武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

5話 三匹の猟犬Ⅰ

 白羽は、絶句していた。
 目が覚めて、部屋を出た瞬間に目に飛び込んできたもの。まず、イスに座り込んで欠伸をかますウッドの姿。そして、その目の前の机に置かれた、ウルフマンの生首。
 気付けばナイが背後に立っていて、くすくすと意地悪く笑っていた。白羽は、信じられない思いで「う、ウッド……」と声をかける。
「それ、それ、何……? う、嘘だよね……。そんな、だって、殺さないって……!」
「……ああ、ブラック・ウィングか。そら、所望のものだ」
 ウッドは、無造作にウルフマンの生首を白羽に投げてよこす。それはすでに血抜きがされているのか、一滴の血も流す様子はなかった。落とすわけにもいかず、白羽は生首を受け取る。そして、近くでまじまじと観察してしまうのだ。それが作り物などではなく、本物のウルフマンの首であると理解してしまう。
「あ、ああ、ああぁぁぁああ……――――――――!」
 白羽の胸の中で、さまざまな感情が渦巻いた。激情に表情が歪み、されどその落ち着け方がわからない。感極まって、古くからの友人の無残な死体を抱きしめようとした。その瞬間だった。
「その、シラハさん……。すいません、下手しちまいまし「キェェァァァァァァァァアアアアアアアアアアアシャベッタァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアア!」
 白羽は突然しゃべりだした首だけのウルフマンを、力いっぱいぶん投げた。「おわぁぁぁああああ!?」と絶叫しながらウルフマン(首)は宙を舞う。誰もキャッチしなかったためゴトンと鈍い音がした。ウルフマンは静かになった。
「……ブラック・ウィング。お前酷いことをするな」
「え? えぇ!? どういう事? どういう事!?」
「アッハハハハハハハハハハハハ! 白羽ちゃんってやっぱり面白いね! ふふっ、キャー喋ったーって、驚きすぎでしょ、アハハハハ」
 ケタケタと笑いながら、「ほら、ニュースでも見て落ち着きなよ」とナイは指を鳴らす。すると電磁テレビの電源がつき、すぐに見出しが出てくる。
 曰く―――『ハッピーニューイヤー事件、被害者ゼロ』
「……え?」
 白羽は小走りで電磁テレビにしがみ付く。
 言うまでもないことだが、ハッピーニューイヤー事件とはウッドの起こした大量首狩り殺人の事だ。そのように、思われていた。しかしニュースの特報では殺人ではなかったという。とすればウッドの容疑は傷害罪なのだろうか、と議論されていると。
 とはいえ、ウルフマンがウッドに掛かり切りだったために情報が入っていなかっただけで、実際不審な点はいくつか報道されていた。例えば、被害者の遺体が生暖かいとか、心臓が鼓動しているとか。
『――そのため、被害者らの頭部は胴体部と共に病院に搬送され、同時に入院させるというのがミスカトニック大学病院の方針とされ……』
 ニュースキャスターが、僅かに顔を青くしながらも冷静に読み上げている。白羽は一歩下がって、ウルフマンの頭を見た。「痛ってぇよぅ……」としかめっ面で逆さのまま地面をゆらゆら揺れている。
「ほ、本当に? 本当にウルフマンは生きてるの? ……マジで?」
「無論だ。ウルフマンの場合拘束したところで破られると分かっていたからな。ならば首だけ持ってきた方が早い」
「……マジかよ……」と白羽。かなり怪訝な顔である。
「マジかよ……じゃないですよシラハさん。人の事ブン投げといて……」
「ああ! ごめんウー君! 衝撃のあまり何かもう、……こんなに小さくなっちゃって」
