観測者と失われた記憶たち(メモリーズ)
黒い世界2
これはなに? 分からない。知らない。こんなもの私は知らない。いえ、いいえ違う。この世界にあるはずがない。この世界にこんなもの存在しない。だから名前なんてあるはずがない。
名状しがたきもの。この前に、命とは価値ではなく現象でしかないのだと思い知らされるほど、広大で超自然的な存在感は、まるで宇宙を前にして己の矮小さを痛感させられる人間のような、当たり前であるがゆえに絶対的で普遍な、覆しようがない恐怖。
それが今、私の目の前にいる。
気が付いていないだけで、私はとっくに発狂しているのかもしれない。喉を締め付ける恐怖に。胸を抉る不安に。
理性の殻は呆気なく砕かれて、裸の本能が叫んでる。
怖いと。
ただ怖い。どうしようもなく怖いのだ。目の前のこれが。
指先が痛いくらいに硬直している。舌どころか眼球すら動かない。瞼も同様。乾いた瞳を潤すように、けれど決してそうではなく、涙が流れ出す。
動けない。鼓動すら止まりそう。
「グオオオオオ!」
「ひぃ」
短い悲鳴が漏れる。涙が頬を伝う。足が、身体が、動かない。このままでは、襲われる。
恐怖が体と心を飽和する。血液が冷たい。身体が石のよう。
「い、いや……」
死にたくない。
「いやよ……」
死にたくない、そう、私はまだ、死にたくない。
その時だった。私は、目の前の怪物とは別の声を聞き取った。
『助け、て。ザッ、ザー……、タス――ザッ――ケ、テ……』
私に助けを求める少女の声。恐怖に縮まる心が、かすかに奮えた。そうだ、この子も怖いんだ。ずっと、こんな思いをしていたに違いない。ずっとこんな世界に閉じ込められて。
私だけじゃない。諦めていいはずが、ない! 襲われては駄目。ここから、この怪物から逃げないと。
逃げて。逃げて、私。走るのよ、アリス!
私は、行動した。
「はっ!」
凍ったように動けなかった体が、動く。私は振り向き走った。ぼやける視界を拭い取り、意思を血のように体中に走らせ逃げることのみを考えた。走れ、走れ。それだけを考える。
直後、怪物が叫んだ。叫び声が背中にぶつかる。私は走りながら振り向くと、怪物はヘビの胴体をくねらせて追ってきた。獲物を狙うヘビと同じ動きで、私を追ってくる。
私はすぐに路地裏へと逃げ込んだ。大きなビルとビルの隙間に体を滑らせる。背後では怪物が迫るが、サソリの部分が大き過ぎて追って来られない。怪物は叫び声を上げた後、恨めしそうに睨みながら去っていった。
きっとすぐに回り込まれる。私は緊張を緩めることなく路地裏を走り切る。
路地裏を抜けた先、私は走り続け住宅街の道を走っていた。多くの家が密集しているここは曲がり角や路地裏が多い。
そしてここにも人はいなかった。黒い空は世界を覆い、夜と変わらない暗がりを下ろす。私は家の中に逃げ込もうかと扉に手を掛けたが、駄目だった。窓も開かない。何故? 声も聞こえない。聞こえてくるのは少女の声だけ。
『助け、て。ザッ、ザー……、タス――ザッ――ケ、テ……』
今にも泣きそうな、少女の声。あなたも、あの怪物に狙われているの?
次第に声は小さくなり、砂嵐が強くなる。声は聞こえなくなってしまった。
私は走った。分からないことばかりで、知らないことが多過ぎた。けれども今は全部後。今は走らないと。どこか、どこか遠くへ。この黒い世界が終わるまで。
私は角に差し掛かる。まだ背後に怪物の気配はない。私は曲がり角を選択し方向を変える。が、
「――――」
いた。角を曲がった先、道の中央に巨大な黒い怪物が。どうやらまだ気づいていないらしく、私を探してゆっくりと前進しながら頭を回している。
名状しがたきもの。この前に、命とは価値ではなく現象でしかないのだと思い知らされるほど、広大で超自然的な存在感は、まるで宇宙を前にして己の矮小さを痛感させられる人間のような、当たり前であるがゆえに絶対的で普遍な、覆しようがない恐怖。
それが今、私の目の前にいる。
気が付いていないだけで、私はとっくに発狂しているのかもしれない。喉を締め付ける恐怖に。胸を抉る不安に。
理性の殻は呆気なく砕かれて、裸の本能が叫んでる。
怖いと。
ただ怖い。どうしようもなく怖いのだ。目の前のこれが。
指先が痛いくらいに硬直している。舌どころか眼球すら動かない。瞼も同様。乾いた瞳を潤すように、けれど決してそうではなく、涙が流れ出す。
動けない。鼓動すら止まりそう。
「グオオオオオ!」
「ひぃ」
短い悲鳴が漏れる。涙が頬を伝う。足が、身体が、動かない。このままでは、襲われる。
恐怖が体と心を飽和する。血液が冷たい。身体が石のよう。
「い、いや……」
死にたくない。
「いやよ……」
死にたくない、そう、私はまだ、死にたくない。
その時だった。私は、目の前の怪物とは別の声を聞き取った。
『助け、て。ザッ、ザー……、タス――ザッ――ケ、テ……』
私に助けを求める少女の声。恐怖に縮まる心が、かすかに奮えた。そうだ、この子も怖いんだ。ずっと、こんな思いをしていたに違いない。ずっとこんな世界に閉じ込められて。
私だけじゃない。諦めていいはずが、ない! 襲われては駄目。ここから、この怪物から逃げないと。
逃げて。逃げて、私。走るのよ、アリス!
私は、行動した。
「はっ!」
凍ったように動けなかった体が、動く。私は振り向き走った。ぼやける視界を拭い取り、意思を血のように体中に走らせ逃げることのみを考えた。走れ、走れ。それだけを考える。
直後、怪物が叫んだ。叫び声が背中にぶつかる。私は走りながら振り向くと、怪物はヘビの胴体をくねらせて追ってきた。獲物を狙うヘビと同じ動きで、私を追ってくる。
私はすぐに路地裏へと逃げ込んだ。大きなビルとビルの隙間に体を滑らせる。背後では怪物が迫るが、サソリの部分が大き過ぎて追って来られない。怪物は叫び声を上げた後、恨めしそうに睨みながら去っていった。
きっとすぐに回り込まれる。私は緊張を緩めることなく路地裏を走り切る。
路地裏を抜けた先、私は走り続け住宅街の道を走っていた。多くの家が密集しているここは曲がり角や路地裏が多い。
そしてここにも人はいなかった。黒い空は世界を覆い、夜と変わらない暗がりを下ろす。私は家の中に逃げ込もうかと扉に手を掛けたが、駄目だった。窓も開かない。何故? 声も聞こえない。聞こえてくるのは少女の声だけ。
『助け、て。ザッ、ザー……、タス――ザッ――ケ、テ……』
今にも泣きそうな、少女の声。あなたも、あの怪物に狙われているの?
次第に声は小さくなり、砂嵐が強くなる。声は聞こえなくなってしまった。
私は走った。分からないことばかりで、知らないことが多過ぎた。けれども今は全部後。今は走らないと。どこか、どこか遠くへ。この黒い世界が終わるまで。
私は角に差し掛かる。まだ背後に怪物の気配はない。私は曲がり角を選択し方向を変える。が、
「――――」
いた。角を曲がった先、道の中央に巨大な黒い怪物が。どうやらまだ気づいていないらしく、私を探してゆっくりと前進しながら頭を回している。
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