【新】アラフォーおっさん異世界へ!! でも時々実家に帰ります

平尾正和/ほーち

第3話『おっさん、覚悟を決める』後編

「ちくしょう……、折れてやがる……」


 斥候の男は無理な姿勢で着地したため、足首を骨折していた。
 なんとか動けなくもないが、アジトまで何日かかるか知れたものではない。
 それ以前に、魔物に襲われて死んでしまうかも知れない。


「いや……、こうしてる間にも俺は狙われてるのかもな」


 自分に気付かれず矢を放つような相手である。
 いつ次の攻撃が来てもおかしくない状況ではあるのだ。


 男は警戒心を高め、周辺の探知に意識を集中した。
 可能性として考えられるのは自分の探知可能な範囲外からの攻撃である。
 探知の範囲を広げて敵の位置を探るか、あるいは範囲を狭めてでも精度を上げるか。
 悩ましいところではあったが、結局どちらも上手くいかなかった。


「くそぅ……痛ぇ……」


 折れた足の痛みでうまく集中できなかったのである。
 暗部にいたころは痛みに耐える訓練も行なっていたが、何年も山賊団というぬるま湯で過ごした結果、最低限諜報活動に必要な能力以外はかなり低下してしまっているようだ。


「だったらこいつで……」


 男は懐から黒いコインのような物を取り出した。
 それは通知の魔道具で、それを叩き潰すことで、特定の相手に魔道具が作動した場所をほぼリアルタイムに伝えるという物だ。


「こいつはもらっておくよ」


 突然声が聞こえたかと思うと、手に持っていた魔道具を奪われてしまった。


「なっ……!?」


 顔を上げれば、そこには奇妙な格好の男が立っていた。
 光沢のある丸い兜と、身にまとったごく普通の革鎧とがアンバランスな格好にみえた。
 手には奇妙なかたちの手斧が持たれており、男から奪ったはずのコイン型魔道具はどこにもなかった。
 ポケットにでもしまったのだろうか。


「何もんだてめぇ……」


 男は問いかけながらも、目の前のこの男こそが自分をここまで追い詰めた人物であると確信していた。
 この男自身が手を下したのかどうかはともかくとして。


「わるいけど、死んでもらうよ」


 その言葉に一瞬心臓が止まりかけた男だったが、腐っても元暗部の人間である。
 平静を装っているが、相手の声がわずかに震えていたこと、そして今なお表情に怯えや迷いがあることを見抜いた。


(こいつは……たぶん人を殺したことがねぇか、慣れてねぇか……そこに活路を見いだすしかねぇ)
「頼むっ、見逃してくれ」


 男は足の痛みをこらえつつできる限り姿勢を正し、頭を下げた。
 無防備に後頭部をさらせば逆に躊躇すると考えたのだ。


「俺みたいなちんけな山賊であんたの手を汚すことはねぇ! そうだろ!?」


 男は頭を上げ、すがるような視線を向けると、相手は少しためらったように見えた。


「あんた、あの集落の関係者か? だったら俺はこの先敵対しねぇと誓うよ! 山賊からも足を洗って、まっとうに生きると約束する!! だから、な? 見逃してくれよぉ!!」


 男は涙を流しながら懇願した。半分は演技だが、半分は本気である。
 実際、ここで助かったら山賊を抜けてもいいと思っている。
 痛みで集中力が緩んでいたとはいえ、目の前に現れるまで存在に気付けないような相手を敵に回したくはないし、なにより死にたくなかった。


 あと一押しでなんとかなるか、と思ったところで、突然相手の表情が消えた。


「なぁ、お前は同じように許しを請う人たちに、いったいどんなことをしてきたんだ?」


 淡々と発せられたその問いに、男は肝が冷えるのを感じた。
 自分が過去に行なってきたことを、目の前の男はすべて見通しているように思えた。
 だからこそ自分は見逃してもらえないということも。


(ああ……あいつらはあのとき、こんな気分だったんだな)


 無様に命乞いをし、それでもなお助からないとわかったときの人間の表情が、男は好きだった。
 あえて望みを持たせ、それを断ち切るということを何度行なってきたか。
 そうやって自分が手にかけてきた多くの人が感じていたものを、男はいまになって理解した。
 おそらく人はこの感情を絶望と呼んだのだろう。


 見逃してもらえない、とわかれば、もうジタバタしてもしょうがないだろう。
 ひとつ望みがあるとすれば、奪われたあの魔道具である。
 あれは潰せば作動する物だが、所有者の魔力を感知できなくなったときも自動で作動するのである。
 所有者から一定の距離を離すか、あるいは所有者が死ぬかすれば……。


「……わかった。じゃあ最後にひとつ聞かせて欲しい」


 自分が死ねば魔道具が作動する。頭目ならそれで何かを察し、なんらかの対策をとるはずである。


「あんたの名前を」


 最期に一矢報いることができると思ったからか、男の口元に誇らしげな笑みが浮かんでいた。


**********


「大下敏樹、40歳」


 突然男の態度が改まり、覚悟を決めたように名を問われた。
 一瞬戸惑ったが、初めて手にかける相手である。
 冥土の土産に名前を教えてやるのもいいだろうと思い、敏樹は答えてやった。
 そしてそのことでむしろ覚悟が固まった。