「小さいとかそういうレベルじゃないですけどね。……はは、久々におれ白羽さんと話してるなぁ」
 この、すっとぼけた感じ。とウルフマンはしみじみ呟いた。いまだに頭頂部を起点に揺れているから、白羽は『ウー君に言われたくない』というツッコミの言葉を非常に言いたかったが言わなかった。ツボに入っていて口を利けなかったのだ。
「ふふ、二人ともなかなか親しげだね。もしかしてただならぬ仲とか?」
 茶々をいれたのはナイだ。それに、「え? ……なんですこのちっこいの」「ああ、無視してダイジョブだよ」とウルフマンは困惑、白羽はあからさまに嘆息して言う。
「そんな無碍にしないでよ。ちょっと気になっただけじゃない」
「あーはいはい。私ARFの幹部全員にあだ名付けて呼んでるから。それだけ」
 しっしっ、と犬を追い払う所作。「うぇーん白羽ちゃんがイジメるよー」とナイはウッドに抱き着き、「ふぁああ」と最近戦闘なりアーカムの調査なりで寝ていないウッドは、どうでもいいのかされるがままだ。それを見て地味にイラつく白羽である。
 ウッドは欠伸を噛み殺し、白羽に問いかける。
「ともあれ、これで一人目という事だ。都合よく物事が進んだからウルフマンを連れてきたが、次は誰がいい」
「……それ、私に選ばせるの?」
「おお、シラハさん立場を忘れて『じゃあ次は愛ちゃんを』とか言うと思ってたのに」
「流石にそこまでアホじゃないよ私! ……でも、次に出張ってくるのくらいは予想は付くかな。ウー君もそうでしょ?」
「……まぁ、順当に考えれば、一人しかいないですよ」
「それは、誰だ?」
「愛ちゃんは今頃暴走して独房行き。副リーダーも疲れ切ってるはずだし、双子ちゃんも自由人だから。となれば、残るは一人でしょ」
 ウッドの問いに、白羽は肩を竦めた。ウルフマンの頭を回収してソファに深く座り込み、上目遣いに強く見つめてくる。
「ハウンド。ウチの猟犬。――狡猾だよ。組織運営とかじゃ副リーダーに一歩譲るけど、戦闘においてはきっとあなたとタメを張るくらいにキレる」
「……それは、楽しみだな。ああ、楽しみだ」
 ああそうだ。絵を描いておかねばな。ウッドは独り言を零してから、くつくつと口端を歪ませて自室に籠ってしまう。それを目で追ってから、「シラハさん」とウルフマンは言う。
「シラハさんは、ウッドをどう思いますか?」
「……分からない。可愛さ余って憎さ百倍っていうか、だけど見捨てられないっていうか」
 ちらと周囲をうかがう。いつの間にか、ナイは姿を消していた。奴もまた、裏でこそこそ何かしらやっているらしい。ウッドがリビングにいるときを中心に現れ、よく機嫌よさげに鼻歌を歌っているのだ。
「私は、私は総ちゃんがウッドになったのには、きっと理由があると思う。そこに、あの邪神の悪意があったって、そう思う。だから諦めきれないんだ」
「……良かった。シラハさんがウッドを見捨ててないって聞けて、安心しました」
「え?」
 とぼけた天使は疑問に小首をかしげる。狼男の首は、机の上で表情を鋭くした。
「おれは、まだ、希望があると思ってるんです。ウッドをイッちゃんに戻せるって、そんな風に」






「お願いです! 私に、私にウッドを殺させてください! きっとJ君は苦しんでます! だから、だから!」
「冷静になれアイ! お前までウッドにやられちまったら、もう取り返しがつかねぇんだよ! だから頭冷えるまでここにいろ!」
「お願いです、お願いですから!」
 独房の中で、檻を揺らす愛見。彼女はナイフを奪われてそこに居た。普通の日本人ならばすぐにでも破れるような牢。しかし彼女は、とある一件以来ナイフが手元にないと魔法を使えない。
