彼女は、オレの人肉を食べて強くなる。

執筆用bot E-021番 

食う者と食われる者

 有り金をはたいて宿をとった。文字通り全財産だ。


 その宿は、安宿には珍しくちゃんと個室があった。安宿は、どこもだいたい大部屋がひとつあるだけだった。寝るときはみんなで雑魚寝だ。が、クレハを大人数がいるところには連れて行けなかった。それにクレハは酷く困憊こんぱいしていた。ベッドが必要だった。


 個室。4畳ほどの大きさで、ベッドが1台置かれていた。小さな木造の丸テーブルもひとつ置かれていた。窓はなかった。かわりに天井からカンテラがぶら下がっていた。


「大丈夫か?」


 聖肉守騎士団を見たショックのせいか、クレハの体調は優れなかった。セッカク閉じかけていた傷も、ふたたび開いてきたようだった。


「この調子じゃと、あんまり先は長くなさそうじゃなぁ」
「そんなこと言うなよ。ヤッパリ修道士に診てもらったほうがいいんじゃないか?」


 セパレートには癒術を使う修道士がいる。そのせいか、手術といった概念がないようだった。もっともそんな技術があったとしても、オレには使いこなせないが。


「我がオークだとバレるじゃろうが」
「そうだけど、死ぬよりマシだろ」
「オークを癒してくれる修道士なんかおらん」


 たしかに、そうだろう。


 オレはずっとクレハのことを見てきた。だからクレハが凶暴でないことがわかる。けれど、オークはオークだ。クレハのことを喜んで治してくれる修道士が、そう都合良く見つかるはずはなかった。


「じゃあ、ヤッパリ心臓か……」


 オレが人を殺して調達するべきか。


 オレは異世界召喚された。異様な治癒能力もある。今日の昼に噛まれた腕もスッカリもとに戻っている。けれど、ついこの間までは高校生だったのだ。一介の高校生の手に殺人は荷が重すぎた。


 オレの手の甲に、クレハは手をかぶせてきた。
 その手は小さくて、温かかった。


「もう良い」
「良いって何が?」
「我は長生きしすぎた。別に、ここで死ぬことになっても構わん」


 その言葉を受けて、オレの胸が痛んだ。


「何年生きたんだ?」
「秘密じゃ」


 クレハはそう言って声を出さずに、ニンマリと笑った。穏やかな笑みだった。その笑みを見たときに、察した。死期はもうずっと近くまでやって来ているのだ。


 ここ数日、クレハは強がっていた。けれどホントウに辛かったのだろう。今まさにクレハの白い細首に死神のカマがかけられているのだ。


「ホントウに死んでもいいのかよ」


「まぁ、出来れば死にたくはないがな。しかし、オヌシにこれ以上の迷惑はかけられまい。人の心臓を調達して来いと言っても、オヌシにはムリじゃろう」


「う……」
 声が詰まる。


「ムリをせんでも良い。マッチ売りの少女のことを我は覚えておる。オヌシはみずからの血を差しだしてまで、あのマッチ売りを救った。優しい心を持っておる。オークのエサにはもったいない少年じゃ」


 いろいろとオヌシには悪いことをしたのぉ――とクレハは手を伸ばしてきた。オレの頭を抱え込んできた。されるがままになっていた。


「食べられそうになったのは怖かった。けど、今はそんなこと気にしちゃいない。クレハはオレのことを殺さないって言ってくれたんだし」


「オヌシとの旅。なかなか楽しかった。我の最後の思い出としては、悪ぅない」
「ホントに最後のお別れみたいなこと言うなよ。悲しくなるだろ」


 クレハはオレの頭を二度、軽くポンポンと叩いた。一度はクレハにそりあげられたが、少しずつ生えてきている。


「おやすみ。私の唯一の弟」


 クレハはその言葉を最後に、急速にチカラを失っていった。弟……。クレハはそう言った。


「そうか。ヤッパリ――」
 オレがそのことに気づいたのは、今日の昼だった。
 パン売りの女性から話を聞いたときだ。


 確証はなかった。
 確証はなかったけれど、もしかしてクレハは、オレの姉に当たる人物かもしれない、と思ったのだ。正確には腹違いの姉だ。


 この町に弱ったオークと、オークの子供を宿した妊婦がいた。その弱ったオークというのは、駆け落ちしたクレハの父親――ササなのではないか、と思ったのだ。人間の女と2人でいるオークなんて、珍しいだろう。ほぼ間違いなくササだろうと思う。


 ササは弱り、聖肉守騎士団によって殺された。しかし、妊婦のほうは消えたと聞いている。どこに消えたのか。地球に帰ったに違いない。以前に一度だけクレハが言っていたことがある。妖術で異世界人を地球に帰すことが出来る――と。地球に帰ったと考えれば、納得がいくのだ。


 その女は、妊婦だ。
 妊婦なら地球で子供を生んだはずだ。


 パン屋の女性も言っていた。もしもその子供が生まれていたなら、人間とオークの混血かもしれない――と。


 それがオレなのではないか?


 この世界に来てオレが最初に口にしたものは、人間の脳みそだった。食べてもなんともなかった。むしろ吐き気がおさまったのだ。それはオレにオークの血が流れているからではないのか?


