鹿だな」だの! 理不尽!』
「最後のが清ちゃんのだって事は分かったけど、最初の一つがおかしいよね。何、姐さんって。僕以外に弟でもできたの?」
『私の顔の広さが物を言った結果だよ』
「やべぇ」
『総ちゃんが壊れた!?』
 それ以外の言葉が見つからなかったのだ。
「にしても、普通に思いつく座右の銘じゃないよね。もっと格調高くしたりしない? 偉人の言葉使うとか、謎に古語を使うとか」
『みんなそうしろって言ってたよ?』
「尚更何でさ」
『むー、言葉にしにくいと言いますか。それを詳しく話すには由来から話さねばならないのですが……、はっきり言うよ? 小っ恥ずかしい』
「ド直球で言われてびっくり」
『でも語る。総ちゃんは精々赤面しつつ強がって意気揚々と語るお姉ちゃんの姿を想像して、時折クスッと笑うと良いでしょう。多分その度に台詞噛むから』
「ふふっ」
『しょう、しょれはにきゃがっ、二か月前のこちょ、こちょでした……』
「あ、もう凄く想像しやすかった今」
 電話越しに聞こえる『うぉっほん!』と言うわざとらしい咳払い。何だか、らしいなぁ、なんてことを思ってしまう。
『そういえば総ちゃんって、差別についてどう思う?』
「……差別?」
 語り口には、ひょっとすれば気が付かないほど変化がなかった。普通の事を話すみたいに、彼女は言う。しかし『差別』と言う言葉がギリギリのところで総一郎の気を惹いた。それは、少年にとっての鍵だった。この閉鎖的な現状に、自分を閉じ込めた鍵だ。
『二か月前に、……授業でやったんだよ。差別の事について。イギリスは酷過ぎて亜人がうつっていけないくらいらしいけど、アメリカも中々でお姉ちゃんびっくりですよ。具体的なことを言うのはアレだし、私は何とか上手くやってるけど、……亜人に人権がなかったことを知った時は驚いたなぁ』
「何、それ。亜人に人権を与えていない国が、亜人の受け入れなんて行ったの?」
『公民権の制定寸前までいったんだけど、亜人からの協力が少なかったのと、大統領の暗殺でおじゃんになっちゃった。対策は立ててたけど流石に大砲は防げなかったよ防弾ガラス……』
 つばを飲み込む。ケネディ大統領を彷彿とさせる事件。黒人の差別と、同じことが起こっているというのか。
『もちろん、日本人側も手をこまねいているだけじゃないよ。最近では、警察が動いてくれないなら自警団作ってやるみたいな動きもある。正直魔法を使い始めたら銃乱射するしか能のないアメ公なんかぼっこぼこだしね』
「……」
 総一郎は、黙っていた。軽い口調だが、込められた思いには万感の物がある。『痛いこと言っていい?』と、白羽は尋ねてきた。自嘲気な響きには、しかし強い眼差しを感じる。
 総一郎はただ軽く肯定のみを示して、先を促した。白羽が今、何を見つめているのかが気になった。『私ね、思うんだ』と切り出した声色は、軽くも、重くもない。ただ、深さがあった。
『歴史の教科書に載っていることが、何故か近くに感じることってない? 今、この瞬間も、刻まれつつある歴史の一つなんだって、そう言う風に。 時代が、動いてる。アメリカに居ると、それが凄い実感できるの。人と人が繋がって、何かを為す。それが大きくなると、多くの事が変わる。昨日人気だった大統領が、今日の価値観では演説台から引き摺り下ろされてリンチにされたり、アメリカ国籍持たない貧しい人が、明日の価値観では一瞬でミリオネアになれるほどの隠れたお宝を抱えてたりするかもしれない。そういう不安定で、先の見えない世界で、私たちは生きてるんだって。 ――日本とは大違い。あそこの時間の流れはとてもゆっくりで、平穏から外れた事件なんて、人食い鬼のそれ以外遠くにあったもん。そんな風にこの国で生きてて思ったのが、「素直に、楽しく生きよう」ってこと。それだけは、守っていかなきゃって、何故か思ったの』
 リリカルは、抒情的という事だ。感情豊かで情緒的な様を指す。コミカルは、言うまでもないだろう。彼女の明るさの原点だ。
『世界には、二種類の要素がせめぎ合ってる。そういう風に、思うんだよね。笑顔と、暴力。暴力は減れば、笑顔が増える。暴力が増えれば、笑顔が減る。酸性と塩基性みたいな関係。ちょっと説明違うかな? で。なら、まず私が笑おうって。だからお姉ちゃんは「リリカルコミカル」なのですよ。いかにもバカっぽくて笑えるでしょ?』
 その言葉には、どこか自慢げな様子があった。電話越しに聞こえてくる小さな笑い声。酷く、総一郎は感心させられた。あんなにも幼かった姉が、ここまでに成長したのだと思わせられた。
 対する、自分はどうか。幼児どころではない。まるで獣だ。こんな姿、浅ましくて見せられるはずがない。魔獣を殺して食らい、騎士候補生を襲って強奪し、――野蛮な獣だ。総一郎は、下唇を噛む。恥ずかしい、と言う思いが湧きあがる。
『でも、最近はちょっと辛いんだ』
 総一郎は、その言葉に吸い寄せられる。「どうしたの?」と、少し必死な声が出る。
『総ちゃん。私、総ちゃんに会いたい』
「……うん、僕も会いたい」
 出来ない相談だった。この山から脱出して、騎士学園から逃げ延びて、海を越えて、白羽の住む町にたどり着く。自分ひとりの力でできたら、どんなにいいだろう。
『何で会えないのかな。……何でこんなに寂しいのかな』
 声色は、静かで低かった。湿ってはいない。しかし、微かな震えがある。総一郎は、何も言わない。ただ自分の薄汚れた姿を見て、臍をかんだ。
『私ね、今、自分が何を言いたいのか分からないの。ただ、総ちゃんに会いたい。最初の電話がかかってくるまでは、こう言っちゃなんだけど、大丈夫だった。忙しかったからっていうのもあるけど、多分総ちゃんが私の中で遠くなっていたから』
 申し訳なさそうな声色に、「お揃いだね」と優しく告げる。すると少しだけ笑って、『意地悪』と言った。多分、膨れっ面をしているに違いない。仕草だけは、予想がつくのだ。
『最初の電話がかかってきた日は、私なかなか眠れなかった。興奮してたんだろうね。夢に、総ちゃんが出てくるの。昔のままだった。平和で、楽しくて、日差しが気持ちよくって……目覚めた時、泣きそうになった。電話番号が分からないことを思い出した時は、思わず、少しだけ泣いちゃった。――それからずっと、会えないのが辛い。ねぇ』
 喉の、ひくつく音が聞こえた。嗚咽したのだ、と気づいたのは、いつだったろう。
『寂しいよ、……会いたいよ。何で会えないの……? 私には分からないよ。せめて、姿が見たい。声だけじゃ嫌だよ……!』
 それだけ言って、白羽は押し黙った。僅かに、すすり泣きが耳に届く。受話器を、口元から遠ざけていることが分かった。途中で我に返って、しかし泣き止むことが出来なかったのだろう。
 それから少しして、明るい口調に戻った彼女は自らの涙を茶化し、嘲り、徹底的なまでにこき下ろした。その声色は何処までも朗らかで、痛ましかった。総一郎は、また近い内に電話するからと告げて、切る。
 通話を終えた受話器を手に、白羽は一体どうしているだろうと考えた。何をする事も出来ない自分が虚しくて、タブレットを放り、打ち砕く。

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