「ともかく、しばらくの間お前は謹慎だ。アイ、お前は怒れば怒るほどミスが増えて弱くなる。本当にウッドに勝てるならそのまま行かせてるんだよ。分かるか? 独房に入れられているのは、お前の弱さが原因だ。分かったらじっとしてろ」
「それでも! それでも私がやらなきゃならないんです! お願いですから! ピッグ!」
 ヒルディスは背中から追ってくる彼女の声を無視して、独房室のドアを閉めた。そのまま歩を進めて、会議室に入る。そして手近な椅子を引いて、ドカッと深く座り込むのだ
「……はぁ」
 重い溜息だった。ふと目をやると、EVフォンが通知を示すように緑色にチカチカと光っている。眉をひそめながら、スライドした。百近い連絡が、ずらずらと並んでいる。
 ARFは、ウッドにばかり取り掛かってきたわけではない。むしろウッドの事など余計な仕事の部類に入る方で、だから緊急を要するだけに面倒なのだ。
「……えぇと? ああ、ウッドを隠れ蓑にした計画の方か。……チッ、追い出しに手間取ってんのか。武器の調達班の方は……クソ、だから教団を名乗る奴らとはかかわるなって言ってんのに……」
 それらの報告に返信を送るのも面倒で、ヒルディスはしばらく何もせずにぼんやりとする。そのまま、十数分経った頃だろうか。背後に気配を感じて、「ああ」と振り返る。
「ハウンドか。丁度いい。……ああ、そうか、ありがとう。お前はやはり優秀だな」
 目の前に差し出されたEVフォンの文字。そこには、彼に任せた仕事は全て完遂されたと書かれていた。――ハウンドは、過去の戦いで喉に怪我を負っている。その後遺症で、喋れなくなっていた。
「次は、そうだな。武器の調達班とあの磯臭いダゴン教団のいざこざの解決と、ブラッダーズ追い出しの手伝い……、そうだ、奴らが雇った用心棒、血濡れのロビンの排除。他にも、ウッド襲撃の……」
 そこまで言って、ヒルディスは頭痛を覚えた。ウッド。奴にはここ数日、嫌というほどの悪夢を見せられた。正直に言って、関わり合いになりたくないのだ。また奴への矢面に立って、今度こそ目をつけられウルフマンの様に動揺させられては、他の事業もどうにかなってしまいかねない。
「……やっぱり、さっきまでの任務は帳消しにさせてくれ。お前に頼むのは、たった一つだ」
 ヒルディスは体を起こし、ハウンドを見た。帽子と鼻まで隠したネックウォーマーの間で、少年にしておくには鋭すぎる眼光が放たれている。
「――ウッドを、お前に任せたい。姐さんの奪還、奴の排除。ウッドに関する、あらゆる問題を、お前に託す。俺からは特別指示を出さない。ハウンドの好きにしてくれていい」
 出来るか、と問うた。彼は黙って首肯する。それを聞いて、ヒルディスは少し肩の荷が下りる。
「ありがとよ……。奴と向かい合うのは、体力がいるんだ。情報はウルフマンが身を挺して集めてくれたのが残ってる。お前なら十全に使いこなせるだろう。確か……、これ、だな。このチップの中にデータは全て入ってる」
 渡すと、ハウンドはごくごく小さなチップをEVフォンに入れた。すると電磁ウィンドウが現れ、あの憎き悪魔の正体を丸裸にしていく。
「俺は、少し疲れた。他の事業に専念して、奴の一線からは離れることにする。だから――頼んだぞ、ハウンド」
 再び椅子に沈み込んだヒルディスに、ハウンドは頷いて退室した。そして、ツカツカと廊下を少年は歩いていく。通りすがりに亜人が彼を見るが、すぐにぎょっとした目つきで彼に道を開けた。ハウンドの鋭くまっすぐな眼光に怯えたのである。
 少年はそのままの足取りで、本部を出てバイクにまたがった。EVフォンで道を確認して、走り出す。
 その頭の中には、すでに十数通りものウッドに対する襲撃策が練られていた。

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