T.T.S.

沖 鴉者

FileNo.2 In Ideal Purpose On A Far Day Chapter 3-16

16
~2176年9月30日PM5:28 東京~

「絵美さん。ヤバいです」

 ヴァーチャルロビーに戻ったばかりの絵美を、エリが強張った表情で呼び止めた。すぐに、時間跳躍中のT.T.S.2名の生命兆候バイタルデータが眼前に提示される。

「……なによこれ」
「恐らく、No.1が暴走してるんじゃないかと」

 その推測も納得の生命兆候バイタルデータだった。
 二人の心拍が異常に速い。にも係わらず、源の脳は強いストレスを感じる一方、紗琥耶の脳細胞代用ナノマシンは強い快感を得ていた。リアルタイムで送られてくる肺内に仕掛けられたナノマシンのデータは、2人が同じ空間にいることを示している。
 同じ空間にいて、どうしてこうも反応が違うのか。

「暴走、ね……」

 心当たりはあり過ぎる。
 だが、心の中でなにかがそれに納得していなかった。
 紗琥耶に限って、わざわざ源を相手にそんなことをする・・・・・・・・とは思えない。それもあるが、絵美の頭には個人的な感情が割り込んだ。
 端的に言って、信じたくなかった。同じ職場のメンバー同士がそういう仲・・・・・になったと思うのは、誰でも嫌なはずだ。まあ、それ以外にも思うところはあるが、今は無視する。
 Alternativeの緊急事態に振り回され、ゲッシュから目を離した隙に、別の意味でとんでもないことが起こっていた。

「エリちゃん、ちょっと私と代わってもらえる?先にそっち片づける」
「すみません、お願いします。ごめんなさ、絵美さんばかりに負担をさせて」

「あの2人に限っては仕方がないと思っているし、気にしないで」
「そう言っていただけるのはありがたいですが、どうぞ無理のない範囲でお願いしますね」

 畏まるエリに心の中で手を合わせて、絵美は一旦ヴァーチャルロビーを離れる。
 今回、時空間跳躍においては大きなブレイクスルーとなるゲッシュを試験運用しているが、これは鈴蝶と絵美そして青洲の3人間の極秘であり、エリのいるヴァーチャルロビーで確認は出来なかった。
 時空間跳躍電波以外の全てスタンドアローンにした独自電子空間プライベートヴァーチャルロビーで、絵美はゲッシュのプログラムを開く。
 紗琥耶の興奮具合を考えると、源の状態が気に掛かる。すぐに源の視野にもぐりこむと、真っ暗な闇が広がっていた。

『なによこれ⁉』

 本当に視界潜入出来たのかもよくわからない景色に驚いたが、紗琥耶の声が聞こえて、事態は明らかになる。

〈頑張るじゃない。足の指全部剥いたのに声も出さないなんて。射精(だ)していいのよ?それじゃあ次、いよいよ胃潰すよ〉
『なんですって⁉』

 慌てて紗琥耶の腕輪に電流を流す。
 だが。

〈が!……ああああああああああああああ!〉

 絶叫したのは、紗琥耶ではなく源だった。

〈あら、急に素直になったじゃない。……ああ、絵美ちゃんのゲッシュか〉
「紗琥耶、貴女なにやって」

 一オクターブ上がった紗琥耶の声が弾んで、思わず絵美は声を上げる。だが、なぜかすぐに源に遮られた。

〈やめろ絵美……ッ……余計なこと、すんじゃねぇ!〉

 2人だけの専用回線を使って囁かれた言葉に、耳を疑った。

「なに言ってるの⁉そのままじゃ紗琥耶に殺されちゃうのよ⁉」

 咄嗟にそう言いながらも、頭の中で嫌な想像が広がる。もっとも大事なパートナーを失うかもしれない焦燥が、自然と言葉を強くした。

「こんな所で死なせたりしてやらないからね!」

 感情に任せた咆哮に、しかし返って来たのはいつもの源の声だった。

〈馬鹿なこと言ってんじゃねぇよ。俺がいつこんな糞ビッチに・・・・・・・・殺されてやる・・・・・・っつったよ。お前にならまだしも、コイツにだけは・・・・・・・殺されねぇ・・・・・よ〉

 絶句していると、源はしっかりした声でなんてこともないように続ける。

〈そっちがヤベェことになってるっつぅのは紗琥耶コイツから聞ぃた。コッチでガキと一緒にいた野郎が重要キーだって睨んでんのはお前も同じだろ。だから少し仕掛けてやろうと思ってな、その駄賃に紗琥耶コイツに俺の身体を破壊スクラップアンド再構築ビルドさせてやってんだ。麻酔なしでな。安心しろ、自然回復力の増強も図ってっからパフォーマンスに影響は出さねぇ〉

 なに一つ安心出来る要素のない新情報を与えられたが、現状をこれ以上煩わしくしても絵美の許容量キャパシティを超える。

「……信じていいのね?」

 止めてくれ、と懇願したい気持ちをグッと呑み込んで、確認を絞り出す。

〈俺のことは信じていぃ。紗琥耶コイツのことは紗琥耶コイツに訊け〉

 短くも確かな言葉に、絵美は肚を括った。

「わかった。信じるわ。……紗琥耶、手短に済ませてさっさと任務しごとに戻ってよ。あと、念のために言うけど、源を殺したら私は絶対貴女を許さないからね。You see?」

