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ささみ紗々

#8 僕の知らない君

「もう行かなきゃだよね」

 だいぶ落ち着いたうみちゃんが、ゆっくりと顔を上げて言った。実を言うと僕は少し眠りかけていた。陽に当たったうみちゃんの黒髪がなんとも暖かく気持ちよかったのだ。

「ん、行こっか。」

 僕らはお互いあまり口を開かず、そのまま立ち上がり、歩き出す。交差点まで来ると、道が違うため、僕らはそこで別れる。

「じゃあね、バイバイ」

 少し歩いてから振り向くと、うみちゃんがぽつんと一人、立っている。先程の涙もあるのだろう、いつもよりも控えめに手を振る彼女の姿をしっかり捉え、僕は微笑む。こう見ると、なんだか小さい。守ってあげたいと思った。



 うみちゃん、なんであんなに泣いたんだろう。

 よくわからない。付き合う前から切ない顔をすることが多かったし、出会った時もそういえば泣いていた。あれは……僕が直接的に関わっていることでないにしても、やっぱりなにか抱えているのだろうな、と思う。
 高二の二月という、この時期にわざわざ転入してきたというのも気になる。

 ……だめだ、眠くなってきた。

 家に入るなり、ベッドにダイブする。そのまましばらくも経たないうちに、僕の意識はどこかへ飛んでいった。


 ☆


 ビィィィ……ン
 弦を小さく弾く。

 タンタタンタン、タンタタンタン
 足でリズムを刻む。
 引っ越す前にデパートで買った高いヒールのブーツ。外に出す予定もないから、フローリングの固い床の上で履いている。
 タンタタンタン、タンタタンタン
 いいリズム。刻めてますか。
 聴いてますか、君は。


 愛だとか 恋だとか
 世間に溢れる在り来りな歌を
 いつから届けようと思ったんだっけ?
 君の横顔 真っ赤な口紅がルビーのように輝いて
 そっと頭の中でくちづけしたよ

 君に届けます
 自分史上最高にビッグな愛を
 ちょっと恥ずかしいけど それでも好きだから
 ずっとそばにいてほしいなんてことは言わない
 無責任に余計な言葉より
 たった一言 「愛してる」


 タンタタンタン、タンタタンタン
 私が来る前の舜くんが作った歌。『君のためのラブソング』。誰のためのラブソング? その「誰か」になりたくて、その「誰か」に勝ちたくて、歌を作ってもいいかなんて聞いて。
 あぁ、私、情けなくない……?

 グッと喉の奥が苦しくなって、目の奥が熱くなる。なんだか私、泣いてばかりだ。舜くんだって、きっとすごく困ってる。泣いてばかりの彼女なんて嫌だろうなあ。
「くそぅ……」
 抱えたギターがなんだかすごく重くて、溢れ出した涙はもう止まらない。

 私ね、君に秘密にしてることがあります。
 なんでもっと早く言わなかったんだって怒られそうなこと。
 洗いざらい話せたらどんなに楽でしょう。けれど勇気が出ないのです。知ったら君は、きっと今まで通りには接してくれなくなる。幸せな今に縋っているのです。こんな私を許してくれますか。

 母も、父も、ギターの音に何も言わない。
 ごめんね、ごめん。無理をさせてしまって、ごめん。それも、あと少しだから。

 ベッドに飛び込む。涙が溢れてくる。視界がぼやける。
 そうなんです、あと少し。だから。

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