 命乞いをされたとき、少し心が揺らいだ。このまま立ち去ってくれるのであれば、見逃してもいいのではないかと。
 しかし、ふとアジトから救出した女性たちのことが頭をよぎった。
 歯を抜かれ、舌を切られ、手足の自由を奪われたシーラの姿を。
 恩人とわかっていても男というだけで敏樹に恐怖してしまう女性たちの姿を。
 山賊たちにされてきたことに苦しむ女性たちの姿を思い出したとき、男の謝罪がとても薄っぺらい物に感じられた。
 そして自分のなかで何かがすーっと冷めていった。
 そんな敏樹の様子に男は覚悟を決めたようだった。


 敏樹の名を聞き、わずかにうなずいた男の脳天に、敏樹は片手斧槍を振り下ろした。
 男は刃が頭に到達するその瞬間まで、不敵な笑みを浮かべたままじっと敏樹を見つめていたのだった。


 ――人を殺した。


 頭の半分を叩き潰され、脳を垂れ流してぐったりと倒れる男の死体から少し離れたところで、敏樹は胸を押さえてうずくまっていた。
 片手斧槍を通じて伝わってくる骨の砕ける感触、そしてそれを超えたあとに訪れる柔らかい物を潰す手応え。
 命が失われ、頭の半分を潰された男が、人からただの肉塊に変わっていくのを敏樹は感じたのだった。
 それはやがて不快感につながり、その不快感を発散すべく絶叫したくなるのをこらえるように口元を押さえた。
 そうやって口元を押さえながら少しでも男の死体から離れるべく歩こうとするが、足に全く力が入らない。
 頭が重いと感じた敏樹は、片手で口を押さえたまま、片手でヘルメットを脱ぎ捨てた。
 それでもガクガクと震える膝は敏樹を支えきれず、数歩で崩れて膝を着いた。
 やがて胃の辺りがムカムカとしてくるのを感じ、それが胸の辺りまでせり上がってくる。
 背筋には寒気が走り、全身の肌が粟立つのを感じていた。
 ゴクリとつばを飲み込み、なんとか嘔吐感を耐え忍んだが、再びせり上がってきた不快感に耐えるように、敏樹は胸を押さえてうずくまった。


 男を手にかけてどれくらいの時間がたったのだろうか。


「ぜぇ……ぜぇ……」


 相変わらず気分は悪いが、吐き気は治まったようなので、敏樹は仰向けに寝転がり、目を閉じて呼吸を整えようとしていた。


(そういや初めてゴブリン殺したときも……)


 異世界に来て、初めて人型の魔物であるゴブリンを殺したときも、同じく気分を害したのを思い出した。
 〈精神耐性〉レベルが上っているにも関わらず、いまはあの時よりもさらに不快であるが……。
 だがあの時同様スキルの効果で、しばらく経てばこの気持ち悪さも収まるだろう。
 いまはゴブリンを殺してもなにも感じなくなっているのだから、人を手にかけることもいずれ……。


(それで……いいのか?)


 この不快感がスキルの力で消え去り、それ以降この感覚も鈍くなり、やがて何も感じなくなる……。
 つまり人を殺しても何も感じなくなるということだろうか。


(……俺、大丈夫なのか?)


 このまま異世界に身を置いていれば、いずれもっと多くの人を手にかけることになるだろう。
 そうなるまえに、異世界のことなど忘れてさっさと日本に帰って平和に暮らした方がいいのではないか。


 そんなことをぐるぐると考えていると、不意に頭が持ち上げられるのを敏樹は感じた。
 弾力のある柔らかいものの上に頭を乗せられた敏樹は、なんとも言えぬ心地よさを感じていた。
 そしてうっすらと目を開けると、ロロアの顔が見えた。どうやら敏樹は膝枕をしてもらっているらしい。


「ロロ……ア……?」


 彼女は泣いていた。


「ひとりで……無理しないで……!!」


 ロロアが絞り出すように告げた。
 敏樹をじっと見つめる彼女の目から落ちた涙がポタポタと落ちる。
 敏樹は頬に温かいものが当たるのを感じながら、なにか違和感を覚えていた。


「私が……、これからも私がずっと一緒にいますから……。だから、なんでもひとりで背負い込まないで……」


(ああ、そうか……。目が……)


 膝枕をされうつむくロロアの顔を下からのぞき込むようなかたちになったため、普段フードで隠れているロロア目がしっかりと見えていたのだ。
 先ほどからずっとロロアと目が合っていることに、敏樹はようやく気付いたのだった。


(ロロアがいてくれれば……、俺は大丈夫、かな)


 特に根拠があるわけではない。
 ただ、涙に濡れる黄金こがね色の瞳を見ながら、敏樹はそう思った。


「……ありがとう」


 弱々しい声で、しかしはっきりと敏樹がつぶやくと、ロロアは穏やかにほほ笑んでくれた。
 そしてそのまま優しく頬を撫でられながら、敏樹はゆっくりと眠りにつくのだった。



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