 回線チャンネルを切り替え、毅然と警告すると、紗琥耶は〈I see,I see〉と笑って一方的に通信を切る。はたしてどこまで意図が通じたのかはわからないが、時空を隔てた今の絵美に出来るのは、紗琥耶を信じることだけだった。

「源、あとはお願いね」
〈あぁ、任せろ〉

 尾を引く懸念材料ではあったが、今出来るのはこれくらいしかない。溜息一つで気を静めていると、別の回線チャンネルが文字を躍らせて絵美を呼んだ。

《なんだかお疲れみたいだけど☆ちょっといいかな?》
「大丈夫よSilk。なにか分かった?」

《そっち大分忙しそうだから、こっちで外務省漁ったんだけど、粟生田外相と皇議員の狙いと動静が洗えたのだー♪》
「ああ、そういえば……ごめんなさい、私の分まで。助かるわ」

《ホントに大丈夫ぅ?》
「大丈夫よ。それで?早く背景を教えてちょうだい」

《その前に一点だけ☆今回の件、外事と内調の網がものすっごいキツかったから、ちょーっと経費が割り増しになるゾ♪》

 目眩がした。外事こと外事警察。そして内調、内閣調査室。この2つの組織名が出るということは、直面する事案トラブル規模キャパシティを圧倒的なヴォリュームに撥ね上げる。

『なんてこと……』

 絵美一人の手には余る、壮大な絵が垣間見えてしまった。
 現行の事態を前に、絵美が持てる影響力など、芥子の実一つにも満たない。
 しかしながら、ここで止まるわけにもいかなかった。なんでもない声で絵美は続ける。まだ本丸が残っていた。

「そう……報酬フィーの話は心配しないで。ちゃんと支払うわ。……でも、そこまでして2人はなにを?」
《絵美ちゃん、問題を矮小化しない方がいいゾ☆2人は明らかに日本政府の意向で動いてるのだゾ♪》

『分かっているわよ』

 分かっているがゆえに背けた目を戻されて、絵美の頭はグラグラと揺れ、胃は中身を逆流させようと必死だ。というのも、粟生田外相と皇議員の2人が日本政府の意向で動いていたならば、その目的は分かり易くかつ明確だ。

「分かっているわSilk。私が言いたいのは、彼らはどうしてT.T.S.を探るためだけに、バルセロナまで行ったのかってことよ」

 日本国政府がT.T.S.を警戒しているのは、絵美も知っているし、理解も出来る。
 だが、なぜバルセロナなのか?その疑問が晴れない。

《それがね☆どうも妙な連中に釣られたみたいなの♪》
「妙な連中?それってニコラエたちのこと?」

《そだよー♪あとはさっきのロサちゃんを襲った連中もね☆》

 すでにロサのことも知られているとは、今更驚きもしないが、ゾッとさせる話だった。

「いつ知ったのかしらないけど、その情報、口外は許さないからね。それで?彼らはなにが狙いなの?」
《んーそれがね、カタルーニャの復活なんだって☆》

「はあ?」
〈なるほどね〉

 とつじょ割り込んできた声に、絵美は飛び上がる。

「ま、Master⁉どうやってここに⁉」

 聞き違うことなきT.T.S.Master甘鈴蝶の声だった。

〈はじめましてだね、Silkさん。それとも他の名義の方がいいかな?アラクネでも女郎でも、お好きな方で呼ばせてもらうよ?〉
《いやん☆T.T.S.Master様様様♪あんまりイケずしないで下さいよー☆》

〈そう、じゃあ失せなさいモグラ。情報はありがたいけど、お前のようなヤツに共同歩調を採るなんて思われるのは冗談じゃない〉
《……残念♪それじゃあ絵美ちゃん☆またね♪》

「あ、ああ……」

 言うが早く、Silkのメッセージボックスが消える。
 残された絵美は口をもごもごと動かす以外、出来ることがない。

〈さて、絵美ちゃん〉
「ひゃい!」

 身元もよく分からない市井の情報屋との接触など、処罰ものの失態だ。

〈私の居場所を貴女にだけ伝えておきます。今ICPO本部に入っているテロ組織や国際指名手配犯の動静を洗い終えたところです〉

 お叱りではなく現状報告が飛んできたことに面食らっている内に、話は先に進んでいく。

〈断言します。我々T.T.S.および日本国政府はカタルーニャ独立活動家を中心とした新たなテロ組織の標的にされています〉
「新たなテロ組織、ですか?」

〈そう。ついてはその便宜上の名前、いい提案ない?敵の姿を明確にしたい〉

 どうでもいいようで、重要なのが、敵の線引きだ。
 すぐに絵美は命名する。

「では、RUIDO RUEDAでいかがでしょうか?」
混乱の集まりRUIDO RUEDAか、悪くないね。それじゃあ、その呼称と現状判明しているメンバーを外事とP.T.T.S.に共有しておくから、貴女は即時休みなさい〉

「そんなわけに」
〈絵美ちゃん〉

 鈴蝶の声に、厳しさが籠った。

〈弁えなさい。ここから先では、今の貴女は足を引っ張るだけだ〉

 キッパリと言い切られ、二の句が継げない。

〈これが最後の警告で、援護だ。これ以上はもう、つまずいても置いていくよ〉

 最後通告は冷徹ともいえる毅然さで、絵美を独りにした。

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