 まだある。


 傷の治りが早くなった。今でもそうだ。むしろ日に日に回復力が増してきている。それはこのセパレートという世界に充満している、ティナという魔力のおかげだ。オークには魔力を吸収する体質があるのだ。オレの傷を治してくれた修道士も、オレの回復力に驚いていたではないか。


 それもまた、オレにオークの血が流れている証拠ではないのか。


「オレはササってオークと、人間の母さんとの混血ってことか」
 口にして、もうひとつ衝撃を受けた。


 そうか。


 だからオレは、父さんの姿を見たことがないのだ。単身赴任で帰って来ないと聞かされていた。異世界で死んでるオークが父親だとは説明できない。だから単身赴任という説明を母さんは、オレにほどこしたのではないのか。


 あのパン売りの話で、パズルピースがすべて埋め尽くされていったのだった。そしてクレハはその動物的な勘の鋭さで気づいたのだろう。オレが腹違いの弟だ、と。


「……」
 クレハは目を閉ざしていた。


 弱いが、まだ息はある。
 しかし、着実に弱っている。


「クレハ」
 クレハの亜麻色の髪をナでた。
 砂のようだ。


 助けてあげたい。


 もしかするとオレの義姉かもしれない人なのだ。しかし、助けるためには心臓が必要だった。


 光明を見た。


 オレにはオークの血が流れている。脳さえ傷つけなければカラダは蘇生するはずだ。心臓を差しだしても、オレは回復できるのではないか?


 いやいや。


 とはいえ、オークの回復力も万能ではない。事実クレハは弱っている。人間の心臓を食べなければ元気が出ないとか言っていた。けれどそれは純血のオークだからだ。オレは違う。オレならふつうの食事を摂ることで回復出来るんじゃないか?


 わからない。
 なにより、心臓を差しだすなんてヤッパリ怖い。


 クレハとのここ数日の思い出が、立ち上ってきた。


 オレに食事を運んできてくれたクレハ。鳥や豚を獲ってきたときは決まって得意気だった。ホめると嬉しそうだった。ハブられていると言ったら怒った。バンマルに肉をあげたときには嫉妬していた。


 オレをカムイから助け出してくれた。重症を負いながらも、オレのことを修道院まで運んでくれた。「1人にせんでくれ」と嘆願してきた。


 助けたい。


 エサであるオレの本来の役割だ。


 最初は食べられたくないと思っていた。気づけば、食べさせなければという使命感に変身していた。


 クレハのカラダを漁って、懐の中から果物ナイフを見つけた。オレはブリオーを脱いで上裸になった。

 刃を自身の胸に突き立てた。刺す。痛い。ダメだ。もっと強く。血。もっと……もっと……。オレの胸から滴り落ちて行く血が、クレハの桜色の唇を汚していた。


 汚れてる。オレの血がクレハを汚している。そう思うと欲情してきた。もっと汚したい。この美しい生き物を、征服したいという気持がもたげてきた。食は欲。欲は性。性は淫。オレの心臓を食わせること。それは、ある意味クレハとの交わりだった。


 たかぶった気持はもう後戻りがきかなかった。重傷を負いながらも、クレハはオレをカムイから救ってくれたのだ。クレハを助けるだけの理由が、オレにはある。


 ふたたび自分の胸に、ナイフを突き立てた。今度は思い切って。深々と刺す。刺すだけじゃダメだ。肉を裂いてゆく。できた傷に手を突っ込んだ。大きく、強く、躍動する臓器があった。


 これだ。


 心臓を引っ張り出した。もう痛みはなかった。痛すぎて麻痺してるのかもしれない。まるで夢幻のようだった。


 引っ張り出された心臓。まだ躍動していた。強く握っていなければ、逃げ出してしまいそうだ。これが心臓。人間とオークの心臓だ。真紅。卑猥なまでに真紅だ。心臓をクレハの口元に持っていった。


 桜色の唇。やわらかい唇を指でかき開いた。真珠のネックレスのように並んだ歯があらわになる。その中に、キバがいくつか生えているのがわかる。真珠の奥には、鮮やかな桜色の咽頭が広がっている。


「クレハ。オレの心臓だ」
 押し込んだ。


 瞬間。


 クレハがカッと目を開いた。


「あ――ッ」


 クレハが抱きついてきた。クレハのカラダは小刻みに痙攣していた。波打っている腹の感触が、オレにも伝わってきた。


「もっと食え。残すなよ。セッカク取りだしたんだから」
「チカラがたぎってくる。これがオヌシの味ッ」


 クレハはひたすら痙攣していた。


 クレハが衰弱していくにつれて、オレの治癒能力は増していた。一方、今度はオレが傷つくことで、クレハが元気を取り戻して行く。まるで天秤。だからこそオレたち姉弟なのだと感じた。


「やっぱりオレたちは、姉弟なのか」
「お、オヌヒがはひへへ、こっひにひやぁぁッ」


「ろれつが回ってないぞ」
「美味すぎりゅぅぅッ」


「まだまだあるからな」


 左手で心臓をクレハの口に押し付ける。ブヨブヨの真紅が、クレハの口の中に吸い込まれてゆく。


「もう良い。これ以上は」
「そんなこと言うなよ。セッカク心臓を取りだしたんだ」


 食われるのがエサの役目なら、クレハはすべて食べきることが使命だ。クレハがオレを食っている。まぎれもない幸福があった。オレは今、神様だ。クレハにとっての神様なのだ。


「元気になるんだろ」


 クレハの顔は完全に弛緩しかんしていた。目の焦点は合っていない。クレハはジンチョウゲの香りを、いよいよ強めていた。


 オレの意識が薄らいできた。


 この神をも恐れぬ交わりを、もっと楽しみたかった。けれど、さすがに心臓を取りだしたのは辛い。


 今度はオレが死ぬかもしれない。
 もしも、オレにオークの血が流れているなら、無事のはずだ。


「ヒギィィィッ」


 と、ひたすら絶頂し続ける少女の上で、オレは昏倒した。

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