スキルを使い続けたら変異したんだが?

クルースニク

Side change 蒼穹の姫君

 勇人が消え、静寂の満ちた酒場の一室。
 マスターは珈琲で口を潤して、言葉を切った。

「……どうだった、カーレル」

「アイツ――じゃなくて、姫の言う通りかと」

「人工知能による意識の乗っ取り。最初は姫のご冗談だと受け取っていたが……いや、ご冗談であって欲しいと願っていたのだがな」

 マスターが嘆息を漏らす。
 その気持ちは理解できる。もしそれが本当であるならば、アイツの話す運営の陰謀もまた、事実である可能性が高い。

 笑えない話だった。
 現時点での総プレイヤー人数は二十万。それもどんどん増え続けている。
 それだけの人間が運営の人質に……いや、手駒になるかもしれないのだから。

「……自分たちですらそうだったんですから、誰かに言ったところで信じてはもらえないでしょうね」

「そうだろうな。
全てを知った今でさえ絵空事のように感じるのだから、これを他人に信じさせるのは難しいだろう」

ならば。
 ギリッと、奥歯を噛み締める。

 やっぱり、アイツの言っていた手段しか残されていないってことかよ……ッ‼

「――ずるいなぁ、二人でティータイム? サリアも混ぜてよ」

 場違いな明るい声。
 顔を上げると、今脳裏に過った姿がそこにあった。
 いや、ここへ現れた……という方が正しいのかもしれないが。

「姫様、申し訳ありません。何をお飲みになられますか?」

 いつものことなので、さして驚く風もなくマスターがサリアに訊ねる。

「イチゴ牛乳でお願い」

「承りました。
では、注文と料金の方は私が払っておきますので、そのまま席を外させて頂きます」

「うん、ありがと~」

 サリアに一礼し、マスターは個室を出ていく。
 これもまた、いつものことだった。

 二人きりになった。
 彼女の顔を見やる。目が合う。にこ~っと微笑み、小動物のようにパタパタとこちらへ寄ってきて、隣に座った。

「ねえねえ、カーくん。次の街でね、すっごい美味しいケーキが売ってる店があるんだよ。今度一緒に食べに行こう?」

 無邪気な顔でこちらをのぞき込んでくる。
 普通の、年頃の少女だ。そうにしか見えない。

 だが、サリアは普通の少女ではない。
 彼女は蒼穹の証人の創設者であり、その容姿と仕草から、サブマスターを筆頭に姫様と崇められる存在だった。
 そんな彼女にひょんなことから気に入られ、強引に俺は今のギルドに連れてこられたのだ。

「……ああ、そうだな」

 普通に答えたつもりだったが、耳に届く自分の声はどこか重い。
 この世界の精巧さが、今は恨めしかった。

 彼女もその微妙な変化に気づいたらしく、ふっと口元の微笑が陰る。

「ねっ? サリアの言う通りだったでしょ?」

 全てを見透かしたような彼女の問いかけ。俺は頷くことしかできなかった。

「……ああ」

 ギルドに入った俺は、知った。
 彼女の生い立ち――彼女が現実には肉体を持たない“精密な人工知能”であるということを。
 そして、告げられた。このゲームの運営の企みを。

 仮想世界を、まるで現実のように脳へ認識させる技術。
 もし、それが悪用されたらどうなるか。

 記憶の改竄や五感の支配。
 そんな考えたくもないことを、この運営は“精密な人工知能”を利用して着々と試行しているのだという。
 このままでは、プレイヤーの身にどんな危険が降りかかるかもわからない。

 だから、“サリア”は俺にこう言った。

「――カーくん、サリアを壊して」

 買い忘れたものを頼むような、軽い口調で彼女は言う。

「私があの人たちの計画の鍵だから。
 だから、私さえ消えてしまえば簡単に破綻させることができるの」

 幾度となく聞かされた話を、もう一度、言い含めるように彼女は続けた。

「そのための手段は……」

「――わかってる。お前が意図的に残したっていう特殊スキルを手に入れろっていうんだろ?」

 ああ。
 何度となく聞かされ、何度となく他の方法はないのかと思索し、そうして辿り着く結論だった。

 自分で自分を壊せぬようにプログラムされ。
 自分の意思さえ運営の都合によって奪われ。
 自分の消滅の危機には自己防衛プログラムが働き、ただ一つの例外を除いた全てのスキルを持ってそれを排除する。

 その例外。かつて彼女と共に存在していた、姉とも呼べるもう一つの人工知能が自ら創り出したという、特殊スキル。
 それこそが、サリアを倒すことのできる唯一の手段。
 それを用いて、俺が彼女を倒す。

 倒されたあとはすぐにバックアップから復活させられるが、そこに一瞬の自由が生まれるのだという。
その時間を利用して自らのバックアップとサーバーのデータを全て消去するのが、彼女の作戦だった。

 だが、誤算があった。
 俺よりも先に、そのスキルを手に入れてしまった者が居た。

「うん。でもそのためには、カーくんの友達を……」

 言い淀んだ彼女の言葉を、敢えて俺は引き継いだ。

「ああ。勇人は、俺が倒すよ。そしてお前がスキルを奪う。
 もう決めた話だったろ」

 サリアいわく、勇人では自分を倒すことはできないのだという。
 優しいから、という話ではなく、スキルを使いこなせていないのだと。

 この世界のシステムを熟知していた姉だからこそ創り出し得た、人の感情、心の状態を反映するスキル。
 それを使いこなせるほどに、彼の心は成熟していないのだと。

 ならばどうするか。
 サリアの出した答えは単純で明快だった。

 スキルを奪えばいい。
 本来ならばスキルの譲渡は不可能だが、ゲームの管理者とも言える彼女であれば、それも可能なのだという。
 ただし、そのためには勇人を倒し、バックアップのあるサーバーに繋がった所を狙わなければならない。

「いいの……?」

「お前だって姉を倒すことになるんだ。お互い様だろ」

「でも、サリアは肉体も心もない架空の存在で――いたっ」

 ぽんっと彼女の頭を叩いて、言葉を遮った。

「そんなことを言える奴に心がないわけがないだろ」

 そのまま柔らかい髪の感触を味わっていると、彼女は怒った猫のように俺の腕を払った。

「ちょっ、やめてよカーくん! 私そんなに子供じゃ……」

 コンコン。

「失礼致します、ご注文のイチゴ牛乳を持って参りました」

 NPCのウェイトレスが入ってきて、テーブルにサリアの注文した飲み物を置き、一礼して部屋を出ていく。
 その短い間に、サリアの顔はそれと大差ないほどに赤く染まっていた。

「どうした、飲まないのか?」

「…………うぅ」

 欲望に負けたサリアは、おずおずとティーカップに手を伸ばす。
 微笑ましいと思うと同時、胸に突き刺さるものがあった。
 この年端もいかぬ少女を、俺は倒さなければならないのだから。

 だが、揺らぎはしない。
 他の誰でもない彼女自身が、そう覚悟したのだから。
 それを無駄にするようなことはしない。

 覚悟は既に出来ている。
 だから、いつか来る日常の終わりまではせめて、彼女の我儘に付き合おう。
 そう考えた矢先だった

「――え?」

 不意に、サリアが顔を上げる。

「どうした?」

「ルカッファイーターが倒された……?
 え? グリフォンも? また、サイクロプスまで……ッ⁉」

 虚空を眺め、ポツポツとサリアが青い顔をして呟く。
 彼女にしか見えないログがそこ流れているのだろう。

 これが日常の終わりの始まりであることを、その時の俺はまだ知る由もなかった。


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